「緊急警報、緊急警報。総員、水島と藤堂の奥義発動に注意されたし」
「行くよ水島ァ!!」
「来なさいっ、竜子!!」
「「「巻き込むなぁぁ!!!」」」


 28.修学旅行3日目:激闘枕投げ 後編


 それぞれの1回戦が終わる頃には部屋はもう寝泊りできるような状態じゃなかった。
 原因の大半は水島と藤堂の奥義のせいだったりするんだけど。

「3,2,1、それまでっ!! タイムアップだっ。陣地内の枕数えろ!」
「えーと……ボクらのとこは6個あるで」
「えっへん! 先生の陣地は5個です! この勝負、もらいました!」

 若先生が乱れた髪もそのままにぐいっとVサインを出す。
 その横ですがすがしく握手してるのは藤堂と水島だ。

「負けたわ竜子。腕を上げたわね」
「試合にゃ勝ったけど勝負には負けたかもね。アンタの奥義を超えるには、アタシもまだまだ精進しないとね」

 二人の過去に何があったかは知らないけど。

「カッコいいなぁ……」
「本当だよね……」
「私、竜子ちゃんに弟子入りしてみようかな……」
「やめろあかり。絶対にやめろ」
「水樹さんも、向いてないと思いますよ?」
「お前はこれ以上ガサツになってどうする」

 憧れの眼差しで水島と藤堂を見つめているのは華奢っ子の海野と水樹。
 佐伯と若先生はほぼ同時に真剣な顔してふたりを説得した。

「つか志波のは余計なお世話だっ!」
「事実だ」
「だから余計にムカツクっ!」

 近くにあった枕を掴んで、至近距離でおもいっきり投げつけてやれば、あっさりと首を傾けるだけで避ける志波。
 っだぁぁ、余裕の笑顔が余計に腹の立つっ!

「おいこら暴れんな! さっさと2回戦始めるぞっ。えーと、まずは志波とペアと、氷上と小野田ペアだな!」
「両者前へ!」

 押入れの2段目に腰掛けて、主催者席をちゃっかりこしらえたのしんとはるひが対戦表を手に宣言する。
 氷上と小野田ペアか。楽勝だ。
 すっくと立ち上がって部屋の中央へ。

 行こうとして、志波に腕を掴まれた。

「なに」
「油断するな。アイツら二人とも生徒会伝統の奥義を持ってるはずだ」
「は? 奥義って、文系のヤツも持ってるの?」
「対枕投げ奥義に文系も理系も体育系も関係ない」
「へ、へぇ……」

 枕投げに役立つ生徒会奥義って一体なんなんだ……。
 ちらりと視線を氷上と小野田に向ければ、むこうは念入りに作戦を練っているようだった。
 そういえば1回戦も2−Bチームにあっさり勝ってたんだっけ。

「志波くん、くんっ! 日頃の遅刻取締り脱走常習の罪を、ここで償ってもらおうか!」
「そうです! 正義は勝つんです!」
「おもしれぇ。やってみろ」
「氷上と小野田に負けたら、恥ずかしくて外歩けるかっ!!」

 100%インドア優等生と100%アウトドア問題児が火花を散らす。

「そんじゃ行くで! 氷上・小野田チームVS志波・チーム! レディ、ゴーッ!!」

 はるひの掛け声とともに、4人はほぼ同時に枕をひっつかんだ!
 小野田はともかく、やっぱり氷上はモーションが遅い。先手必勝、即眠らせてやるっ!

「くらえ氷上っ!!」

 私は氷上に向けて枕を思い切りぶん投げた。
 投擲態勢に入っていた氷上の顔面に、クリーンヒット!

 ……と、思ったら!

「くっ! ……あ、甘いぞくんっ!」
「ちっ、枕でガードしたかっ!」

 素早く投げの姿勢から切り替えたとは、やるなっ氷上!
 でも、甘いのはそっちだっ!

「志波っ!」
「任せろ!」

 私の枕を防いだからって油断したのが運のつき!
 氷上が枕ガードをおろした隙をついて、志波が枕をすかさず投げ、

「奥義発動! 千代美必殺っ!」

 奥義!?

