空は晴天、春爛漫。
 桜の季節は終わって、新緑がまぶしい4月下旬。

 4階まで吹き抜けの開放感あふれるカフェテリアだけど、人はまばら。
 そうだよね。今は1限の真っ只中って時間だもん。

 私は半分ほどに減ったミルクティのカップを傾けながら、ガラス張りの外を見る。
 モザイクレンガの中庭並木道は、この学校の名所。

 そう。

 、18歳。
 無事に一流大学に合格しました!!



 75.海の見える街で



ちゃん、なにかいいことあった?」
「思い出し笑いして、気持ち悪いぞ?」
「ちょっ、あかりちゃんはともかく、ユキっ! 乙女に対してなんて失礼な!」
「乙女ってさ……。の頭は相変わらずだな」

 ユキは呆れたようにため息つくけど、私は正真正銘っ、カメリア倶楽部の真の乙女候補だったんだもんね! 誰にも文句は言わせなーい!

 仲良く手をつないでやってきたユキとあかりちゃんも、もちろん一流大に余裕合格。二人は法学部に入ったんだよね。
 1年目は教養課程だから、こうして二人と同じ時間を過ごすことも多い。
 二人は私と同じテーブルについて、持参したアイスコーヒーを一口飲んだ。

「それで? 一体何を思い出してたんだ?」
「別にそんなんじゃないってば。一流大に本当に合格できたんだな〜って浸ってただけ」
「まだ言ってるのか?」

 ユキは呆れた様子で頬杖をつく。
 ふんだ、余裕合格の人にはこの喜びわかるまいっ。
 すると、隣に座ってたあかりちゃんが嬉しそうににこにこと微笑んで、

「赤城くん、ちゃんが喜んでるのは自分の合格じゃなくて」
「え? あ、そうか。そっちを喜んでるのか」

 一瞬きょとんとしたユキだけど、視線をすぐに私に戻してニヤリと笑う。

「なるほどね。前科もあることだし、そういうことならあまり長居はしないほうがいいよな?」
「へ、前科?」

 今来たばっかりだって言うのに、突然立ち上がるユキとあかりちゃん。
 それに、前科って?
 一体なにがなにやら。ぽかんとしてる私に、教本を持った手を挙げてみせながら、

「邪魔者は退散するよ。あ、でも、金曜の夜はよろしくな?」
「じゃあね、ちゃんっ」
「えぇ? ちょ、ホントにもう行っちゃうの?」

 まだ1限の終わる時間でもないのに。
 くすくす笑いあいながらカフェテリアを出て行く二人を、ぽかーんとしながら見送る私。

 すると突然、背後に殺気!
 ……を感じるとほぼ同時!


 ズベシッ!!


「アイタっ! ちょ、背後から本気チョップって!」
「なんだよ今の。金曜の夜って」

 寸分違わず脳天直撃の伝家の宝刀!
 こんなか弱い乙女にこんな横暴ふるう人なんて、心当たりはただ一人!

「瑛くんっ!! せっかく一流大に入れたのにバカになったらどうしてくれるー!」
「それ以上バカになんかなりようがないだろ?」

 くるりと振り向いた私の目の高さで揺れるガラスのリング。
 高校時代のかっちり着込んでた制服姿とは違う、ラフでさわやかな私服姿。
 そんな格好もバッチリ似合ってる超イケメンなのに、口から飛び出すのは憎まれ口。

 眉間にシワ寄せたはね学の王子様改め、ちゃんの王子様!

 そう。

 なんとなんと瑛くんってば、一流大に通っているのですよ!
 しかも私と同じ経済学部!
 後期日程だけの綱渡り受験に見事合格して、合格証書を持ってミルハニーに来たときはホントにもうびっくりして呼吸止まったもんね。

「すぐ会いに行くって言ったろ?」

 なーんて。
 こんなサプライズを起こした挙句に、いたずらっ子な笑顔を浮かべてこんなこと言われてさ、ときめかない乙女なんているわけないない!

