「おはようさん、志波くん!」
「おはよ、水樹」
「オハヨ」


 35.2年目:バレンタインデー


 朝の森林公園。
 各々3方向から私と水樹と志波は、ほぼ同時に噴水前にやってきた。

 年明けのあの日から、私は本当に久しぶりに森林公園に復帰した。
 やっぱり朝ここで歌ったり踊ったりして体を動かすのは気持ちいい。

 志波と水樹の3人の友情が回復してからはまたいつもどおり。
 それぞれのトレーニングが終われば、自然と噴水前に集合して休憩をとる。

 あー、まったり。

「そうだ、忘れないうちに。ハイこれ。さんにハッピーバレンタイン!」

 噴水に並んで腰掛けてる私と志波の真正面に立って、水樹はいつもの笑顔で小さな紙袋を突き出してくる。

「……あ、そっか。バレンタインだ。チョコ?」
「うん。今年も大したチョコじゃなくて悪いけど」
「忘れてた。去年も貰ったのに、また水樹になにも用意してないや」
「別にいいよ、そんなの気にしなくても」

 ぱたぱたと屈託ない笑顔で手を振る水樹。

 水樹は本当にいい子だ。
 こんな子に嫉妬して八つ当たりしてたなんて、思い出すだけで自己嫌悪。
 今まで自分と誰かを比較したことなんてほとんどなかったけど、さすがに今回のアレに対してはみじめな気分が拭い去れない。

「ん。じゃあお返しに力入れるから」
「期待してる! 去年くれたフォトカード綺麗だったから、まだ使わずにとってあるんだよ。……えと、それでね?」

 こくんと首を傾げる水樹につられて、私も同じ方向に首を傾げる。

「志波くんにもチョコあげていい?」

 ぶっ

「っだぁ、志波汚いっ!!」
「……げほ……悪い……」

 水樹が尋ねると同時に、志波が口に含んでたスポーツドリンクを噴出した。
 むせてるむせてる。

「ご、ごめんね志波くん」
「いや……」
「つか、なんで私に聞くの。あげたいならあげればいいじゃん」
「え、だって……ねぇ?」

 水樹は困ったように志波を見る。
 志波はタオルで口を拭きながら視線をそらす。
 なんなんだ。

「えーと、じゃあ志波くんこれ」
「……サンキュ」

 なんだかぎこちなく受け渡しをする水樹と志波。

「じゃあ私先行くね。また学校で!」
「ん」
「ああ」

 手を振って水樹は駆けていく。
 これで朝の集会は終わりだ。

 ……学校か。

「はぁ」
「……なんだ」
「行くのメンドクサイ。つか行きたくない」
「まだ西本と喧嘩してるのか」
「うー」

 そう。

 水樹に謝罪してここの友情は回復しても、問題は山積みだった。
 まずははるひ。
 水樹に対して意固地になってたことから、意味なく挑発してしまったこともあってはるひは相当怒ってる。
 そもそも、はるひのあの行動を水樹本人は知らなかったみたいだ。友達を思うあまり、はるひが先走ったらしいんだけど。
 私と水樹が和解して、私がもう化学準備室に行ってないことははるひももう知ってるはず。
 だって、藤堂と水島は呆れた顔しながらも既に私と普通に接してくれているから。

「本当にアンタも不器用なヤツだねぇ」
「うぅ……ごめん、ホント。理由言えないけど、若先生を一人にすることできなくて」
がセイさん傷つけるようなことするはずないって思ってたけど。これはよりも志波くんに一言ワビ入れてもらうべきかしら?」
「……ワビ?」
「ったくアイツも男のくせにタマの小さいヤツだよ」
「……タマ?」
「まぁ、今回はに対して遅れながらも筋を通したってことで勘弁してあげてもいいんじゃない? 竜子」
「……筋?」
「はっ、若王子と水樹の件が解決しないことにはなんとも、ね」

「…………」
「志波、顔青い」
「はね学最凶伝説、だな」

 ともあれ、そんなこんなで二人は理解してくれてるらしいんだけど。
 はるひはどんな理由であれ、友達を裏切ったということが許せないらしい。
 そりゃそうだ。私だって同じ事されたらそう思う。

「さっさと謝ってきたらどうだ」
「だって顔合わせてくれないんだもん……」

 水樹や海野も事情を知ってなんとかはるひを説得しようとしてくれてる。
 でももう意固地になってしまっているんだろう。
 なんかきっかけでもない限り、多分和解は無理だ。

