文化祭翌日の日曜日の夕方。
 今日も受験勉強の合間を縫ってリハビリに付き合ってくれたユリを家まで送り届けて、オレは自宅へと足を向けた。


 番外編6.双子の弟、姉夫婦と語る


「おうシン坊、どーだ肩の具合は」
「上々っ。来年の春は開幕投手確実だから、今のうちにチケット確保しといたほうがいいぞ、おっちゃん」
「へっ、相変わらずでかい口叩くなぁシン坊は」

 まっすぐ家に入ろうかと思った矢先、向かいの肉屋のおっちゃんに声をかけられる。
 甲子園のあと、うちに押しかけたマスコミのせいで相当迷惑かけちまったってのに、商店街のおっちゃんおばちゃんは変わらず親切だ。

 おっちゃんはカウンターに近寄ったオレに、どどんとでっかい包みをよこして。

「……なんだこれ。牛コロ? こんなに食えねぇって!」
「食うだろ。シン坊が朝出かけてったあと、あの渋い兄ちゃん来たし」
「渋い兄ちゃんって、もしかして勝己のことか?」
「そうそう! もう一人の甲子園ヒーローな! あのランニングホームランかました兄ちゃんよ!」

 へえ?

 オレは包みを抱え込んで、中から牛コロ1個取り出してかぶりついた。

 オレになんの連絡も無し、ってことはに会いに来たってことだよな。
 なんだぁ? 甲子園明けてからなんか妙な距離感出来てたんじゃなかったか、あの二人。

 すると肉屋のおっちゃんは助平親父丸出しの品のない笑顔を浮かべて。

「シン坊、やっぱアレか? あの兄ちゃん、嬢ちゃんのコレなのか?」
「親指立てんなっつーの……。さぁ、どうなんだろうな。つーか、マスコミに変な情報だけは流すなよおっちゃん!」

 とりあえずゴシップ好きなおっちゃんに釘を刺して。
 オレは家の玄関を開けた。

 玄関ポーチには見慣れたでかい運動靴。確かに勝己は来てるらしい。
 靴を脱ぎながら耳を澄ませてみるけどなんの物音もしやしねぇ。

 まぁ勝己は元々が無口だし、も基本年頃女子のようなきゃぴきゃぴしたとこはねぇから静かで当たり前かもしんねぇけど。

 とりあえず、牛コロを置きにリビングに入る。
 普段ならここで若貴がにゃんと鳴きながらやってくるんだけど、その気配もない。
 大好きな勝己が来てるから、若貴もそっち行ってるのか? と思いながらリビングを見渡して、


 オレは目を点にする。


 寒がりの親父のために、11月頭早々に登場した我が家のコタツに、勝己がいた。
 ……いや、いるのはいーんだけど。

 座椅子の背もたれをかなり倒した状態で座って、コタツに足をつっこんでる勝己。
 その勝己の『上』に、がいた。
 勝己の胸に顔をうずめて、うつ伏せ状態でぎゅーっとしがみつくっつーか抱きつくっつーか、そういう格好で。

 そのの腰の上で若貴が丸くなってなきゃ、相当きわどい想像してたぞ、オレはっ。

 呆気にとられながら牛コロの包みを食卓の上に置けば、勝己が閉じていた目を静かに開く。
 そしてゆっくりとこっちを向いた。

「邪魔してる」
「あ、お、おう。気にすんな……」

 って、気にしてんのはオレだっつーの。

 上着を脱いでソファに置いて、オレもコタツにもぐる。
 どうやらは爆睡してるみたいだ。のんきなツラしてすーすーと気持ち良さそうに寝息を立ててる。

 どこから突っ込めばいいやら。
 口をぽかんと開けて勝己とを見ていたら、勝己はふーと大きくため息をついた。

「助かった」
「は?」
「あと少しで3000匹の大台に乗るところだった」
「……お前、羊数えて理性保ってたのか……」

 こくんと頷く勝己。
 それ普通は寝れないときに数えるもんだろ。

「つかちょっと待て勝己。お前、いつの間に? の様子がおかしいって言ってたの、文化祭のちょっと前だったろ」
「ああ。だな」
「それがどうしてこういうことになってんだ!?」
「昨日こうなった」
「…………」

 わけわかんねぇぇぇ!!

 さっきユリとも話してたんだぞ?
 文化祭も終わってもう行事もないから、勝己との力になってやろーなって、うちの可愛い彼女は心配してたんだっつーの!

「だから、何があったんだよ。何かきっかけがあったんだろ?」
「……学園演劇」
「って、が主演やったあれか?」
「クリスティーヌはファントムを選んだ。それだけだ」
「謎解きしてるんじゃねぇって……」
「コイツが」

 妙に落ち着いた口調で、優しい眼差しでを見つめて、勝己はの髪を梳く。

「どれだけ傷ついてるか、思い知った。だからもう、待つのはやめた」
「ふーん……? 待つのはやめて、襲いかかっちまったとか?」
「……」
「目ぇ逸らすなっ! つか図星かよ!?」

 おいおいおいっ。
 極端なヤツだな、お前は本当にっ!

