夏休みが明けてすぐ。
 今日のHRは再来週にせまった修学旅行の打ち合わせだ。


 24.2年目:若王子誕生日


 ちょい悪親父がHR始まって早々に「んじゃあ団体行動で回るところと自由行動でまわるところ適当に調べとけー」と授業放棄したものだから、現在のクラスは仲のいいもの同士が集まって賑やかに打ち合わせをしていた。
 みんな持ち寄った旅行ガイドを広げて、ここに行きたいあそこに行きたいときゃいきゃい楽しそうにしてる。

 でもまぁ、これはありがたい。
 誰かと一緒に行動する予定もない私はこれ幸いと、1学期から一度も席替えされることなく居座ってる一番後の席で惰眠をむさぼってた。
 あーラクな授業だー。

 と思ってたのに。

「コラ姉。誰が寝ていいって言った?」
「もー、いいじゃん別に私決めることないしさ。暇なんだから寝てたって」

 ぽこんと、まるめた旅行のしおりで頭を叩かれた。
 机に伏したまま顔だけあげれば、腕を組んでにやにやと仁王立ちしてるちょい悪親父。

「なんだ姉、友達いないのかぁ?」
「うんいない」
「さくっと肯定するな。今寝たら先生と二人っきりで禅寺巡りの刑に連れてくぞ」
「冗談じゃないっ!」
「はっはっはー」

 豪快に笑いながら、ちょい悪親父は私の隣の席に腰掛けた。
 ちなみにその席は志波の席。今はシンのところで野球部中心に4、5人かたまって打ち合わせの最中みたいだ。

も越後屋と違った意味で馴染んでないみたいだな」
「は? 越後屋?」
「そういえば今日の昼休み、若王子先生の誕生日だってんでみんなでお祝いの歌を歌ったんだってな? 6時間目前に教員室で会った若王子先生が手当たり次第に自慢してたぞ」
「……若先生ガキ臭いにもほどがある……」

 私は井戸端会議体勢に入ったちょい悪親父のほうを向いて、頬杖をついた。

 今日の昼休み、例のごとくプレゼント受け取り拒否してる若先生にどうしてもプレゼントを! ってことで。
 水樹と海野が企画したのが『誕生歌をプレゼント』というものだった。

「幼稚園児じゃあるまいし」

 朝一に企画のお誘いに来た水樹と海野に、私はさっくりと断りの返事をした。

「そんなぁ。さんがいるといないとじゃ全然違うよ〜。ね、一緒にお願い!」
「ヤダ」

 噂の「上目使いのデイジー」なるものも見せてもらったけど(確かに可愛かった)、そんなくだらないことに貴重な昼寝時間奪われてたまるかと。
 頑なに断り続けてたところに、野球部の朝練を終えた志波がやってきた。

「あ、志波くんもどう? 若王子先生の誕生日を祝おう企画。今年は色紙も受け取ってくれなさそうなんだけど」
「……何かするのか」

 眠そうな目をして、というかすでに寝る態勢に入っている志波に、水樹と海野は楽しそうに企画発表。

「……」

 志波は目を点にして、ちらりと私を見た。
 お前、やるのか、と。
 んなわけないない、と頭を振って返事をする。

 ところが志波は。

「……やる」
「「本当に!?」」

 水樹と私の声がかぶった。
 けど、そのニュアンスは正反対。

「志波が!? 若先生に誕生日おめでとーって歌うたうの!? 海野っ、私も参加する! それ見たい!」
「お、さん、参加趣旨が違ってる……」
「だって志波が歌うんだよ!? ハッピバースデートゥーユーって! っは、笑いすぎてお腹痛い……!」
「言ってろ。……先生にはフォーム改善とか、いろいろ世話になってるからな……」
「え、えーと、じゃあ志波くんとさんが参加ってことで……」

 水樹と海野が教室に戻った後も、しばらく私の笑いの発作はおさまらなくて。
 机をばしばし叩きながらこらえていたら、さすがに不機嫌になった志波に手加減無用のチョップをくらった。
 それからちょい悪親父が来るまで大喧嘩。
 普段からピリピリオーラを出してる私と志波のケンカなもんだから、クラスメイトたちは素でドン引きしてた。

