「何これ。このガラスの天使、若先生の趣味?」
「いえいえ。クリスマスパーティのプレゼント交換で貰ったんです。綺麗でしょう?」
「うん。すごく綺麗」


 34.激情


 期末テストのあと。
 はるひや藤堂たちと決別し、いよいよもって私は居場所がなくなった。
 幸いにもテストが終わればすぐに冬休みに突入したから、私はほんの2週間ほど我慢するだけで済んだんだけど。

 今回もはね学主催のクリスマスパーティは行かなかった。
 また珊瑚礁にでも行こうかと思ったけど、気分が乗らなくてその日の夜はさっさと寝てしまった。
 17歳の誕生日はあっというまに過ぎていった。

 でも翌朝、枕元に小さな包みが置いてあった。

 開けてみれば、中には革のバングルが入ってた。
 裏側に、某有名スポーツメーカーのロゴが彫ってある。

「シン、これなに?」
「知らねー。サンタでも来たんじゃねぇの?」

 年末年始の学校閉鎖にともなって部活もなく家でごろごろしてたシンに聞いても、

「親父、これ誰から」
「あ? なんだそりゃ」

 年末恒例大忘年大会準備にいそしむ親父に聞いても、

「元春にいちゃん、昨日うちに来た?」
『いや行ってねぇけど? アンネリーが今年パンク寸前でイヴも今日もてんてこ……あ、いらっしゃいませ! 悪いっ、またあとでな!』

 もしかして、と元春にいちゃんの携帯にかけても出所は判明せず。
 まさかサンタなわけないし。

 中央にターコイズが埋められた革のバングル。
 ターコイズは誕生石だ。
 なんとなく気に入って、私はそのバングルを左手首に結びつけた。
 制服で隠れてしまうし、外れなくても問題ないだろう。
 私はきつく皮ひもをしばった。


 そして年が明けて1月。
 今年は初詣にも行かずに寝正月。年越し宴会も気乗りしなくてさっさと寝ちゃったし。
 だらだらと休みを過ごして、3学期が始まった。

 月曜日。何事もなく1日が過ぎ、放課後は日課となってしまった化学準備室への顔出し。
 そこで、若先生の机の上のガラスの天使に気がついた。

「誰からの?」
「さぁ、そこまでは。ただ、最初は水樹さんにまわってきたプレゼントだったんですけど」
「水樹に?」
「……どうやら僕は水樹さんを怒らせてしまったみたいで」

 はい、とビーカーコーヒーを手渡してくる若先生。
 若先生はそのままデスクに向かってなにやら書類と格闘し始めた。

「怒らせたって……なんかしたの?」
「さぁ。あまり怒らせるようなことをしたとは思ってないんですけど、これを押し付けに来たときの水樹さんは明らかに怒ってました」
「ふーん」

 ずず、とコーヒーをすすりながら若先生を見る。
 天然ボケボケ教師なんていつも言ってはいるけど、なんだかんだと若先生は大人だ。
 内心どう思ってるのか私には想像がつかないくらい、完璧なポーカーフェイス。
 今はただ黙々と仕事をこなしてた。

 そこへ。

 こんこんこんっ

 遠慮がちなノックの音。
 若先生は一度ちらりとドアを見て、でもまたすぐに書類に視線を落とした。
 ノックをするってことは、他の化学の先生じゃなくて生徒だろう。
 私もコーヒーを飲みながら無表情を作る。

「どうぞ」

 若先生が声をかけると、ゆっくりとドアが開いた。

「失礼します……」

 あ。
 私のポーカーフェイスはあっさりと崩れた。
 入ってきた水樹と視線がばっちり合って、お互いに気まずそうに視線をそらす。

 若先生は全く動じずに仕事の手を止めず、水樹をちらりとも見なかったけど。

「あの、先生」
「なんでしょう?」

 若先生のデスクの前までやってきた水樹はためらいがちに声を出した。
 ……とりあえず、私は椅子を回転させて視線を別の方向に向けた。
 水樹、ひとりで何しに来たんだろ……。

「これ、先生が出したプレゼントですよね?」

 ぴろんと水樹が目の前に出した紙は5枚綴りの何かのチケット。
 ……『頭脳アメ試食券』?

