「、客だ」
「んあ?」
37.2年目:ホワイトデー
停学3日目。
一応律儀に朝の森林公園にも出向かずに、私は謹慎生活を送っていた。
……ヒマで仕方ない。
一日ベッドでごろごろしてるか、左手のリハビリしてるか、ちょいと長い休みに入った親父の飯の支度をしてるか、無理矢理若貴をかまって腕にみみず腫れを増やしているか。
その程度のことしかやることなくて。
そんな折、夕陽も思い切り傾いてきた頃。
大抵「飯作れ」しか言わない親父に呼ばれた。
部屋の入り口までやってきた親父は、寝巻き姿でごろごろしてた私を軽く見下ろしたあと、そのままどすどすと足音をたてて下に下りていく。
いれかわりに響いてくる、複数の足音。
「や、さん」
「は? 若先生?」
ひょこっと、一番に顔を出したのは若先生だった。
それだけじゃない。
「なんだよお前、起きてんだったらちゃんと着替えろよな!」
「わー、ちゃんの部屋に入るのは初めてやんなー♪」
「アンタもいい身分だねぇ。日がな一日寝てるのかい?」
「……のしんとクリスと藤堂まで」
「ハリーって言えって言ってんだろ!」
ぞろぞろと若先生のあとからやってきたのは、なんとも妙な組み合わせの連中で。
最後に。
「……」
「はるひ?」
目が点になった。
なんなんだ?
私はむくりとベッドから体を起こして、マットの上にあぐらをかく。
場所を提供する前に、図々しく若先生が床に座り込んで、のしんたちもそれに続く。
はるひだけは、居心地悪そうに視線を落としたままちょこんとのしんの隣に正座した。
「なに? このメンツ。どうかした?」
「どうかしました。さん、先生報告に来たんです」
「報告って」
いつもの見慣れたスーツ姿の若先生は、なんだか久しぶりに見るような、憂いなんて影も形もないノーテンキ全開の笑顔を浮かべて。
隣に座ってるのしんとクリスも、妙ににやにやと口元を緩めて。
あ、もしかして。
「水樹と仲直りできたの?」
「……おかげさまで。針谷くんと西本さんと志波くんの力添えもあって、今日、ようやく水樹さんとお話できました」
「そっか」
だからか。みんな妙ににこにこしてんの。
藤堂までもが優しい笑みを浮かべてるんだもん。
つられて私も笑顔が浮かぶ。
「よかったね、若先生。水樹に怒られた?」
「なまら怒られました。でも、ちゃんと謝って、わかってくれたみたいです」
「水樹が若王子と話すのに二の足踏んでたから、チョビや西本が背中せっついてやってさ。結局、水樹の担任まで巻き込んで強引に化学準備室に連れ込んだんだけどねぇ」
「はは、そうだったんだ」
小野田とはるひがきゃんきゃん騒いで水樹を押し出してる様子、簡単に浮かぶ。
私はのしんを振り返った。
「月曜日、のしんたち水樹の家行って来たんだって?」
「だからハリーって……お前、本気で言う気ねぇな……。ああ、オレとはるひと志波で行って来た。セイのヤツ、やっぱ噂を気にしてたみてぇでさ」
「やっぱり」
若先生を軽く睨んでやれば、小さく肩をすくめて「反省してます……」とぽつりとつぶやいた。
「オレら友人一同と野球部と手芸部と、それからあー……生徒会の連中と」
「瑛クンも協力してくれたんよ。セイちゃんの噂は事実無根なんやで、って。みんなで言いまわって誤解解いたんや」
「そっか。じゃあ水樹も学校で肩身狭い思いしなくて済むね」
「全部、さんのお陰です」
水樹の友達の多さに改めて感心しながらそう言ったら、若先生は首を振って。
振り向けば、優しくて温かい笑顔を浮かべてこっちを見てた。
「さん自身もたくさん傷ついてたのに友達のために身を張ってくれた。水樹さん、ものすごく感謝してましたよ?」
「アンタも感謝するんだよ、若王子」
「やや、勿論です。先生、さんには感謝してもしきれないです」
う。
なんかむずかゆい。
誰かに感謝されるのって、すっごい慣れない。
「……おい、お前も言うことあんだろ」
のしんが、隣のはるひをつついた。
はるひは、なぜか真っ赤な顔をして、唇をきゅっと噛み締めたまま視線を落としていたんだけど、不意に顔をあげたかと思えば、
「っ、ほんまごめんなっ!!」
勢いよく、また頭を下げた。
……って、なんではるひが謝ってんの?
