教頭監視の下2時間正座の罰則を終えたあと。
 ホテルのロビーに来てみても、やっぱり他の生徒は誰もいなかった。


 29.修学旅行4日目:自由行動日2


 さてどうしよう。2日目の自由行動日と同じで、何も考えてなかったんだけど。
 くるりと振り向く。
 志波は私の後ろでポケットに手をつっこんだままいつもの無表情でこっちを見てた。

 だけど視線が合った途端、ぷい、と顔をそむける。

「志波はどーすんの? シンたちと合流すんの?」
「……予定はない」
「ふーん」

 まぁそれはどうでもいいんだけど。
 私はどうしようか。
 あ、まだ親父と元春にいちゃんにお土産買ってなかったな、そういえば。
 なんだっけ、ゴマあんの八つ橋が食べたいって言ってたんだっけ?

 八つ橋ってどこで売ってるんだろ。

「志波」
「なんだ」
「人と話するときはこっち向けっ」

 文句を言ってやれば、志波は眉間に皺を寄せて思いっきり不機嫌そうな顔をしてこっちを見た。

「なに怒ってんの」
「……怒ってない」
「怒ってるじゃん」
「怒ってない」
「怒ってる!」
「……はぁ。いいから、なんだ」

 めんどくさそうにため息をついた志波。
 なんなんだコイツ。今朝からなんか態度がよそよそしい。
 なんか腹立ってきた。なんでこんなヤツが好きなんだ、私。

「……八つ橋」
「?」
「元春にいちゃんと親父にゴマあんの八つ橋買わなきゃいけないんだけど。どこに売ってるか知ってる?」
「……名物なんだろ?」
「たぶん」
「だったらその辺で売ってるんじゃないのか……」

 適当に答えてるな、コイツ。
 ……まぁいいや。散歩ついでに商店街の方に行けば売ってるだろう……多分。
 確か八坂神社の近くにそれっぽい商店街があったような。

 今日の散歩コース、決まったな。
 よーし、自由行動開始っ。

「こら。ちょっと待てっ。出かける前に予定表出してけ」
「ん? あ、そっか」

 ふらっと出かけようとした私に、ちょい悪親父が待ったをかけた。
 今日のちょい悪は上下エンジのジャージ姿。普通にそのへんのおっさんにしか見えない。

 私はちょい悪に手渡された予定表に『洛中買い物の旅』と書いてすぐに突っ返した。

「ん。これでいい?」
は今日は買い物か。道わかるのか?」
「地図あるし」
「んー。まぁ旦那が一緒なら平気か」

 にやにやと顎に手をあてて、志波を見上げるちょい悪親父。
 対する志波は赤くなって不本意そうな顔をして。

「……違います」
「照れるな照れるな。若王子先生から聞いたぞー? 昨夜は武勇伝作ったそうじゃないか志波」
「…………」

 妙なところ真面目な志波は、さすがに教師であるちょい悪にはゾンザイな態度をとることが出来ないらしく、苦虫噛み潰したような顔で沈黙。
 つーか若先生……あのおしゃべりは。

「別に志波は旦那じゃないし、一緒に出かけるわけでもないよ」
もドライだな。まぁいい、罰則の延長と思ってお前らふたりで出かけろ」
「「はぁ!?」」
「2日目の自由行動日はおとなしくしてたものの、はどこでなにやらかすかわからんし、志波はどこで昼寝して戻ってこないとも限らんしな。というわけで行ってこい若人よ。お互いしっかり監視しあうんだぞー」

