結局今度は私が森林公園に行かなくなってしまった。
 で、再び志波とは顔を合わせてない。
 仲直りしてくるものと思ってた若先生と水樹には、呆れたような顔された。


 17.1年目:学年末テスト


 そんな気が重い時にやってきた学年末テスト。
 まぁ早い時間に帰れるし、学校で志波と遭遇する確立も減るわけだから、今の私には好都合ではあった。

 逃げ回ってるって事実が、自分自身に腹立たしいけど。

 そしてテストを受け続けること5日目。今日がテスト最終日。
 科目は化学と数学。

さん、先生期待してますからね。3度目の正直って言葉、知ってますよね」
「ワタシ海外生活長カタカラワカンナイヨー」
「進級かかってますからね」
「うぐぅ……善処します……」

 前日笑顔でわざわざ釘を刺しに来た若先生。
 のしんとクリスの3人で『抜け駆け禁止同盟』を結んでたものの、さすがに進級がかかっちゃぁねぇ……。

 私は昨日の夜必死に読み込んだ化学の教科書を鞄に突っ込んで、いつもより早めに家を出た。
 志波はいつも遅刻ギリギリだから、それを避けるために早めに家を出てるんだけど、お陰で遅刻しなくなったんだよね。

くん、2月後半から遅刻無しじゃないか!」
「ついに心を入れ替えてくれたんですね、さん!」

 氷上と小野田が盛大な勘違いしてくれてるけど、まぁ喜んでるみたいだからいいか、と。

 もうすぐ桜が開花する季節。
 あんまり早く家を出たものだから、ちょっと駅のほうをまわっていこう。
 駅前の商店街にも桜並木があるし、1分咲きの桜だってなかなかオツなもんだ。


 ところが。


 駅前で、水樹を見かけた。
 私の前を、なんだかふわふわした足取りで歩いてる水樹。

「おーい水樹ー」

 声をかけてみるけど、反応なし。
 のたのたと、頼りない足取りで黙々と歩いてる。

 そういえば水樹、最近風邪引いてるんじゃなかったっけ?
 昨日帰り際、海野と若先生に無理するなとかなんとか、玄関で言われてたような。

 なんか、嫌な予感。

 あ、水樹がつまづいた。
 バランスくずしながらもたたらを踏ん……

 どさっ

「水樹っ!?」

 水樹が目の前で倒れた。そのままぴくりとも動かない。

「水樹!」

 慌てて駆け寄って、右手で引っ張り起こす。

 水樹、顔が真っ赤だ。
 呼吸も粗いし、服の上からでもわかる異常な体温。

「水樹っ、返事!」

 ぱしぱしと左手で頬を叩くけど、苦しそうな表情のまま目は硬く閉ざされたまま。
 これ、ヤバくない?

「あ、あの、どうかしたんですか?」

 通勤途中のサラリーマンとおぼしきにーちゃんが話しかけてきた。

「救急車! すぐ呼んで!」
「え、あ、はい!」

 私はそのにーちゃんに怒鳴りつけるように命令して、自分は手早く着てるコートを脱いだ。
 黒タイツを穿いてるだけの水樹の足にそのコートを巻きつける。

 どうしよう、救急車くるまで、このままでいいのかな。
 でも道路に寝かしてたら体が冷えるだけだ。

 左腕の自由が利いたら。
 こんな細い水樹を抱き上げるくらいなら、出来たかもしれないのに。

 野次馬が次々集まってくる中、私は水樹が冷えないようにせいぜい抱きしめてやるくらいしか出来なかった。


 そこに。


「……?」

 今ここで聞こえてきた志波の声が、天からの救いに思えた私は、相当現金な性質だろう。

「志波っ、水樹が倒れた!」
「なんだって?」

 野次馬の輪の外から聞こえてきた志波の声。
 私は声を張り上げて、助けを呼ぶように叫んだ。

 人をかきわけてやってくる、色黒の男。
 志波は私の腕の中の水樹を見るなりしゃがみこんで、ぱしぱしとその頬を叩いた。

「おい、水樹っ。意識ないのか」
「さっきから呼びかけてるのに、返事しないのっ」
「……ここに寝かせていたら体が冷えるだけだ」

 そう言って。
 水樹+コート2枚分の重さを、軽々と持ち上げてしまう志波。

 ああ、私にもそれだけの力があればいいのに。

、鞄持てるか」
「うん、平気。持てる」

 3人分の鞄を両手で持つ。
 正直左腕がぷるぷるしてるんだけど、このくらい、私にだって。

 その時、救急車のサイレンが聞こえてきた。

「水樹、もう少しガンバレ」
「う……」

 志波の腕の中で、水樹が苦しそうに呻く。

 その光景が、なんだか妙に心に残った。


 駆けつけた救急隊員によって水樹が救急車に担ぎこまれ、私と志波が関係者ということでそのまま病院まで付き添うことになった。
 治療室に運ばれる水樹を見送ってから、志波が学校に電話を掛けにいった。
 その間、私は看護士に水樹の身元の説明等々をして、その後は病院の廊下の長いすに半ば呆然として座っていた。

