「なんでバレンタインにチョコ?」
「なんでって……普通そうだよね?」
「日本の場合、だな」


 15.1年目:バレンタイン


 年が明けていつもの毎日。
 そして迎えた2月14日。
 朝の森林公園で、私は水樹からチョコを受け取った。

 水樹は去年の文化祭でモデルをやって以来、ダイエットの目的で毎日走りこみに来てる。
 今では志波と私と水樹の3人で、毎朝噴水前で井戸端会議が日課だ。

 つか、あとどこまでしぼる気なんだろう、水樹って。
 もともと線が細いくせに。

「日本のバレンタインなら私だって知ってるよ。でも確か日本の場合、女から男にあげる限定じゃなかった?」
「そうだけど、割と女の子同士で友チョコあげたりしてるよ、みんな」
「友チョコ……」

 お中元・お歳暮のプチバージョンってとこなんだろうか。
 日本人って、ほんとに気ィ遣い民族だなー。

「でも私、水樹にチョコ用意してないよ」
「あ、いいのいいの。気にしないでさん。私が好きでやってることだから」

 屈託ない笑顔を浮かべながら、水樹はぱたぱたと手を振った。

 水樹は可愛いと思う。
 こういうことごく自然に出来て、人を優しい気持ちにさせる天才。

 ほら。その証拠に。

「志波くんも、ハイ!」
「…………」
「あ、あれ? チョコ、嫌いだった?」
「いや、甘いものは好きだ。でもお前……」

 ぽん、と水樹の手のひらに包みを返す志波。

「自分で食べろ。人に使う金があるなら、自分の為に使え」
「……」

 志波はぶっきらぼうにそう言い放ち、水樹はきょとんと手の中のチョコに視線を落とす。

 そういえば、シンから聞いた。
 水樹って、勤労学生なんだって。
 自分で働いて、学費も生活費も支払ってるらしい。
 あんな細い体で。
 水樹も、家族を亡くしたんだ。

 でも水樹は私とは違う。
 過去の辛さなんて微塵も感じさせない笑顔をすぐに浮かべて、

「気持ちは嬉しいけど、渡したチョコを返されるほうがショック〜」
「あ、いや……」

 ほら。
 他人が気を遣わないでいいように、自分が気を遣うんだ。
 すごいなーって思う。

「このチョコ、実はあんまりお金かけてないんだ、申し訳ないけど。手作りでみんなの分まとめて作っちゃったから。だから食べてくれると嬉しいな〜なんて」
「……わかった。これは俺が食う」

 志波は結局、チョコを受け取った。
 で、その場で包みをほどいて、一口でトリュフを食べてしまう。

「甘い。うまい」
「ありがと! じゃあ、また学校でね!」

 そう言って、水樹は手を振りながらぱたぱたと走って帰ってしまった。

 にやにやにや。

「……なんだ」

 志波が私の視線に気づいて、不機嫌そうにこっちを睨む。
 でも私の緩んだ口元は締まらない。

「べっつにー。志波って水樹にはいっつもすっごく優しいなーって思っただーけー」
「……その言い方やめろ」
「水樹可愛いもんね。見た目も性格も。私、森林公園で踊らなくてもいいし、お邪魔しないように別の場所に行こっか?」
「何言ってんだお前……」
「えーと、日本風に言うなら……そうだ。あとは若いものでごゆっくり、だっ!!」

 ずべしっ!

 みなまで言うより早く、私の脳天に志波の本気チョップがクリティカルヒット。

「なにする志波っ!!」
「こっちの台詞だ。妙な誤解するな」
「誤解じゃないもん」
「誤解だ」
「誤解じゃないっ」
「誤解だ」

 くすくす……

 志波と私が激しい火花を散らしながら言い争ってたら、まわりから忍び笑いが漏れ聞こえてきた。
 振り向けば、噴水周りのベンチに座ってラジオ体操後の憩いのひと時を過ごしてる爺婆たちが、私と志波を生温い目で見ながら笑ってた。

 うー……。
 クヤシイけど、これもいつもどおり。
 顔を付き合わせればこういう平行線の押し問答をしてる志波と私は、大抵こんなカンジでまわりの爺婆にケンカを止められてる。

 ちらりと横の志波を見れば、顔を赤くして、でも最高に不機嫌絶好調な表情をしてた。
 ふんだ、私だって不機嫌だっ。


 というわけで本日バレンタインのはね学。
 あーもう、朝からうるさいうるさい。
 通学路でも正門前でも、いちゃこくバカップルが大勢。
 佐伯と若先生は、声かけることもはばかられる状態だった。推して知るべし。