 なんだそれ。

 若先生は視線だけ動かしてソレを確認して。

「そうですよ。引き換えに来たんですか?」
「は、はい。あの、それと」

 若先生は水樹の言葉を聞き流しながらデスクの引き出しをあける。

「く……クリスマスパーティの時、失礼な態度とって、すいませんでしたっ」
「気にしてませんから、水樹さんも気にしないでください」

 なにやら必死な様子で言葉をつむいで、ぺこんと頭を下げた水樹に対して。
 若先生はぽんとデスクの上に飴玉5個置きながら、さらっとそれだけ言った。

 若先生……その態度……。

 確かに完璧なんだけど。
 確かに、きっぱりとした決別の態度なんだけど。

 案の定、頭を上げた水樹は心底しょんぼりとした顔をして、出された飴を掴んでとぼとぼと化学準備室を出て行った。

 ぱたん。

 ドアがしまって、若先生は長いため息をつきながら机の上に両肘たてて手を組んだ。

「いーの? 若先生」
「いいんです。さすがに、ちょっとこたえるけど」
「でも今のはさぁ……」

 私はビーカーコーヒーを飲み干して、若先生のデスクの前に立った。

「若先生、水樹に嫌われたいって言ったけど、あれじゃ嫌われる前に傷つけてるだけじゃないの?」

 ぴく。

 さっきまで動かなかった若先生の表情が崩れる。

「……そうですか?」
「そう思うけど」
「それは……困りました」

 本当に困ってるのかわからない表情で、若先生は自虐的に微笑む。

 なんだかなぁ。
 若先生、本当にこんなんで旅に出れるのかな。

「ごちそうさま」

 ざばざばとビーカーをゆすいでカゴに伏せる。
 私は鞄を持って立ち上がった。

「帰るんですか?」
「うん。今日は親父帰ってくる日だから」
「そうですか。さん、気をつけて」
「うん」

 最近では若先生が笑顔で手を振るところなんて全然見なくなったけど。
 私は軽く手を挙げて若先生に挨拶して、化学準備室を出た。


 冬の晴れた夕暮れ。まだ4時を過ぎたところだけど、日はどんどん傾いていってる。
 私は寒さもあって帰宅する足を速めた。
 今日は買い物して帰らなきゃならないから、はばたき駅方面の道へ。

 と。

「水樹」

 角を曲がったところの先に、水樹の姿が見えた。
 肩を落として、後姿には全然覇気がない。
 やっぱり、さっきの若先生の態度こたえてるんんだろうなぁ……。

 若先生は水樹に嫌われたいんであって、傷つけたいわけじゃないんだよね。
 だったら、ここはフォローしておくべきなんだろうか。
 いやでも、水樹は私と若先生の関係誤解してるんだったっけ?
 私がフォローしたところで話がこじれるだけの気もするし……。

 どうしよう。
 角に隠れて思案してみるものの、なんのいい案も思いつかない。

 私はもう一度、そーっと水樹の様子をのぞいてみた。

 すると。

 水樹はその場から動いてなかった。
 うつむいたまま立ち尽くしてる。
 でも、その横に。

 志波がいた。

 ……なんだ。
 私の中で一気に気持ちが冷める。
 志波に慰めてもらってるんなら、私が気を利かせる必要ないじゃん。

 買い物予定のスーパーはこの道を突っ切らなきゃいけないんだけど。

 ……。

 いいや、私には関係ないんだから。
 そのまま横を素通りして行こう。

 私は鞄をぎゅ、と握り締めて無表情を装って角を曲がっていった。



 最初に志波が気づく。

さん……」

 次に水樹も振り向いた。
 さすがに若先生みたいなポーカーフェイスは作れなくて、私は視線だけちらりとふたりに向けて、無言でその横を通り過ぎた。

 ところが。

「おい」

 随分と不機嫌な志波の声に呼び止められる。
 無視して行くことも出来たんだけど。私は足をとめてゆっくりと振り返った。

「なに」
「なに、じゃねぇ。お前、どういうつもりだ」
「は? なにが」

 出会い頭に喧嘩腰。
 ……なんか久しぶりだ。こんなふうに志波とまともに向き合うの。

「志波くん、いいよ、喧嘩しないで」

 水樹が志波の制服の袖をひっぱってとめようとしてる。
 なんかまたイライラしてきた。

「なに、今度は志波? このあいだははるひで、藤堂で? 水樹、言いたいことあるなら自分で言えば」
「おい!」

 水樹を睨みつけてやれば、今度こそ志波は声を荒げて水樹をかばうように前に出る。

「水樹の番犬気取ってんの? だったらちゃんと傷つかないように守ってやれば!?」
「っ……一体なんなんだお前は!? 西本から聞いた。水樹の気持ち知ってるくせになんでそれを踏みにじるようなことをする!? それがダチのすることか!」
「へぇ! 志波、水樹が若先生のこと好きだって知ってるんだ! それなのに一途に水樹のこと守ってやってんの!? はっ、狂犬も好きな女の前じゃ忠犬ってわけだ!」

 売り言葉に買い言葉。
 ……いや、私が一方的に熱くなってるだけだった。
 志波に怒鳴られて、一気に頭に血がのぼる。
 心にもないことまくしたてて、今、私は志波を傷つけてる。

 人を傷つけるって、こんなに痛い。
 でも、タガが外れてしまったのか、私は自分を止められなかった。

「違う、さんっ、志波くんはそんなつもりじゃなくて」

 水樹が困り果てた表情で訴えてくる。

「うるさいっ!!」
「っきゃ」

 その水樹を、私は。
 文化祭のときのように、乱暴に突き飛ばしてしまった。
 今度は志波が手を差し伸べるヒマもなく、水樹はその場にしりもちをついてしまう。

 あ。

 一瞬、我に返るけど。


 バシッ!!


