、ちょっと話あんねん。屋上来てんか?」


 33.VS宣言


 前半クラスからわざわざやって来たらしいはるひに呼び出されたのは、期末テストも終わったその日のことだった。
 随分険しい顔して、さっさと帰ろうとカラの鞄を持ち上げようとしてた私を見上げてる。

「いいけど」

 返事をすれば、はるひはぎゅっと唇を結んで踵を返す。
 なんだかメンドクサイことになりそうな予感。
 とりあえず私は、そのまますぐに帰れるように鞄を持ってそのあとをついていった。

 はるひに連れられてやってきた屋上は12月の冷たい海風が吹きすさび、さすがに誰もいない。
 ……かと思ったら、水島と藤堂が待っていた。

「なにこのメンツ」
「話があんのはアタシだけや。竜子姐と密っちは、アンタの真意が聞きたいだけやって」
「真意?」

 眉を顰めれば、藤堂も水島も近づいてくる。
 円を描くように対峙して、はるひはぎゅっと眉根を寄せて私を見上げてきた。

、アタシ、アンタに言うたやろ? セイが若ちゃんのこと好きやって。アンタと若ちゃんがよく一緒にいるの気にしとるって」
「聞いた」
「そやから化学準備室で二人になるのやめてくれへん、ってお願いして、アンタ了解してくれたやろ?」

 そのことか。
 大体、話が見えてきた。

 学校に復帰して以来、私は昼休みや放課後を化学準備室でまた過ごすようになった。
 屋上寒くてもう昼寝できないし。図書室には志波がいるし。
 ……まぁ実のところ、もう志波に対してモヤモヤした感じはもうないから別に図書室に行ってもいいんだけど。

 若先生は宣言どおり、他の生徒と触れ合うのをやめてしまってた。
 話しかけられればいつもどおりの口調で返したりしてるみたいだけど、話をふくらまそうとしないし、自分から話しかけることはまずなくなった。
 前半クラスでは結構そのことが噂になりつつあるらしい。
 実際、私が化学準備室でコーヒー貰ってるときに何度か女子生徒が遊びにきたりしてたんだけど。

「すいませんけど、先生まだ仕事があるので」
「えー、だってさんは?」
さんは化学の補習です。泉先生が別件の用事で席を外してるので、先生が代理で見てるだけです」

 たまたまその日は本当にそうだったんだけど。
 おかげで水樹の根も葉もない噂は立ち消え、私と若先生のことが水面下では噂になっていた。

 若王子先生がに本気になったから他の子との時間を減らしてるんだって。
 だからいつも二人で化学準備室にこもってるんだって。

 馬鹿馬鹿しい。

、真面目に心を入れ替えて化学の勉強かね」
「まぁそんなところ」
「泉先生に相手は大変だろう。若王子くん、しっかり補習してやりたまえ」
「もちろんです」

 教頭はそもそも私と若先生が噂のような関係になるわけがないと思い込んでいるのか、特になにも言ってこない。
 私が心入れ替えて勉強するほうが、もっとありえないと思うんだけど。

……」

 はるひの声に引き戻される。
 見れば、はるひだけじゃなく藤堂も水島も不安げな顔して私を見つめていた。

「アンタが友達裏切るなんて思えへん。なんかワケがあるんやろ?」
「ワケっていうか……」

 はるひと海野の二人に約束したことを忘れてたわけじゃない。
 でも学校じゃもう私の居場所が限られてて、ほとんど仕方なくって感じで化学準備室に入り浸ってた。
 まぁ若先生ももともと社交的なのに無理に一人になろうとして見てて痛々しいってのもあるけど。

 でも確かに、これは協定違反かもしれない。
 化学準備室じゃなくても、誰にも邪魔されずに昼寝したりサボったり出来るところは探せばきっと他にもあるだろうし。
 私は素直にはるひに謝ろうと思った。

 けど。

「セイがアンタと若ちゃんの噂気にしてんのや。んなことあらへん、って言っても半信半疑みたいやし」


 なぜか、カチンときた。


「くだらない」

 私はほぼ無意識に口に出していた。
 この言葉に、はるひの大きな目がさらに大きく見開かれる。

「しばらく、少しの間、って話だったじゃん。文化祭からもう1ヶ月近く立つんだし、少しの間には十分な時間じゃないの」
っ、アンタ何言うて」
「大体なんではるひがンなこと言ってんの? 水樹本人に言われるならともかく」

 イライラしてきた。

「若先生が好きって言う割りに、水樹本人がそんな噂真に受けてんの?」

 若先生は水樹を信じて、噂なんか信じてなかったのに。

「私がどこで誰といようが口出しされる覚えない。私の態度がムカツクんだったら、水樹本人が来いって言っとけ!!」

 叫んで睨みつけて。
 はるひは青い顔して私を見上げてた。

 イライラする。
 感情が高まるままに吐き出したのに、なにもすっきりしない。

 すると。



 今まで黙って腕を組んだまま成り行きを見てた藤堂がつかつかと近づいてきた。
 そして私の目の前まで来て、表情ひとつ崩さずに、

 パシッ

「な」

 平手で叩かれた。
 藤堂は冷たい目をして私と対峙する。

「アンタ、本気で心配してるダチに向かって言う台詞がそれかい?」
「っ、藤堂に関係ない!」
「関係なくないから口出ししてんのさ。本当にアンタがそんなくだらない人間だったってんなら、黙って身を引くのもバカらしいしね」
「……何言ってんの」