「昨日、つったよな。まさかお前、学校内でコトに及んだっつーのか!?」
「変な想像するなっ。ただ、屋上で」
「立ち入り禁止の屋上かよっ! おいおいっ、いっくらが普通と違うっていっても、初めてであおか、がっ!」
「変な想像するなって言ってるだろうがっ!」

 怒りか羞恥か、はたまたその両方か。
 真っ赤に顔を染めた勝己の左ストレートがオレの顎にヒットする。
 つか痛ぇよ! この馬鹿力がっ!!

 すると、オレたちの騒ぎにが「むぅ〜……」と唸ってうっすらと目を開けた。
 勝己にしっかりと抱きついた姿勢のまま、顔だけオレの方に向ける。

「……シンだ」
「お、おう」
「おかえり」

 そう言って、また目を閉じる。
 でもすぐに目を開けて、勝己を見上げた。

「どうした?」
「撫でて」

 勝己は一瞬きょとんとするものの、すぐにふっと相好を崩し右手での頭を撫でる。
 はというと幸せそうな笑顔を浮かべて、再び勝己の胸に顔をうずめて。

 ……おいコラちょっと待てそこのバカップル。

「いちゃつくなら部屋でやれっ」
「2階寒い」
「だな」
「うるせー! 彼女が受験生でロクに会えねぇオレに少しは気ぃ使えってんだっ!」
「今日小石川と一緒にリハビリ行って来たんじゃん」
「だな」

 だああ、と勝己のくせに生意気言いやがってっ。

「小石川って、そんな勉強しなきゃいけないほど成績悪いの?」
「お前らと一緒にすんな。勉強出来ようが出来まいが、受験生っつーのはぎりぎりまで勉強するもんなんだっ」
「だったらシンが勉強見てやればいいじゃん」
「……受験勉強見てやれるほどオレは成績よくねぇよ」
「頼りになんないヤツ」
「だな」
「お前らほど人に不快感与えるカップル見たことねぇぞオレは……」

 いつもを戒めてた勝己までの味方に回りやがって、わがままっぷりが増長すんじゃねーのか、これ。

 憤慨するオレを慰めてくれるのは、の背から飛び降りた若貴だ。
 オレの膝元に上がりこんで、指先をぺろぺろ舐めてる。
 よしよし、お前はこんな暴虐な飼い主に似るなよ?

「つーか。お前の進路はどうすんだよ。大学にしろ専門学校にしろ、もう願書提出の時期だぞ」
「う」

 コタツの上のみかんに手を伸ばして皮を剥く。

 オレの言葉に眉間に皺を寄せたも体を起こして、勝己の膝の上に座りなおした。
 ……って勝己の上は定位置かよ。
 勝己も座椅子の背もたれをいつもの位置に戻して、みかんに手を伸ばした。

「……志波は推薦取れたんだっけ?」
「ああ。1次は通ったから2次待ちだ」
「勝己が推薦落ちるわけねぇだろ。お前だけだ、進路のしの字も決まってねぇの」
「うー」

 はむすっと口を結んで唸る。

 の進路に関して、親父は何にも口出ししてない。ただ、人の迷惑になるな、社会に関われ、それさえクリアしてるならやりたいことをやれ、って。
 追い詰めてんだか気遣ってんだか。

「……口開けろ」

 勝己が皮を剥いたみかんをの口元に運ぶ。
 は素直に口を開けて、勝己がそこにみかんを放り込んだ。

「このみかん酸っぱい」
「そうか?」

 彼氏に皮剥かせて食わせてもらっといて、文句言うなっ。

 オレの目の前で甘酸っぱいことしてる二人を無視して、オレは黙々とみかんを平らげる。
 くそ。このバカップルぶりを写メって野球部全員にメールしてやろうか。

「なぁ」

 みかんの半分をに与えたあとに、勝己が口を開いた。

「お前、写真に興味があるんじゃないのか」
「は?」

 ぐ。

 考えを見透かされたかと思ってみかんを喉につまらせる。
 でも、どうやら勝己はに対して言ったみたいだ。

 当のはきょとんとして勝己を振り向いて。

「写真?」
「……いつもいろんなとこで写真撮ってるだろ、お前。風景でも、人物でも」
「撮ってるけど」

 が携帯を取り出す。
 その携帯を勝己が取り上げ、かちかちとなにやら操作して。
 しばらく画面に見入ったあと、勝己はそれをオレに手渡した。

が撮った写真だ」

 そういえば、の携帯の中を見るのは初めてな気がする。
 手渡された携帯の画面に映っていたのは、真っ青な空と海。
 その次は同じ構図で夕焼けの風景。
 さらに次は、朝焼けの瞬間で、藍と真珠色と茜が絶妙なグラデーションになった空が写っていた。

