週末の土曜日は、午後から野球部の練習が始まる。
 シンが、志波はよく野球部の練習を見に来るって言ってたから足を運んでみたんだけど……。
 正直気が重い。


 16.後悔


 結局バレンタインの後、一度も志波とは話してない。
 っていうか、顔すら見てない。
 なんか水樹も心配してるし若先生まで責任感じちゃってるし、なんで私がフォローに走らなきゃならないんだか。

「あの、話題を振った先生も悪いですけど、直接志波くんが機嫌損ねた原因はさんの言葉ですよ?」
「やっぱそう思う?」
「はい」
「うー、しょうがないなぁ……」

 今日の放課後、若先生に化学準備室に呼び出された。
 大事な友情にヒビを入れてしまってすいません、ってお詫びのつもりなのかビーカーでコーヒーを貰ったんだけど。
 ビーカーって……。

 そしてなぜか若先生よりも先に化学準備室に来てコーヒーを沸かしていたのは、水樹。

「何してんの、水樹」
「今日化学室の掃除当番だったの。そしたら先生がコーヒー入れてくれるって」
「入れてるの水樹じゃん」
「う、うん。そうなんだよね……」

 呆れた笑顔を浮かべながらも水樹はもう達観してるっぽい。
 若先生は専用デスクに座って、水樹と私はその対面の丸椅子に座る。

「まぁ、志波には今日謝ろうとは思ってるけどさ」
「え、さん、志波くんとケンカしてたの?」
「んー、してるっぽい」
「っぽいって」

 水樹は目をぱちくりさせてる。
 でも若先生はいつものように、意味もなくのほほんとした笑顔を浮かべて。

「先生応援してますよ。さん、ファイト、オーです!」
「はいはい」
「やや、流されてしまいました」

 ビーカーコーヒーを一気にあおって、私は右手で鞄をかついだ。

「そんじゃ行ってくる」
「はいはいっ、行ってらっしゃいさん。気をつけて」
「なんか先生とさんって熟年夫婦みたいですね……」

 呆れ顔の水樹とにこにこ笑顔の若先生に見送られて、私は学校を出てグラウンドへ。

 来たんだけど。

 トラックで走りこんでる陸上部や、野球グラウンドでノックしてる野球部。応援部はバックネット裏に陣取って声だししてる。
 はね学のグラウンドって割りと広いんだよなぁ。
 野球部の見学っていうんだから、いるとしたら野球部の近くだろうけど。


「ん? あ、シン」

 校舎脇の土手からきょろきょろ見回してたら、ユニフォーム姿のシンが駆け寄ってきた。
 青地に赤のアンダーシャツ。派手なユニフォーム。

「志波、探してんだろ?」
「うん」
「志波ならいつも体育館側のネットの裏にいる。今日も来てるぞ」
「あ、そう」
「……お前志波に何したんだよ?」
「なんかした覚えはないんだけど、なんか怒ってるんだもん。とりあえず謝ってくる」

 シンを追い返すように手を振って、私は言われた体育館脇のネット裏へと足を運んだ。
 うう、足が重い……。


 志波がいた。
 ネット裏から、真剣な表情で野球部の練習を見てる。

 そういえば、なんで志波って野球部の練習見に来てるんだろ。
 野球がしたいなら、さっさと入部すればいいのに。
 ……あ、私みたいに集団行動が苦手とか?

 などなど考えながらも、私はゆっくりと志波に近づいた。
 私が踏んだグラウンドの砂がじゃりっと鳴る。

 志波が、こっちを向いた。

「……」

 とくに怒った様子もなく、いつもの無表情でこっちを見てる。
 でもすぐにポケットに手をつっこんで、無言のまま私の脇を通り過ぎて行こうと。

「ちょっと待った!」

 その腕をがしっと掴む。
 さっさとこんなもやもや解消したいもん。逃がしてなるか。

「なんか用か」
「用があるから来たんじゃん」
「だったらさっさと言え」

 めんどくさそうに言って、志波は私を威圧的に見下ろしてる。
 むか。

「志波が森林公園来なくなって、水樹が心配してるよ」

 あれ?