「はぁ」

 中学のときは平気だったのに、今はたった一人に嫌われてるだけでこんな辛い。
 ほんと、弱くなった。

 でもまぁその原因は。

 ぽすん。

 ……こんな風に無言で頭に手を置いて慰めてくれる志波のせいのような気もするんだけど。

 って癒されてる場合じゃない。
 もうひとつは若先生だ。
 相変わらず生徒との触れ合いをシャットアウトして、極力一人でいるようにしてる。
 教頭なんかは「いよいよ若王子くんも心を入れ替えてくれたか」なんて喜んでるみたいだけど、あきらかに違うっつーの。

 ぶっちゃけ、水樹に若先生の本心を言ってしまって、水樹から告白させれば話は早いような気もするんだけど、さすがにそれはルール違反な気がするし。
 大体、研究所だエージェントだって話、こんな平和な日本で生まれ育った水樹に話してピンとくるかどうか。
 だから伝えられる情報ゼロの中で、水樹にがんばってもらわなきゃなんないんだけど。
 ……こればっかりは私が悪い。水樹は若先生に対してすっかり臆病になちゃってるし。

 あああああもう、なんだって人間関係ってこうメンドクサイ……!!

 イライラしてきて私は髪をかきむしった。
 あ、そうだ。イライラしたときは甘いもの。水樹に貰ったチョコがある。

 私は包みを開けて、几帳面な水樹らしい綺麗に形の整ったブラウニーを口に入れた。
 甘くておいしい。水樹ってほんと器用だな。

 見れば、志波も水樹のチョコを食べてた。私のと同じブラウニー。

「……なんだ?」
「今日バレンタインなんでしょ」
「だな」
「私も志波にチョコ上げたほうがいいの?」

 ぶっ

「っだぁ、志波汚いっ!!」
「……っげほ……」

 さっきスポーツドリンクにむせたときよりも盛大に、志波は喉にブラウニーに詰まらせたみたいだった。
 残ったドリンクを一気飲みして、むりやり喉の奥に流し込んでる。

「……そういうことは自分で考えろっ……」
「だってさぁ」
「なんだ」
「私、志波の好きなヤツ知らないもん。こういうのって、そうじゃないヤツからもらうのってウザイんじゃないの?」
「……………………」

 志波の目が座った。
 あれ、こめかみがひきつってる。

「あ、でもシンはたくさん貰えば貰っただけ喜んでたか」
「……」
「志波は? 水樹から貰ったからもう十分?」
「知るかっ」

 志波は乱暴に立ち上がってずんずんと歩いてく。

「ちょ、話終わってないっ」
「朝練の時間だ。続きあるなら学校で言えっ」

 振り返りもせずに志波は去っていった。
 なんなんだアイツ。いきなり不機嫌になって。相変わらず何考えてるかわかんないやつ。

            ☆

「お前は自分の姉貴の一般常識をどうにかしろっ!!」
「うおっ、朝っぱらからいきなりなんだっつんだよ!?」

            ★

 そしてバレンタインの甘ったるい空気の中、時間はとめどなく過ぎて放課後。
 志波は部活に直行したし、今日は藤堂や水島もさっさと帰ってしまったようで、私の相手になってくれる人は誰もいない。
 学校残ってても仕方ないし、今日はもう帰ろうか。
 教室に残ってぼーっと窓の外を眺めていた私は、鞄を手にして空っぽの教室を後にした。

 ……そういえば。

 水樹、若先生にチョコ渡したのかな。
 去年は確か教員室で渡したって言ってたな。それでちょい悪が越後屋がどーしたこーした……。

 今年は若先生は化学準備室にこもりっきりのはずだ。
 ちょっと、様子見て行こうかな。
 門前払いされるかもしれないけど、行ってみよう。
 もし水樹からチョコを貰っていれば、若先生の気持ちを揺らすことが出来るかもしれない。

 私は1階に下りて、化学室方面に足を向けた。

 1階の廊下は閑散としていた。
 今日一日バレンタインで賑やかだった面影もない。
 私はまっすぐに化学準備室へと足を向けて。


 ガシャァン!!


 何かが派手に割れる音がして、私は足を止めた。
 今の音って、化学準備室から聞こえたような。 
 ……なんかすんごいヤな予感。

 どうしようか少し迷ってから、私はもう一度足を化学準備室に向

「触らないでっ!!」

 ぴた。
 もう一度足が止まる。

 今の金切り声は、間違いなく水樹の。


 バン!!