 藤堂を睨みつける。
 腰に手を当てて、なんの感情もこもらない目で私を見てる藤堂。

「アンタのこと気に入ってたんだよ。破天荒でガキ臭いこと言ってるけど、筋の通ったことしてるヤツだって。だからあきらめようと思ったんだ」

 っ。
 真っ直ぐ向けられてる「筋の通った」目を見ていられなくて、私は視線をそらした。
 藤堂がなにを言ってるのかはわからなかったけど、真っ直ぐモノを見るその目を見ていられなくて。

、あなた本当に何を考えてるの? 文化祭のあとから絶対変よ。何があったの?」

 水島も近づいてきた。
 何があったって、そんなこと説明できない。
 何もないことを自覚しただけなんだから。

「……話って、それだけ?」

 深呼吸をしてから、私は顔を上げた。
 若先生がみんなと距離を置くって言ったから、私も決別しなきゃいけないんだ。

「馬鹿馬鹿しい。私もう行くよ」
っ……アンタ、見損なったで!!」

 はるひの怒声は、怒りよりも悲しみのほうが強くこもってるように聞こえた。

 これでいいんだ。
 若先生の言うとおり。嫌われたほうが未練がなくていい。
 ……ほとんど無理矢理納得させるかのように、私は胸のうちで何度も「これでいい」と繰り返した。


 ところがこんな時に限って。



「……………………」

 玄関でばったりと、志波に出くわしてしまった。
 向こうはちょうど靴を履き替えて玄関を出るところ。
 明け方まで降ってた雨のせいでグラウンドが使えないから、テスト明けの部活もなかったんだろう。

 1週間の登校拒否の後、志波とは極フツーに会話できるようになってたんだけど、今はさすがに気持ちが混乱しててだめだ。
 奥底まで見透かされそうなあの目をまともに見られない。

 私は視線を合わせないようにして靴を履き替えた。

 ……さてこのあとどうしよう。
 帰り道が家の前まで一緒なんだけど。

「途中まで、一緒に行くか」
「……」

 なんて言えばいいんだろう。
 ごちゃごちゃの頭で考えてても、うまい答えが出てこない。

 すると志波は小さく息を吐いた。

「嫌ならいい。じゃあな」

 あ。

 鞄を肩にかついで、志波はくるりと踵を返して出て行こうとして。
 そこへ。

「あれ、志波くん。今帰り?」
「水樹……」

 声はすれども姿は見えず。
 私がいる靴箱の裏手側は隣のJ組の靴箱だ。
 ちょうど水樹も靴を履き替えてたんだろうか。

 水樹の姿は私から見えないけど、志波は玄関前で水樹がいるらしい真横方面に向き直る。

「ね、よかったら途中まで一緒に帰ろうよ」
「……」

 水樹の無邪気な声。
 志波は水樹の方を見ながらも、ふと遠い目をした……ように見えた。

 なんで返事しないんだろ。私に声かけたってことは、このあと何の用事もないんだろうに。

「……あ、なんか用事あった?」

 水樹の声を聞いてると、なんだかまたイライラしてきた。
 なんなんだろう、これ。

 ……そしてさらにややこしいのが。

さん? まだいたの?」
「……若先生?」

 振り向けば、白衣姿の若先生が来てた。
 校内の巡回でもしてたのかな。
 そっか、これから採点作業があるから生徒全員帰さなきゃならないんだ。

「先生」

 水樹の声に振り返る。
 そこには複雑そうな顔した水樹と志波が並んでこっちを見てた。
 若先生はいつもの笑顔を浮かべてみせる。

「や、水樹さん、志波くん。二人とももう下校時間です。寄り道しないで帰ってくださいね」
「あ、はい」

 こくんと頷く水樹。

「あ、じゃあさんも……」
「若先生」

 水樹の誘いの言葉を遮って。
 若先生の方を見て、でも実際には若先生を見るわけじゃなく、視線をそらして。

「帰る前にコーヒー飲みたい」
「はいはい。じゃあ用意しようか」

 若先生はやれやれと言わんばかりの声を出した。
 私の背後で、空気が凍り付いてるのがわかる。

「水樹、帰ろう」

 志波の声が硬かった。「うん……」と小さく聞こえた水樹の声は弱弱しい。

「二人とも、気をつけて」

 若先生だけが、いつもと変わらない様子を演じきっていた。

 二人の足音が遠ざかっていく。
 私はその後姿を見ることなく、ずっと背を向けたまま視線を落としていた。

さん」

 若先生が私の顔を覗き込んできた。
 眉尻を下げて困ったように笑いながら、私の頭にぽんと手を置いた。

「無理しないほうがいいですよ?」
「……他にどうしていいかわかんない……」

 ぽたぽたと涙を零す私の頭を撫でながら、若先生は化学準備室に連れて行ってくれた。




 これでいいんだ。
 若先生の言うとおり。嫌われたほうが未練がなくていい。
 ……これで、いいんだ。

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