 さっさと謝るつもりだったのに。
 無愛想な志波の態度見てたら、なんか別の言葉が口に出た。

 うあ、ほら、また志波の眉間に皺が寄って来た。

「じゃなくてっ」
「……」
「あー、えーと」

 こんなとき、シンだったらうまく話すことが出来るんだろう。
 でも、私にはそんなスキルなんてないし。
 し、仕方ない。まずは順を追って……

「えーと、バレンタインの昼休みの図書室のアレで志波が機嫌損ねて」
「……」
「そのあと朝走りこみに来なくなって水樹が心配して」
「……」
「で、若先生が友情にヒビいれてすいませんで」
「……?」
「ビーカーコーヒーを水樹が入れてるのに若先生のごちそうで」
「……お前、何言ってるんだ?」
「だから、ごめんなさい?」
「なんで最後が疑問系なんだ」
「わかんない」
「あのな」

 心底あきれ果てた視線で私を見下ろす志波。
 んなこと言ったって、志波が怒ってる理由がイマイチ私も掴みきれてないんだからしょうがないじゃん!

「あのさぁ」

 あーもう。何をどうすればいいのか。

「私が口悪いのは自覚してるけど、何が志波の機嫌損ねたのかわかんないんだ。でも志波が怒ってるのはわかるから、謝らないといけないんじゃないかって……」
「……」

 あ。志波、ため息ついた。

「別に怒ってない」
「怒ってるじゃん。朝来なくなったくせに」
「怒って走りに行かなくなったわけじゃない。……自分内の問題だ。お前に関係ない」
「はぁ?」

 なんだそれ。
 じゃあ、志波が走りこみに来なくなったのって志波自身の問題で、私の言葉は全く関係なかったってこと?
 つまり、ここ数日志波に対してもやもやしてたのは、私の悩み損ってわけ?
 うわ、すっごい腹立ってきた。

「まぎらわしいことすんなっ!!」
「……何怒ってるんだ」
「悩んで損した! 時間返せ!」
「出来るか」

 こっちがこんなに怒ってるのに、平然とした態度の志波が憎らしい。

 と。

 カキーン

 金属バットの快音が響いてきて、私も志波もそちらに気をとられた。
 野球部はノックを終えて紅白試合。打ったのはシンだ。

「…………」
「志波?」

 志波が。
 ものすごく儚げで頼りない表情で、羨望の眼差しをシンに向けていた。

 さっきまでの怒りも吹き飛んでしまうくらい、意外な表情だった。

「志波、野球部入れば?」

 私が言うと、志波はゆっくりこっちを振り返って、小さくかぶりを振った。

「もう帰る」
「なんで? シンが言ってたよ。志波はいっつも野球部の練習見に来てるって」
「いいんだ」
「あ、苦手なヤツがいるとか? それともマネージャーにひとめぼ」

 べしっ

「だっ」
「お前は……」

 怒ってるとも呆れてるともとれる表情で、私にチョップを食らわせた志波はため息をついた。
 くぅ……佐伯にしろ志波にしろ、チョップってそんなに流行ってんの?

「見てると思い出すからいいんだ」
「は?」

 志波は寂しそうな表情に変わってた。
 野球部が和気藹々と紅白試合をしてるグラウンドを見つめて。

「……ガキの頃からずっとやってたんだ……野球」
「そうだろうね。かっちゃんの幼馴染なんだから」
「……」
「なんで辞めたの?」

 ふぅ。

 今日も今日とてため息ばかりの志波。
 でも、ネットに手をかけて、ぎゅうっと強く握り締める。

「取り返しのつかないことをした」
「取り返しのつかないことって」
「中学最後の試合で……オレは」
「暴力沙汰でも起こした?」

 志波が目を見開いて私を見た。

 って、マジで?

「志波が?」
「……」
「信じらんない」

 授業サボリ魔で無愛想なヤツだけど、なんだかんだって志波は誠実でお人よしの部類だ。
 私なんかと比べたって、ずっとずっとまともな人間のはずなのに。
 志波が暴力事件?

