修学旅行明けてしばらくすれば文化祭だ。
今年のクラス展示は去年と同じく喫茶の模擬店に決まった。
30.2年目:文化祭準備
修学旅行のアレ以来、志波とは一切関わり合わなくなった。
私は森林公園も行かなくなったし、昼寝場所も変えたし、タイミングよく席替えも行われて席も離れたから。
志波に拒絶されたのは相当痛かった。
お人好しの志波に愛想つかされるってことは、私の居場所が否定されたようなもんだ。
実際、志波と関わらなくなってみて改めてまわりに人がいないことに気づいた。
水樹やはるひといった子たちとはあったときに挨拶こそするもののそれだけだし。
「「はぁ〜」」
化学準備室で私と若先生はビーカーコーヒーを酌み交わしながら同時にため息をついた。
「若先生、まだウジウジしてんの?」
「さんこそ元気ないじゃないですか」
……放課後化学準備室でコーヒーの会が、修学旅行のあとほぼ定例会になってしまっていた。
文化祭期間中で本来ならクラス展示の準備に借り出されるところなんだけど。
私は去年以上に気が乗らなくて、その上クラスメイトがピリピリしてる私に話しかけるのをためらってるせいもあって、文化祭準備に呼ばれることはほとんどなかった。
若先生もそのことには触れようとしないし。いーのか教師。
「若先生さぁ、水樹とちゃんと話したの? 話もしないでウジウジしてるんなら一発気合入れてやろうか?」
「や、遠慮しときます。水樹さんは後半クラスですし、そもそも中々話すタイミングもなくて」
「ふーん? じゃあ文化祭の時話せば?」
「そのつもりです。ところでさん……」
若先生がビーカーにおかわりのコーヒーを注ぐ。
「なに?」
「水樹さんと志波くん、最近仲良しですか?」
「は?」
ぎゅ、と眉根を寄せてる若先生。
私は眉を潜めて聞き返した。
「どういう意味?」
「そのまんまです。さんも知ってるでしょう、水樹さんにまつわる悪意ある噂のことを」
「あー……」
私はこっくり頷いた。
佐伯ファンを中心にこそこそ水面下で流れてた、水樹が佐伯と志波の二人に二股かけてるって噂。
そういえば最近はクラス内に居ても聞こえることがあったっけ。
「仲イイよ? 相変わらず森林公園で朝一緒にいるし、水樹が話しかければ志波は愛想良く対応するし。っていうか若先生には悪いけどさ」
「なんでしょう?」
「志波って、やっぱ水樹のこと好きなんだと思うよ」
「……それはそれは」
若先生は目をぱちくりさせて、コーヒーを一口啜った。
志波は違うって言ってたけど、やっぱり。
水樹を見る優しい眼差しや話し方。いつもの志波とはかけはなれてる。
私に対する態度とも、他の子に対する態度とも違う。
「さんがサラッと言うとは思いませんでした」
「なんで?」
「だってさん、志波くんが好きなんでしょう?」
「私が志波のこと好きなのと志波が水樹のこと好きなのは関係ないじゃん」
「ヤキモチ焼いたりしないの?」
「……私自身がそんなこと出来るレベルに達してる人間じゃないもん」
私はぶすっと口をとがらしてから、コーヒーをすすった。
私って人間は水樹にも志波にも、もしかしたら若先生とも比べられないくらい欠陥だらけの人間だ。
志波がどうしてるとか、水樹がどうしてるとか気にするよりも、自分を高めなきゃ話にならないし。
「正直私は若先生より志波の方が水樹の相手としてふさわしいかなーって思ってるし」
「ぐさっ。ひ、ひどいですさん……」
「だからがんばれって言ってんの。大人のクセにいちいち落ち込むなっ」
「ぐすん。……佐伯くんはどうなんでしょう?」
「佐伯は若先生のが知ってんじゃないの? 担任なんだし。2年になってから私、佐伯とほとんどからんでないよ」
「そうですか」
むむ、と眉間に寄せた皺を深くして唸る若先生。
私はビーカーに視線を落としてもう一度ため息をついた。
「さん、最近ため息多いね? ピンポンでしょう?」
「そうかな。まぁ気分は晴れてないけど」
「志波くんとは相変わらずですか?」
「喧嘩したんじゃなくて愛想つかされたわけだから。きっとずっともうこのままだよ」
寂しいけど。
……志波を好きになって、初めて自覚した寂しいって気持ちかも。
その時、私の携帯が鳴った。
メールだ。すぐに確認してみれば、のしんからだった。
『To:
Sub:どこにいるんだよ!
本文:ライブセットの手伝いしろっつっただろ!