「おいおいビューティ&ビースト。痴話喧嘩なら外行け外ー」
「「コンビにするなっ!!!」」

 ……まぁ、ちょい悪親父得意の舌先でうまく治めてもらったけど。

 えーと話がそれた。

 んで、昼休みに私と志波、発案者の水樹と海野とはるひ、それからのしんとクリスが集まって、化学準備室にて若先生に歌をうたってやったんだけど。

「みなさん……ありがとう。先生、とても嬉しいです。あ、感動のあまり涙が……」
「いややー! 若ちゃん、感動しすぎやで!」

 若先生、マジ泣きしてんの。どんだけ普段幸薄い生活してるんだか。

「ところで姉、担任の先生の誕生日には何をしてくれるんだ?」
「は? 何言ってんの。夏休み中さんざん人こき使っておいて」
「まぁそう言うな。集団生活も割りと楽しかっただろう?」
「そりゃまぁ……多少は」

 椅子の背もたれに腕を回して足を組んで、本当に教師かってくらいに態度悪く座ってるちょい悪親父。

「いいか、姉。自分の興味の範囲内で生きててもつまらないぞ? いつもと違う世界を経験してみれば、意外と近道は見つかるかもしれないぞ」
「……は?」

 私は頬杖ついてた顔を上げた。
 いきなり、なんの話?
 目を瞬かせてちょい悪親父を見れば、さっきまでのにやにや笑いから妙に人生達観してますってカンジの穏やかな笑顔に変わってて。

 ぱちくりしてる私の目をのぞきこんでいたかと思えば、にっと満足そうに笑って。
 キーンコーンと鳴り出すチャイム。

「よーし、今日はここまでー。席戻れー。さっさと終わらせるぞ」

 ぱんぱんと手を叩いて立ち上がり、ちょい悪親父は教壇の方へ戻っていった。
 なんなんだ一体。

 ぽかんとしてそれを見送っていたら志波が自分の席に戻ってきた。

「……何の話してたんだ?」
「見てたの?」

 机と机のせまい間隔を縫うようにして自分の席につく志波。
 手にした旅行ガイドは『京都うまいもの三昧・今注目はこのお店!』のページ。
 はは、志波らしい。

「別になにも。越後屋がどーしたとか」
「は?」
「だからよくわかんなかったんだって」

 いつものらくらふざけた教師だけど、若先生とは違った意味でときどき意味不明なこと言うんだよなぁ、ちょい悪って。
 私はさくさく教材を鞄に詰め込みながら、さっきのちょい悪の言葉をもう一度思い返していた。

 自分の興味の範囲内で生きててもつまんない、か。



 放課後。
 修学旅行中の予定が何もない私にだって、それなりに準備するものはある。
 新しい着替えだとか、i−podに新しく入れてくCDを借りたりとか。
 まだ2週間もあるけど、思いついた時にやっとかないとずるずるしてしまうから、私は学校帰りに商店街まで足を伸ばしていた。

「えーと下着買った、CD借りた、鞄……は持ってる、と……。こんなもんかなぁ」

 指折り数えながら不足品を確かめる。
 とはいえ、片手で持って帰るんだからこれ以上は無理そうだ。
 いいや、足りなかったらまた今度買いにこよう。

 さっさと決断して、私はバスで自宅最寄り駅まで戻ってきた。
 レンタルショップであれこれ検索してたら大分時間を食ってしまったらしく、あたりは夕焼けから宵闇へと移りつつある。
 うあ、今日は親父が帰ってきてるんだ。急がないと鉄拳が降って来る。

 私は早足で住宅街を通り抜ける。
 
 と。

「……ん?」

 自宅からちょっと離れたところにある、どちらかというとはね学に近い小さな公園。
 そこの前を通り過ぎて……私はゆっくりと後退した。

「やっぱり若先生だ。なにしてんの、こんなとこで」
「やや? さんですか?」

 住宅街の中にぽつんとある、ほんとに小さな公園。
 そこの奥まったところにある、公園内を照らす街灯の光が届かないベンチに若先生が座ってた。
 学校帰りと思われるスーツ姿。

