「お前、今日も学校行かねぇの?」
「行かない」
「……そっか」
32.家庭訪問
文化祭の日からちょうど一週間。
私は今日も自分の部屋でごろんと寝転がっていた。
学校には体調不良の連絡をしてある。
嘘じゃなかった。実際、なんかだるくて仕方ないし。
私はベッドに仰向けに寝転がりながら、ただぼーっと天井を見つめていた。
シンは最初こそ軽蔑まじりの視線で見てきたものの、最近はなんだか決まり悪そうに家を出てく。
週半ばに東北方面から戻ってきた親父は、顔をしかめてその日はめずらしく深酒したみたいだった。
親父は私の中学の頃を思い出してたのかもしれない。それを思うと、ふさぎこんでても仕方ないって思うんだけど……だめだ。
昨日また九州方面への運送で、親父は家を出て行った。
「行きたくないなら行かなくていい。ただ家にこもりきりになるな」
それだけ言って。
いつも暴れまくってる(自覚はないけどそう言われる)私が学校を何日も休んでることを心配したはるひや海野たちがわざわざ来てくれたこともあった。
玄関で対応したんだけど、私を見たみんなは一様に顔をこわばらせてた。
「アンタ、どないしたん……? 全然生きてる気ぃせぇへんで?」
はるひがぽつりと呟くように言った言葉が、全てだった。
志波も来た。
でも、さすがに会えなかった。一緒に来たクリスと一緒に帰宅したシンまでも家の外に締め出して、頑として顔を合わせなかった。
……どんな顔して会えっていうんだか。
お人よしの志波のことだ。愛想つかしたといっても、なんだかんだと心配してくれてるのかもしれない。
そのまま帰ってしまった志波は、シンに見舞い品としてスポーツドリンクの景品についてるどくろクマの指人形を託してったらしくて。
現在それは私の右手人差し指にはまってる。
ごろん。
寝返りを打って時計を見る。
時刻は11時。あとちょっとで3時間目が終わるくらいかな。
家にこもるなって言われたけど、体が重くて気も重い。
音楽でも聴こうか。それとも。
そんなことを思っていたとき、インターホンが鳴った。
誰だろ?
だるい体をゆっくりと起こして、廊下の通話口まで出る。
「……誰」
『突撃家庭訪問です』
…………は?
通話口ごしに聞こえてきたのんきな声に、思わず言葉を無くす。
「若先生?」
『ピンポンです。さん、玄関開けてくれませんか?』
なんで若先生が家庭訪問?
呆気にとられながらも、私は階段を降りて真正面の玄関を開けた。
「おはよう、さん。といっても、もうお昼近いですけど」
そこにいたのはまぎれもない若先生。
いつものスーツ姿でいつもののんきな笑顔を浮かべてて、いつもの口調で話してる。
「……若先生、学校、授業どうしたの」
「先生今日は2時間目までで受け持ち終わりなんです。抜け出してきちゃいました」
「教師のくせに? つか2−BのHRは?」
「あとでちゃんと戻りますよ?」
首を傾げながら答える若先生。
失礼しますと、若先生は招いてもいないのに勝手に玄関の中へと入ってきた。
なんなんだ、一体。
「何しに来たの」
「家庭訪問です。さっき言った通りです」
「親父いないけど」
「さんに会いに来たから、お父さんがいなくても問題ないです」
ふーん……?
登校拒否生徒を家庭訪問ってことか。一応、教師らしいことしてんだ、若先生って。
「でも普通そういうのって担任の仕事なんじゃないの?」
「あれ、学校の仕事で来たわけじゃないですよ?」
「は?」
若先生をリビングに通して、なぜかソファに横並びに座って。若貴が、にゃんと鳴いて若先生の隣に飛び乗って丸くなる。
予想外な返答に、私も眉を顰めた。
「さんの様子を見に、それから、お別れを言いに」
「……お別れ?」
目が点になる。
なんか、ひさしぶりに感情が動いた感じ。
私を見てる若先生は、穏やかだけどどこか遠い目をしてた。
一体何事?
