体育祭も2回目。今年は私も競技に借り出された。
 最初は嫌だと抵抗してたんだけど、ちょい悪親父の巧みな誘導に引っかかったんだよね。
 若先生と違ってごまかし効かない分、今年1年は行事ごとに大変そうだ……。


 21.2年目:体育祭


 とはいえ私がエントリーさせられたのは午前の100メートル走だけ。
 しかもその100メートル走は一番最初の競技だったもんだから、それさえ済ませばお昼寝天国。

 体育祭開会早々に1位で競技を終了させて、私はクラス席に戻った。

「あー終わった終わった」
「すごいね、さん! 一緒に走ったの陸上部の短距離やってる子でしょ? ブッチ切りだったじゃない」
「そうなの?」

 隣のクラスから水樹がやって来てた。
 運動全般苦手らしい水樹が出る競技は今年もパン食い競争。出番はもうちょい後だ。

「うん。陸上部に入ったらエース狙えると思うよ?」
「日本の体育会系の暑苦しさキライ。水樹もパン食いがんばりなよ」
「あれ、どこ行くの?」
「屋上で昼寝。ちょい悪によろしくー」
さんって、ホント堂々とサボるよね……」

 椅子にかけてあったハンドタオルを掴んで、私は水樹に手を振った。
 水樹は呆れながらも止めようとはしない。
 真面目な優等生な割には、案外融通の利く子なんだよね、水樹って。

 私は大きく伸びをしながらグラウンドを離れて校舎をぐるっと回り込む。

 中庭には準備体操してる子や軽いウォームアップをしてる子がぱらぱらといるけど、先生の姿はない。
 よしよし。屋上までは障害なくたどりつけそうだ。

 角を曲がって正面玄関から校舎内へ。

 と思ったら、


 ドンっ


「うあっ!」
「った! なに!?」

 出会い頭に何かとぶつかった。視界の端にうつる黒いものを確認しながら、私は派手にしりもちをつく。
 いったたた……。首のあたりになんかカタイものぶつかったぞ……。

「だ、大丈夫ですか!? ……あっ、先輩!?」

 首と腰をさすっていると、素早く立ち上がった黒いものが私に手を差し出してきた。

 見上げてみると、どこかで見たような人懐っこい顔。

「……誰だっけ?」
「お、押忍っ! 1年の天地翔太ですっ!」
「天地? ……あー、なんか前に志波と話してた」
「はいっ! 覚えててくれたんですか? 感激ですっ!」

 天地は私の手を握って助け起こしてくれる。
 私より幾分小さい今年の新入生だ。

 前にちょっとだけ話したことある。
 元春にいちゃんが仕事ではね学来た時、私と志波が手伝って、校舎内に戻ろうとしたときに確か出会ったんだ。
 なんか妙に志波のこときらきらした目で見上げてたのが印象に残ってる。

 その天地は、今はなぜか学ラン姿。

「なんで学ランなんか着てんの?」
「僕、応援部に入ってるんです。これからすぐに応援合戦の最終合わせがあるので」
「ふーん。応援合戦ねぇ」

 見た目童顔で私より背が低くて、佐伯に次ぐはね学2代目プリンスなんて言われてる天地が、応援部。
 正直似合ってないとは思うけど……まぁ、本人がやりたいんなら。

先輩はどちらに行かれるところだったんですか?」
「屋上昼寝」
「えっ? それって、サボりってことですか?」
「私が出る競技はもう終わったし。問題ないよ」
「はぁ……」

 目を丸くして私を見上げてる天地。
 すると、ぽんっと手を打ったかと思えば急に目を輝かせて私に詰め寄ってきた。

先輩、ということはこのあと出場競技がないってことですよね!?」
「そ、そうだけど、なに?」
「じゃあ僕たちに、応援部に協力してください! 『女神』を探してたんですよ!」
「は、女神?」