「……へぇ」

 コイツがこんな写真を撮ってたなんて知らなかった。
 かちかち携帯を操作して画像を見ていけば、街の写真も、春ニィの写真も、いろんなものが出てくる。

 と。

「ん?」

 いきなり勝己の笑顔の画像が出てきて、思わず目が点になる。
 日付は2006年の9月10日。
 なんだこれ、1年のときに撮った写真か?
 つか、このときってまだコイツ、野球部にも復帰してねぇで一人燻ってた頃だろ。
 なんでこんな笑顔の写真撮れたんだ、のヤツ。

「どうかした?」

 固まったオレの手から携帯を取り上げて、がソレを見る。
 背後から勝己もそれを覗き込んだ。

「……げ」
「あ、懐かしい。これあれだ。遊園地行ったときの、朝の写真」
「針谷と西本が一緒だったときのか……」
「そうそう。このとき志波が笑うって知らなかったから、物珍しくて思わずシャッター切ったやつ」
「……オレだっておかしい時は普通に笑う。ていうか、今すぐ消せ」
「ヤダ。いい顔してるじゃん、志波」
「消せ」
「やーだー」

 後ろから腕を伸ばす勝己に、胸に携帯をしっかりと抱いて拒否する
 あーあーあー、だからお前ら人の目の前でいちゃつくなっ!

「で? と写真がなんだって?」

 傍から見てりゃ、勝己が後ろからに抱き付いてるだけにしかみえない二人に、オレはコタツに頬杖ついて投げやりに尋ねる。
 すると勝己は体を起こして。

「もし写真に興味があるなら、そういう道もあるかと思って」
「そういう道って、写真家ってことか?」
「そうだ」
「……まぁ、確かにキレイな写真撮るな、とは思ったけど」

 勝己の言葉にもオレもきょとんとする。

 写真、ねぇ。
 確かにコイツは芸術の分野でしか活躍はできなさそうではあるけど。



 ぽふ、と勝己がの頭に手を置く。

「どうだ?」

 勝己が尋ねれば、はくるりと体を反転させて勝己と向き合うように座りなおす。

「わかんない。……まだ、音楽を諦められないし」
「趣味から始めたっていいだろ。ただ、卒業後になにもすることがないよりは」
「……うん」

 妙に素直に頷いて、は勝己に抱きついた。
 勝己はそのの髪を優しく撫でる。

 なんつーか。
 本当にのことを大切に考えてくれてんだなって、ふと思う。

 でもな?
 何度も言うけどな?

 オレの目の前でいちゃつくなっつんだ、ムカツクからっ!!!

「そういや、かっちゃんはどうするんだろうな、卒業後!」

 腹立ってきたから、地雷を踏んでやる。
 案の定、勝己はぎょっとしてオレを見るし、もぱっと顔を上げる。

「シンっ!」
「そうだ。かっちゃんはどうするんだろ。志波、知ってる?」
「知らねぇ」
「あ、嘘ついてる」
「……」
「やっぱ野球また始めたってんだから、体育大行くんじゃねーの?」
「………」
「そうなの? じゃあ私も体育大受けるかな」
「……おい。かっちゃんが体育大受けるからお前も受けるのか」
「うん。だってかっちゃんに会いたい」
「だめだ」
「ってなんで志波にダメ出しされなきゃなんないの」
「だめだ。受けるな。つか受けさせねぇ」
「むか。志波ばっかりかっちゃんに会っててずるいっ」

 途端に不機嫌になる
 勝己は苦虫噛み潰したように渋面になってる。

 つーかお前……本気で墓までその秘密持ってくつもりだろ。
 まぁオレとしてはからかいのネタが尽きなくてありがたいけどな。

「かっちゃんに会いたい」
「オレの前でその名前を出すな。いい加減にしねぇと口ふさぐぞ」
「やだ。志波ズルイ。かっちゃ、ぅ、ふぐ」

 ……。

 おい。ちょっと待て勝己。

 お前いつからそういうキャラになった。

 キスして口塞ぐって、どこの少女漫画の登場人物だお前っ!!

「何度も言ったはずだ。オレの前で他の男の名前を出すなって」
「……二人きりのときって言ったじゃん」
「今もそんなようなもんだろ」

 オレは空気か!

 は不服そうな顔をして頬を膨らませていたものの、かっちゃんより勝己のほうがよかったのか。
 口をとがらせながらも勝己にしなだれかかる。

「もっと、か?」
「うん」
「わかった」

 …………。

「若貴、来い。こんなバカップルほっとけ」

 完全にオレを空気扱いし始めた勝己とをほっといて、オレは若貴を抱き上げた。
 食卓の上の牛コロの包みを持ち上げて、2階の部屋へと足音荒く上がっていく。

 くっそー……なんでこのオレが勝己に見せつけられなきゃなんねんだっつーの!
 勝己のヤツ、絶対これからうちに入り浸るな、アレは。

 頼むから受験シーズン早く終わってくれ。
 そうじゃなきゃ、自宅だってのにオレの安らぎがねぇ。

 あーくそっ、納得いかねぇぇ!!!

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