「、お前来週の予定空いてるよな? 1週間だけ野球部のマネージャーやらねぇ?」
「は?」
23.野球部合宿
真夏のうだるような暑さの中。
はね学野球部の合宿所の外では、野球部員たちが元気よく練習に励んでいた。
で。
その横の合宿内で、私はひたすら玉ねぎを切り刻んでいた。
本日の晩御飯の親子丼の下ごしらえなんだけど。人数が人数なだけに、切っても切っても終わらない。
玉ねぎのあとは肉切って下味つけて……その肉だって膨大な量だ。
なんで私がこんな目に。
イライラまかせに包丁をダダダとまな板にたたきつけるようにして玉ねぎをスライスする。
伊達に大飯食らい2人をまかなってるんじゃない。
……そもそもはシンの一言から始まったんだった。
「……なんで私が野球部のマネージャー?」
「来週から野球部の合宿あんのは知ってるだろ? 今年うちマネージャー一人しかいないから大変なんだよ」
「そんなの1年にやらせばいいじゃん。夏の大会予選落ちしてしばらく試合ないんだし」
「お前……さっくり言うなよ……これでも地区大会決勝まで行ったんだぞ」
「で、全校応援してる中で2−1で負けたんじゃん」
「いーんだよ! 1年は夏合宿で3年からの最後の指導を受けるからあんま手ぇさけねぇの! だからお前が手伝え」
「やだ。上から物言うな」
で、その後はいつもの姉弟ケンカが始まって。
それを止めたのはいつもどおり親父の鉄拳だった。
「いいじゃねぇか。行ってこい。来週はオレも仕事休みだ。お前ら家にいねぇほうがゆっくりできる」
「うー……」
ひりひりとコブになってきた脳天をさすりながらも、さすがに親父に反論する勇気は私にはない。
というわけで。
私は今週1週間、野球部臨時マネージャーとして就任することになった。
……といえば聞こえはいいけど、実のところは飯炊き係りだ。
野球部に関することは正式なマネージャーが一手に引き受けてるから、私の仕事といえば3食飯炊きと手があいたら洗濯手伝いくらい。
とはいえ。
部員数30人を超える野球部の食事の量は大量だから、昼から夕方にかけて時間のある夕飯はいいとして。
「朝4時起きで食事の支度!? 冗談っ、そんなの自分たちでやれっ!!」
「お前なんのために連れてきたと思ってんだよ!? やるっつったからにはしっかり仕事しろ!」
「し、シンくんもさんも、そう熱くならないで……」
合宿所到着直後に言われたタイムスケジュールにキレて、シンと盛大な口ゲンカを始めた私。
おたおたするマネージャーに、呆気にとられる部員一同。
「クールビューティが吼えてる……」
「シンが女に怒鳴ってる……」
などと。
で、そのケンカを止めに入ったのは志波とちょい悪親父。
そうそう、野球部顧問の先生が体調崩したとかで、今回の合宿引率は副顧問のちょい悪親父が来たんだよね。
こんないい加減な親父が部活顧問してたなんて意外だけど。
シンは志波にひきずられていき、私はちょい悪親父の舌先三寸でまるめこまれ。
で、合宿2日目、今にいたる。
朝食は問答無用で白米と味噌汁と漬物と納豆で終了にしてる。
まぁそのかわり、昼夜と豪華に作ってやってんだから文句は聞いてやらない。
「よし、玉ねぎはこれでよしっ。次は肉、肉……」
ザル2つ分にてんこもりの玉ねぎをよけて、私は鶏肉のかたまりを冷蔵庫に取りに行った。
そして野球部本日の練習終了。
おのおのシャワーを浴びたあと、ぞろぞろと食堂に顔を出し始める。
「おー、今日もうまそうな匂い!」
「今日は親子丼と温野菜のサラダだよ。小分けにしてるからセルフで取ってって」
「さん、いただきますっ」
「先輩、いただきまーす!」
1年も3年もごっちゃになって、我先にと丼をとっていく。
やがてシンとマネージャーもやってきた。
「さん、今日は全然手伝えなくてごめんね!」
「いーよ。紅白戦のスコアつけてたんでしょ。はい、マネージャーの」
手を合わせてすまなそうに言ってくるマネージャーに、私は別取りしておいた丼を渡した。
体育会系男子高校生の食べる量ったら半端ない。マネージャーには専用に小盛りの親子丼を用意しておいたんだ。
「ありがとう、さん! そろそろみんな集まってるから、さんも向こうで食べよう?」
「うん、そうする」
私も自分のぶんの丼とサラダとお茶をトレイに乗っけて持ち上げた。
……つもりだった。
「う」
しまった、丼ものだと左手重量オーバーだ。も、持てない。
なんとか力を込めて持ち上げてみようとするものの、数センチ浮かしたところでかくんと指が反対に曲がってしまう。
仕方ない、シンに持ってもらおう……。
と思ってシンを見ればすでに奥のテーブルに座ってしまってるし。
お前、少しは姉に気を遣えっ!!