 天地は大きく頷いて私を校舎内へ手招きする。
 何がなにやら。とりあえず私の行き先も同じだからついていく形で校内に入る。

「なにその女神、って」
「体育祭限りの女子の応援部員です。女子は通常チア部所属になるんですけど、体育祭だけは女子をスカウトして一緒に応援しようって企画で」
「そんなのあったんだ……」
「募集してるのは『女団長』と『勝利の女神』なんですよ。ちなみに今年の女団長は藤堂先輩です!」
「えっ、藤堂!? じゃあ藤堂も天地みたいな格好して応援合戦に出るの?」
「そうですよ! 藤堂先輩の学ラン姿、僕もさっき見てきたんですけどすごくカッコいいんですよ!」

 それは見たい!!
 あの藤堂がこういう団体モノに協力するキャラだったなんて知らなかったけど、藤堂の援団姿はカッコよさそうだもん!

「……で、勝利の女神は?」
「それが……最初は水島先輩や海野先輩にお願いしようと思ってたんですけどあっさり断られてしまって」

 はあ、とため息つきながら表情を曇らせる天地。

「水樹には声かけなかったの?」
「勿論その案は出たんですけど、応援部に水樹先輩とツテのある人がいなくて。その上、若王子先生から『学園アイドルを応援部で独り占めすると暴動がおきますよ?』って、もっともなこと言われちゃったので」

 若先生、こんなとこでも牽制かけてるんだ……本気で本気なのかな。

「だから女神は今回ナシにしようかって話にまとまったんですけど、先輩やってくれませんか!?」
「はぁ!?」

 天地のすがるような目線と声に、私は足を止めた。
 私が、女神?
 ないない、ありえない。そんなキャラじゃない。
 むしろ破壊神っていうなら納得もできるものだけど。

「だめですか? 先輩クールな美人だし、背も高くて衣装栄えすると思うんです!」
「衣装……女神に衣装なんてあんの?」
「さすがに勝利の女神に学ラン着せられませんから。手芸部に頼んで真っ白なギリシャ風のドレスを作ってもらったんですよ! そのドレスをフイにするのも申し訳ないし……」

 ドレス。ますます嫌だ。

先輩、お願いします!」
「やだよ、そんなの。他の人探して」
、アタシからも頼むよ」
「やだったらやだ……って、藤堂?」

 90度腰を曲げて頭を下げる天地だけど、嫌なもんは嫌だからきっぱりと拒絶。
 でも、そこに割って入ったのは藤堂だった。

 振り向けば。

「うわ、藤堂!? カッコいいね、それ!」

 体育着を脱ぎ去り、体にサラシを巻いた藤堂が黒の長ランを着て立っていた。
 凛としたその姿は、その辺のチンピラとは一線を隔した極道の仁義がにじみ出てる。

 ……褒め言葉だよ、勿論。

「藤堂はそれで応援合戦出るの?」
「ああ。こういうの、キライじゃないからね。で、アンタはどうするんだい」
「私は屋上で昼寝……」
「やることもないんだったら協力したらどうだ? いっつもサボりまくってんだ、これもいい経験だよ」
「うー」

 ドレスは着たくない。
 でも藤堂と一緒になにかやるのは楽しそうだ。
 だけど、め、女神かぁ……。

「とりあえず衣装だけ見せて……」
「は、はい! こっちです!」

 妥協できるようなドレスかどうか。
 私の言葉に天地はぱっと顔を輝かせて応援部の部室に案内し始めた。

 にやりと笑う藤堂。
 うーん……なんか我ながら丸くなってきたような気がする……。


 部室に案内されて、出迎えたのはむさい学ラン軍団。
 私を見るなり「おおーっ」と声を上げて道を開けた。

 その先にあったのは、1体のボディに着せられた白いドレス。
 さっき天地が言ったとおり、ギリシャの神殿を想像させるような、ドレープのたっぷり入ったシンプルなロングドレスだ。
 肩紐なしのベアトップ型。袖はないけど、腕には肩くらいまであるロンググローブをつける仕様だ。
 ……これなら左腕の怪我の跡は見えないだろうけど。