 一方的にそんなことを言って、ちょい悪はのたのたとホテルの中に戻っていった。
 ぽかんとその後姿を見つめる私と志波。

「どーすんの、志波……」

 判断に困って志波を見上げる。
 志波は、赤い顔したまま一瞬だけ私を見下ろして。
 くるりとホテル玄関をふりむきざま、ぺちっと私の額を軽く叩いた。

「たっ!」
「行くぞ」
「人のデコ叩くな!」

 聞く耳持たず、志波はポケットに手を突っ込んだままホテルを出て行く。
 うー、今日も志波と一緒か……まぁ別にいいけどさ……。

 私は額をさすりながら、志波のあとを追いかけた。



 八坂神社に程近い、小さな商店が軒を連ねる商店街。
 私と志波はその入り口近くまでのたのたとお互い無言でやってきた。

 昨日の夜、あんなに沈黙が気まずかったのに日が昇ってしまえばなんてことはない。
 いつも通り、何もしゃべらずとも平気だった。
 うーん……人間の感情ってメンドクサイ。



 などと思いながら歩いていたら、志波から声をかけられた。

「なに」

 数歩後ろを歩いてる志波を振り向くと、志波はまた顔をそむけた。
 けど、今度はすぐに視線を戻す。
 なんか訝しげな、というか。変な顔してる。

「……お前、昨日の」
「昨日の?」
「本気、か?」
「……なにが?」

 間髪いれずに聞き返せば、志波はむっとした顔になる。

 主語のない質問にどうやって答えろっていうんだっ。

「だからお前が」
「うん」
「………………」
「なに」
「……………………なんでもない」

 ふいっと、志波は結局顔をそむけてしまう。
 なんなんだ一体。

 私もむっとして、再び正面に向き直って歩き出す。

 志波は本当に変なヤツ。
 志波と一緒にいると熱くなったり腹が立ったり落ち着かなくなったり、自分を持て余してしまう。

 ……ん?

「あー、昨日のって、もしかして私が志波のこと好きっていうアレ?」

 くるっと振り向いて尋ねれば、志波は目をおっきく見開いて、見る間に赤面していった。
 ……志波が赤くなってる。
 うわ、すっごい貴重顔!

「あのなっ……ってカメラを撮るな!」
「だってこんな志波の顔めずらしすぎる」
「お ま え な」

 真っ赤になった志波の柳眉が見る間に吊り上っていく。
 私の携帯カメラを構えた右手を掴んで力任せに引っ張って。
 引きずられた私は2,3歩たたらを踏んだ。

「いった! ちょ、離せ志波っ!」
「からかってんなら悪趣味すぎるぞ。ふざけるのもいい加減に」
「からかってないしふざけてもない! いいから離せ!」

 右腕を振り払って、志波と距離をとる。
 力いっぱい掴まれた手首が赤くなってた。
 右手首をさすりながら、志波を睨みつける。

「本気か、って聞いたんでしょ。本気だよ。だったらなに!」
「……っ」
「いーじゃん別に……志波に迷惑かけてるわけじゃないのに」

 好きです付き合ってください付き合ってくれなきゃお前を殺して私も死ぬ、とかそんなこと言ってるってんならわかるけど。
 心で思ってるだけでなにも要求してないんだから、そこまで不機嫌にならなくても。
 ……あれ、もしかして内に秘めることが美徳の日本だと、気持ちを口に出すことすらタブーだったりするわけ?

 ぶつぶつ。

「……
「なに。いいよ別についてこなくても。ちょい悪には私が逃げ出したって言っとけばいいじゃん」
「そうじゃない」

 お人よしの志波はそういうつじつまあわせも苦手なんだろうか。
 志波を無視して私は先を急ぐ。

 だけど、右肩を掴まれて引き止められてしまった。

「まだなんかあるの?」
「ある。……この店、お前が探してるのあるんじゃないのか」

 振り向いた先の志波は、すぐ真横の店を指した。
 その指の先には、ところせましと並ぶ種類様々な八つ橋があった。
 店の奥は案外広いらしく、他にも京都っぽいみやげ物がところせましを並んでる。