 ……って浸ってる私とは対照的に。

「それよりなんなんだよ、さっきの。お前、赤城とどっか行くのか?」

 ありゃ、すんごくご機嫌斜め。
 口を尖らせて眉間にシワを寄せたまま、テーブルに向かって斜めに構えるように座る瑛くんの部長面、じゃなくて仏頂面。

 ふふーんだ。
 昔のちゃんなら焦って言い訳するところだけど、今は違うもんね! 余裕なのはこっちだもんね!

「そうだよ。ユキとデートしに行くの!」
「は!?」

 ぎょっと目を見開いて絶句する瑛くん。
 んーふーふー! 気分いーい! ……って、私性格悪い? ふふふふふ。

 でも金魚みたいに口ぱくぱくしてる瑛くん見てたら、さすがに罪悪感が沸いてきちゃうよね。
 ドッキリの種明かしはタイミングが大事だもんね!
 私は今だ言葉が出ない様子の瑛くんを下から覗き込むようにして見上げて。

「ただし、あかりちゃんとヒカミッチとチョビっちょと水樹ちゃんも一緒だけどね!」
「…………は?」
「今年、一流大にはね学の子たっくさん入ったでしょ? それで人脈ネットワーク作ろうって話になってね。それの打ち合わせを兼ねたお食事会が今度の金曜日」
「赤城ははば学だろ?」
「そこはそれ、あかりちゃんのカレシだから特別扱い?」
「…………」

 ひくっ

 瑛くんの顔が引きつった。
 と、思った瞬間!


 ズベシッ!!


「いったぁぁいっ!」
「思わせぶりな言い方するな!」
「うぅ……絶対今のでバカになった……」

 これがなければ完璧なのに……。

 私は両手でチョップされたところを押さえて、額をテーブルにつけるようにして突っ伏した。

「大体、はね学OBのネットワークなのになんでオレ呼ばれてないんだよ……」

 上から降ってくる、拗ねた声。
 体は伏せたまま顔だけ上げれば、そこにはすっかりむくれた瑛くんが頬杖ついてそっぽむいて。

 あああもう、かーわいーいなーぁ……。

「瑛くんは今日私が誘う予定だったの! もう、仲間はずれになんかするわけないじゃん」
「……だよな? うん。当たり前だ」

 フォローしてみれば、満足したように腕組みしてふんぞり返って。
 それから腕を伸ばして、私が両手で押さえてた頭をわしゃわしゃと撫でてくれた。

 こういうの。

 こういうのに、ずーっと憧れてた。
 素敵なカレシと素敵なキャンパスライフ!
 幸せで幸せで、勝手に微笑みがこぼれてきそうで。
 あのはね学での辛い日々も、この日々を迎えるための通過点だったんだよね、なんて。
 喉元過ぎれば熱さ忘れるっていうか。
 あはは、私ってほんと単純だ。

「金曜の夜大丈夫? バイトは?」

 私は体を起こして瑛くんに尋ねた。
 珊瑚礁はあいかわらず閉店されたままで、現在瑛くんはマスターの家に居候中。
 だけど喫茶店経営の夢、珊瑚礁再開の夢は全くあきらめていなくて、つい最近公園通りのカフェでバイト始めたらしいんだ。

「大丈夫だ。今週のシフトは明日だけだし。ミルハニーもいつもどおりの営業だろ?」
「うん、ウチは通常営業だよ」

 で、ミルハニーが忙しいときはヘルプにも来てくれてるのです。
 いやん、両親公認の仲なんですよー! ……と言いたいところだけど、パパはなんだかビミョーな感じ……。
 時々瑛くんと二人で火花散らしあってたりもするんだよね。あはは……はは。