「……先生が来るまで、待機しててくれって」

 志波が戻ってきた。
 私と少し距離を置いて、椅子に腰掛ける。

「水樹の容態聞いたか」
「ん。悪性の風邪だけど、肺炎起こしてるわけじゃなさそうって」
「そうか」

 沈黙。

「……まだ治療中か?」
「うん。治療ってか、検査中」
「そうか」

 沈黙。

「……」
「……」

 沈黙。

 ……ってあああ、気まずいっ!!
 なんだってこんな時にタイミングよく現れたのが志波なんだっ!
 のしんとかはるひとか、もっとこういるじゃん!
 いつもは遅いくせに、なんで今日に限って朝早く駅前なんかにっ!

「志波」
「なんだ」

 沈黙が耐えられなくなって、仕方なく私から話を振ってみる。

「なんであんな時間に駅前にいたの?」
「…………」

 ほんの少し眉をひそめて、志波はこっちを向いた。

「学校行くために決まってるだろ」
「嘘だ。いっつもいっつも遅刻ギリギリのくせに」
「……」

 はぁ、とため息をつく癖はあいかわらずだ。
 志波は困ってるかのような表情をした。

「水樹が」
「水樹が?」
「……昨日学校で見た時、結構ヤバそうだった、から」

 なぜか不本意そうな顔して、言葉を搾り出す志波。
 対する私は目から鱗だ。

 そっか。

 そりゃそうだ。志波は、水樹が。

「誤解するな」
「は?」

 志波から視線をそらして納得してた私に、志波が不機嫌そうに言った。
 まだ言うか、この男は。

「別にこんな時にからかうような悪趣味じゃないよ、私だって」
「だから誤解するな」
「いいじゃん別に。誰に言いふらすつもりもないし。否定しなくたっ」
「違うって言ってるんだ」

 ギロリと志波が睨みつけてくる。
 はいはい。
 これ以上は押し問答だ。私は志波に両手を振って、視線を逸らす。
 あー、大人になったなぁ、我ながら。

「……それより」
「ん?」
「本当に、悪かった」
「は?」

 唐突に、今度は一体なんだと思ったら。
 志波は、めずらしく眉尻を下げて、なんていうか小動物のような(非常にあてはまらない比喩である自覚はあるんだけど、それが一番適切っぽかった)顔して。

 さっきからなんなの? コイツ。
 今日はめずらしくころころころころ、表情豊かじゃん。

「何の話?」
「お前の腕の話」
「ああ……別に志波は間違ったこと言ってないし」

 その話を持ち出されると、奈良の大仏級の私の心臓も(シンが前にそう言った)さすがにズキンと鈍く痛む。

「いいよ。気にしてない。……いや気にしてるけど、志波が気にしなくていいよ。えーと、自分内の問題だから」
「……真似するな」
「だって他に言葉浮かばなかった」
「クッ」
「笑うなっ」

 今度は笑い出した。
 今日は不気味なくらいに表情が変わる志波。

 でも、よかった。多分、もう大丈夫。
 気まずいカンジはもうない。
 苦しんでる水樹には悪いけど、おかげさま、ってヤツかな。

「腕」
「なに」
「動く気配ないのか」
「一応動くけど、力が入らないんだ。でも腕にはだいぶ力入るようになったの、これでも。ただ指はまだ」
「そうか」
「精神的なモノって言われても、何をどう解消すればいいのか皆目検討つかなくて」
「そうか」

 不意に、志波が私の左腕を掴んだ。

 ……何してんの、コイツ?

 いつもなら振りほどくところなんだけど、今日の志波はどうにもこうにも変だから、私は目を丸くして志波の顔と私の左腕を掴んでる志波の手を交互に見ることしか出来なかった。
 志波はそのまま私の二の腕を掴んだまま、上げたり、下げたり。

「な、何してんの、志波……」
「……確かに筋肉がつっぱってたり、ってことはないみたいだな」
「はぁ」
「リハビリはしてるのか」
「まぁ一応……」

 もう、ぽかんと成り行きを見守るしかない。

 と。

「水樹さんが大変なときに……」

 恨めしそうな声音で、廊下の奥から革靴の音をひびかせながらやってきたのは。

「病院の廊下でいちゃいちゃするのはブ、ブーですよ、志波くん、さん」
「何言ってんの若先生。随分早かったね?」

 やってきた若先生は、白衣の上にコートを羽織ってた。
 よっぽど急いで来たのかな。少し息も上がってるみたいだし。

「タクシー飛ばして来ましたから。それより、水樹さんの容態はどうですか?」
「まだ検査中だよ。でも肺炎起こしてるわけじゃないみたいだから、多分大丈夫」
「そうですか。それはよかった」