 高らかな声に振り向けば、そこには両手をメガホン状に口に当てた小野田が。

「出るか!? 小野田の奥義っ!」

 のしんとはるひが身を乗り出した時だった。

「千代美奥義っ、廊下は走っちゃだめですよー!!!」

 だめですよー
 ですよー
 よー
 …………

 小野田の声が部屋中に響き渡った。

 途端に、志波が投げる寸前だった枕をぽとりと取り落とす。

「ちょ、志波! 何してるっ!」
「だめです!」

 慌てて志波が枕を拾おうとすると、小野田がぴしゃりと言い放った。
 すると、再び拾いかけた枕を落とす志波。

「いいタイミングだ! さすが小野田くん! よし、一気にたたみかけさせてもらうぞ、志波くん、くん!」
「はぁ!? 氷上のくせに生意気言うなっ!」
「ふっ、そんな台詞も今のうちだ! 行くぞ、羽ヶ崎学園生徒会奥義!」

 いまだもたついてる志波と、その志波にハッパかけてる私に向けてびしっと指をさす氷上。
 ふたたび観衆から大きな歓声が上がった。

「やや、先生、生徒会の奥義を見るのは初めてです!」
「氷上クンなら完成度高いやろな!」

 若先生とクリスも頬を紅潮させて、前のめりになってる。

「いくぞっ、生徒総会・必殺答弁! 諸君、静かにしたまえ! 高校生にもなって恥ずかしくないのか!」
「「「うっ……」」」

 氷上の奥義が炸裂した。
 直撃を受けた志波のみならず、その場にいた全員が戦意を失ったように崩れ落ちる。

「ば、バカヤロ氷上っ! オレたちまで巻き込むなっ!」
「人の答弁中に口をはさまないでもらおうか針谷くん! そもそも修学旅行とは遊びの場ではなく修学、つまり学問を修めるための旅であり」
「「「げぇぇぇ……」」」

 布団の上につっぷす者、壁にもたれる者、耳をふさいでやり過ごそうとする者。
 枕投げ大会は、氷上の奥義炸裂で見るも無残な惨状となってしまった。

 …………。

「えい」

 ばすん!!

「ぶっ!!」

 いつまでも終わらない演説に、私はいい加減退屈になって氷上の顔面に枕を投げつけた。
 あっさりとヒット。
 氷上はその1発で気を失って、後方へばたんと倒れた。

「ああっ、氷上くん!?」

 慌ててかけよる小野田にも、その後頭部に枕を投げつける。

「痛っ! お、さん、どうして動けるんですか!?」
「そんなん知るかっ! この程度で動けなくなるヤツの方がおかしいじゃんっ!!」

 小野田がうろたえてる間に、陣地の枕を全部放り込んでやった。

「よっし! のしん、枕無くなった!」
「へ……? あ、あぁ本当だ。しょ、勝者、志波・ペアっ!!」
「しゃあ! ったく志波、使い物にならないっ」

 のしんの勝利宣言を聞いてから、私は今だ布団の上に膝をついてる志波を一瞥した。
 志波はぽかんとして私を見上げている。
 ……っていうか、志波だけじゃなくてみんな私を唖然として見てた。

「な、なに」
「なんでには氷上の奥義が効かなかったんだ……?」
「おっほん。先生、心当たりがあります」

 佐伯のつぶやきに答えるように、若先生が偉そうにもったいぶった咳払いをする。

「奥義を伝授してもらってない学生の中にも、自分で奥義を生み出してしまうつわものがいるんです。今さんに氷上くんの奥義が効かなかった理由として、さんが無意識のうちにその奥義を発動してたんだと思いますよ」
「私が? 奥義?」
「先生何度か見たことあります。『孤高の問題児奥義・小言も説教もオールスルー!』です!」
「「「あー……」」」
「全員納得すんなっ!!」

 頭きたから若先生の顔面に枕を投げつけてやった。
 あーもう、勝ったっていうのに腹のたつっ!!