 ボディの首にかけられたフェイクのオリーブの冠と立てかけられた錫杖は演劇部から借りてきたんだろうか。
 凝ってるなー。

「で? どうするんだい、。やるのかい、やらないのかい」
「うー……」

 藤堂に促されて、返答につまる。

 ドレスは嫌なんだ。私がドレスを着たのはもう出られないバイオリンのコンクールやコンサートに出たときだから。
 でも2月に志波とやりあった時のことが頭をよぎる。

 立ち止まっていてはだめだって、わかってる。
 時間を動かさなきゃいけないのもわかってる。
 こんなことしたって指はきっと動かないだろうけど、今、出来ることからやらないと。

 志波に負けたくない。

「…………やる」
「本当ですか、先輩っ!?」
「うおお! 土壇場で女神が決まったぞーっ!!」
「よしっ、櫓の準備急げ!!」

 私の一言に、応援部のドスのきいた歓声が響く。
 うーわー、汗臭い連中だよ……。

「でも、これ着て私なにやるの?」
「勝利の女神は3年生が担ぐ櫓の上に座って、応援合戦が終わるまで僕たちを見守る役目です。特別やることはないですから、楽にしててください!」
「なにもやらずにじっとしてろって? 一番苦手なんだけど、それ……」
「あ、でもひとつだけ」

 がたがたと動き出した応援部一同から避難して、部室の隅に移動して天地と藤堂から説明を受ける。

「学年対抗応援合戦が終わったあとに僕たち応援部の全体応援が入ります。それも終わったら、最後に女神が櫓を降りて、ひとつのクラスに『祝福』をするんです」
「祝福?」
「アンタ去年の応援合戦見てなかったのかい? その錫上で、好きなクラスを指すんだよ」
「ふーん。どこでもいいの?」
先輩の好きなクラスでいいですよ! 自分のクラスでもいいですし。ちなみに毎年若王子先生のクラスが祝福率高いそうですけど」

 あんな天然ボケボケ教師でも人気はあるからね、若先生。

「了解。任せといて」
「はい、ありがとうございます、先輩っ! うわぁ、楽しみだなぁ、先輩の女神姿!」
、先に飯食っちまいな。白い服汚すわけにもいかないだろ」
「うん。じゃあお弁当とって来る」

 私は一旦応援部の部室を出て、クラス席にお弁当を取りに戻ることにした。

 なんか変な気分だ。
 大勢で何かをするっていうのに参加するのって、初めてかも。
 少しわくわくする。
 学校行事なんてかったるい、って思ってたけど、もしかしたらおもしろいものかもしれないな。

 私は足取り軽く、グラウンドへと急いだ。


 そして瞬く間に時間は過ぎて、午後イチの応援合戦だ。

『ただいまより、各学年対抗応援合戦及び、羽ヶ崎学園応援部有志による応援を行います。グラウンド中央にご注目ください』

 放送局のアナウンスが入り、グラウンドが騒がしくなってきた。
 入場門から、1年から順に学年選抜応援団が入場していってグラウンド中央に三つ巴の形で向かい合って整列する。

「結構みんな衣装とか凝ってるんだね」
「1年生は女子中心のチア風で、2年生が自衛官の制服風、3年生は羽織袴ですね!」
「さぁ、応援部の入場だよ。、にやつくんじゃないよ」
「……善処します」

 女神の衣装は目立つから、直前まで櫓の側壁に隠れるようにしゃがみこんでいた私。
 今日は気温も上がってきてるから肌が多少出てても大丈夫。
 藤堂と天地は私の横で入場直前までおしゃべりしてたけど。

