文化祭っていうのがある。
 中学はほとんど不登校って言ってもいいような状態だった私だから、実質はね学の文化祭が人生初の文化祭ってことになる。
 まぁ、授業よりはおもしろいもの、らしい。


 12.1年目:文化祭


 暦は11月。学校は文化祭準備期間と称して、授業時間が削減されて生徒全員で校内デコレーションにいそしんでる。
 各クラスで展示催しをやらなくてはならないらしくて、うちのクラスは『喫茶店ヤングプリンス』。
 HRで全会一致で決まった喫茶店の店名。
 いや、私は賛成しなかったよ? 当たり前じゃんっ、センス悪い!!

 とはいえ。

「ふっふっふ、氷上を欺き当日は屋上ゲリラライブするからな! ゼッテー見に来いよ、っ!」
「なんかファッションショーのモデル頼まれちゃって……。でもやるからにはがんばるから、さんもよかったら見に来てね!」

 クラス展示や文化系部活所属者以外も浮き足立つのが文化祭ってものみたいで。
 のしんや水樹から当日のお誘いを受けつつも、イマイチ文化祭の魅力がわからなかった私は気のない返事を返しておいた。


 そして文化祭当日。

「あっ、ちゃんやん。一人なん?」
「んー?」

 ぷらぷらとクラス展示を見回りながらはね学まんじゅうを頬張っていたら、ぽてぽてと前方から走ってくる派手金髪。
 クリスだ。

「ふひふほひほひ?」
「……? あー、『クリスも一人?』って言うたんやね?」

 クリスすごい! まんじゅう頬張りながら言った不明言語なのに、ちゃんと解読した!
 私は急いでまんじゅうを飲み込んだ。

「僕は美術部の展示当番が終わって、これから密ちゃんの演奏聞きに行くところなんよ」
「ヒソカちゃん?」
「あれ、知らん? はね学お嫁さんにしたい候補ナンバーワンの、水島密ちゃん」
「なんだ水島のことか」

 手にしたはね学まんじゅうをクリスにもおすそ分けしながら、水島のことを思い出す。

「前に後姿で水島と間違えられたことあるんだよね」
ちゃんと密ちゃん、髪質も長さも似たような感じやしね」

 でも中身は全然違う。
 水島はたおやかで女らしくて、さっきクリスが言った通りお嫁さんにしたい候補ナンバーワンに輝いてる学園プリンセスだし。
 かたや私は、姐さんと呼びたい候補ナンバーワンを藤堂と競ってる身だもん。

ちゃん、このあと何も用事ないんなら一緒に演奏聞きに行かへん? お客さんひとりでも多いほうが、密ちゃんも喜ぶやろうし」
「演奏って。水島の?」
「うん。密ちゃん吹奏楽部でサックス吹いてるんよー」

 すっごくカッコええんやでー♪ と浮き足立ってるクリス。

 吹奏楽、か。生演奏を見るなんて久しぶりだな。

「いいよ、一緒に行く」
「決まりやね! ほな急いで行こー!」

 ぽんっと手を打って。クリスは私の手をとって引っ張り出した。

「体育館へレッツゴー!」
「で、何の曲やんの?」
「えーと、確かエルガーのYahoo! どうどうっ、やったかな」
「ふーん、威風堂々……」
「うん、それそれ」

 フランスにいた時、オケに参加する機会が一度だけあって私も弾いたことがある。
 吹奏楽ってことは弦楽器ナシなんだろうけど、どんな編成なんだろう。
 あ、ちょっと興味沸いてきたかも。


 水島が出るっていう吹奏楽部の演目は、体育館プログラム午前のトリ。
 クラシックにはあまり興味ないのか、客席は半分程度しか埋まってなかった。

「はね学の吹奏楽部の実力ってどんなもんなの?」
「んー、どうなんやろ?」

 なんだ。クリスの興味は音楽じゃなくて、水島か。

 ブザーが鳴って照明が落ちる。
 緞帳が上がるのと同時にぱらぱらと拍手が鳴った。

 指揮台。譜面台。木管の後に金管。向かって右にコンバス隊。

 指揮者が観客を向いて一礼をする。
 拍手が止んで指揮者が指揮棒を振り上げると、吹奏楽部員たちが楽器を構えた。

 指揮棒が振り下ろされるのと同時に、演奏が始まった。

 エルガー作曲の威風堂々。その名の通りの堂々たる曲調。
 へぇ、頭のバイオリン部分は木管編成なんだ……。オケとは違った編成で聴くとまた新鮮だ。

 ……自然と、指が動く。
 左手が、バイオリンの弦を押さえるように、曲に合わせて。
 はね学の吹奏楽部の実力はなかなかだ。みんなきっちり練習してきたんだろうな。早弾きのところも崩れずに音を鳴らしてる。