 目の前でドアが乱暴に開き、水樹が飛び出してきた。

「水樹っ」

 声をかける間もなく、水樹は私の横を走り抜けていった。
 尋常じゃなかった。どんなことがあっても、滅多に取り乱さない水樹が。
 私はドアが開け放たれた化学準備室に駆け込む。

「若先生、水樹に何した!?」

 そこには、左頬を赤くした若先生が呆然と立ち尽くしてて。
 床には、あのガラスの天使が砕け散った状態で散らばっていた。

さん」
「何した、って聞いてんの! 水樹があんな風になるなんて」

「セイちゃん!? どうしたん!?」
「おい、どうしたセイ!?」

 今度は若先生が私の横をダッシュですり抜けていった。
 クリスとのしんの緊迫した声が合図だったかのように。
 私も慌ててそれを追いかけて化学準備室を飛び出して。

 少し先で、水樹が倒れてた。
 のしんとクリスが必死に水樹を呼んでるのになにも返事しない。

「水樹さんっ」
「水樹っ!」

 若先生が駆けつけて水樹を抱えあげた。
 水樹は苦しそうに顔を歪めてる。息がうまく吸えないみたいだ。

「のしん、どうしたの!?」
「わっかんねぇよ! セイがいきなり走ってきたと思ったらいきなり倒れたんだ!」
「っ……クリス、救急車! のしんは水樹の担任呼んできて!」
「お、おうわかった!」
「了解やっ」

 のしんとクリスが急いで教員室の方へ走っていく。
 その間も、若先生は水樹を抱き上げたままずっと。

「水樹さん、しっかり。ごめん、本当にごめん」
「若先生っ!! うろたえてないで水樹降ろして呼吸しやすい姿勢とらせて!」
「あ……あぁ、そうだった」

 私は着ていたコートを手早く脱いで廊下に敷いて、若先生が水樹をその上に横たわらせた。
 リボンを外してケープを外して胸を楽にさせて、気道確保のためにマフラーを首の下にいれて。
 自分が事故にあったときについでに覚えた救命法が、こんなとこで役立った。

 若先生は白衣を脱いで水樹にかけてやる。
 水樹の様子はかわらず、はっはっと短く浅い呼吸を繰り返してた。

「……水樹に何したの、若先生」
「僕は……」

 その場に膝をついて、泣きそうな、苦しそうな顔をして水樹の背をさする若先生。

さんの言うとおりだった。水樹さんに嫌われようとして……彼女を傷つけたんだ。深く、とても」
「言葉で? こんな状態になるまで、精神的に追い詰めたの?」
「水樹さんは家族を亡くした時にPTSDを患った。僕の言葉がPTSDの発作を起こす引き金になったんだ」
「PTSD……」

 私にも思い当たることがある。
 テレビや新聞で交通事故報道や車が大破した映像が流れると、問答無用で吐き気が襲ってくる時期があった。
 水樹にもあったんだ。そりゃそうだ。自分以外の家族、一度に亡くせば誰だって。

「何、言ったの?」
「チョコを渡しに来てくれて」

 若先生は一度唇を噛む。

「でも、受け取れない、って。渡す相手を間違えているよね、って言ったんだ」
「……うわ」

 えげつない。
 そうか。水樹のあの噂、利用したんだ。
 志波と佐伯に二股かけてるって。

 そりゃ傷つくよ、若先生。
 好きな人にそんなこと言われたら。好きな人に、そんな人間だと認識されてるって思い知らされたら。

 若先生は泣いてたのかもしれない。
 大人だから表に出なかっただけで。
 水樹を傷つけて、自分も傷つけたんだ。

「若先生、無理だよ」
「……」
「旅になんか出れないって。まだここで、ちゃんとケリつけなきゃいけないことあるじゃん」
「……そうだね」

 ようやく呼吸が楽になってきたらしい水樹を、白衣ごと若先生は抱き上げた。
 苦悶の表情を浮かべてる水樹の額に、愛しそうに頬を寄せる。

「水樹さん、ごめん。本当にごめん。謝罪させてほしいんだ。なにもかも全部」

 ……遠回りしたよね、若先生。私もだけど。
 まわりも巻き込んでたくさん傷つけなきゃ、自分の気持ちに向き合えなかったんだ。

 私ももう一度水樹に謝らないと。
 若先生との仲をこじらせてたのは私なんだから。

 その後到着した救急車の前で、若先生は散々駄々をこねてた。
 水樹の担任と、どっちがついて行くかで揉めに揉めて。
 最後は教頭まで出てきて「落ち着きたまえ! そんな調子で付き添ってまともに看病できるのかね!?」と一喝されて、若先生はすごすごと引き下がったけど。
 生徒会で居残りしてた氷上と小野田、水樹の担任と救急車を呼んでくれたのしんとクリスにも見送られて、水樹は病院へと運ばれていった。