「あ、そうだ」

 と。
 すっかりご機嫌の直った瑛くんは、今度はテーブルに向かって真っ直ぐに座りなおして、両肘ついてずいっと身を乗り出してきた。

「今日は?」
「今日?」
「今日。4限休講の連絡来てるだろ?」
「うん、来た来た。振り替えいつになるんだろうね」
「それはいいから。ヒマか? ヒマだよな?」

 目をきらきらさせて、期待に満ちた眼差しで、半強制的な口調で聞いてくる瑛くん。
 何かに私を誘うとき、いっつもこんな感じなんだけど。

 ヒマだよ? と頷いた私に、瑛くんはニヤリと笑って。

「じゃあ敵情視察だ。公園通りと新はばたき駅の近くにいい感じのカフェ見つけた」
「あ、うん! 行く行く!」

 私はぽんっと手を叩いて、ぶんぶんと勢い良く頷いた。

 これも晴れて世間様公認となった私と瑛くんの新たな習慣なのだ!
 お互い街中で見かけたちょっといいカンジのカフェに行く、っていうの。
 瑛くんは敵情視察だなんて言ってるけど、あながち誇大表現でもないんだよね。そのお店の雰囲気とかメニュー構成とか、いろいろと視察してることは確かだし。

 でも、ね。ふふふ、瑛くんは割と真面目に研究してるみたいなんだけど、私はそっちはサブの目的。
 私の目的は、ただ瑛くんと一緒においしいケーキ食べておいしいお茶を飲んで、楽しくおしゃべりできればそれでいいんだもん。

 ……なんてこと言ったら絶対チョップされるから言わないけど。

 瑛くんは住所をメモした手帳を取り出して、私はいつも持ち歩いてるはばたき市ポケットマップをテーブルに広げて。

「どっちに行く? 大学からなら新はばたき駅のほうが近いけど」
「じゃあそっちで。公園通りの方は、明日はオレがバイトで明後日がはね学OB会だろ? じゃあ土曜だな」
「あ、ごめん。土曜日はぱるぴんと会う約束があるんだ」
「あー……そっか。じゃあ、日曜か?」
「日曜日は水樹ちゃんのお引越手伝い。瑛くん、連絡来てないの?」
「……ヤベ、返事し忘れてた」

 瑛くんが髪を掻きあげながら慌てて携帯を取り出す。
 も〜。引っ越し手伝いお願いが来たの、先週なのに。

 かちかちと手早く返事を打つ瑛くんだけど、送信終えたあとに頬杖ついて、なんだか妙にしらけた顔しちゃって。

「なんか意外だ。セイがこんな早く志波と同棲始めるなんて」
「だよね、だよね! でもさ、セイちゃんって一人暮らしなんだもん。やっぱり志波っちょも心配だったんじゃない?」
「親になんて言って説得したんだろうな?」
「気になるよねー!」
「……参考までに、聞いとくか……?」

 ぶつぶつ。
 なんか瑛くん、顎に手をあてて独り言始めちゃうし。

 でも、はね学時代から美男美女でおしどりなカップルだったもんね、志波っちょと水樹ちゃんて。
 わかるな〜志波っちょの気持ち!
 大学入って制服から私服に変わって、ただでさえ美少女なのにそれが際立つようになっちゃって。一体大に行った志波っちょにしてみれば、気が気じゃないよね!

「志波のヤツ、猫に鈴つけたな」
「人生順風満帆だよねー!」

 私と瑛くんは、誰が聞いてるわけでもないのに声を殺してくつくつと笑いあう。

「セイの引っ越し手伝いはオレも行くよ。じゃあ、公園通りのは来週だな?」
「あ、ごめん。来週は無理かも」
「なんでだよ?」

 携帯と手帳を鞄にしまいこんでいた瑛くんが、きょとんとして私を見た。
 私はちちちと指を振ったあと、大学入学からの日記帳も兼ねてるシステム手帳を取り出して来週のページを開いて。

「月曜から金曜まで、びっちりお誘いかかってますので!」
「……なんのだよ?」
「うーふーふー。ちゃん、モテ期到来?」
「なっ……男かよ!?」

 両手を合わせて可愛く首を傾げてみせれば、瑛くん本日二度目の絶句。

 そうなのです! 大学入ってからなんか知らないけど、私ってば妙に声をかけられるようになっちゃったのです!!
 まぁ、サークル勧誘だったりすることもあるわけなんだけど、ほとんどは飲み会のお誘いだったりするんだな! 未成年、飲酒ダメ! 絶対!
 さすがに飲み会は断ってるけど、カラオケとかバーベキューのお誘いなんかはメンバーを見て行ったりしてる。