「あ、ほんとだ」
「探すか?」
「うん。志波は?」
「……一応家族になにか探す」
「ん。じゃあ買い物終わったら店の前集合ね」
「わかった」

 我ながら単純だとはわかってるんだけど。
 私はあっさり機嫌を直して、はね学生も複数いたその土産物屋の中に足を踏み入れた。


 そして探してたゴマあんの八つ橋はあっさりと見つかった。
 親父と元春にいちゃんと、それから向かいの肉屋と豆腐屋のために4つ購入して、私は店を出た。
 志波はまだ中で土産を見てる。中にいたはね学生に知り合いがいたらしくなんか話してるみたいだったから、私は店の前のガードレールに腰掛けておとなしく待つことにした。

 ここの商店街は行きかう人も多い。さっき耳に入ってきた情報だと、有名な抹茶スイーツを出すカフェがあるとかでこの土産物屋に流れてきたはね学生もそのカフェから流れてきたらしかった。
 抹茶かぁ。お茶にはちょっと興味あるな。どのへんなんだろ。

 そう思って左右を見回したときだった。

 商店街のわき道に、すっと入っていった人影。
 今の、若先生?

 なんだか様子がおかしい……ように見えた。
 いやいつも普通におかしいんだけど。それにも増して、なんか。
 ガードレールから立ち上がり、私は若先生が消えたわき道へと走った。

 土産物屋から3軒隣の店の横。商店街裏の住宅地に通じる細い道。
 その道を、若先生はとぼとぼと歩いてた。

「若先生!」

 声をかけると、若先生はゆっくりと振り向いた。
 眉尻を下げて、いつもより力ない笑顔を浮かべる。

「やぁ、さん。お買い物中ですか?」
「もう終わった。なにやってんの、こんなとこで」
「ちょっと考え事です」

 若先生は足を止めて私と向き直る。

「考え事?」
「うん。ちょっと水樹さんのことを」
「……若先生ホントもうメロメロなんだ……」

 腰に手を当てて呆れてみせる。
 自由行動の校外指導中のくせして、生徒を指導するどころかこんな中道に入り込んで思いふけってるって。

 だけど、私の態度に若先生は寂しそうに笑って頭をふった。

「ホントにメロメロなのは事実なんですけど。どうやら僕は、水樹さんを傷つけてしまったかもしれなくて」
「は?」

 意外な言葉に私も驚くしかない。

 若先生が? 水樹を傷つけた?

「マジで言ってんの……?」
「マジです。というか、まだ僕が水樹さんを傷つけたのかどうかの確証はなくて」
「はぁ?」
「実はさっき」

 若先生は事のあらましを説明しだした。

 修学旅行中の水樹の様子が気になった若先生は、水樹の担任に話を聞くためにお茶に誘ったらしい(この時点でもう盲目状態だ……)。
 で、そこで水樹の担任から団体行動中の水樹の様子を聞いていたみたいなんだけど。
 いきなりそこに水樹が現れたらしくて。
 というか、実は水樹と海野と西本が若先生たちが来る前から真後ろの席でお茶してたらしくて。
 若先生が水樹の存在に気づいたときには、水樹は涙を浮かべながら店を走り出るところだったらしい。

 驚いて追いかけて鴨川近くで水樹を捕まえて事情を聞いてみれば、

「先生のせいですよ。担任でもないのに、ずっと見守っててくれたんですね? あんまり感激したから、つい泣いちゃって。恥ずかしくなって飛び出してきちゃいましたよ!」

 水樹はそんなことを言って涙でくしゃくしゃの顔して笑ったらしい。

 ……って。

「思いっきりノロケ話じゃん……殴るよ若先生」
「だったらいいんですけど。でも、水樹さんは嘘をつくのが下手です」

 ぐっと拳を突きつけても、若先生は心ここにあらず。

「あの涙は感激して流したものじゃない。彼女を傷つけたのが僕なのか、それとも全く別の原因があるのかわからないけど、あの子は泣いた理由を誤魔化すために僕の話を引用しただけだ。それだけはわかる」