 かくんと、私の左手の指が鳴った。
 自由が利かないこの手。力が入らないこの指。

 本来の編成ならバイオリンがフォルテで奏でる早弾きパート。

 ついて、いけなかった。

 隣のクリスは目をきらきら輝かせて演奏に聞き入り、学生たちに魅入っていた。
 楽しそうに演奏する吹奏楽部員。水島の姿も見える。

 吹奏楽部はクラシックの有名どころを3曲ほど演奏した。

 その間、私は左手を握り締めていた。



 生演奏なんか、聴くんじゃなかった。



 演奏が終わって、開演する前より熱心な拍手に包まれる吹奏楽部員たち。
 私はクリスに残ってたはね学まんじゅうを押し付けて、逃げるように体育館を走り出た。


 夕暮れの屋上。
 私は給水塔の上に上ってグラウンド向こうの海を眺めながら、ただぼーっと足をぷらぷらさせていた。

 文化祭はとっくに終わった時間だろう。
 片付けもHRも終わって、今日は部活練習禁止の日だから校内に残ってるのは先生くらいか。
 私はそのどれをもサボって、ずっと屋上で時間を無駄に過ごしてた。

 のしんのゲリラライブは氷上に事前にばれて違う場所で決行したみたい。
 水樹が参加したファッションショーは、なんだかすごいことになってたみたいだ。
 そのどちらも私は見ずに、すぐ下の3年生のクラスから漏れ聞こえた声で知った。

 約束、破っちゃった。

 はぁ。

「あ、ようやく見つけました! 降りてきてください、さん」

 何もする気が起きなくて、空を見上げる形でごろんと寝そべると、下から若先生の声がした。
 寝返りをうつようにして下を覗くと、腰に手を当ててこっちを見上げてる若先生。

「今日という今日は先生怒ってますよ。文化祭は全員参加です。片付けに協力しなかったのは、ブ、ブーです」
「ごめんなさい」
「あれ、今日はやけに素直ですね?」
「悪いけどほっといて」

 怒ってるという割には相変わらず怖くない若先生が、目をぱちぱちさせてきょとんとする。
 私はそれを無視して再び茜空を仰いだ。

さん」

 給水塔のかけはしごを上ってきた若先生が、顔だけひょこんとのぞかせる。

「落ち込んでますね? ピンポンですか?」
「うん」
「やや、元気印のさんがそこまで落ち込むなんて。何かあったんですか?」
「うん」
「……」
「うん」
「あの、先生を適当にあしらわないでください。先生も落ち込みます……」
「うん」
「…………」

 ほっとけって言ったのに話しかけてくるほうが悪い。

 それでも若先生はめげずに、よいしょ、と爺臭い掛け声をかけて給水塔によじのぼった。
 給水塔の上は本来人が上るようなところじゃないし、その場所を私が寝転がって占領してるわけだから、若先生はせまいスペースにちょこんと正座した。

「やや、ここはとっても眺めがいいです。さんのお気に入りですね?」
「うん」

 そのまま若先生は黙って海を見続けた。

 ……居心地悪い。

「若先生、性格悪い」
「先生は大人ですから」
「ちぇ」

 志波に怒られたクセが口をついた。

 あーもう。
 私は仕方なく体を起こした。

「ねぇ」
「はいはいっ、なんでしょう?」
「若先生って、本当にIQ200の天才なの?」

 唐突な私の質問に、若先生は面食らったようだ。
 顎に手をあててしばし思案顔。でもやがて口元に笑みを浮かべて。

「さぁ。さんはどう思いますか?」
「天才だと思う」
「やや、どうしてですか?」
「天才って変人が多いから」
「……もしかして先生、今バカにされてますか?」
「バカにしてないよ。事実だもん」

 意味を図りかねる、といった風で眉をしかめる若先生。

「私って聴力異常なんだって」

 なんとなく。
 若先生に話しかけた。

「聴力異常ですか?」
「うん。生まれついて。って聴力が弱いって意味の聴力異常じゃなくて、異様にいいってヤツ。耳で聞いたこと、瞬間的に記憶しちゃうの」
「そうなんですか」
「うん。だから、まだ物心つく前にいろんな能力開発研究所の類に招待されてたんだって」