「そんな暗いとこで。怪しいよ、若先生」
「怪しくないです。先生、豪華ディナーの最中なんです」
「は?」

 鞄と買い物袋をかついで近づいてみれば、若先生は確かに食事の最中だった。
 膝の上には半透明のタッパー。ただよってくる香ばしい匂いはカレーの匂い。

「なんでこんなとこでカレーピラフ食べてんの……?」
「この器を今日中に水樹さんに返さないといけませんから」
「水樹? これ、水樹が作ったの?」
「はい。先生の可愛い水樹さんが、先生のために作ってくれました」
「……いつの間に」

 にこにこしまりのない笑顔を浮かべながら、若先生はスプーンでぱくりと一口。
 私は呆気にとられながらも、若先生の隣に座った。

「おいしいです。マジイケてます。さんも食べてみますか?」
「いやいいよ……。つか、なに? 若先生と水樹って付き合ってんの??」
「まさか。先生と水樹さんは教師と生徒です。それ以外のなにものでもありません」

 急にきりっとした顔になって、きっぱりと言い切った若先生。

 でも結局すぐに眉尻を下げて。

「やっぱり説得力ないですか?」
「全然ない。あるわけない」
「そんなにきっぱり否定しなくても……」

 ぶちぶちと口の中で文句を言いながら、若先生はスプーンでピラフをかき混ぜる。
 後半クラスに入ってから接する機会が少なくなった若先生だけど、あいかわらずみたいだ。
 こーいううっとうしいところは。あーもう。

さん」
「なに。私ヒマじゃないんだから、無駄なおしゃべりには付き合えないよ」
さん冷たい……。やや、少しだけ先生の質問に答えてくれればいいんです」
「いいけど……。なに?」
「水樹さんは元気に楽しく生活してるんでしょうか?」

「は?」

 立ち上がろうと軽く腰を浮かせたところで思わず硬直した。
 若先生を見れば、どこか遠い目をしてカレーピラフに視線を落としてる。

「若先生って……」
「うん。僕は水樹さんのことが好きなんです」
「……」

 唖然。

 いや、前から若先生は水樹のことお気に入りなんだろーなーとは思ってたけどさ。
 まさかマジ恋愛してるとは思ってもみなかった。
 うわ……志波も気の毒に。水樹をめぐって若先生が相手って、結構厳しいんじゃん?

「み、水樹の方はどうなの……?」
「さぁ、どうでしょう。わざわざ誕生日プレゼントを学校まで届けてくれたくらいだから、嫌われてはいないだろうけど」
「あ、これ誕生日プレゼントだったんだ」
「はい」

 にっこり笑う若先生だけど。
 なんかちょっと、憂いを帯びた微笑だった。

 私は硬直してた体をほぐして、もう一度若先生の隣に腰掛けた。

「……でもなんでそんなこと私に」
「どうしてでしょう。先生にもわからないです」
「はぁ」
「もしかしたら、ただ話を聞いて欲しかっただけなのかもしれない」
「だったらもっと適任なヤツがいるんじゃないの?」
「やや、さんと先生は秘密共有者ですよ?」

 いたずらっぽい表情で私をのぞきこんできた若先生。

 秘密共有者?
 ……ああ、去年の文化祭の時の。

「お互いの特殊能力のこと?」
「それもあります。でも先生がさんに心許したのは境遇の近さのせいかもしれないです」
「境遇の近さ……」
「僕はこのまま水樹さんの側で彼女の成長を見守っていきたい。でも、僕はまだ自分の居場所を見つけられていないから」

 そういえば、そんなこと言ってたっけ。
 若先生はここが自分のいる場所じゃないってよく思うって。
 そっか。そういうことなら私もそうだ。
 違いは、さすらう若先生に対して、私がとどまっていることだろう。

 さすらっていても、とどまっていても、流れない時間。

「若先生はこれからどうするの?」
「特になにも。いつもどおり学校の先生をするだけです。ただ」
「……ただ?」
「水樹さんと接していると、僕の中のなにかが融解していく気がするから」
「そうなんだ」

 志波に続いて若先生も、なんだかんだって少しずつ動き出してるんだ。

 ……焦るなぁ……。私だけ、取り残されてるんだ。

さん」

 俯いてしまった私に、若先生が優しい声をかけてきた。

「そろそろ帰ろう。もうすっかり暗くなっちゃいました。家まで送ります」
「いいよ別に。これから水樹のとこ行くんでしょ」
「水樹さんは多分まだバイト中です。ささ、遠慮なさらず」

 手早くタッパーを包んで小さな紙袋に入れて。
 若先生は立ち上がって私に手を差し出してきた。

 いいのかな。この手、水樹専用じゃないの?