 気絶した氷上を部屋の隅においやって、その後も順調に枕投げ大会は進行していった。
 佐伯・海野ペアと若先生・藤堂ペアの試合は、開始早々に海野のカメリア倶楽部奥義によって若先生が昏倒し、藤堂が一人でがんばるハメになったんだけど。
 そこはもう歴戦の勇者。戦いの場数が違うっていうの?
 格の違いを見せ付けて、最後は今回2度目の奥義発動で辛勝ながらも若先生・藤堂ペアが勝った。

 そして決勝戦だ。
 いつまでも起きない若先生を水樹が一生懸命起こしてたんだけど、それでも起きない若先生に業を煮やした藤堂が。
 若先生の顔面に正拳突き一発!
 ……かまそうとしたら、若先生ががばっと飛び起きた。

「大の大人がいつまでも女子高生にじゃれてんじゃないよ……」
「や、藤堂さん、落ち着いてください。先生、がんばりますから!」

 セクハラだ、若先生。

「志波、若先生と藤堂相手にどう戦う?」
「あっちの奥義は攻撃型だ。単純なぶん作戦もたてやすい」
「つまりなに」
「一撃必殺」
「ごり押しね」

 単純といえばそれまでだけど、わかりやすいしなにより狡くなくていい。
 私と志波は立ち上がって部屋の中央へ。

 藤堂に説教されていた若先生も、臨戦態勢に入った私と志波を見てにやりと笑った。
 学校ではあまり見ない、ずるい表情。

「志波くん、さん。悪いけど、ここから先生本気で行くよ。今だけは先生は君たちと同じ17歳だ。甘くみてると痛い目に合うよ」
「寝言は寝てから言えっ。実年齢の半分以下を名乗るなんてずーずーしいにもほどがあるっ!!」
「やや、先生そんな年上に見えますか?」
「おっさん」
さん、ひどい……」
「若王子、いきなりに言い負かされてんじゃないよ」

 最初の勢いはどこへやら、ソッコウで落ち込んだ若先生の背中をばしっと藤堂が叩く。
 こっちのほうがむしろ教師っぽいよ、マジで。

。アタシは正々堂々戦う。ハンデがあろうと、手加減なしでいくからね」
「勿論っ! 勝負だ藤堂っ!」

 ごつんと拳をぶつけあう私と藤堂。
 さぁ、今日の大一番だ!

「2−B主催修学旅行風物詩、激闘枕投げ大会もいよいよ決勝戦! 学園アイドルの唇は誰の物になるのか!?」
「対戦は志波・の後半クラス名物ビューティ&ビーストペアと、異色コンビ教師と姐御の若王子・藤堂ペア! 両者、前へ!」

 のしんとはるひの口上も相当板についてきたみたいだ。
 私たちは向かい合ってばちばちと火花を散らす。

「若ちゃーん! 2−B代表としてがんばってくれーっ!」
「タッちゃーん、密ちゃんと一緒に応援しとるでーっ!」
「志波ぁ! 漢気見せてくれぇ!」
ーっ、若王子先生をコテンパンにのしてやれーっ!」

 見守る観衆も大興奮だ。

「それじゃあ行くぞ! 激闘枕投げ決勝戦、レディー……ゴーッ!!」

 おおおおお!!

 のしんの掛け声とともに、地響きのような歓声が巻き起こる。

「いくぞ!」
「言われなくてもっ!」

 志波は若先生に、私は藤堂目掛けて枕を投げつける!
 しかし相手も決勝まで来ただけある。

「甘い! 先生の弾道計算式に狂いはないですよ!」

 いつもの間抜けな行動からは想像できないほど機敏な動きで、若先生は寸分違わず志波の投げた枕を撃墜した。

「ずるい若先生! 演算能力使うなんて、大人気ないっ!」
「やや、さん、それはシーです、よっ!」

 にこにこと本当に楽しそうな笑顔で若先生が枕を投げてきた。
 するっと身をよじってかわす。
 でも、

「こっちの警戒が甘いよ、!」

 私の最初の1投をあっさりうけとめた藤堂が、態勢崩した私にむかって枕を投げてきた。
 うわ、よけれないっ!