 目を逆さ三日月にして瑛くんを見ていたら、今度はむすっとした顔して私の真意を探るような目で。

「だ……誰とだよ?」
「気になる?」
「……別に」
「あ、気にならないんだ? こーんな可愛い彼女が他の男の子と遊びに行っても気にならないんだ?」
「自分で可愛いって言うなっ。っていうか、誰と行くんだよ!?」

 あ、むきになった。
 かーわいーいなーぁ……なんて思ってる場合じゃない。これ以上怒らせたらこじれちゃうもんね。

「心配ないない。ほら、あの人だよ」

 私は瑛くんの顔を両手で包んで、そのままぐきっと右方向へ向ける。

 そこにいたのは瑛くんもご存知の意外な顔。

「よー! 来週よろしくなー! 佐伯もちゃんと来いよー!」
「おっけーい!」
「……は」

 にかっと笑いながら手をぶんぶんと振って、カフェテリアを通り過ぎて行ったのは、懐かしい修学旅行で瑛くんの素顔を引き出した枕投げ発案部隊の彼!
 ぽかーんと口を開けて、彼が過ぎ去るまで見つめていた瑛くん。

「なんでアイツ、一流大受かってんだよ?」
「あなどれないよねー。医学部なんだよ、彼」
「……マジで?」

 うん、私も一流大でばったり会ったときは驚いたよ……。

 ねー、と瑛くんを見れば、赤い顔してむすっとして、口をへの字にしたまま私を座った目で見つめてた。
 照れてる? それとも怒ってる?

「ちゃんと瑛くんも誘う予定だったんだよ? だけどさ、瑛くん相変わらずはね学出身者の前じゃ身構えちゃうから、まず私のほうに連絡が来るの」
「別に、誘われなかったことに腹立ててるわけじゃないし」

 ぷいっとそっぽ向いちゃう瑛くん。

「拗ねないでよ〜。いくら私でも、コンパとかそういう目的のはお断りしてるんだからっ。来週もほとんどが大学入ってできた女の子の友達と遊びにいくんだよ!」
「誰もそんなこと聞いてない」

 あーあーあー、本格的に拗ねちゃった……。ちょっとからかいすぎたかな?

「瑛くん、ごめんってば」

 ここは素直に頭下げて、さっさと機嫌直してもらおうと思って。
 私は立ち上がって瑛くんのすぐ横へ。

 その時、1限終了のチャイムが響いた。

「あ、ほら! 2限の教室に移動しなきゃ! ね、機嫌直して元気に授業!」

 我ながら調子いいこと言って、瑛くんの左腕をひっぱって。

 ところが、ひっぱったはずの私が、なぜか瑛くんのほうへと逆にひっぱられた。
 それが、瑛くんが私の腕を掴んで力任せに引っ張ったからだって気づいたのは、

 唇が、触れた、あとで。

 今度は私が硬直する番。
 顔を離した瑛くんは、してやったりのいい笑顔。

「お前の一番は、オレだろ?」

 ……うあ。ヤラレタ。

 結局最後はこうなんだもんね。きっとこれからもずっと、私は瑛くんの一喜一憂に振り回されるんだろう。
 でもそれがこんなに心地よくて幸せだって感じちゃうんだから、もう仕方ないんだ。

「勿論一番は瑛くんデス」
「うん、よろしい。じゃあ行くぞ。ほら」

 満足したように笑って、立ち上がった瑛くんは私に手を差し伸べてくる。

 この手を握り返したって、もう誰にも文句は言われない。
 瑛くんのこの手は、ちゃん専用なのだ!