今すぐ屋上に来い!』
「あ、そうだった」
「呼び出しですか?」
「うん、のしんの屋上ライブのセットの組み立て。手伝えって言われてたんだ。ちょっと行ってくる」
「はいはい。行ってらっしゃい、さん」
ビーカーを置いて、私は若先生に見送られながら屋上に向かった。
のしんは文化祭で屋上ライブをやるらしくて(今年はちゃんと申請取ったらしい)。クラス展示準備で忙しい中、応援してくれる有志を集めてセットの組み立てをしてるらしくて。
どうもその準備が遅れてるらしく、昨日私にもお声がかかったみたいだ。
「あ、やん。もハリーの手伝い?」
「うん、頼まれた。佐伯と海野も?」
「そうなの」
「ったく、友達面して面倒押し付けるよな」
屋上に行く手前の階段。
2−B軍団のはるひと海野、それから佐伯とばったり会った。
へぇ、のしんと佐伯って仲良かったんだ。
「他に誰かいんの?」
「いつものメンバーやで? セイとクリスと、あとは志波やんやな」
ぴた。
階段を上りかけてた足が止まる。
そして即回れ右。
「あれ、さん?」
「やっぱ私パス。のしんによろしく」
志波と顔合わせたくない。……怖い。
私は足早にその場を去ろうとした。
のに。
素早く佐伯に右腕を掴まれた。
「ちょ、なにする佐伯っ!!」
「一人サボりは許さん。、抜け駆けは禁止だ」
「サボりじゃないっ!」
「サボりだろ」
「瑛くん、さん、喧嘩しないで……」
にやりとする佐伯に噛み付く私、そんな私たちをおろおろしながら宥める海野。
くっそ佐伯のヤツっ!
「おいこらお前ら! おせーぞ!」
そこに、屋上のドアを乱暴に開け放ってやってきたのはのしんだ。
丸めた用紙をぽんぽんと肩に当ててこっちを見下ろしてる。
そしてつかつかと降りてきたかと思えば、手にしたものではるひの頭をぽすんと叩いた。
「なにすんねん!」
「おっせーんだよ! 今度遅れたらクビだかんな!」
「善意で手伝っとるのに、偉そうにすな!」
はるひはのしんから図面を奪い取り、負けじと同じように叩いた。
そのまんま、はるひとのしんはぎゃあぎゃあと口喧嘩突入。
仲いいな、二人とも。
「おーいハリーくーん、ここどうすればええのー?」
「おう、すぐ行く! お前らも早く来いよ! やること一杯あるんだからな!」
「ったくぅ、図々しいやっちゃ。ほな行こか?」
奥からクリスの声が聞こえて、のしんが答える。
はるひは腰に手を当てて憤慨しながらも私たちを振り返った。
行こか、って言われても。
やっぱり嫌なんだけど。
「あ、瑛くん、先行っててくれない? はるひとさんはちょっと待って」
「なんだ? お前ら揃ってサボる気か?」
「もう、そんなことしないってば!」
今度は海野だ。
佐伯はそんなこと言った海野に軽くチョップを入れる。
……どっちかってと、佐伯は水樹よりも海野のほうが噂にのぼりそうな気がするんだけど。
訝しげな顔する佐伯だけど、そのまま屋上にのぼっていって。
階段には、私と海野とはるひが残された。
「どないしたん、あかり」
「なんか用?」
「う、うん。えっと、さんに聞きたいことがあって」
首を傾げる私とはるひに、海野は神妙な顔をした。
すると、はるひもぽんと手を打つ。
「……あのこと聞くんか?」
「うん。やっぱり、ちゃんと聞いておこうと思って……」
「……せやな。白黒はっきりつけといた方がええな」
何の話?
私は腕を組んで壁にもたれる。
海野とはるひは顔を見合わせて大きく頷いて、私に向き直った。
「あんな、。あんた若ちゃんのことどう思っとるん?」
「………………は?」
意外も意外な質問に、私は相当まぬけな声を出した。
なに?
なんなんだ、その質問は?
「どうって。なにそれ、どういう意味?」
「若王子先生のこと、好きなの? っていう意味なんだけど……」
「はぁあ? んなわけないじゃん、あんな天然ボケボケ教師!!」
即答した私に対し、しかしはるひと海野は眉を顰める。
「でも最近、化学準備室入り浸っとるやろ?」
「それはだって」
若先生の愚痴を聞いてるというか、なぜか相談役みたいになってしまったからというか。
「……ビーカーコーヒーおいしいし」
「あのね、さん……」
海野は困り果てたように眉根を寄せる。
「こういうこと言うのなんだけど、若王子先生のこと好きってわけじゃないなら、化学準備室で若王子先生と会うの、しばらくやめてくれないかな……」
「……なんで?」
「あんな、実は……セイが、若ちゃんのこと好きやってん」
…………。
「は?」
目から鱗。
私は目を点にして海野とはるひを見てしまった。
水樹が? あの真面目で素朴で純粋な水樹が、天然ボケボケで口を開けば突っ込みどころ満載の若先生のこと、好き?
「マジで!?」
「うちらも修学旅行中に初めてセイから聞いたんやけどな。本気やねん、セイ」
「ふえええええ……」
「だからね、最近さんと若王子先生が二人で化学準備室にこもってることセイちゃんも気にしてて」
「そやから、アンタが若ちゃんのこと友達感覚としてしか見てないんやったら、友人の恋を応援するためにも、少しの間だけでも化学準備室行くんをやめてくれへん?」
「……そういうことなら」
まだ半分唖然としながらも、私は首を縦に振った。
ほっとして笑顔を浮かべる海野とはるひ。
つか若先生。
思い切り悩み損じゃん!