「……なにが?」
「なにがて、アタシ、アンタの事情も知らんで」
「もしかして年末のアレ? あれははるひが謝るんじゃなくて私が」
「そんなことない! アタシがセイのほうにだけ肩入れして、を罵ったんやもん!」
「そうかなぁ……」
明らかにあの時は、水樹に対して意地はってた私の方が悪い気がするんだけど……。
「、ほんまごめんな!」
「いいよ、気にしてない……っていうか、はるひは間違ってないし」
友達を思っての行為だ。
行き違いになったのは私の意地のせいだし。
……水樹と若先生を思って行動を起こした今なら、はるひのあのときの気持ちが理解できる。
はるひは、友達同士の板ばさみで、私よりずっと辛かったんだろうな。
「私こそごめん。ずっと、嫌な思いさせて」
「許してくれるん?」
「はるひは最初から許しを請わなきゃならないことしてないよ。むしろ私のほうが許して欲しいよ」
「っ……やっぱアンタ、ええ子やな!」
「うわ!?」
いきなりはるひが抱きついてきたものだから、堪えきれずにそのままベッドに押し倒される。
って、女に抱きつかれる趣味ないっ!!
「離れろはるひっ!」
「女の友情復活やな!」
「やー、青春ですねぇ」
もがもがとひとしきり暴れてはるひを引き剥がしたあと。
生温い目で私とはるひを眺めていた若先生の脳天にカラーボール乱れ投げしてから、私はベッドに座りなおす。
すると、クリスが私の目の前に手のひらサイズの袋を差し出した。
「……なに?」
「ちゃん、今日ホワイトデーやで? これボクからのプレゼント♪」
「は? あ、ほんとだ14日……つか、今年もクリスになにもあげてないのに貰っていいの?」
「去年も言うたけど、絆の証やからええんよ。それとも、お返しデートまたしてくれるん?」
「はは、いいよ。動物園以外なら」
「ほんま!? うわぁ、言うてみるもんやね!」
にっこーとぴかぴか光りそうな笑顔を浮かべるクリス。
クリスとデート、ってことはまた保護者として志波がついてくんのかな。
……などと思いながら包みを開けてみて。
「あ!」
袋からそれを取り出して高々と掲げて。
「ご当地どくろクマの北海道レアバージョン! まりものどくろクマ!」
「ちゃんって言うたらどくろクマやろ? ホントはセイちゃんにあげよ思とったんやけど、セイちゃんがこれはちゃんのほうが喜ぶよ、って」
「水樹が?」
のしんと藤堂に目を点にされながらベッドの上でくるくる踊っていたけど。
クリスの言葉に、足を止める。
そっか、水樹が。
「うん、嬉しい。ありがとクリス!」
「喜んでくれてボクも嬉しいわ〜♪」
「っ、アタシもホワイトデーのプレゼントあんねん! 仲直り記念に、受け取ってくれるやろ?」
「はるひも?」
見ればはるひもがさがさと鞄をあさって、ぱっと取り出したのは一枚のMD。
「昨日発売のSUPER CHARGERのニューアルバム! ソッコー買って落としてきてん!」
「マジで!? 嬉しい、すごく嬉しい!」
「だぁぁっ! はるひテメェっ! 今日アルバム持ってくんの忘れたくせに、のMDだけ持ってきたのかよっ!」
「ハリーは明日も学校来るんやし、ええやん! 時には女の友情優先や!」
本気で悔しがってるのしんの横で、はるひは「な!」と懐かしい元気な笑顔を向けてくる。
そっか。
友達って、こういうことだ。
私は大きく頷きながら、はるひからMDを受け取った。
「おっほん。実は先生もさんにプレゼントがあるんです」
「は? 若先生も?」
見れば、意味もなく胸をそらして偉そうにしてる若先生。
なんだなんだと注目してみれば、若先生はかばんから厚み1センチほどもあるプリントの束を取り出した。
「……何それ」
「1週間も学校お休みしなきゃならないさんにピッタリのプレゼントです」
「だから何」
「今週1週間分の授業予定の内容です。氷上くんと小野田さんにも協力してもらったので、全教科揃ってます!」
「いるかそんなもんっっっ!!!」
なんで学校休んでるのに勉強しなきゃなんないんだっ!!