 後味悪い。
 水樹があんなになった原因の一因は私にもある。
 はぁ。
 閑散とした夕暮れのグラウンドを、体育館横の土手に腰掛けて眺めながら私はため息をついた。

「おい」

 水樹の具合、どうなのかな。明日学校サボって見舞いに行こうか。
 ……いや、下手したら会ってくれないかもしれないな。
 ちょっと前までの私みたいに、若先生とのことで八つ当たりされるかもしれない。

「おいっ」

 そのくらいはもう覚悟の上なんだけど。
 もう若先生も態度改めるだろうから、もう一度話しに行って来いって言って……聞くかなぁ。
 水樹って案外自分のことに関しては臆病みたいだからなー……。

「おい!!」
「うわ!?」

 すぐ真後ろで大声出されて、私は飛び上がる。
 振り向けば、部活を終えた志波とシンが鞄を担いで立っていた。

「いきなり大声出すな!」
「何度も呼んだ」
「聞こえなかったらいきなりじゃんっ!」
「……はぁ。どうした、ぼーっとして」

 制服のポケットに手を突っ込んで志波がいつもの無表情で尋ねてくる。

 ……あ、今気がついた。
 グラウンドがカラってことは、他の部活も終わったってことじゃん。
 考え事してて全然気づかなかった。

「ちょっと考え事」
「お前が?」

 シンが揶揄するように聞き返してくるけど、なんとなく反論する気力もなくてこっくりと頷くだけにしといた。
 志波とシンは顔を見合わせる。

「なんかあったのか? そういや、さっき救急車来てたみてぇだけど」
「うん。水樹が倒れて」
「水樹さんが!? なんでだよ!」
「PTSD……っていうか」

 口を濁す。
 こういうの、あんまり言いふらさないほうがいいんだって、私にもわかる。

 するとシンは察してくれた。
 こういうとこ、シンは昔から気配りがいい。

「んじゃオレマネージャー待たしてっし、先行くな。じゃあな勝己。も、さっさと帰って来いよ。腹減ったから」
「ん」
「ああ」

 すたすたとシンは片手を挙げて去っていく。

 校舎の角にシンの姿が消えた頃、志波は鞄を担ぎなおした。

「帰るか」
「ん」

 私はこっくりと頷いて、ゆっくりと歩き出した。

「水樹の具合はどうなんだ」
「結構重症。っていうか、多分今絶望の底」
「……?」
「若先生と、ちょっと」
「……そうか」

 志波はそれ以上聞かず、黙って歩いていた。
 多分、今のこれだけでわかったんだろうと思う。
 志波と仲直りしてから、改めて志波を見て。志波はいろんなコトをよく見てるんだって知った。
 広い視野で、友達のことよく見てる。ただ口下手だからそれがわかりづらいけど。
 だからこそ傷ついてた水樹に親身になったり、マネージャーの恋を応援したり。

 ……って、今は志波のこと考えてる場合じゃない。

 水樹と若先生をなんとか和解させないと。
 とりあえず水樹の体調が回復してから、話を聞こう。
 あ、その前に志波から水樹がどんなこと相談してたのか聞いたほうがいいのかな。若先生のどういうとこ気にしてたのか、少しでもわかったほうが対策立てやすい。
 ……私に対策なんてものが練れるかどうかが甚だ疑問だけど。
 でも志波に恋愛相談なんて、水樹も突拍子もないこと思いついたもんだ、ほんと。
 見た目からして、そういうの一番似合わなさそうなヤツなのに。
 いや、素直な水樹だから、志波の誠実でお人よしなところ、すぐに気づいたんだろうな。
 志波は……やっぱり今でも水樹が好きなのかな。志波のことだから、むくわれない恋でも水樹のこと応援しそうな気がする。

 って だ か ら 。

 駄目だ、隣に志波がいると志波のことばかり考える。
 今はほかに考えなきゃいけないことがあるんだっつーの!!