いきなり若先生が来たかと思えば。
お別れって。
「どーしたの若先生……なんかあった?」
「なんかあった? は先生の台詞です。さん文化祭からずっと学校休んでるね? 体調不良って聞いてたけど、学校に来れないほどじゃなさそうだし。どうしたの?」
「私は……別に……ただもう、限界だなって思って……」
志波の隣に立てるような対等な存在になりたいと思ってたけど、その志波本人から愛想つかされたこと。
いつまでたっても動いてくれない左腕のこと。
かっちゃんとの約束を支えにしてきたけど、それを忘れろって言われたこと。
いろいろありすぎて、もう嫌になって。
私はぽつぽつと若先生に全て話した。
断片的に、途切れ途切れに、順序だてることもせずに。
きっと若先生も聞いててわけがわかんなかっただろうけど、それでもひとつひとつ頷きながら若先生は聞いてくれた。
「なるほど、じゃあさんは今休憩中なんですね?」
「そういえば聞こえはいいけどね」
「仕事の合間のお昼寝は、その後の仕事の効率をよくするものですよ?」
「永眠かもしれないよ」
自虐的に鼻で笑えば、若先生は困ったように微笑んで肩をすくめた。
「若先生は? お別れってどういうこと?」
思ってたことを吐き出して少しラクになった私は、インスタントコーヒーを入れて若先生に差し出した。
若先生はありがとうと言ってカップを受け取る。
一口すすって、若先生はほっと息を吐いた。
「先生、ここを離れようと思ってます」
「……ここって、学校? はばたき市のこと?」
「はい」
「なんでまた急に。あ、文化祭で水樹と話せなかったとか?」
「いえ、水樹さんとはちゃんと話しました。わだかまりもなくなって、前途洋々です」
「じゃあなんで?」
「うん」
若先生はもう一口コーヒーをすする。
……若先生って、随分遠い目をするんだ。
今ここにあるものは目に映ってないような。何か、他のものを見ているような。
「前に、先生には特殊な演算能力があるって言ったよね? 僕はね、昔その能力を買われて、とある研究機関にいたことがあるんだ」
「能力開発研究所みたいな?」
「もっと実用的なところです。僕の能力を使って研究を進めるような」
「……つまり、若先生はコンピューターだったってこと?」
「やや、さん飲み込みが早いですね? ちゃんと授業受けてくれればテストも高得点狙えるのに」
「余計なことはいいから」
「はいはい。……僕は当初こそ喜んで研究に参加していたんだけど、だんだんと疑問を抱くようになって。ついには人間不信に陥ってその研究所をやめてしまいました」
あっさりと言う若先生。
いっつも学生と一緒に馬鹿なことしでかしては教頭に怒られてる若先生が、人間不信?
どうにもこうにも、俄かには信じられなくて。
私は首を傾げるしかなかった。
「信じられない?」
私の顔を覗き込むようにして尋ねてくる。
私は眉根を寄せながら頷いた。
「まぁ、確かに今の僕からは想像できないかもしれないけど。……でも、先日、そこの研究所のエージェントに偶然、街で会いました」
「へぇ……」
「そこの研究所にとって僕は必要な存在だったらしくて。3年も、日本で僕を探してたと言ってた」
「じゃあ、お別れって若先生、その研究所に戻るの?」
「まさか」
ぶんぶんと頭を振って、若先生はコーヒーを一気に飲み干した。
「あんなところ、二度と戻るつもりはないです」
「だったらお別れって……」
「……見つかってしまったから、逃げようと思って。ここには長く居過ぎた。潮時ってやつです」
「どこへ?」
「さぁ、どこでしょう。僕には帰る場所がないから、ただ流れるだけです」
ここは自分の居場所じゃない。よく思います。
確かそんなことを、去年の文化祭で、給水塔の上で、若先生は言っていた。
でも教師を始めてから少しずつ変わって来てる気がする、とも言ってたのに。
「水樹はどうするの?」
「正直、心残りです」
若先生は眉尻を下げて笑った。
「でも幸いにも彼女にはたくさんの友達がいる。好意を寄せてる子もいるはずだ。こんな存在感のない大人よりも、もっと相応しい人がいるはずだから」
「……それでいいの?」
「いいんです。僕に彼女は眩しすぎる」
「そっか……私もそうだな」
野球に打ち込んで目指すものがあって、先を歩いてる志波に憧れた。
人に優しくてお人好しで誠実で、私に出来ないことを意図も簡単にやってしまう志波に、強く。
対等な存在だったら、こんな卑屈になることもなくそばにいられたんだろうけど。