「う、あっ」

 あせって余計に態勢を崩してその場にしりもちをつく。
 その私にかかる、大きな影。

「……志波!」

 志波が、前に立ちはだかって枕を受けてくれた。
 急いで近くの枕を掴んで立ち上がる。

「守りは気にするな。お前は攻めろ!」
「う、うん。了解っ!」

 一瞬だけ私を見て、志波はすぐに枕を投げた。
 よしっ、私もっ。

 志波の投げた枕をすかさず若先生が打ち落とす。
 でも同じ軌道でそのまま私が連投!

「ぶっ!」
「っしゃあ! 若先生1ダウンっ!」
「なんの、まだまだです!」

 さすがに2連投の枕を打ち落とすにはスピードが足りない。
 でも若先生は昏倒することなく、すぐに枕を投げ返してきた。

「女の子でも手加減しませんよ! さん、覚悟!」
「こっちの台詞! くたばれ若先生っ!!」

 こうなると持久戦だ。
 4人とも力任せの『真・枕投げ』を展開して一進一退の攻防が続く。

「残り時間1分!」

 はるひの声が響いた。

「っらぁ!」
「うわっ!」

 ぼすっ!

 4人の中でずば抜けてじじいの若先生は、さすがに体力の限界が近づいてきたのか。
 志波が投げた渾身の一撃を打ち落とすのが遅れて、若先生は顔面に枕を受けてぐらりと倒れかけた!

「ナイス志波!」

 そのまま眠らせてやれ、と枕を投げようとした私。
 ところがそこへ。

「先生っ、がんばって!!」

 両手をぎゅっと握り締めて、固唾を呑んで試合を見守っていた水樹がそんなこと言うものだから。

 若先生、一瞬で完全復帰!
 っていうか、むしろ完全回復!?

「水樹さん、先生がんばります! 絶対に負けません!」
「だぁぁ水樹っ! 余計な口はさむなーっ!」
「ご、ごめんさん……」

 若先生の回復っぷりに水樹も驚いてた。うう、せっかくのチャンスをっ。

、余所見してんじゃないよっ!」

 そこに藤堂の一撃がくる。
 急いで身を翻して迎撃姿勢をとれば、それより早く志波がまた楯になってくれた。

 志波って、ちょっと意外だけど案外ナイトかも。

 なんてことを、一瞬でも試合中に考えたのが悪かった。

「隙アリです!」

 いつのまにか藤堂とは反対側にまわりこんだ若先生が枕を大きく振りかぶって、私めがけて投げつけた!
 志波は間に合わない。かわす……ヒマもない!

 ガードしなきゃ!
 私は左腕を構えて防御姿勢をとって。

 でも、所詮は私のガンである左腕。
 ちゃんとガードすることが出来なくて。
 枕が当たった衝撃を相殺できず、私は自分の顔の前に構えてた左腕で、自分の顔を強打した。

「うあっ!」

 い、ったぁぁ!
 ううう、なんて間抜けなんだ自分……カッコ悪いっ!!

!?」

 数歩よろけて左手で顔の左半分を抑えてた私に、志波が驚いた声を出して駆け寄ってきた。

「どうしたっ、目に入ったのか!?」
「うあ、ちょ、志波」

 志波はものすごい力で私の左腕を掴んで引っ張って。
 拳が左目のまぶたに直撃したものだから、痛みを耐えてたってのに。
 ついでに枕の綿ぼこりも入ったのか異様に目がしみる。
 左目から涙がこぼれでた。早くゴミ出てくれなきゃ痛くて目もあけられない。

 ううう若先生……あとで八つ当たりしてやるっ!!

、大丈夫か!?」
「ややっ、ごめんさん。怪我はしてない?」

 藤堂と若先生の声が聞こえてそっちを向けば、二人とも気まずい顔してこっちを見てた。
 へーきへーき、と右手を振ってやる。

 っていうか、それよりも異様に顔が近い志波のほうが気になるって。

「目ぇ開けられるか」
「へ、平気。ゴミ入っただけ。ぶつかったの、まぶただから」

 志波の指が私の左頬に触れてる。

 熱い。

「し、ば。近い」

 なんだか落ち着かなくて顔をそむけた。
 すると志波はすっと身を離して私に背を向けた。

 その途端、なぜか不安がこみあげてきた。
 ……なんでかわからない。
 でも、志波が離れた途端に、急に。

 と。

 いきなり部屋の空気が凍りついた。

「……なに?」

 若先生も藤堂も。のしんもはるひも。
 見学してる海野も佐伯も水樹もみんな、ひきつった顔して……志波を、見てる?