 私は右手でその手をぎゅっと握って、カッコいいカレシを見上げてにっこり笑う。

「次の授業は第二外国語であります!」
「よし。じゃあ3階の教室まで出発だ」
「アイサー、隊長っ!」

 ぴしっ! と空いた手で敬礼したら、軽くチョップされた。

 快晴の太陽が降り注ぐカフェテリアを出て、私と瑛くんは並んで仲良く3階へ。
 1限が終わって教室から出てきた人たちにちらほらとすれ違うけど、ほとんどの女の子の視線は必ずと言っていいほど一瞬瑛くんに向く。
 やっぱりカッコいいんだよね。大学入ってからは王子キャラはもう辞めちゃってるけど、むしろそのせいで以前より熱視線が増えた気がする。

 で、その隣にいるのは私で。

 二人っきりでいるときは幸せ一杯なんだけど、さすがに瑛くんにたくさんの視線が向いてるときに隣にいるのは……なんかちょっと卑屈になっちゃう。
 だって、すれ違う女の子の中には、誰が見たって私よりも美人でスタイルよくて才女っぽい人も多いし。なんたってここ、一流大だし。

 でもこんなとき、以前とは違う瑛くんが、私を励ましてくれる。



 表に出さないようにしてるんだけど、それでも落ち込んだ気持ちは瑛くんにはばれちゃうみたいで。
 瑛くんはそんなときいっつもぎゅぅって強く強く手を握ってくれる。
 伺うようにその顔を見上げれば、瑛くんは私を安心させるように優しい笑顔を見せてくれていた。

「心配すんなよ。もっと堂々としてていいんだ。オレの一番も、お前なんだから」

 ……なーんて。

 もうもうもう、ちゃんは世界で一番の幸せものだと思うのですよ!!

「えへへ〜」
「なんだよ。急ににやにやしだして。変なヤツー」
「ちょ、にやにやとか言うかなぁ。にこにこしてるの! 幸せなの! 瑛くんが優しいから!」
「そ、そっか。うん。ならいいけど」

 ぶーんぶーんとつないだ手を振って、私は喜びを目一杯表現する。

 そうだよね。どんなに卑屈に感じたって、瑛くんの隣は譲る気ないもん。
 瑛くんは私がいないと困るんだから。
 私だって、瑛くんがいなきゃ困るんだから。

 そして、そんな私たちを支えてくれるたくさんの友達もいるし。

 エレベーターを避けて、階段を上ってようやく3階の教室まで辿り着いた私たち。
 ガラッと扉を開ければ、いつもの場所にいつものみんな。

「あ、! 瑛! 席とっておいたよ!」
さん、今日プリント使うっていう連絡ちゃんとまわってますか?」
「もし用意してきてなかったら、コピーをとってきたから使ってくれたまえ。佐伯くんもいるかい?」
「瑛くん、今ね、金曜日の打ち合わせの場所決めてたんだけど、なんかオススメの場所ないかな?」
「約束だからな、。今日はと佐伯くんが前の席だぞ」

 水樹ちゃんとチョビっちょとヒカミッチと。あかりちゃんに、ユキ。

 みんな笑顔で私と瑛くんを手招きしてくれてる。
 なんかこういうの、いまだに瑛くんは慣れないみたいなんだけどね。

「なんでいっつもアイツらと一緒なんだよ?」
「いいじゃない。教養課程の間しか一緒にいられないんだし。みんな学部バラバラになっちゃうんだから、友情育める間はめいっぱい育んでおかないと!」
「お前そういうの得意だもんな」
「まぁねー!」
「いや褒めてないし」

 はぁ、と小さなため息をついて瑛くんはさっさと席についてしまう。
 ため息ついた数だけ幸せ逃げるんだぞーって、いっつも言ってるのになぁ。

 先に席についた瑛くんに、ユキが何か話しかけてる。
 相変わらずユキに対してはまだ打ち解けきれてないっていうか、苦手意識があるらしい瑛くんだけど、なんだかんだってあの二人似たもの同士で気が合うところもあるんだよね。