今はもう、近づくことも出来ない。
「お別れといっても、3月まではちゃんと先生やりますよ? でもそれまでに未練なくお別れできるようにいろんなものから距離を置こうと思って」
「距離を置くって、どうやって?」
「みんなにすぐに僕のことを忘れてもらえるように、生徒の輪に混ざるのをやめようと思ってます」
「……若先生に出来るの? そんなこと」
「やや、馬鹿にしてもらっちゃ困ります。……こう見えて僕はちゃんと大人だから、表面取り繕う事だって簡単なんです」
「水樹にも同じことするの?」
あんなにメロメロだったのに。
案の定、私の質問に若先生は一瞬言葉につまって。
でも、すぐに、
「……はい。いっそのこと嫌われてしまったほうがすっきり旅立てるし」
笑えてないよ、若先生。
そんなことされて、水樹はどう思うんだろう。
水樹は若先生が好きなんだって、はるひが言ってたのに。
よそよそしい態度をとられたら、疑問に感じる前に傷つくよ。水樹だもん。
「……でも、なんでわざわざそんなこと私に言いにきたの?」
若先生の辛さも、水樹がこれから感じるだろう辛さも想像して、私は大きくため息をつきながら。
すると若先生は、寂しそうに微笑んだ。
「はね学で教師をしているうちに、僕の心は弱くなったみたいで。誰かに聞いて欲しかったんです。一人で秘密を抱えて旅立つのが寂しかったから」
「……そっか」
「さんは、とても僕に近い存在だから。つい」
「そうだね」
私もカップに視線を落として頷いた。
きっとそのとおりなんだと思う。
私と若先生は限りなく近い。
それなら。
「ねぇ若先生」
「なんですか?」
「私も一緒に連れてってよ」
「はい?」
若先生は目をぱちぱちさせて、私の顔を見た。
「私も旅に出たい。ここにいても止まってるだけだもん。それならまだ体だけでも流れてるほうがいい」
「や、それはちょっと……それに、志波くんはどうするんですか?」
「は? なんで志波?」
「なんでって……さん、志波くんが好きなんでしょう?」
「関係ないよ。そりゃ私は寂しいけど、志波は私がいなくたって先に進める」
むしろ私がいたほうがだめだ。
親友の姉、幼馴染の従姉妹、いくら志波が愛想つかしたっていっても私と志波を繋ぐ関係はごろごろある。
……足かせになりたくない。
若先生は、めずらしく眉間に皺を寄せて私の顔を覗き込んだ。
「さん、本気で言ってる?」
「本気だよ」
「先生の旅は世捨て人さながらですよ? 食べるものも雨風しのぐものもないですよ?」
「お金ないの若先生? なら私が稼ぐよ、そのくらい。よく森林公園や海辺近くで歌ってたらおひねり貰うし」
「やや、芸は身を助くですね。歌なら先生も得意です」
「期待してない」
「がーんっ……」
「いいから私も連れてって!」
身を乗り出して懇願すれば、若先生は困り果てた様子でため息をついた。
「さん……困りました」
「困ってんのは私のほう。もうどうしていいかわかんないんだもん。これ以上、みんなが先に行くのを黙ってみてるのやだ。……逃げたい」
口を固く結んで両手を握り締める。
そうだ。
逃げ出したい。
もうこれ以上がんばれない。
「さん」
ふと、若先生が私の髪をひと房掴んだ。
ゆっくり持ち上げて、するすると指の間を滑り落ちる。
「水樹さんと違って、真っ直ぐな髪だね」
「うん。……いきなりどうしたの」
「水樹さんの髪はくせっ毛なんです。ゆるいウェーブがかってて、とても可愛い」
「ふーん?」
「さんなら大丈夫かな」
なにが。
顔を上げれば、若先生はなんだか泣きそうな顔して笑ってた。
「さんと水樹さんは本当に正反対だから、一緒にいても思いださずにすむかと思って」
「ああ、そういう意味……って、それって」
聞き返せば、若先生はしっかりと私の目を見て頷いた。
「いいよ、さん。一緒に旅に出よう」
その日、若先生が学校に戻って行ったあと、私は髪を切りにいった。
夕方帰宅したシンが、驚いて足の上に辞書入り鞄を落としてしまうくらいに短く。
藤堂よりも、気持ちさらに短いくらい。
若先生が水樹を思い出したくないって言うなら、いっそのことばっさり切ってしまおうと思って。
腰まで伸びてた髪を切ると、頭が随分軽くなって、なんだか気持ちまで軽くなった。
来週からは学校に行こう。
旅に出ると決めたら、なんだかもう全てがいい意味でどうでもよくなった。
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