「志波勝己必殺の技……」

 ぽつりと志波が低い声でつぶやいたときだった。
 いままで見たこともないようなどす黒いオーラが志波から立ち上った!

 ひぃっと全員が恐怖にひきつる。

「若王子、あと任せた!」
「ややっ!? と、藤堂さん、ズルイですっ!!」
「き、き、緊急警報ー!! 志波の奥義発動に総員注意、いや、避難しろ避難ーっ!!」

 うわぁぁぁ!!

 のしんの叫び声に、部屋中一気に大パニック!
 布団をかぶる者、押入れに飛び込む者、一斉に入り乱れて避難場所を求めて。

 そこに、志波の必殺奥義が炸裂した。

「受けてみろ!! 千本打撃っ!!!」
「「「「「ぎゃああああああっ!!!」」」」」

 ……えーと。
 細かな描写は割愛させてイタダキマス。

 私が感じた不安って、これだったのか。

 いや、それにしてもすごい。
 志波の背後にいる私にはなんの害もなかったけど、これはすごい。
 つか志波、こんな奥義持ってるなら最初っから出しとけっていうんだっ。

 ようやく左目のゴミも取れて、阿鼻叫喚図をのんきに見ていた私。

 その時だった。



 ダンダンダン!!!



 志波の奥義が荒れ狂う音よりも強く、部屋のドアが叩かれた。
 全員、勿論志波も一瞬で静まり返る。

『何をしとるんだ!! 一体、何時だと思ってる!!』

 きょ……

 教頭だ!! ヤッバ!!

『おや? 先生、どうなさったんですか?』
『どうなさったじゃない! ここは若王子くんのクラスだな!? 下の階から苦情が来とる!』
『本当にこの部屋ですか? 今は静かなようですが……』

 ちょい悪親父、グッジョブ!!

 全員がちょい悪の助け舟に親指を突き出した。

「女子と他のクラスのヤツ、全員隠れろ! 入ってくるぞ!」

 すかさず冷静さを取り戻した佐伯の号令で、私たちは一斉に隠れだした!

 のしんとはるひは素早く布団にもぐり、藤堂はクローゼットの中へ。
 号令をかけた佐伯は海野をすぐ近くの布団に押し込んで、自分は部屋の前にスタンバイ。

「水樹さん、早く!」
「せ、先生っ!?」

 そしてちゃっかり若先生は水樹の腕を掴んで一緒に押入れの中へ。

 ……って観察してる場合じゃない。私も隠れないと!
 でもあらかた布団は埋まってるし、押入れもクローゼットももう先客がいる。
 どどどどどうしよう!?

! こっちだ!」

 そのときだ。
 窓枠に足をかけた志波が私を呼んだ。……って。

「窓の外って、ベランダついてないじゃんこの旅館!」
「いいから早く来い!」

 飛び降りる気かコイツっ!?
 いくら私でも、3階からは飛び降りたことな、って!

 志波が飛び降りた! マジすげぇ!!

「志波!?」

 慌てて駆け寄って、窓の下を見ると。

「早く来い!」

 志波は案外近くにいた。

 ……あ、ここって正面玄関の真上の部屋なんだ。
 じゃあ志波が立ってるとこって、正面玄関フードの上?
 高さでいうなら2階のフロアより少し高いくらい。よじのぼることだってできそうだ。

 私はひらりと飛び降りた。
 そして志波と並んで壁にぴったりくっついて口を閉ざす。

『2−B! 開けなさい!』
「は、はい。教頭先生、なんですか?」

 優等生モードの佐伯の声。上から降ってくる声に、私は思いがけずどきどきしてきた。
 なんかこういうのひさしぶり! 昔はかっちゃんや元春にいちゃんと一緒にいたずらして遊んだっけ。