「志波くんっ!?」
「……っ」

 志波に、殴られて。

「お前っ……一体なんだってんだっ……!」
「……だって……志波が……」
「オレがなんだって言うんだ!?」
「志波くん、待って! だめだよ、こんなの」
「ウルサイっ!! 水樹が口はさむな!!」

 私はヒステリックに叫ぶ。

「志波に優しくされてる水樹なんか、嫌いだ!!」

「え」

 顔を上げて、水樹と志波を睨みあげる。
 ぽろぽろ涙がこぼれ出てる目じゃ、ぽかんとした様子の二人をはっきり見ることはできなかったけど。

 もう止まらなかった。

「いつも、いつも、いつもっ! 志波は、水樹に優しいっ! 水樹は、なんでも持ってるのに、志波までっ」

 水樹はみんなに好かれてる。
 はるひも、藤堂も、若先生も、志波、も。
 勉強が出来て人気者で、光あるところで、いつも。

 何にも持ってない私とは違う。
 時間が止まってる私とは違って、いつもきらきらしてるのに。


 ……違う。


 水樹に嫉妬してた。
 羨ましくて、妬んでた。

 家族を亡くして、たった一人で生きてて、学費も生活費も自分で稼いで。
 それでもいつも笑顔を振りまいて、ちゃんと前を見続けてる水樹がうらやましかった。
 その強さが、まぶしくて。

 私には出来ないから。
 左腕が動かないことに固執して、いつまでたっても前を向くことが出来なくて。

 ちゃんと前を向くことができるようになったら。
 志波と対等な存在になることが出来たら。
 そうしたら、言えたのに。
 愛想つかされる前に、ちゃんと。

「志波、を、とらないでっ」
「っ……」
「置いてかれるの、もうやだぁ」

 子供のように泣いた。

 水樹も、シンも、志波も。
 みんなみんな自分で自分の道をみつけて先に行ってしまう。
 だから同じムジナの若先生と一緒にいた。
 傷つきたくなかったから。

 シンの言うとおりだ。
 ただ、キズを舐めあってただけだ。

 こんなの、志波に愛想つかされて、当然だ。
 甘えてたんだ。優しかったから。
 志波は水樹だけに優しかったんじゃない。私にも優しくしてくれてた。

 それなのに、その優しさに甘えきって。



 志波が近づいていきた。
 いや、だ。怒られる。
 私は一歩後退りながら、ぎゅっと目を閉じた。

 でも、志波は。
 強く、強く。

 抱きしめてくれた。

「しば」
「悪かった」

 ……なんで志波が謝ってんの?
 驚いて目を開けても、志波の肩越しの終わりかけの夕暮れしか見えない。
 志波の腕にこめられた力はとても強くて、痛いくらいで。

「お前が、そこまで自分を追い詰めてるのに気づかなかった。悪い、本当に。……本当に」

 何度も、短くなった髪を撫でてくれた。
 驚いて引っ込んでた涙が、また溢れてくる。
 私は志波の背中に手をまわして、制服をきゅっと掴んだ。

「違う、志波、なんにも悪く、ないよ」
「オレが悪い。修学旅行でも、お前を傷つけた。……本心じゃないんだ。信じてくれ」

 ぴく。

 私は志波の背中にまわしてた手を下ろして、両手で志波の胸を押して離れた。
 見上げた志波は、眉間の皺をいつもよりずっと深くして、申し訳なさそうに私を見下ろしていた。

「……今さらか」
「違っ、そうじゃなくて、本当に? それ、最後の自由行動日の話、だよね?」
「そうだ」

 私は志波の両腕を掴んで、額をこつんと志波の広い胸にぶつけた。

「悪ィ……やっぱ、気にしてた、よな」
「ったり前だっ!! 人が、どれだけっ」

 ……って、ここで志波に八つ当たりするのはさすがにどうなんだ、自分。
 そもそもは、水樹に対するくだらない嫉妬でここまで話こじらせたの、私自身なんだから。

 志波はもう一度私を抱きしめる。
 今度は優しく。痛くない。
 頭をぽんぽんと撫でながら、語りかけるようにつぶやく。

「焦るな。ちゃんと待ってるから」
「いいよ待ってなくて。先行って」

 ごし、と目元をこすってから志波を見上げる。
 志波は軽く目を見開いて私を見下ろした。

……」
「先行ってていい。私を待ってたら志波が進めなくなるから」
「でもお前」
「いいから。ちゃんと追いつく。絶対に追いつくから。先に行って、その先で待ってて」

 言えた。
 待ってて、って、ちゃんと。

 志波は少しだけ考えるような表情を見せたけど、すぐに「そうか」と笑って私の左頬を撫でた。

「……痛かったろ」
「痛かった。甲子園目指してる高校球児が暴力振るっていいのかっ」
「……」
「いや、冗談だけど」
「わかった。……消毒してやる」
「……は?」

 ちょっと待てっ!!!
 志波の消毒って、もしかして体育祭のときの、アレ!?