氷上が聞いたら「くん、それは違うぞ!」なんて説教始まりそうなことを思いながら、私は盛大に若先生の差し出したプリントを蹴り上げた。
……あ、ちょっとスッとした。
「若先生、これはこれでいいプレゼントだったかも」
「さん、ヒドイです……」
若先生とはるひたちは揃って完全に日が落ちる前に帰っていった。
久しぶりに見る、全員本当に晴れやかな笑顔で。
よかった。私もそれを見てなんかほっとした。
そしてとっぷり日は落ちて。
「ん、こんなもんか」
家伝来野菜ごった煮シチューの味見をして、私は納得して火を止めた。
時刻は7時過ぎ。そろそろシンも部活を終えて帰ってくる頃だ。
「親父、先に食べる?」
「揃ってからでいい」
リビングのソファにごろんと寝転がりながら、似合わないお堅い報道番組を見てる親父。
足元には若貴が丸くなってる。
じゃあ先に若貴のごはんを用意するか。
私はリビングを出て、玄関に保存してあるネコ缶を取りに。
そこへタイミングよく帰ってきたのは。
「おう、ただいま。今日もおとなしく謹慎してたか?」
「ウルサイ。ご飯出来てるんだからさっさとシャワー浴びてこいっ」
桜もまだだというのに、軽く日焼けしはじめてるシンと。
「邪魔する」
「今日もうちでごはん食べてくの?」
月曜日から、なぜか毎晩うちに寄って晩御飯を食べていくようになった志波。
と。
「さん、こんばんは!」
「あれ、水樹?」
でかい図体の後からひょこっと顔を覗かせたのは、おとといまで暗い顔しか見れなかった水樹だった。
若先生から仲直りしたって聞いたとおり、今はその幼い顔ににこにこした笑顔を浮かべてる。
「バイト帰りにさん家に寄ろうと思ってたの。で、そこでくんと志波くんに会って」
「ふーん? で、なんか用?」
「お前っ、水樹さんにゾンザイな口の聞き方すんな!」
「シンはすっこんでろっ!」
瞬間的に勃発しかかった姉弟喧嘩を止めるのは、いつものように志波。
私とシンの額を片手で押しやって、はぁと大きくため息をつくのもいつもどおり。
「……すごいね、志波くん」
「いや、慣れた」
ふー、ともう一度息を吐いてから、志波は私とシンを解放する。
「ちっ……まぁいいか。オレシャワー浴びてくる」
「さっさといけっ」
「いちいちつっかかるな」
「うー」
志波に諭されて口をとがらせると、水樹はくすくすと笑い出す。
「あ、ごめんねさん。あのね、私さんにお礼を言いたくて」
「いいよ別に。さっき若先生に散々言われたし」
「え、先生? 先生来たの?」
「うん。はるひたちと一緒に来た」
「そ、そっか……」
若貴の缶詰を取り出して立ち上がると、水樹はなんだか赤い顔をしていた。
「せ、先生なんか言ってた?」
「なんかって? えーと水樹になまら怒られたって」
「なまら……」
一瞬ぽかんとする水樹だけど、すぐにまた笑顔を取り戻す。
「今日の放課後ね、先生とちゃんと話して誤解を解いて……さんの話聞いたの。先生と、……えと」
水樹はなぜか言葉をつまらせて、志波を見上げた。
すると志波はなにかを察したのか、足元に擦り寄ってきていた若貴を抱き上げてリビングに入っていく。
なんだ?