「……む」
「どうしたんですか? 教頭先生」
「い、いや……きちんと寝ていたのかね?」
「あ……実は、寝れないヤツで集まって、少し話しをしてました。そんな、うるさくしてるつもりはなかったんですけど、うるさかったですか?」
「話だけかね」
「はい。スイマセン」

 クッ。
 志波の体が揺れた。
 はは、つられて私も笑いがこみ上げてくる。

「う、うむ。修学旅行はまだ2日あるのだから、早めに寝るように」
「わかりました。おやすみなさい」

 さすが佐伯! まるめこむのがうまい!

「ははっ」

 ぱたんとドアが閉まる音がして、私は耐え切れずに声を出してしまった。
 志波も肩を震わせて笑ってた。

「……みんな、いいぞ!」
「っだー、さすが佐伯! うまいことごまかしてくれるなー!」

 はぁぁ、と部屋からもれ聞こえる安堵のため息。
 ごそごそという物音は、みんなが布団や押入れから這い出ている音だろう。

 さて、私も戻ろう。
 膝に手を置いて立ち上がろうとして。

 志波に右腕を掴まれた。

「なに」
「もう少し」
「は?」

 右方向へ前傾姿勢のまま志波を見下ろせば。
 志波はいつか見た、あの優しい目をして私を見上げていた。

「……まだ足りない」

 なにが。

 ……って、聞けなかった。
 なんとなく、聞いていい雰囲気じゃないって、そんな気がしたから。

 私は自分自身でも驚くくらい素直に、ちょこんと志波の隣に座りなおした。

 ……なんだこれ。なんか変だ、今の状況。

「おっ! 針谷が西本押し倒してるぞー!」
「なっ!? ち、違ェよ! コイツ、トロトロしてっから、オレが隠してやっただけだ!」
「せ、せや! アンタ、変な想像すなや!」

「はー、僕、めっちゃどきどきしたわー」
「クリス、カーテンに隠れてたのか!? よく見つからなかったな……」
「そりゃそうや〜。僕が見つかったら、密ちゃんも怒られてまうもん♪」
「うふふ、ありがとう、クリスくん」
「あああ!? クリスてめェっ! 枕投げに飽き足らず、水島さんとひとつカーテンにくるまってやがったのかっ!?」
「袋だっ! 袋にしろっ!」
「ひゃあ! 暴力反対や〜!」

「……どうして僕の上にこんなに枕と布団が乗っているんだ!? くっ、身動きがとれないっ! ……はっ、小野田くん!!」
「〜〜〜〜〜〜〜」
「み、みんな、力を貸してくれ! 小野田くんが窒息してしまう!」
「うわ、ちょっと布団かけすぎたか??」

「ったく、これから部屋戻る身にもなれって言うんだ……」
「あ、藤堂さん。お疲れ様!」
「先生のくせに若王子も隠れたのかい。……そういや、水樹は?」
「あれ、志波くんもさんもいないね?」
「やー、先生はここです」
「うおっ、若ちゃん押入れにいたのか」
「はい。水樹さんも一緒ですよ」
「…………」
「セイちゃん、真っ赤っ赤」
「うおお、お前らっ、クリスよりも先に若ちゃんを袋だーっ!!!」
「ややっ!? せ、先生何も悪いことしてないです!」

 真上から聞こえてくる喧騒。
 そのどれもが右から左へとスルーしていく。

 眼下に広がる旅館の前庭と、建物が低くて案外綺麗に見渡せる星空。
 それからあいかわらず無言の志波。
 でもその表情はいつもの険しいものじゃなくて、穏やかなカンジで。

 非常階段で居眠りしてたときは肌寒かったのに、今は無性に暑かった。

「志波」

 沈黙が耐えられないなんて、今までなかったのに。
 私は落ち着かなくて口を開いた。

「なんだ」

 志波がこっちを向く。
 ええと、何の話をしよう。

 いつも、志波とはなんの話してたっけ。
 いや、いつもは志波と話なんかしないんだった。
 朝森林公園で志波は走って私は踊って、休憩してる場所が同じ噴水前ってだけで、しゃべってるのはいつも水樹だ。
 昼は図書室で向かい合ってるけど、お互いにお互いの邪魔をしないで寝てるだけだし。