 って、私が抵抗するまもなく。

 …………っ。

 舐められ、はしなかったけど。
 ……ほっぺチューされた。

「し、ば……」
「なんだ」
「体育祭のときも思ったけど、それどーかと思う……」
「そうか」
「そうかじゃないっ!!!」

 こ、この隠れ天然がっ!!

 と。

「やー、青春ですねぇ」

 のんきなこの声は。

「若先生っ!?」
「でも公道のど真ん中でそういうのは、場合によっては公然わいせつ罪にあたる場合がありますよ?」
「冷静につっこまなくていいっ!」

 志波と離れて、地面に落としてしまったままの鞄を拾い上げる。

 ……そういえばいつの間にか水樹の姿がない。

「結構前に帰ったぞ」

 察してくれた志波が教えてくれた。
 そっか。
 じゃあ明日、ちゃんと水樹に謝らないと。

「若先生は、今帰り?」
「はい」

 にっこり微笑んで、若先生は頷く。

 ……まるで、私が言う言葉をもうわかっているような、寂しそうな、笑顔だった。

「若先生、私やっぱり一緒に行けない」
「そうですか」

 表情を変えずに若先生は頷く。
 志波は何の話かわからないんだろうけど、黙って隣で聞いていた。

「ごめん、若先生。私はここでがんばりたいんだ」
「うん、きっとそれがいい。大丈夫、先生は一人旅に慣れてますから」
「……そっか」
「じゃあ二人とも気をつけて。志波くん、さんをちゃんと捕まえててくださいね?」

 首を傾げてさよならの挨拶をして、若先生は去っていく。
 辺りはもう大分くらい。姿が見えなくなるのもあっという間だった。

「お前、先生と何か約束してたのか?」
「うん。一緒に旅に出ようって」
「……は?」
「あ。そんなことよりも志波っ」

 おもいっきり怪訝そうな顔をする志波の腕を取って、はばたき駅のほうに引っ張る。

「なんだ」
「これから水樹の家に行く! 今日水樹バイトない日だったよね?」
「ああ……今からか?」
「今から! 明日じゃ遅い!」
「何しに」
「若先生を止めるために」

 若先生だって好きでここを離れるんじゃない。
 本当なら同じ穴のムジナだった私が同調しないで引き止めればよかったんだろうけど。
 ここまで来たらもう、若先生を止められるの水樹しかいない。
 若先生がはばたき市に残してる未練って、水樹しかないんだもん。

 ……さんの時間を動かしてくれる人は誰なんでしょうね。

 前に若先生はおどけた口調でそう言った。

 動かしてもらうの? 自分で動かすんじゃなくて?
 最後は自分で動かさないと駄目ですけど、きっかけを与えてくれるのはきっと、自分以外の誰かです。
 若先生の場合はそれが水樹だったんだ。
 はい。

 そう言った。

 若先生のこと動かせるのは水樹しかいない。
 私と志波のことでもいろいろ迷惑かけたし、水樹だって若先生と一緒にいたいはずだもん。
 若先生の気持ちをズバリ教えることはルール違反だから出来ないにしても、何か言わなきゃいけないことがあるはずだ。

 ……謝罪もしなきゃいけないし。

「行くのか?」
「行く!」

 事情を飲み込めてない志波は、首を傾げながらも頷いてくれた。

 若先生、私の時間は志波が動かしてくれたよ。
 腕が動くようになったわけじゃないから、まだまだ困難続きだろうけど。
 誰か支えてくれる人がいるって、心強いよ。
 水樹ならきっと若先生を支えてくれる。

 だから、まだ諦めないで。




「なに」
「お前結局……先生とはどうなってたんだ?」
「どうって。茶のみ相談仲間?」
「……好きだったんじゃないのか」
「はぁ? 私が好きなのは志波だって言ったじゃん」
「いやまぁ……お前、それ本人目の前に堂々と言うのどうなんだ……?」
「悪い?」
さんと志波くんて、えーと、付き合ってる、んだよね?」
「付き合ってないよ」
「……」
「志波くん、生殺し継続中なんだ……」

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