 ……ちょっと、驚いた。
 視線を落としてる若先生の表情はいつもよりもずっと大人の顔してて、口調すら変わってて。

 そっか。
 若先生も本気で恋してるんだ。

「それで、水樹はどうしてんの?」
「女の子3人の京都ぶらり旅を邪魔しないでくださいね、って海野さんと西本さんの3人で鴨川の向こうに行っちゃいました」
「ふーん……」

 それで若先生、こんなとこで不毛なこと考えてうじうじしてたのか。

「まぁ私が言うのもなんだけどさ。理由がわかんないなら悩んでても仕方ないじゃん。今度水樹に探り入れてみればいいんだし、えーと、元気出せば?」
「……やや、さん、慰めてくれるんですか?」
「湿っぽいの見てるとイライラするんだもん」
「先生を心配してくれてるんじゃないんですね……」

 ぐちぐち。
 今度は違う方向にいじけはじめた若先生。
 えーいうっとうしい。

 一発ハッパかけてやろうと思ったときだ。

 私の携帯が鳴った。
 着信:志波。

 あ、まずい。

「もしもし」
『……どこにいる?』
「すぐ戻る。待ってて」

 それだけ言って、携帯を切った。

「若先生、私行くよ」
「うん。自由行動めいっぱい楽しんできてください」
「もうホテル戻ろうと思ってたんだけど……まぁいいや。若先生も、えーと、元気出して」
「ありがとうさん」

 にこっと、まだ本調子じゃない笑顔を浮かべる若先生。
 私は踵を返して土産物屋に走って戻った。

 土産物屋の前には、不機嫌そうに腕を組んでガードレールに腰掛けてる志波がいた。

「志波っ、えと、ごめん」
「いや……」

 腕を解いてゆっくりと立ち上がる。
 志波の手には小さな袋が提げられていた。

「土産買ったの?」
「ああ。……それよりお前」

 八つ橋を買ったにしては小さい袋。志波のことだからきっと食べ物系だろう。
 袋を覗こうとした私に、志波は上から声をかける。

 見上げれば、眉間に皺をよせた、言ってしまえばいつもの志波。

「どこに行ってた?」
「ああ、若先生のとこ」
「……先生?」
「うん」

 それはもう、一瞬の出来事だった。

 志波の目が見開かれたと思ったら、今までで最高に眉間の皺を深くして、それから。


 ドカァァァァン!!!


 どこからともなく、派手な爆発音が轟いてきたのは。

「なに、今の」

 私は目を瞬かせて辺りをきょろきょろと見た。
 どこも爆発したような様子もなく、行きかう人も爆音なんて聞こえませんでしたーという風に普通に振舞ってる。

 でも。

「ふざけんな」

 上から降ってきた志波の声に、ぎくっとした。
 聞いたことないくらい、冷たい声。

 見上げれば、志波は激しい怒りを湛えた目で私を睨みつけていた。
 本気で心底怒ってる。志波が。

「いい加減にしろお前」
「な、なにが」
「これ以上お前の気まぐれに付き合ってられるか」

「え……」

 志波の冷たい声に、不覚にもすくみあがる。

「振り回されるのは御免だ」

 まるで仇を見ているかのような志波の目。軽蔑、嫌悪、激怒。
 なにも言えなかった。

 志波はそれ以上何も言わず、鴨川の方へと歩いていってしまったけど。
 私は追いかけられなかった。
 志波が行ったほうとは反対方向にかけだした。

 走って、気づけば2日前にも着た八坂神社奥の円山公園。
 立ち止まり、呼吸を整える。


 あの、志波の、目。
 中学のときもクラスメイトに向けられたことのあるあの嫌悪の視線。
 昔は平気だった。受け入れてもらえないならそれでも構わなかった。ソイツらと関わらないところにいけばいいだけだったから。

 なのに今は、思い返しただけでこんなに怖い。

 前に進むどころか、どんどん弱くなってる自分に愕然とした。
 どうしよう。
 どうしたらいいのか、何もわからないっ。

 ……かっちゃん。
 いま、かっちゃんに無性に会いたいよ。

 助けて。

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