『つづいて羽ヶ崎学園応援部の入場、今年も勇ましい女団長と美しい勝利の女神にご注目ください』

 アナウンスとともに、藤堂が気合を入れて先頭に立つ。
 私も、急いで櫓に設置された椅子に座って錫杖をしっかりと握り締めた。

「いくよ、アンタたち!」
「押忍、団長!」
「声が小さぁい!」
「押忍、団長!」

 うわぁ、藤堂カッコいいな!
 応援部をぐるっと見回して、藤堂はさっと右手を上げた。

「ソーッ、エイ、オウ!!」
「わわっ」

 掛け声と共に、3年生が櫓を担ぐ。
 うう……ここからは自分の忍耐力との勝負だ……。

 応援部の入場が始まる。
 と同時に、全校生徒から地響きのような喝采が沸いた。

「やっぱ団長は藤堂か!」
「藤堂さんっ、カッコいいーっ!!」

 男子からも女子からも、藤堂を大絶賛する声が響く。

さん、行くよ」
「あ、うん。えーと……センパイ、ヨロシクお願いします」

 櫓下の顔も見えない3年生に声をかけられて、私もぎこちなく返事する。
 がくんと、櫓が動き出した。
 うわ、結構揺れるな。

 櫓が入場門を出る。
 すると、さっきまで藤堂に大声援を送っていた全員がこっちを見て、しかししかしざわざわとざわめき始めた。

「水島さん……じゃないよなぁ?」
「誰だあの美人? あんな子いたっけ?」

 服取り替えたくらいで見分けつかなくなるのか、コイツラ。
 ふぅ、と小さくため息が漏れる。

 が。

「……? あーっ!? やんっ!!」

 この声は、はるひ。
 ちらりとそっちに視線を向ければ、2−Bのクラス席最前列ではるひが立ち上がって私を指差していた。
 その隣には目を丸くしてる海野と佐伯。若先生は……なんでか笑顔で拍手してた。

「ほ、本当だ、さんだ!」
「ええっ、!? ってあの、2年のクールビューティ!?」
「遅刻魔の!?」
「若ちゃんのIQ200の上を行く、あの!?」
「対教頭最終兵器の!?」

 なんだそれっ!!

 でも女神の正体が私だとわかってからは、再び全校生徒が盛り上がる。

「わぁぁ、さん綺麗!」
「似合ってるぞー!」
「いつも黙ってれば美人だぞー!」

 こっちが動けないのをいいことに好き放題言って コ ノ ヤ ロ ウ … … ! !

 と。
 2−Iの前を通る。

 あ、志波だ。隣に水樹と、シン。それからちょい悪親父。

さん、すごく綺麗! がんばって!」

 なぜか顔を真っ赤にして笑顔で手を振ってくれる水樹に、私は微笑んだ。

「お前っ……オレの今日一番の楽しみ奪うなよなっ……」

 シンの落ち込みの理由は無視。完全無視。

「おー、お見事だなぁ。祝福は、当然自分のクラスだよな?」

 ちょい悪親父はいつものにやにやとした笑みを浮かべてぱちぱちと拍手してる。はいはい。選ぶの面倒だしそうするよ。

 で、志波はというと。
 何も言わず、ノーリアクション。
 ただ目を見開いてぽかんと私を見上げていた。

 くそー、似合わないなら似合わないってはっきり言えっ。

 そうこうしているうちに、応援部も所定の位置へ。
 櫓は学年対抗応援合戦が行われている間も持ち上げられたまま。
 1年のアクロバティックな応援が終わって、2年のマスゲーム的な応援が終わって、3年の古風な挑戦状の読み上げが終わって。