「どうした」
そこへやってきたのは志波だ。
この二日で早くも日焼けし始めてて、鼻のあたりが少し赤くなってる。
……志波に頼んでみようか。
うー、でも志波に頼むのなんかヤダ……。なんかクヤシイ気がする。
ひょいひょいと自分の取り分をトレイに乗せて持ち上げる志波。
すると。
「行くぞ」
「あ」
何にも言ってないのに。
志波は私の目の前のトレイも持ち上げて、さっさと歩き出してしまった。
……さすがに態度に出てたかな。
お礼を言うタイミングを逃してしまって、私は慌てて志波のあとを追いかけた。
ついたテーブルはシンとマネージャーのほかに2年生3名1年生3名。
空いてた席に志波がトレイを並べておいたから、私は必然的に志波と肩を並べることになった。
「先輩、いただいてますっ!」
席につくなり、がつがつと親子丼をほおばってた1年がそろって顔を上げた。
「あ、うん」
「今日の親子丼もうまいっす! シン先輩、こんなうまいもん毎日食ってんすねー! うらやましいなぁ」
「よーしお前ら、もっとコイツおだててみろ。明日は豪華フルコースが出るかもしんねーぞ」
「んなわけあるかっ!!」
わきあいあいと食事はすすむ。
なんか背中がむずかゆい。
こういう大勢でなにかをするって、今まですごく苦手だったんだけど。
体育祭で応援部と一緒にやったアレとか、今回の合宿とか。
そんな、悪くない。
「そういやって、彼氏いんの?」
「は?」
私と志波は黙々と、シンやマネージャーたちは賑やかに盛り上がりながら食事をしていたら。
2年の部員に、唐突にそんなことを聞かれた。
あ、シンと志波が同時にむせこんだ。
「あ、オレも聞きたいな、それ」
「オレもオレも!」
身を乗り出してくるのは同席してる1,2年生。
なんだなんだ、一体。
「学校じゃって近寄りがたい雰囲気出してるから、今が聞くチャンスかなーって」
「あーそうだよな。で、いるの? いないの?」
「やっぱはね学に時々来るあの花屋と付き合ってんの?」
「いや……元春にいちゃんは従兄弟だし……いないよそんなの」
「いねぇの?」
私の返答に、おおーっと感嘆の声を漏らす部員たち。
「まじでいねぇの? じゃあオレと付き合わねぇ?」
「「「はぁ!?」」」
「あ、ずるいっすよ先輩! 先輩っ、年下は守備範囲内っすか!?」
「オレも立候補ー!」
2年生の突拍子もない告白に、私とシンと志波の声が重なった。
その後もなぜか手を挙げてつめよってくる野球部員……って、なんなんだ一体っ!!
「お、おい、お前らちょっと待て。少し冷静になれ。ちょっとうまいもん食わされたからって餌付けされんな! コレのどこがいいんだよ!?」
「コレってなんだ!」
「何言ってんすかシン先輩。体育祭のあの女神! あれから先輩、すごい人気じゃないすか!」
「……マジで?」
シンがひきつった顔してマネージャーを振り向く。
マネージャーは戸惑いながらもこくこくと頷いた。
「本当だよ。あの女神姿、特に体育系部活の子に大人気で。チア部が本気でさんをスカウトしようとしてるって話もあったし」
「本当にそうなったら最高だよな! 試合のたんびにはね学名物勝利の女神の祝福!」
そーっすねー! などと盛り上がる部員たちだけど。
そういえば夏休み前に天地になんかそんなこと言われたなぁ……即断ったけど。
「で、体育系部活のヤツらがこぞって勝利の女神を自分のものに! って。な!」
「人をモノ扱いするなっ」
「それはモノのたとえでさぁ。、今付き合ってるヤツいないんだろ? 夏休み明けとか告白ラッシュ来たりしてな!」
「ううううざぁぁぁぁ〜……」
「あれ、先輩もしかして男嫌いとか?」
「そうじゃないけど……」
水樹や水島のひっきりなしの呼び出しを見てきた身としては、あの状態に自分がなるなんて絶対嫌だ。
休み時間中の安眠妨害は絶っっ対耐えられない!