 と。

 唐突に志波の手が伸びてきた。
 驚いて身を引くけど、志波は遠慮なく私の左頬に触れた。

「ゴミはとれたのか」
「え、あ、うん。とれた、けど」
「……赤いな」
「なっ」
「目が」
「…………っ」

 私の目をのぞきこんでくる志波の目は、深い。
 すいこまれそうなくらいに深くて綺麗だ。
 そらしたいのに、そらせない。

 変だ。志波も、私も。

 頭上の喧騒は相変わらずで、おかしな志波と私も相変わらずで、街も星空も。

 そこへ。

「くぉらぁっ!! やっっっぱりこの部屋かっっ!!!」
「げ、きょ、教頭先生!?」

 バァン! と乱暴に扉を開ける音がしたと同時に、教頭の怒声が響いた。
 あちゃ、結局見つかってんの。

「わぁかぁおおじせぇぇんせぇぇぇっ!!! 指導監督する教師がっ、生徒と一緒になって騒ぐとは何事かっっ!!」
「や、あの、教頭先生」

「全員廊下に正座、2時間!!!」
「「「「「「ひぃえええええええ!!!」」」」」」

 教頭の宣言のあと、全員の悲鳴が轟いた。

 若ちゃんが悪い、そーだ若王子先生が全部悪い、ややみなさん責任転嫁はよくないです、先生が悪いんですっ、水樹さんまでひどいです……

 ぶつぶつと文句を言ってる声が小さくなっていく。
 みんな廊下に出て行ってるんだろう。

「……行かなくていいのかな」
「正座したいのか?」
「ヤダ」
「だったらこのままでいい」

 やがてパタンとドアが閉まる音。
 喧騒が止んで、静寂が訪れる。

 時間が動いてる。
 喧騒がやんで静寂へ。
 星空もやがては朝焼けへ。
 志波だって。野球を軸に動いてる。

 また、今この瞬間でさえ止まってるのは私だけか。

 私は膝を抱え込んだ。

「どうした」
「……なにが?」

 抱え込んだ膝に顎をのせて小さく背中を丸める。
 どっからどうみてもいじけスタイルだ。
 志波は黙って私を見てる。

「別に。ちょっと肌寒いって思っただけ」

 大嘘だけど。
 だけど志波に弱さをみせたくなくてそう言った。

 しかししかし。

「だったらもっとこっちに来い」
「…………は?」
「あと2時間このままだぞ。寒いならもっと寄れ。……風邪引くぞ」

 目を瞬かせて志波を見た。
 なに言ってんだコイツは。
 こっち来いって、寄れって、それってつまり。

 ぽかんと志波を見てたら。

 ぐいっと。

 肩を引き寄せられた。
 ぽす、と志波の体に寄りかかるような状態になる。

「し」

 ば。

 抗議しようと思ったわけじゃない。
 ただ驚いたから志波を見上げたら、志波は私を見てなくて反対方向を向いてしまっていて。
 志波が触れてる部分が、志波に触れてる部分が熱かった。



 ばさりと何かが落ちてくる。

「……ん……?」

 寝ぼけ眼をこすって体を起こす。あれ、いつのまに寝てたんだ私。
 目の前に落とされたのは一枚の毛布。
 ……なんだこれ。

「志波?」

 隣を見れば、どうやら志波も舟をこいでいたらしい。
 眠そうな目で目の前に突然落ちてきた毛布をぼーっと見てる。

 そして二人同時に上を見た。

 そ こ に は 。

「人が2時間正座してる間によ……」
「志波とは教頭の目も届かないところでらぶらぶしてたってかぁ?」
「やや、さんも志波くんも隅におけませんねぇ」

 どうやら寝てる間に2時間立ってしまったらしい。
 窓際に集まって、こっちをにやにやといーい笑顔で見下ろしてる佐伯やのしんや若先生や2−B一同。

 がばっと志波が立ち上がる。

「あれ、いーんだぜ志波。朝までそこにといたって。布団貸してやるからさ」
「ふざけるなっ!」
「ふざけてんのはどっちだぁ? 罰則も受けずに女子といちゃこいてたなんて、志波くん羨ましー♪」
「だよなー! しかもあの! クールビューティと!」
「……っ」