 心底ほっとしたようで、若先生は長く息を吐いたあと私の隣に腰かけた。

さん、志波くん。偶然居合わせたとはいえ、水樹さんを介抱してくれてありがとう」
「お礼言われることじゃないと思うけど……それに志波は偶然じゃないみたいだし」
「おい」

 私の言葉に、後から志波の不機嫌な突っ込みが入るけど、無視。
 若先生はきょとんとしたあと、顎に手をあててやや考え込む。

「まぁどちらにしろ、素早い治療が受けられてよかった。あとは先生が引き受けますから、二人は学校に行ってください」
「学校って……もうついた頃にちょうどテスト終わる時間だよ?」
「やや、そういえばそうでした。……仕方ないです。今日は先生が多目に見ちゃいますから、帰宅していいですよ」
「そうこなくちゃ。じゃあ若先生、水樹のことよろしくね」
「はいはいっ、どーんと先生に任せちゃってください」

 若先生に水樹の鞄とコートを渡して、私と志波は立ち上がる。
 帰ろうとしたその時に水樹の検査が終わって、ストレッチャーに乗せられた水樹と、内科医が部屋から出てきた。
 検査結果は今の段階ではウィルス性の感冒症。つまり、ただの風邪。
 でも体力低下と軽い脱水症状、高熱もあるから今日一日入院させたほうがいいってことだった。
 若先生はそのまま病室までついていき、私と志波はとりあえず病院を出た。

 ま、とりあえず大事にならずにすんでよかったよかった。


 だがしかし。
 帰り道、志波が重大なことに気づいた。

「おい、お前いいのか?」
「は? なにが」

 昼前ってこともあって、なぜか揃ってウイニングバーガーに入ることになってしまった私と志波。
 志波は照り焼きうどんバーガーを眉をひそめて食べていたんだけど、ふと私の顔をじーっと見つめたかと思えば。

「お前、化学のテスト」
「あ」

 ぽろりと、私の手からポテトが落ちる。

「わ、忘れてたっ!! 今回のテストっ、受けなきゃ留年だった!!」
「……忘れてたのか……」
「志波っ、私、病院戻る!」
「おい!?」

 言うが早いか、私は志波とテリウバーガーを置いて、ダッシュで病院へ。

 ナースステーションで水樹の病室を聞いて、どたばたと駆け込んだ先には、今だ薬のせいで眠り続ける水樹と、そんな水樹を温かい目で見つめてる若先生。
 若先生は、乱暴に扉を開け放って飛び込んできた私に目をぱちぱちさせてたけど。

「やや、そういえばそうでした。さん、1年目の化学のテスト、1学期の0点のあとは記録ナシでしたね」
「どどどどどうなるのっ」
「まぁ今回は事情が事情ですから。教頭先生にお願いしてみます。きっと追試を受けさせてもらえますよ」
「ほんとっ!?」
「はい」
「よ、かったぁぁぁ」

 ずるずるとその場に座り込む私を、若先生はきょとんと見下ろして。

「さすがのさんも、留年は怖いみたいですね。ピンポンですか?」
「留年が怖いんじゃなくて、留年が決まった時の親父が怖い……」
「やや、それは確かに怖そうです……」

 あーよかった。
 安堵のあまり腰が抜けるなんてみっともない姿さらしてしまったけど、親父に怒られるよりはマシ!

さん」

 そんな私の目の前に若先生がしゃがみこむ。

「志波くんともちゃんと仲直りできたようですし、テスト勉強、しっかりがんばってくださいね?」
「うん」

 てなわけで。

 朝からどたばたした一日ではあったけど、一応は結果オーライ。


 後日行われたテストは、シンに化学の教科書全部音読させるという異常聴力を逆手に取った勉強法で無事にパスすることが出来て。

くんっ!! どうしてまた遅刻魔に戻ってしまったんだっ!」
「だって時間どおりくる必要がなくなったから」
「時間通りにくること自体が必要なことですっ! 今日こそ生徒手帳提出してもらいますからねっ! 10連続遅刻なんて、前代未聞ですっ!」
「氷上と小野田に出来るもんならやってみなー」

さんはやっぱり元気一杯じゃないといけませんね」
「はぁ」
「ところで志波くんの本命はどっちなんですか?」
「……水樹」
「……」
「……」
「……ほんとに?」
「クッ」
「やや、志波くん、先生をからかうと痛い目にあいますよ?」


 正面玄関でなにやら話し込んでる若先生と志波の横を走りぬけながら、今日も私は屋上へとサボりダッシュするのだった。

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