ちゃーん、おはよーさーん♪」
「おはよ、クリス。なんか今日はいつにも増して無駄に元気だね」
「元気に無駄なことなんてあらへんよ? だって今日は、らぶらぶな日やもんねー♪」

 めずらしく時間に余裕を持って登校したら、玄関でクリスに会った。
 その手には見覚えある包み。

「クリスも水樹からチョコ貰ったの?」
「そうそう。セイちゃんから貰ったんよー。学園アイドルの手作りチョコ♪ ボク、こんな幸せでええんやろか」
「チョコもらったらそんなに嬉しいもん?」
「嬉しいに決まっとるやん。お友達チョコでも、渡す人と貰う人、そこに絆があるっちゅう証拠やろ?」
「ふーん……? クリスって、おもしろい考え方するね」

 でも、確かにその通りだ。
 クリスって、本当に素直な物の考え方をする。

「ボクの考え方、おもろかった?」
「うん。でもそうなると、私もチョコ用意しとくべきだったかな」
「別にええんちゃう? ちゃんはチョコで意思表示するタイプやないんやろ? ……でも誰にもチョコあげへんの?」
「全然頭になかった。ってか、ほら。日本以外じゃバレンタインって女から男限定じゃなくて、普通に恋人のためのイベントじゃん?」
「そうやねー。でもそのかわり、日本にはホワイトデーがあるやん。いっつもお世話になっておりますーなちゃんにもホワイトデーはプレゼントしたるなー♪」

 後半クラスのくせに1−Bまでくっついてきたクリスは、そう言って私にぎゅーっと抱きついてから足取り軽く自分の教室へと歩いていった。
 あー、クリスってほんと変なヤツ。
 だけど佐伯についでおもしろいヤツかも。


 そんでもって昼休み。

「あれ、若先生」
「しーっ。さん、志波くん、ちょっとお邪魔します」

 お昼休み後のいつものお昼寝タイム。
 さすがに2月の屋上で昼寝するわけにはいかないから、去年の暮れからは図書室に移ってきてた。
 志波と顔を付き合わせるけど、昼間はお互い眠いから余計な言い争いもなくおとなしく自分のナワバリで寝てる。

 そんな図書室奥の憩いの場に、今日に限って若先生がやってきた。

「まだチャイム鳴ってないよ?」
「先生お説教にきたわけじゃないです。ちょっと匿ってもらいにきました」
「匿う……?」
「あー、若先生、親衛隊に追っかけられてるんだ? でも今日は先生もチョコ貰っていいんじゃなかった?」
「はい、義理チョコなら。でも先生、朝からプレゼントの嵐で疲れちゃいました。教員室の机にポストを置いてきたから、お昼はちょっと休憩です」
「人気ものも大変だ」
「……だな」

 疲れた笑顔を浮かべながら、若先生は志波の隣の椅子をひいた。
 この場所は、なぜか人に見つからない場所。
 まあ仕方ない。今日だけは場所を提供してあげよう。

「ありがとう、さん、志波くん。ここは静かで落ち着きますね」
「まぁね。もともとは志波が一人で占領してたんだけど」
「占領してたわけじゃない」

 眠そうな目をして、志波が口ごたえする。
 そのまま大きな欠伸をひとつ。

「やや、志波くん。レディの前でそんなことじゃだめですよ?」
「ふぁ……はぁ?」

 欠伸の途中で志波は目をぱちくり。
 私もそうだ。
 若先生、いきなり何言ってんの?

「……レディ?」
「そうです」
「もしかして、コレが、ですか」
「コレってなんだ!」
「やや、志波くん照れ隠しですか? 毎日こんなところで志波くんとさんがアバンチュールしてることは、先生もう知ってますよ?」
「なっ!?」
「アバンチュールって若先生……こんな静かで平穏なとこで?」
さん、ここでいうアバンチュールはフランス的な意味じゃなくて日本的な意味です。らぶらぶです」
「はぁ?」

 私も志波も、にこにこ頬杖ついて微笑んでる若先生をひきつった顔で見つめた。
 ホントに何言ってんだこの教師。

「あのさぁ若先生……誰からどんな情報仕入れたのか知らないけど、ガセネタ掴まされてるよ、それ」
「そうですか? でも志波くんとさんは事実ここにいるでしょう?」
「いるけど真実は違うの。志波が好きなのは水樹だよ」
「な!?」
「え?」