 応援部は、代々伝わる応援を藤堂の号令のもと行った。
 陣太鼓が鳴らされて大団旗が大きくたなびいている様は、背面で見てる私からも壮観だった。

 カッコいいな藤堂……。

 やがて応援部の応援も終わり、大きな拍手がグラウンドを包む。
 すると、額に汗を光らせている藤堂がくるりとこちらを振り向いた。

「わっ」

 同時に櫓が下ろされる。
 藤堂は私のもとまで歩み寄ってきて、にやりと微笑んだ。

「さぁアンタの出番だよ。祝福を与えてきな」

 私の手をとって、櫓から出るのを手伝ってくれる。
 くるぶしまであるロングドレス。裾踏んづけないように気をつけないと。

 藤堂にエスコートされてグラウンド中央までくると、一斉に怒号のような歓声が上がる。
 いや、歓声っていうか、これ……

「女神ーっ! 祝福くれーっ!」
「夜店の焼きそばパン10個でどうだーっ!?」
「こっちは極まろメロンパン15個だーっ!!」

 本物の女神じゃあるまいし、そんなに祝福欲しいもん?
 はね学ってホント、お祭り好きが集まった学校だよね。あーめんどくさい。

 正直焼きそばパンやメロンパンには惹かれるものがあったけど、ここは当初からの予定通り、自分のクラスに祝福しとこう……。

 私は両手で錫杖を大きく掲げた。
 おおーっという歓声が沸き起こる。

 こんなところからてけてけ歩いていって錫杖で指すだけなんて、見てて間抜けすぎる。
 こっちは芸術都市を渡り歩いてきた身なんだ。
 観客を『魅せる』方法なんていくらでも知ってる。

 私は錫杖をトワリングの要領で回転させながら、ゆっくりと舞うようにステップを踏んだ。
 錫杖を支えるだけならこの左腕でも大丈夫。
 このドレスもロングとはいえ蹴回しには十分な余裕があるから、ダンスステップを踏んでも十分に足が開く。

 くるくると舞いながら、私は2−I前まで来た。
 おおーっ、とクラスから歓声が上がる。
 私は錫杖を回転させながら右手に移動させ、ビシッとちょい悪親父の鼻先につきつけた。

 ワァァァァ!!

 今度は全校中から歓声が起こる。

「すごい、さん! すっごく綺麗だったよ!」
「やるなー! って、こういう才能あるんだな!」
「なんか感動しちゃったよ!」

 クラスメイトから賛辞の嵐。
 ……なんかくすぐったい。

 錫杖をつきつけられたままのちょい悪は、がっはっはと満足そうに大笑いして、クラス席に戻ってた水樹もさらに顔を真っ赤にしてパチパチ手を叩いてた。

「お前って目立ちたがりなのかそうじゃねぇのか、さっぱりわかんねー」

 シンは呆れたように頭の後ろで手を組んで。
 そのシンの隣に座ってる志波が目に入った。

 相変わらずのノーリアクション。
 ただ目を丸くして、私を見てる。

『今年の勝利の女神の祝福は2年I組に与えられました。これをもちまして、各学年対抗応援合戦と羽ヶ崎学園応援部有志による応援を終了いたします。次の競技の準備に入りますので、体育祭実行委員は……』

 アナウンスが流れる。

「あー終わった終わった。はーこれで今日の仕事は終わりっと」

 錫杖をかついで、私は大きく息をついた。
 すると、急にクラスメイトたちがぴたりとおしゃべりをやめて私に注目する。
 ……ん?