「志波のいたチームが勝ち越した瞬間、相手チームのピッチャーがビーンボール連発してきたんだってよ」
「シン」

 話に加わってきたのはシンだ。
 グローブをはめたまま、腰に手を当てて私と志波を見てる。
 紅白試合まだやってる最中だけど、いいのかな。

「で、怒った志波が相手のピッチャーに一発かました」
「……は? それが暴力事件になんの?」
「なるんだよ。学生のスポーツは暴力排他でクリーンでなきゃなんねーんだ。理由がどうあれ、殴ったっていう事実しかみなされない」
「なんだそれ」

 無言の志波に対して、私は理不尽な思いでいっぱいになる。

「なにそれ? 明らかに悪いのって相手ピッチャー一人じゃん。なんでそれで志波が野球辞めなきゃならなくなんの?」
「その一件で、両チームとも失格になった。オレは大会制覇を目標にしてた仲間の夢を奪ったんだ」
「はぁ? チームメイトが志波を責めたの?」
「いや……誰も責めなかった。相手が悪いのはあきらかだって」
「でしょ? だったら志波が野球辞める必要ないじゃん!」

「お前になにがわかる」

 低く、怒りのこもった声を出して、志波が私を睨みつけた。

「最後の大会だった。なのに、みんな無理してオレに笑顔を見せてた。オレが全員の夢を奪ったのに!」
「だから志波が悪くないってわかってたからじゃん!」
「お、おい……志波もも、あんま熱くなるなって」
「そのオレが、どうして平然と野球を続けられる!?」
「バッカじゃないの!? たかが中学の試合ごときで!」
「たかがっ……ごとき、だと!?」

 売り言葉に買い言葉。
 私の言葉は確実に志波の逆鱗に触れたようで、志波は目を吊り上げて私に近寄った。

「おい、志波っ!?」

 シンが慌てて間に入る。

 でも。

 今の志波は、バレンタインの時の志波よりもよっぽど怒ってる。
 でも全然怖くなかった。
 だって、私のほうがもっともっと怒ってたから。

 私はシンを押しのけて、志波の胸倉を掴みあげた。

「たかが、だよ! たった一度のミスでその先全部諦めなきゃいけないなら、この世の人間ほとんどが夢を諦めなきゃならないじゃん!」
「っ」
「相手のピッチャーは野球辞めたの!? 当時のチームメイトは!? 志波一人で感傷に浸ってるだけじゃん!」
「なんだと……」
「志波がこのまま野球をしないで燻ってつぶれていったら、チームメイトが苦しい思いするって、なんでわかんないかなぁ!?」

 志波がチームに対して暴力沙汰を起こしてしまったことを悔いているなら。
 チームメイトだって、志波ひとりにみんなの夢の責任を背負いこませてることを悔やんでるはずだ。
 後悔してるのは志波だけじゃないのに。
 志波だけが悪いんじゃないのに。

「志波、逃げてるだけじゃん!」
「……だったらお前はなんなんだ」

 胸倉を掴んでいた私の手を振り解き、志波は私の左腕を掴み上げた。

「お前は人のこと言えるのか!?」
「っ……」
「治ってるんだろ。お前こそ、音楽への恐怖で腕を動かせずにいるんじゃないか」
「こ、れは、だって」

「志波!!」

 反論できなかった。
 シンが割って入って、志波の手を振り払う。
 大声で志波を怒鳴りつけると、志波ははっとしたように私の左腕を掴んでいた右手を下げた。

「あ……」
「お前っ、言っていいことと悪いことがあるだろ!? 、お前もだっ」
「……」

 シンに怒られながらも、私は自分の左腕を掴んだまま俯いた。

 志波の言うとおりだった。
 治ってるはずなのに、動かないこの腕。
 プレッシャーからくる、精神的な神経障害。

 症状は違っても、志波と、同じだ。
 でかいこと言える立場じゃ、なかった。

 重苦しく流れる空気。

「……、悪ィ……今のは、本当に」

 志波が口を開く。

 なんで。
 なんで志波はこんなに簡単に自分の非を認められるんだろう。
 ……考えてみれば、野球の件だって、自分に厳しい志波が自分を戒めるためにしたことかもしれない。
 方法は間違ってても、けっしてひとりよがりじゃないはずだ……志波なら。

 でも、私は。

っ」

 シンに呼び止められても、私は立ち止まらずにその場から走り去った。

 逃げたのは、私だ。
 逃げてるのは、私だ。


Back