いつまでもウジウジ躊躇してるから! なんだ、気持ちが通じあってるなら私が愚痴聞く必要ないし!
……よかったね、若先生。
また一人、私を置いて進んでくのか。
「ほな、話もまとまったことやし手伝い行こか! これ以上待たせるとまたハリーがうるさいやろうし」
「そうだね、行こうさんっ」
「いや、私は遠慮しとく」
佐伯もいないことだし、今なら逃げられるだろう。
私は海野とはるひに右手を上げて手を振って、くるりと踵を返した。
そのときだった。
「水樹!?」
緊迫した志波の声と、
「セイ!」
同じく焦った佐伯の声が響いてきたのは。
それから間髪いれずに、ドサッと、鈍い衝撃音。
「なっ、どないしたん!?」
はるひが屋上のドアを開け放って飛び込んだ。
海野と私もそれに続く。
……仰向けに倒れこんだ佐伯の上に水樹が覆いかぶさるように倒れこんでいた。
のしんのライブセットと思われるものの目の前。
セットの足場の上から志波が身を乗り出して手を差し伸べてるところを見ると、水樹がそこから落ちた、のかな?
「瑛くん、セイちゃん、大丈夫!?」
「セイっ! 佐伯もっ、怪我してへん!?」
海野とはるひが慌てて駆け寄っていく。
のしんも、セット準備を手伝ってたらしいクリスも。
私は屋上に続くドアの前から動けなかったけど。
私を見限った志波がいたから。
……心配そうに水樹を見下ろしてる志波がいたから。
水樹が口元を押さえて上体を起こし、その下で佐伯も口を押さえてる。
「ってぇ……セイ、大丈夫か?」
「うん。歯ぶつけただけ……いたた。瑛は? 歯以外どこかぶつけた? 頭は打ってない?」
「背中だけ。……っつー」
……歯?
見れば。
はるひものしんもクリスも、セットから降りてきた志波もみんな。
顔を赤くして水樹と佐伯を見下ろしていた。
海野が唖然としながらぽつりと呟く。
「事故チュー……」
やっぱり?
あ、佐伯と水樹も瞬間で茹で上がった。
「じ、事故! 事故だろこれは!?」
「そうだよ!? やだな、当たり前じゃない!」
「お、おれたち親子だもんな!?」
「うん、そうだよ、おとうさん!」
「あは、あははは!」
「あははは!」
なんだそのお父さんて。
「な!?」
「ね!?」
そしてぐるんとみんなを振り返って。
強引に同意を求めると、みんなたじろぎながらも頷いた。
すると、つかつかと志波が寄ってきて。
ぐいっっと水樹の腕を掴んで、水樹を強引に立たせた。
「わかったから。早く離れろ」
「あ、うん……」
そして志波はこそっと水樹に何か耳打ちした。
ツキンと何か痛みが走る。
志波は自分で自覚してないのかな。水樹への気持ち。
「お前、ちょっとこい」
「え、あ、うん、あの」
そして佐伯も立ち上がって、強引に海野の手を掴んだかと思えばずんずんとこっちに向かって引っ張ってきた。
ドアの前で私と向き合って。
佐伯はさらに顔を赤くした。
「事故だ!!」
「は? あ、うん。わかってるけど」
「お前のもな!」
それだけ言って、佐伯は海野を連れて階段を降りていってしまった。
お前のもな、って。
あ、そっか。そういえば私も佐伯と事故チューしてたっけ。すっかり忘れてた。
「あ、あーあー、ほな、作業再開しよか?」
「そ、そうだな! おう、さくさく終わらせるぞ!」
はるひとのしんの明るい声。
振り向けば、なんとなくぎこちない様子ながらも雰囲気を変えようとみんなが再び動き出していた。
クリスは手にしていた図面と思われるものを広げて、志波はぶちまけられたペンキ缶を拾い上げて。
水樹が、その志波の制服の袖をつんつんと引いた。
はは、巨人と小人だ。ビューティ&ビーストって、水樹と志波のほうが合ってるんじゃん?
水樹はそのまま何か志波に話しかけて、屋上の入り口の方を指差した。
……って、私のいるところじゃん。
志波はそのまま水樹の指した方に視線を向けて。
「」
びく。
軽く目を開いた志波に名前を呼ばれて、私の体は震えた。
知らず足が動いてた。
私は、階段を駆け下りた。
なにか取り込み中らしい佐伯と海野の横を通り抜けて化学準備室へ。
若先生はコーヒーを片付けて、デスクに向かって仕事をしてるみたいだった。
「あれ、お帰りなさいさん。針谷くんのお手伝いは」
「若先生、ばいばいっ」
鞄を持って若先生の話も無視して飛び出した。
そのまま玄関まで走っていって靴を履き替えて学校を出る。
しばらく走ってから、息がきれて私はペースを落として歩き出した。
志波が怖い。
好きなのに、こんなに怖い。
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