 次の瞬間、爆笑。

さん、元に戻っちゃったよ!」
「せっかく神秘的なクールビューティだったのに、しゃべればやっぱりだよなー」
「うるさいっ」

 私がむっとして言い返しても、ちょい悪親父を含むクラスメイトたちは笑い止まなかった。
 ちぇ。


 女神の衣装を脱いで体操着に着替えて。
 応援部全員からドスのきいたお礼の言葉を貰って見送られたあと、ようやく私は屋上に来ることが出来た。

「あー疲れた……」

 定位置の給水塔の上にのぼってごろんと寝転がる。
 綺麗な青空に、競技が再開されたグラウンドからは元気のいい歓声が聞こえる。

 初めてまともに行事に参加したかもしれないな。
 ……そんなに悪いもんじゃなかったけど。

 ああでも、ホント疲れた。
 今日は終わるまでここで寝てよう。
 私はぐーっと伸びをする。

「やや、女神さまはご休憩中ですか?」
「……若先生?」

 目を閉じた瞬間に聞こえてきたのんきな声。
 ごろんと横を向けば、給水塔の壁はしごにしがみついて頭だけひょこんと出した若先生。

「お疲れ様、さん。さんの女神姿、あんまり綺麗だったから先生ドキドキしちゃいました」
「何言ってんの若先生……。眠たいんだから、相手してあげらんないよ」
さんががんばってたから、労いの言葉をかけにきたんです」
「労ってもらっても疲れが取れるわけじゃないし……いらないいらない」
「そんなゾンザイにしないでください。先生、がっかりです」

 と言うわりに、今日の若先生は落ち込みもせずにこにこしてる。
 私は肘をたてて枕にして、横になりながら若先生と向き直った。

「どうしたの若先生」
さん、がんばったね」
「はぁ?」
「自分から時間を動かそうとがんばった。ピンポンですね?」
「……」

 驚いた。私の目が見開かれる。

「よくわかったね、若先生……」
「先生にも経験ありますから。よしよし」

 優しい笑顔を向けて、私の頭をその大きな手で撫でる若先生。
 いつもなら他人に頭なんて触らせないところだけど、今日のところはなんだか心地よかったから振り払いはしなかった。

「なんか全く見当違いなことしてるかな、って思ったんだけど」
「そうかもしれません。でも、それはあとからついてくる結果です。自分から動こうと思ったその気持ちが先にきっと繋がる」
「そっか」

 なでなで。
 若先生はにこにこしながら私の頭を撫で続けてる。

「なんか先生、自宅の猫を撫でてる気分です」
「はぁ!? 引っ掻いてやろうか、若先生っ!!」
「や、それは勘弁してくださいっ」

 体を起こして威嚇してやれば、若先生は慌てて手を引っ込めた。
 人を自分のペットと同格扱いすんなっ!!
 ったく、わけわかんない先生だよ、ほんと。

 そこへ。

 ギィ

 金具のきしむ音を立てながら屋上のドアが開いた。
 やって来たのは、志波だ。
 屋上に出るなり、迷わず給水塔の上、こちらをすぐに見上げる。

「や、志波くんこんにちは」
「……ちわす」

 若先生にぺこっと小さく頭を下げて、志波はこっちを見上げたまま動かない。

「何してんの、志波」

 声をかけると、志波はなにやら苦虫噛み潰したような表情になる。
 なんだなんだ。もしかしてお説教?

「やや、どうやら先生お邪魔みたいですね」
「若先生、もう行くの?」
「はい。二人の邪魔をするのも野暮ですから」
「何言ってんだか……」

 ひょいひょいと壁はしごを降りる若先生。
 そして志波の肩をぽんと叩いて、さっさと屋上を出て行った。

 何しに来たんだろ、若先生。
 ひょっとして、本気で人の頭撫でにきただけ?

 若先生の後姿をぽかんと見送ってたら、志波が動き出した。
 給水塔の壁はしごを上って、私の隣にあぐらをかいて座り込む。

「なに」
「いや……」

 なんか志波に怒られるようなことしたっけか。
 ぐるぐる頭の中であれかこれかと思い出しながら志波を見る。

 すると志波は、ふいっと視線をそらして横を向いてしまった。

 お?

 顔が心なしか赤い。

 んー?