「さんが、先生と一緒に旅に出る予定だったって」
「ああ、あれ」
「私、さんが志波くんのこと好きなんだってずっと知らなくて、それで先生が悩んでるときにさんが相談乗ってたの誤解して……。なんか私たち、お互いにすれ違った誤解してたんだね」
「ん。そうみたい」
えへへ、とはにかんだ笑顔を浮かべる水樹につられた。
「それだけ! 遅い時間にごめんね?」
「いいよ、まだ7時過ぎじゃん。あ、水樹も晩御飯うちで食べてけば?」
「え? いいよそんな! いきなり押しかけたのに晩御飯なんて」
「そういう細かいこと気にする繊細なヤツ、うちにいない。帰って一人で食べるよりいいじゃん。あー、不本意だけどシンも喜ぶし」
帰ろうとした水樹を引き止める。
はるひに貰った仲直り記念の真似じゃないけど、一緒に食卓囲むくらいなら。
……あ、でも。
「家族思い出して辛いっていうなら、無理強いしないけど」
「……うん。できればまだ、一人がいいんだ」
「そっか」
水樹もまだPTSDと戦ってるんだ。
私は水樹を見送りに玄関の外まで出る。
「じゃあまた……えっと、来週ね」
「ん。森林公園で、また。送らなくていいの? 今なら志波つけるけど」
「大丈夫だよ! じゃあね、さんっ」
「うん。ばいばい、水樹」
水樹は大きく手を振って帰っていった。
これで。
元通りだ。
全部元通りなんだ。
私は大きく深呼吸する。
あとは、この左腕だけ。
なんとかしなきゃ。
水樹が角に消えるまで見送って、私は家に戻、
……。
なんだこの壁。
ぐい、と上を見上げれば志波の顔。
「うわ、びっくりした! 黙って人の背後に立つな!」
「水樹は帰ったのか」
「うん。見送りたかった?」
「……」
あ、不機嫌になった。
あんまり表情の崩れない志波だけど、2年もつきあっていればその変化もなんとなくわかるようになってきた。
……その不機嫌の原因まではわかんないけど。
「水樹と若先生仲直りしたって」
「ああ。聞いた」
「さっきはるひも来て、私も仲直りしたよ」
「そうか」
「あー、やっと肩の荷が全部降りたっ!」
両手を突き上げて大きく伸びをする。
はぁ、これでもう慣れない人の心配しないで自分のことだけ考えてられる。
さていい加減お腹もすいたし晩御飯、と思ったら。
志波に左手首を掴まれた。
「ちょ、なに」
「……これ」
ぐい、と私の目の前に私の左手首をつきつける志波。
そこにはターコイズが埋め込まれた例の革のバングルが。
「ああこれ? 去年のクリスマスにサンタに貰った」
「そうか」
「……普通ここ突っ込むとこじゃないの?」
「かもな。……気に入ったのか?」
「うん。かた結びしたからもう取れないんだけど、まぁいいかって」
「……そうか」
あ。
今度は笑った。
今度のも、ほとんど表情は変わってないんだけど。
目が。
……変なヤツ。
「」
「ん?」
「先月のお返し」
「は? ……っと」
手を離されて、志波は私に何かを投げてよこした。
両手でキャッチして、手の中のものを見る。
「……なにこれ。つか、バレンタインに志波になんかあげたっけ?」
「飯食わせて貰った」
「ああ……あんなんでいいの?」
首を傾げながら手の中に視線を戻す。
小さな鈴のついた、赤い革のベルト。
ベルトっていっても、せいぜいが手首に巻けるかどうかといった短いヤツだけど。
「鈴だ」
「見ればわかるって」
「……猫に鈴」
「は? ……あ、これ若貴に?」
「クッ」
今度は喉の奥を鳴らすような音を出して笑い出す志波。
なんなんだコイツ。わけわかんない。
「噛みつかれても、ひっかかれても。オレだったら猫に鈴をつける」
「は?」
「すぐ、わかるように」
「はぁ」
「……鈴なんかなくても、見つけてみせるけどな。……オレなら」
なんてことを、妙に優しい眼差しで言ってから、志波は玄関の中に入っていった。
……ホント、いつも理解しがたいヤツだけど、時々本当にヤバイんじゃないかって思う。志波って。
「ーっ、メシーっ!!」
「ああもうウルサイっ! 飯くらい自分でよそえっ!!」
風呂からあがったらしいシンの声に急かされて。
私は志波の言葉の意味に首を傾げながらも、夕餉の支度に戻るのだった。
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