「より、シンはどうなんだ」
すると。
今まで黙ってた志波がぼそりとつぶやくように言った。
途端にシンに視線が集中する。
「は、オレ?」
「そうだ。お前っ、サッカー部の女子マネの告白断ったんだってなぁ!!」
「ラクロス部の子も振ったって聞いたぞ! この贅沢者っ!!」
私に向けられた好意の視線とはうってかわって、非難がましい恨みの視線。
さすがのシンも椅子ごと1歩後に引いた。
へへーいいザマだ。このふらふら浮気性の女好きが。
「振ったって、別に付き合ってたわけじゃねーし」
「お前の本命誰なんだよ!? つーか1本にしぼれ! じゃねぇとオレたちに回ってこないだろ! 女子が!」
「焼くな焼くな凡人どもよ。オレが誰か一人を決めたとしても、お前たちがモテるようになるわけじゃない」
「っだぁぁ、テメェモテるからって余裕ぶっこきやがってっ! 袋だっ、袋にしちまえっ!!!」
「うおおお!!」
2年の号令とともに一斉にシンに飛び掛る野球部員たち。
あ、後の席で話聴いてた3年生も混じりだした。
あはは、やれやれー!
トレイと食器を騒ぎから遠ざけて、私は高みの見物に。
あきれ果てた表情の志波も騒ぎには参加せずに、椅子の背もたれに肘をついて揉みくちゃになってるチームメイトを見てた。
「ねぇさん……」
そこへ。
騒ぎを迂回して、シンの隣に座ってたマネージャーがやってきた。
「なに?」
マネージャーは神妙な顔をして私の隣に腰掛ける。
そして眉尻を下げた不安そうな顔をして、私を正面から見つめてきた。
「シンくんの本命って、誰か知ってる?」
「は、シンの本命? いないんじゃないの?」
「え? いないの?」
私の返答が意外だったのか、マネージャーはぐっと身を乗り出してきた。
……あれ、もしかしてマネージャーって。
「シンの本命ねぇ。多分いないと思う。アイツノリが軽いから、誘われたら断らないってだけで。特定はいないと思う……多分。ね」
私は志波に話を振ってみた。
反対隣の席で騒ぎよりも私たちの話を聞いてた志波。
器用に片眉だけあげて、こっくりと頷いた。
「ほんとに?」
「ああ」
「……そっかぁ」
ほっと息をついて、マネージャーの顔がほころんだ。
マネージャーはいい子だと思う。
だからこそ、シンみたいのに惚れてるのを黙ってみてなきゃいけないのは、なんだかはがゆかった。
女好きでお調子ものでふらふらしてる弟でゴメンナサイ。
時刻は8時近く。
私は一人で調理場にて洗物をしていた。
野球部はマネージャーも含めて今日の反省会&ミーティング中。
それが終われば10時の就寝時間までは自由時間だ。
……今時の高校生が10時に寝るわけないと思うんだけど……。
最後の丼をすすぎ終えて、水切り網の中にうつぶせに置く。
さて、あとは拭くだけだ。
左手をすべらせないように、慎重に持たないと。
初日に早速1個割っちゃったからな……。
ふきんをとりに調理場脇のラックへ。
そこに。
「志波」
「……手伝う」
両手にふきんを持った志波が立ってた。
いつ来たんだろ。全然気づかなかった。
「ミーティングは?」
「今終わった。……すぐ枕投げ大会が始まったから避難してきた」
「うわ、おもしろそう!」
「参加したいなら行ってこい。ここは引き受ける」
「……いいよ。自分でやる」
志波の手からふきんを受け取って、私は丼を拭き始めた。
志波も隣に立って、黙って丼を拭き始める。
広い調理場の水回り一角だけ電気をつけて、調理台のほうは消灯したままだからなんとなく薄暗い。
宿舎の喧騒も玄関をはさんでるからここまでは届かない。
無口な志波だから何か会話があるわけでもなく。
私と志波は無言で黙々と食器を拭いていった。
正直なところ、この自由の利かない腕で食器を拭くのは一苦労だったから、志波の手伝いはありがたかった。
予想していた終了時間よりも半分以上早く、作業は終了した。
「えーっと……ありがとう」
「いや」
ぎこちなくお礼をいうと、志波は口の端を小さく上げて笑う。
「このあと、どうするんだ」
「は?」
「部屋に戻るのか?」
「んー」
ふきんを干し台にかけて、体を起こす。
窓の外は、昨日の曇天とうってかわって満天の星空。
あ、気持ち良さそう。
「散歩に行く!」
「は? ……これからか?」
「練習グラウンドでも1周してくる。星、綺麗だし」
「ああ……だな」
志波も窓の外を見上げた。
そういえば、志波はどうするんだろう。
「志波は?」
「……散歩」
「あ、そう……」
まぁいいか。
今は気分がいいから、志波ひとりついて来ても。
8時以降は宿舎から出るのを禁止されてるから、とりあえずちょい悪親父の様子を見に行ってみたら、宿舎の管理人と楽しく酒盛りしてたから、さっさと抜け出してきた私と志波。
練習グラウンドは宿舎の裏手だ。
「わぁぁ」
空を遮るビルも森もなく、星明りを相殺してしまう街灯もないグラウンド。
思ったとおり、最高の絶景だ!