「水樹となんかいいことあった?」
「は!?」

 尋ねると、志波は思いっきり不服そうな表情で聞きかえして来た。
 あれ、ハズレたか。

「お前っ……まだそんなこと言ってるのか……」
「だって志波、今顔赤かったよ」
「赤くない」
「赤かったって」
「赤くない」
「赤かった!」

 いつもの堂々巡りが始まる。
 でも、今日のは志波がそれを止めた。

「仮に赤かったとしても、水樹のせいじゃない」
「じゃあなに」
「…………」
「……そういう目で人を見るなっ!」

 思いっきり「駄目だコイツ」といわんばかりの視線を私にむける志波。
 いつもそうだ。言葉に出さずに視線で人を馬鹿にして。腹の立つ。

「何しに来たの。私もう出番ないんだから寝かせてよ」
「……400リレーの代走をやって欲しいと、実行委員が言っていた」
「は!? 冗談! やだよこんな疲れてんのに!」
「そういうと思って断っておいた」
「あ、そ……」

 志波にしては気の利いたことをする。

 ん? じゃあ本当になにしに来たんだろ、志波。

 私の視線の意味を感じ取ったのか、志波は小さく息を吐いた。

「オレもサボりにきた」
「ふーん? 図書室開いてないの?」
「今日は開いてない」
「あっそ。あ、ここのスペースせまいんだから横になるなら向こう行ってよ」
「わかってる」

 あいかわらず愛想のない受け答えをする志波。
 でもまぁ、人の昼寝の邪魔をしに来たんじゃないなら別にいいんだけど。
 さて、気を取り直して昼寝しよう。

 そう思ってごろんと寝転がろうとしたら。

 志波の右腕が私の背中の下に入れられて、寝転がるのを阻止されてしまった。
 つか何やってんの、志波……。

「ちょ、なにする」
「お前、これどうしたんだ」
「は、どれ?」
「首」

 志波の右腕にもたれたまま抗議すると、いつになく渋い顔をした志波が私の左の鎖骨の上あたりを指していた。

「……歯型がついてる」
「へ?」

 歯型?
 なんで私の首に歯型?

 記憶をフル回転で巻き戻し。

 ……ああ。

「天地だ」
「天地!?」
「うん。さっき出会い頭にぶつかって、なんか首にあたったなーとは思ってたんだけど。天地の歯が当たったんだと思う、多分」

 志波は呆気にとられたように口を開けて、でも次の瞬間、なぜかすっと目が座った。

「……そんな目立つ? 女神の衣装着てたときに藤堂にもなにも言われなかったんだけど」
「いや」

 短く返事するやいなや。
 志波は私の首を押さえて、天地がつけた歯型の上に、…………。

 うわえあぁあぁぁぁぁっ!!??

「し、し、し、志波っ!? な、な、な!?」
「消毒」
「しょ、消毒、て」
「用事思い出した」

 首を押さえて飛び起きた私をよそに、志波は変わらず座った目をしたままさっさと給水塔を降りていって、そのまま屋上を出て行ってしまう。

 とりのこされた私は唖然としてその後姿を見送って……

 って。

 いいいいい今アイツっ、舐めた! 私の首、舐めたっ!!??
 消毒!? 消毒ってなに!
 あ、日本では傷口舐めときゃ治るって昔から言うんだっけ??
 いやいやいや!! これキズじゃないし! ただの鬱血跡だし!!

 なに考えてんだアイツーっ!?
 いや、何も考えてないな、アイツーっ!!
 欧米人だってこんなんしないっつーの!!


 給水塔の上に残された私は、その後の思考を放棄した。
 無意識だ。絶対無意識だ。前々から思ってた。志波は隠れ天然だ。だから私が気にする必要ないんだ。そうに違いない。

 無理矢理そう結論付けて、私はその後の惰眠をむさぼった。
 ……全然寝れなかったけど。



「おはよー、さんっ。あれ、左手の親指どうしたの?」
「おはよ、水樹。昨日料理中にちょっと切っただけ。たいしたことない」
「そうなの? ちゃんと消毒した?」
「……消毒……」
「……するか?」
「いるかっ!!」
「クッ」
さんと志波くんって本当に仲いいよねぇ」

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