 思いながらも。少し気弱になってた私はその手を掴んで立ち上がった。

 公園を出て、並んで歩き出す。

さん、今日はありがとう。先生立場が逆転しちゃいました」
「うん。いいよ別に」
「……さんの時間を動かしてくれる人は誰なんでしょうね」

 繋いだ手を大きく振りながら、若先生はおどけた口調で言った。

「動かしてもらうの? 自分で動かすんじゃなくて?」
「最後は自分で動かさないと駄目ですけど、きっかけを与えてくれるのはきっと、自分以外の誰かです」
「若先生の場合はそれが水樹だったんだ」
「はい。さんの場合は……志波くんや佐伯くんなんてどうですか?」
「は?」

 なんで志波と佐伯?

 と、一瞬思ったんだけど。
 すぐにわかった。
 屋上で昼寝してるときによく聞こえてくる女子の嫉妬まじりのくだらない噂。
 そんなおおっぴらに流れてるわけじゃなさそうだけど、志波と佐伯って、今水樹と噂になってるんだっけ。

「ライバル厄介払いしてるだけじゃん、若先生っ!!」
「ややっ、さんも噂を知ってましたか」
「あーもう! この腹黒ロリコン教師がっ!!」
「腹黒はわかりますけど、ロリコンはあんまりです……」

 腹黒は認めるんだ……若先生……。

 その後は私もいつもの調子を取り戻して、ガンガンに若先生を言い負かしてやった。
 自宅前に着く頃には、若先生はがっくりと肩を落として意気消沈。
 あーすっきりした!

さん……先生もう少し優しくして欲しいです……」
「優しくしてほしかったら、そうされるような態度取ればいいじゃん! ほらもうシャキっとする!」

 ばしっと背中を叩いて気合を入れてやれば、「い、痛いです」と背中をさする若先生。
 ったく若いんだかジジイなんだか。

「えーと、でもうちまで送ってくれたからとりあえず、ありがとう?」
「疑問系なのが疑問ですけど、いえいえどういたしまして。それじゃあさん、また明日」

 最後はにこっと笑って手を振って去っていった若先生。

 さて、晩御飯の支度でもするか。
 私は左腕で荷物を抱えて、右手でドアを開けた。

 と、そこには。

「……何してんの?」

 玄関に座り込んで雑誌を広げてる、シンと志波と野球部2名。全員同じクラスの男子だから面識はある。
 4人は一様にぽかんとした表情で私を見上げていた。
 広げた雑誌は、どうやら京都の旅行ガイドみたいだ。

「お前、若王子先生と一緒に帰ってきたのか……?」
「うん」

 ドアを閉めてせまい玄関ポーチをすり抜けるようにして廊下にあがる。
 私に声をかけた志波は、なにやら苦虫噛み潰したような表情をしてたけど、やがて雑誌に視線を落とした。
 他の3人はいまだに私を見上げてるけど。

「なに。何か用?」
「別に……」

 シンが口を濁せば、その他2名も何か言いたげな表情をしてるものの、顔を見合わせてしまう。
 なんなんだってば、だから。

 でもいちいち突っ込むのもめんどくさい。
 私は連中をほっぽって、さっさと自分の部屋へと上がっていった。

 それにしても若先生が水樹にねぇ。
 水樹自身はどうなんだろうな。噂が立つってくらいだから、佐伯や志波のほうが確立高いのかな?
 さて、私は若先生と志波のどっちの肩を持てばいいんだか。

 他人の心配するなんて、私も随分丸くなったもんだ。

 ま、とりあえずは今日の晩御飯の支度だ。
 私は買って来た荷物を手早く整理して、制服を着替えてからふたたび下に下りていった。

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