 歯をぎりぎりと噛み締めて2−B一同を睨みつけてる志波。
 なんというか、ホントに対応に柔軟性がないというか。
 私に言われちゃおしまいだ、志波。

 ふぁぁと私は大きく欠伸をする。

「どいてどいて。そっち上がるから」
「やや、さんいいんですか?」
「いーもなにも、こんなとこで寝てたら風邪引くって言ったの若先生じゃん……部屋戻って寝る」

 窓際から2−B男子を追っ払って、私は掛け声と共に部屋の中へ。
 室内は枕投げの惨状そのままだ。

「教頭は?」
「もう部屋戻ってると思うけど……ってほんとクールだな……」
「いいのか? 愛しのダーリン待たないで」
「うん」

「だっ」

 間抜けな声に振り返れば、志波が窓枠によじ登ってかけていた足を踏み外したとこだった。
 何やってんだろ、たかがそんな高低差。

 と思ったら、様子がおかしいことに気がついた。
 佐伯ものしんも、若先生までもが唖然とした表情で私と志波を交互に見てる。

 ……ん?

「……愛しのダーリン」
「? うん」
「志波とって付き合ってんのかよ!?」
「付き合ってないよ」

 のしんがなぜか顔を赤くして、勢い込んで聞いてきた。
 なんだなんだ?
 私は眉を顰めながらも否定する。

 すると、今度はうまく室内に戻ることが出来た志波までもが、目を見開いて私を見てきた。

「えーとつまり」

 ぽんと若先生が手を打った。

さんは志波くんのことが好き。でもまだ付き合ってるわけじゃない。ピンポンですか?」
「うん」
「「「「「……………………」」」」」

 ぱかんと。
 顎が外れたように口を開けて、全員が私を見た。

 ……なんか変なこと言った?

って……」
「なに」
「……キングオブクールだ……!!」

 わけわかんない。
 私は木偶と化した連中をほっぽって廊下に出た。

 ぱたんとドアを閉めた瞬間、言葉にならない悲鳴か歓声か、なんか奇声がひびいた。
 学習能力のない奴ら。また教頭にどやされても知らないぞ。

 私は静まり返った廊下を、自分の部屋まで急ぐ。
 そっとドアを開けて、寝静まってるルームメイトを起こさないように端の布団まで歩いていって、素早く布団にもぐりこんだ。

 ふー。

 目を閉じて息を吐いて。
 まだ少し熱を持ってる左頬に触れてみた。

 てっきり私は元春にいちゃんが好きなんだと思い込んでたんだけど。
 ……違った。
 そーか、人を好きになるって、こういう感覚に陥るのか……。
 相手が志波ってところがまた自分自身で驚いてるけど。

 志波に触れられたところは例外なく熱を持つ。
 そこからどんどん侵食されるような、不思議な熱だ。
 心地いいけど落ち着かない。

 布団の中から左手を取り出して見つめる。
 動かさなきゃいけない。
 志波と対等な存在になりたい。

 きっとこの気持ちが、恋なんだろうなって思う。

 ……違うかもしんないけど。

 私はごろんと横向きになる。
 もういい。今日はもう疲れた。寝てしまおう。

 私は考えることをやめて、目を閉じた。



 ……翌日。
 私と志波は、朝食後教頭に呼び出され、2時間罰則ブッチしたことをぎゃんぎゃんと説教され、自由行動前に2時間の正座罰則をさせられた。
 あうう、うまくスルーできたと思ってたのにっ!!


くんっ!! さんが志波くんと付き合ってるって本当!?」
「いや……どうなんだろうな……本人に聞けば?」
「もう、姉弟して同じこと言ってる。行こ行こ!」
「…………いや、勝己もも、お前らありえねーだろ…………」

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