 若先生が顔をしかめる。

「でも親父もお母さんもそういうの嫌がって。耳がいいなら音楽教育でもさせたらどうだって思いついて、私、小さい頃から外国を転々としてたんだって」
「へぇ」
「楽器演奏も声楽も楽しかった。英才教育って、ひとつにしぼって徹底的にやるから、私相当世間知らずに育ったけど、音楽だけは天才的だって言われて」
「うん、先生もさんの歌は素晴らしいと思います」
「でも事故で時間が止まった」

 あの事故で左手が思うように動かなくなった。
 完治したって医者に言われたけど、どうがんばっても動かなかった。
 仮に動いたとしても、以前のようにはもう弾けないだろうからバイオリンを弾くことは二度とないだろうけど。

「音楽やめて日本に戻ったけど、うまく馴染めなくて。親父の仕事ではばたき市に戻ったけど、それだって日本にも学校にも馴染めなかった私を思ってのことだったと思う」
「……」
「小さい頃、リトルリーグやってた頃にいたはばたき市になら、少しは馴染めるんじゃないかって。確かにここにはいいヤツたくさんいるから、学校来るのも楽しいし」
「そうでしょうそうでしょう。先生もそう思います」
「でも今日吹奏楽部の演奏聞いて、すーっごくヘコんだ」

 あの事故さえなければ、私だって演奏出来た。
 部活で音楽やってる連中なんかよりもずっとずっとうまく。
 趣味で音楽やってるヤツが自由に楽器を弾けてるのに。

 なんで、本気で音楽をやってた、私だけ。

 そう、思ったんだ。

「事故から私の時間が動かないの。先なんか全然見えない」

 見えるのは過去の栄光だけ。
 音楽以外にやりたいことなんてない。
 でも今自分に出来るのは歌うことと踊ることだけ。

 先なんて、なにも見えない。

「だから」

 あ、そっか。

 若先生に話してて、ようやくわかった。

 だから私、かっちゃんに会いたいんだ。
 昔の私を知ってるかっちゃんに。
 かっちゃんに会えば、時間がリセットされるんじゃないかって。
 そして、またそこから何か始められるんじゃないかって。

 馬鹿だ、私。

さん」

 さらに落ち込みそうになった私に。

 振り向いた先には、困ったような笑顔を浮かべた若先生。

さんが元気になれるかわからないけど、さんに先生のとっておきの秘密教えてあげます」
「は?」

 若先生の秘密?
 いきなり何を言い出すかと思えば。

「若先生に秘密なんてあんの?」
「やや、馬鹿にしてもらっちゃ困ります。女は秘密が多いほど魅力的なんです」
「……つっこむべき……?」
「や、そこはスルーしてください。あのね、さん」

 若先生が私の耳に口を近づけて、こそっと。

「先生、実は本当に天才なんです。さんと似たようなもので、先生には瞬時に計算式を解く能力があるんです」
「え」
「瞬間記憶能力ならぬ、瞬間演算能力ですね。……その能力のせいで、先生も散々な目にあったことがあります」

 驚いた。
 まさかまさか。

「こんな天然ボケボケ教師に?」
「がーんっ。さん、ひどいです。面と向かってそんなこと言わなくたっていいじゃないですか……」
「あ、ごめん。つい口に出ちゃった」

 いじけた素振りを見せる若先生。でもすぐに、

「先生にも時間が流れてないような気がします。ここは自分の居場所じゃない。よく思います」
「若先生も?」
「うん。でもね、はね学で先生を始めてからは少しずつ……何かが変わってるような気もするんです。だから、もう少しだけ様子を見ようと思ってます」
「ここで」
「はい」

 そして若先生は、意外に大きなその手で私の頭をぽんぽんと撫でた。

さんにもきっと何か変化があります。高校生活3年間っていうのは、勉強だけじゃない、そういう変化をとげるための時間でもあるんだから」
「そうかな」
「そうです。先生の言葉が信じられない?」
「うん」
「がーんっ。さん、先生、結構いいこと言ったのに」