うまくうつるかどうかわからなかったけど、私はぱちりと一枚星空を携帯カメラにおさめた。
「街中と違って涼しー」
「ああ」
怪我のあとを隠すために宿舎でも長袖を着ている身としては、この涼しさはかなりありがたい。
両手を広げてくるくるとステップを踏みながら、私はピッチャーマウンドへと向かった。
志波は私の数歩後ろをゆっくりとした足取りでついてくる。
「懐かしいな。ピッチャーマウンド。ほんの少ししかいなかったけど」
しゃがみこんでマウンド上の白い板を指でなぞる。
ほんとうにちっちゃな頃。リトルリーグにいたころによく見た光景。
「志波」
「なんだ」
「かっちゃんはまだ会ってくれないの?」
「……まだ諦めてなかったのか」
「だって、一緒に甲子園行くって約束してるし。……もう、来年しかチャンスないし」
「そうだな……」
ゆっくりと私の横までやってきた志波は、見上げた私から視線を逸らして天を仰ぐ。
「そんなにアイツが好きか?」
「うん」
「……」
「数少ない私の友達だし」
「友達、か」
クッと喉の奥で笑う志波。
私は立ち上がって、外野のほうへと歩き出した。
「志波、野球楽しい?」
「あ? ああ……」
「充実してる?」
「してる。……なんだ急に」
「だってクヤシイんだもん」
「は?」
歩きながら、後をついてくる志波に話しかける。
「志波が先に歩き出したから。志波に負けるのクヤシイ」
「……お前な」
呆れた声とともに大きなため息。
振り返れば、志波は私のすぐ横まで来てた。
眉尻を下げて呆れたような、でもなんだかいつもよりも……優しい目で。
「オレとお前じゃ状況が違うだろ……。自分でふんぎりつければ進めたオレと違って、お前の腕は自身でどうこうできるものじゃないだろ」
「そうだけど。でも志波に負けるのはやっぱりヤダ」
「負けず嫌い」
「うるさいっ」
「クッ……。焦らなくていい」
む、と睨み上げれば、ぽす、と頭に大きな手が乗せられた。
「オレだってこれからだ。スタートラインに立っただけだ。お前が焦るような状況じゃない」
「……」
「自分のペースでくればいい。いつでも待っててやるから」
「……」
「なんだ」
「今日の志波、変」
「……そうかもな」
ふわっと。
志波がいままで見たことないような表情で微笑んだ。
不意打ちくらったような感覚。
……うわ、なんだこれ。急に、暑くなってきた。
ばたばたと急いで志波から離れる。
逃げるように走って、ふたたびピッチャーマウンドにのぼる。
振り返れば、志波は不思議そうにこっちを見ながら、ゆっくりと歩いてた。
えーと、えーと。
なんかよくわかんないけど、私今、異常にテンパってる。
私はとりあえず星空を仰いで深呼吸した。
歌を。
私の精神統一にはそれが一番だ。
星に願いを。
反響板もなにもない吹き抜けの広いグラウンドに、歌声が響く。
恐ろしいくらいに生活音がなく静寂な夜に、私の声はとてもよくとどろいた。
気持ちいい。
歌い終えた頃には気持ちも落ち着いていた。
目の前に来てた志波を見てもなんともない。
うん、大丈夫。……さっきのあれ、なんだったんだろ。
「戻るか?」
私はこくんと頷いた。
すると志波は、さっきみたいにぽすんと、軽く私の頭を叩く。
「行くぞ」
そういって見下ろす表情は、今までの志波からは想像できないくらい柔らかくて。
「〜〜〜っ」
ふたたび急に暑くなってきた私は、ばたばたとまた走り出して、志波を置いて宿舎に飛び込んだ。
なんだあれ。今日の志波、あっきらかに変だ。
いっつもぴりぴりしたオーラ出してるくせに、野球部入った途端に丸くなって。
余裕かましてるだけ? うわ、そんなんだったらマジでむかつくっ。
「お、さん、どうしたの?」
「ほっといて!」
同室のマネージャーが呆気にとられるなか、私はリハビリ用のクッションボールをぐにぐにと握りながら。
火照った顔を扇風機にさらしていた。
志波になんか。
志波になんか負けるもんかーっ!!
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