 今度は逆に私が頬杖ついて、若先生の間違いを指摘してやった。
 すると、志波がぴきんと硬直して、若先生は頬杖ついてた手から顎をがくんと落とす。
 どちらも目をまん丸に見開いて、やがてお互い見つめあった。

「志波くん、水樹さんのことが」
「ちが、違いますっ」
「……」
「違います、先生。……っ!」

 きょとんとして驚いてるのかそうでもないのか、よくわからない若先生の強い視線から逃げるように志波が怒り心頭の表情で私を睨みつけてきた。

「いいじゃん別に……のしんやはるひにバラしたわけじゃないんだし。志波と私がデキてるなんて噂流されるほうが嫌でしょ?」
「どっちも事実と違うだろうが!」
「またまた。っつか図書室なんだからもう少し声落として」
「っ……!!」

 志波は顔を真っ赤にして、激しい怒りを無言で私にぶつけてきた。

 なになに、そこまで怒るようなこと?

 すると。
 志波はガタン! と乱暴に立ち上がって、そのまま図書室を出て行ってしまった。

 ぽかんとしてその後姿を見送る私と若先生。

「……なんかマズかった?」
「や、さん。先生の予想だと、志波くん今ので傷心度プラス50で254超えちゃいましたね」
「なにそれ」
さん」

 わけのわからないことを言い出した若先生に呼ばれて、私は視線を図書室入り口から対面の若先生に戻す。
 若先生はめずらしく、眉間にシワよせて、顎に手をあてて難しい顔をしてた。

「志波くん、本当に水樹さんのことが好きなんでしょうか?」
「そうだと思うんだけど。でもあの様子じゃ、もしかしたら違うかもしんない」

 違うんだとしたら、さすがに謝らなきゃだめかなぁ。
 相当怒ってたもんね。あれはヤバイ。

 さすがの私も、さっきの志波は怖かった。

「そうですか……」
「ずいぶんこだわるね、若先生。そんなに気になる?」
「はぁ、まぁ」

 気の抜けた返事をしたあと、ふっと我に返ったように若先生は私を見て。
 いつもののんきな笑顔を浮かべる。

「ほら、水樹さんは先生の可愛い生徒ですから。父親代わりとしては、娘の交際相手はきちんと見極めないと」
「若先生が父親ぁ? うわ、最悪に頼りないっ」
「ぐさっ。さん、ひどいです……先生、そんなに頼りないですか?」
「シンから聞いたけど、水樹って天涯孤独で勤労学生なんでしょ? それなのに若先生が父親代理って。まだ教頭のがいいんじゃん?」
「がーんっ、きょ、教頭先生に負けました……」

 がっくり肩を落として、しくしくと落ち込むトコまで落ち込む若先生。

 水樹さんには叔父さん夫婦がいるから天涯孤独じゃないから、先生でも父親代理できるんです、ええできますとも、ぐちぐちぐち。

 あーあーあー。
 こうなったらしつこいんだ、若先生。
 フォローする気も失せるけど、いつまでもぐだぐだされるのはもっとウザいし仕方ない。

 というわけで私の昼休みは、結局若先生のご機嫌とりに費やしてしまってお昼寝なんて一睡もできなかった。
 でもご機嫌取りをしたのは、言葉を知らないこの私。

「じゃあ海野さん、今の問題の答えをお願いします」
「えっと……すいません、わかりませんでした……」
「…………」
「あ、あの、若王子先生?」
「いいんですいいんです。どうせ先生は授業だってロクに出来ない駄目駄目教師なんです。謝るのはこっちのほうなんです……」

 しくしくしくしく。

 だめだ。
 励ましたつもりが、さらに奈落に突き落としてしまった。


 で、問題がもうひとつ。


 朝の森林公園。今週いっぱい、志波が来なかった。

「志波くん、どうしたんだろ? 学校には来てるみたいなのに」
「あああああもう……」

 若先生はどうでもいいとして、志波がここまで機嫌損ねるとは思わなかったっ!!
 くそー、謝らなきゃ駄目かぁぁ……。

 水樹が無邪気に志波の心配する横で、私は盛大なため息とともに頭を抱えた。
 ううう、自分の口の悪さを初めて反省したかもしんない……。

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