 即答した私に、今度は結構本気で傷ついたような顔を見せる若先生。
 あー、若先生をからかうのって本当におもしろい。

「でもなんとなくいい気分転換になったよ。ありがと、若先生」
「気分転換……。いえ、いいんですいいんです。どーせ先生の言葉なんて、その程度の感動しか与えられないんですよ」

 なんだとこの。
 せっかく人が素直にお礼を言ったのに、なんでいじけるんだこの教師っ。

 私に背中をむけて体育座りしてしまった若先生を、このまま給水塔から突き落としてやろうかとも思ったときだ。

 ばたん! と派手な音がして屋上のドアが開いた。

「やや?」
「だれ?」

 私と若先生は仲良くトーテムポール状態になってそっちを覗き込んだ。

 そこには、辺りをきょろきょろ見回したあとこっちを見上げた、志波。

!」
「志波じゃん。何してんの?」
「お前な」

 自分を見下ろす私と若先生を見つけて、息せき切って駆け込んできた、って感じの志波が大きくため息をつく。

「なにしてんだ」
「えーと」

 若先生と顔を見合わせて。

「青春討論会?」
「お悩み相談?」
「…………」

 志波はまたため息をつく。

「シンから連絡あった」
「シンから?」
「お前がまだ戻ってこないし、携帯も繋がらないって」
「あ、携帯教室の鞄の中だ」
「……」
「やや、さん、携帯は携帯してないと意味ないですよ」
「だって自分の時間邪魔されるの嫌なんだもん」
「いいからさっさと降りて来い」

 命令口調の志波にちょっとむっとしながらも。
 でもまぁそろそろ夕暮れってよりも夜って時間に差し掛かってるし。仕方ない。

 のろのろとはしごを降りる若先生の横から、私はひょいっと給水塔から飛び降りた。

「お前……制服のスカートで飛び降りるな……」
「エロ志波ー」
「シメるぞ」
「へいへい」

 顔を赤くしながらそっぽを向いてる志波に適当に返事して、私は制服のスカートをぱんぱんと払う。

「志波くん、さんを探しに来たんですか?」
「はい」
「やや、さんも隅におけませんねぇ」
「何言ってんの若先生。でも志波、よくここがわかったね?」
「お前の行動範囲せまいだろ。森林公園は真咲が行った」
「え、元春にいちゃんも探しに出てるの!?」

 うわー、志波はどうでもいいけど元春にいちゃんに心配かけたのは悪かったなぁ……。
 あとで携帯で謝っておかなきゃ。

「ささ、兎にも角にもそろそろ下校しないと守衛さんに怒られます」
「はーい」
「志波くんも。3人で一緒に帰りましょうか」
「はぁ」

 ぽんぽんと手を叩いて、若先生が私と志波の背中を押した。
 そのまま私は1−Bへ、若先生は化学準備室へ。
 そのあと正面玄関で合流して、私たちはとっぷりと日の暮れた道を並んで帰った。



 後日。

さん、先生思ったんですけど」
「なに?」

 文化祭片付けブッチの罰当番として、1週間化学準備室の掃除を命じられた私。
 しぶしぶ若先生の机を拭いてるときに、若先生が神妙な顔して話しかけてきた。

「聴力異常で瞬間記憶できるってことは、授業をさぼらずにきちんと出てればテストもいい点取れるんじゃないですか?」
「あ、それは無理」
「やや、どうしてでしょう?」
「どうしてって」

 私は腰に手をあてて、呆れたように若先生を見下ろした。

「いくら聴いたこと瞬間記憶できるっていっても、寝てる間は記憶できないに決まってるじゃん」
「……えーと、先生、つっこむべきなんでしょうか?」
「は? 今のどこにつっこみどころがあったのさ?」
さん……授業中はちゃんと起きててください……」
「あ、それは無理」
「やや、どうしてでしょう?」
「どうしてって」

 なぜか悲しそうに私を見上げてる若先生に、私はもう一度同じポーズで。

「私朝早いから午前中の授業は眠いし、午後はお昼食べたあとだから眠いもん」
「……えーと、先生つっこむべきなんでしょうか?」
「だから今のどこに突っ込みどころがあんの!」
さん、先生自信なくしそうです……」

 なぜか若先生はしくしくと落ち込んでしまった。

 ほんとこの先生、わけわかんない。



 ……ってことを昼休みのお昼寝タイム前に志波に話したら。

「まぁ……後半の眠いって話はオレにもわかるが……」
「でしょ?」

 ほら、志波だって同意した。

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