 なんだかなぁって思いながら見てたら、多分同じこと考えてたっぽいあかりちゃんが、くすくす笑いながら私を手招きした。

 呼ばれるがままに私も瑛くんの隣の席に座って、後ろの席のあかりちゃんを振り返る。

「瑛くんと赤城くんって、なんだかんだって仲良しだよね?」
「うーん……ユキのほうはすっかりオープンなんだけど、瑛くんのほうがまだ、ね。ま、単純王子だからきっとすぐに打ち解けるよ」
「誰が単純王子だっ!」
「アイタッ!」

 き、聞かれてたか……。
 チョップされた頭を押さえながら振り向けば、瑛くんはすでにヒカミッチの方を向いて今日の授業のこと話し出してた。
 むぅ。

「ねぇねぇ、二人とも今度の引越し手伝いに来てくれるでしょ? あ、小野田ちゃんも」

 そこへ、いつものひっつめ髪を下ろした美少女・水樹ちゃんがやってきて。チョビっちょも隣のデスクから私の隣にやってきた。

「もっちろん! 志波っちょと水樹ちゃんの愛の巣のお手伝いに参りますよ〜」
「それは置いといて。なんかね、みんな来てくれることになったんだ。はるひもハリーも、海外出発前の密さんも」
「ホント? じゃあ3−Bプチクラス会みたいだね」
「でしょ? だから勝己くんとも話してね、引越しが終わったらみんなでパーッと打ち上げしようって話になったんだけど……都合大丈夫?」
「わぁ、楽しそうですね! もちろん大丈夫です!」

 ぽんっと手を叩いてチョビっちょが笑顔を見せる。
 卒業式が終わってからほぼ2ヶ月ぶりの再会だ。うわー楽しみ!

「竜子ちゃんも来る?」
「来る来る! 天地くんも真咲先輩も、手当たり次第に声かけたらみんな来てくれるって言うから」
「そんなはね学の集まりに、ホントに僕も行っていいのかな」

 ユキが会話に加わってきた。
 あ、なんだ。瑛くんもヒカミッチも、みんなこっちの話聞いてるじゃん。

「大丈夫だよ。赤城くん、の航空券カンパのときにみんなと会ってるじゃない」
「ああ、あの人たちか。なら大丈夫かな」
「あ! そうそう、大崎さんも若王子先生も来てくれるって!」
「えぇ? 若王子先生って……水樹ちゃん、若王子先生にまでお手伝い依頼したの?」

 なんか意外〜。
 水樹ちゃんって真面目だから、みんなが若王子先生のこと友達扱いしても、絶対に敬う態度を崩したりしなかったのに。

 っていうのが表情に出てたみたい。
 私の顔を見つめていた水樹ちゃんが、なぜか困惑したように首をかしげて。

「うん……。お手伝いお願いしたのは大崎さんだけだったんだけど、返信に若王子先生も来るって書いてあって」
「「「…………」」」

 全員、暗黙の沈黙。

「なぁ、大崎と若王子先生って、今どうなってんだよ?」

 あ、瑛くんってば聞いちゃうし!
 ていうか、私もすっごく聞きたかったことだけど!

「そういえばこの間、生徒会に用事があってはね学に出向いたとき、大崎くんも学校に来ていたな……」
「えっ、ホント!? 若王子先生にわざわざ会いに!?」
「いえ、その時は確か陸上部の後輩に会いにと言っていました。そうですよね、氷上くん」
「ああ。あの大崎くんが後輩の面倒を見るなんて随分変わったものだなとその時は思ったんだけど」

 いつもならこんな話、不謹慎だ! とか言い出しそうなヒカミッチからの意外な情報。
 トレードマークのメガネをくいっとあげながら、チョビっちょと頷きあってるのを見て、もう私たちのテンション一気にハイ!