 …………。

 駄目だ。

 私は隣を歩く志波をこそっと見上げた。
 相変わらず無表情で何考えてるのかさっぱり読めない目をして前を見てる。
 こうして隣にいたって、大抵志波は無口だ。だけど、なぜか、心地いい。

「……なんだ」
「……なんでもない」

 気づかれた。
 視線だけこっち向けてくる。私はまた前を向いた。

 今は水樹と若先生のことを考えなきゃならないんだけど。
 志波の隣にこれからもいるためにはどうしたらいいんだろうとか。そんなことばかり浮かんでくる私は、志波や水樹と違って自己中もいいとこなんだろう。
 自分の性格の悪さに、今改めてヘコむ。

 すると、ぽすっと頭を叩かれた。
 見上げれば、志波が呆れたような顔して私を見下ろしていた。

「ちょ、なに」
「お前まで落ちるな」
「あ」

 志波はすごい。ほんとによく見てる。
 ……エスパーか?

「落ち込むよ。水樹がああなったのって、私のせいでもあるし」
「だったらオレも落ち込まないとだめか」
「は? なんで志波が?」
「お前がああなったのはオレのせいだろ」
「……そんな遡ってったらキリないじゃん」
「だな。だったらお前もそう思え」
「うー」

 どうも最近、志波に対して口論でも劣勢になった気がする。

 そんなこんなで家の前。志波とはここでお別れだ。

「じゃあ」
「ああ。……
「なに?」

 門の鍵を外側から外して、声をかけられて振り向いて。
 意外に近くに志波の顔。

「溜め込むなよ」
「わかってるよ」
「……お前はなんでも一人で抱え込む」

 すっと志波の右手が持ち上がって、そっと、私の左頬に指が触れる。

 熱い。
 いつだってなんの前触れもなく動く志波に触れられて、顔が熱くなった。

 が。

 ぐにっ

「いだだだっ!!」
「信用できるか」
「だからって人の頬引っ張るなっ!!」
「クッ……お前のほっぺたよく伸びる」
「遊ぶなーっ!!」
「……何じゃれ合ってんだお前ら」

 かなり久しぶりに見た志波の笑い顔も、とにかく今はムカツク対象でしかないっ!
 腕を振り回して抗議しても、志波はあっさりと交わすから余計に腹の立つ……!
 全身の毛を立てて威嚇する猫のように志波に牙を向いてたら、中から部屋着に着替えたシンが出てきた。
 手にはタオルと洗面器。

「なにそのカッコ。あ、銭湯?」
「風呂掃除めんどくせーし、親父も留守だし。ちょっと行ってくる。飯作っとけよ」
「偉そうに言うなっ」
「どーせなら勝己も行くか? 男同士裸の付き合いと」
「行かない。お前どうせ妙なこと企んでるだろ」

 いつもの妙なノリで志波にしなだれかかるシンだけど、志波も慣れたものであっさりと身をかわす。
 でもシンは私と違って策略家だ。今日はなんとしても志波を巻き添えにしてやるって、目が光ってる。

「そう言うなって。聞きたくねぇの? …………とか」

 ぼそぼそと志波に耳打ちするシン。

 あれ、志波が硬直した。

「お、ま、えっ」
「つーわけで勝己も一緒に銭湯行ってくるなー。あ、多分飯もうちで食うと思うから3人分用意しとけよ!」
「はぁ? なんで志波の分まで」
「いーから用意しとけって。フルーツ牛乳買ってくっから」
「う」

 左腕の怪我の跡をさらしたくなくて私は銭湯に行けない。
 ……けど銭湯のフルーツ牛乳は好き。
 だから、いつもシンに買ってきてもらってるんだけど。

「……3本オゴリで手を打つ」
「まぁいいだろ。お前、今日バレンタインなんだし、いつもよりうまいの作れよ?」

 あ、そっか。そういえば志波にもシンにも、結局チョコ用意しなかったんだ。
 仕方ない。私はこっくりと頷いた。

「よーっし、じゃあ行くぞ勝己っ! 男の友情再確認だ!」
「…………っ」

 ノリノリのシンが、なぜか顔を赤くして歯軋りしてる志波を引っ張っていく。
 なんなんだ一体。

 首を傾げながら見送って、私は家に入った。

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