「でもさ、でもさ? 在学中はリッちゃんって若王子先生に全然気がある素振り見せてなかったよね?」
「どーせ若ちゃんが呼び出したんだろ? 卒業して生徒と教師じゃなくなったからって」
「え、でも私、大崎さんから若王子先生に連絡取ることがあるって勝己くんから聞いたことあるけど」
「ええっ、ホントにー!?」

 叫んだあとに、全員再び沈黙して、お互いの顔を見合わせて。

「セイ、志波に探りいれろ」
「了解です、おとうさん。報告はOB会のときに」
「うむ」

 瑛くんの命令口調に、水樹ちゃんもノリよく敬礼して答えるし。
 うわーうわー、気になるなぁぁ!

 ……と、これ以上盛り上がってるのも悪いよね。
 話に入れないユキが退屈そうに頬杖ついてるのが見えて、あかりちゃんに目配せ。
 気づいてくれたあかりちゃんが、話題を変えた。

「でもそれじゃあクリスくんがいないのが残念だよね。赤城くん、クリスくんは知ってるよね?」
「ああ、あの関西弁の外人だろ? インパクトあったよな、彼」
「しょうがないよ。ウェザーフィールドくんは祖国に戻ってしまったのだから」

 あ、そっか。
 日曜日ははね学時代のいつものみんなに会えるんだって思ってたけど、くーちゃんはイギリスの大学に進学したからもう日本にいないんだっけ。

「うわぁぁ残念〜。久しぶりにくーちゃんとぴったんこ出来ると思ったのにぃ〜」
「お前な……オレの目の前でそういうこと言うか?」
「やだな瑛くん。くーちゃんと瑛くんはべーつーもーのっ」
「どういう意味だよ!?」

 顔を真っ赤にして右手を振り上げる瑛くん。私は慌てて立ち上がってあかりちゃんの後ろに隠れた。

、あんまり瑛を怒らせるとしっぺ返しくらっちゃうよ?」
「やっぱり? でももうひとつくーちゃんネタがあるんだけどな」
「クリスくんの?」

 安全地帯に来た私は、前の座席に手を伸ばして鞄を取って、その中から一通の白い封筒を取り出した。
 その封筒には、誰もが見たことあると思うトリコロールカラーの縁取り。
 私はそれを両手で高々を掲げて見せた。

「じゃーんっ! くーちゃんとちゃんは文通してるのだー!!」
「はぁ?? 文通って、文通か? メールじゃなくて?」
「やだなぁユキってば。デジタル文字よりアナログ文字のほうが温かみあるじゃーん。手紙だと、美術部ホープだったくーちゃんのイラストもついてくるしっ」

 封筒を開けて、私は中の手紙をあかりちゃんと水樹ちゃんに手渡した。ユキとチョビっちょも覗き込んでくる。

 罫線のかかれてない無地真っ白な紙の中央に、緑のインクで書かれたくーちゃんからの手紙。
 その紙のまわりにはポップな色彩でいろんな幾何学模様が手書きで書き込まれてて。
 手紙全面がくーちゃんワールド全開! ってカンジ。

「うわぁ……なんか恋人にあてた手紙みたいです……」
「ホント。クリスくんのちゃん大好きっ! って気持ちが溢れてるよね」
「まぁねー! 遠く海を隔てても、私とくーちゃんのぴったんこらぶらぶ同盟は健在なのだ!」

 私は腰に手を当て、えっへんと胸をそらす。

 ところが。

くん」
「なに? ヒカミッチ」

 呼ばれて振り向いたのに、ヒカミッチってばメガネの中心部分を押さえながら視線はそらしがち。

「はね学にいたころから思っていたことだけれど、君はもう少し配慮というものが必要だと思うのだが」
「え?」

 突然の説教に、きょとんとする私。

 その瞬間!!

 背後で膨れ上がる強烈な殺気!!

……」

 地獄の底から低く響くかのような声に、私がびっくーん! とすくみあがって。
 ゆっくり、ゆーっくりと。
 神に祈りを捧げながら、振り向いた、先には。

「えと、瑛くん、おちつ、い、ぎゃーッッッ!!??」

 言葉の最後は悲鳴に変わり、教室の中にいた他の子たちもぎょっとしてこっちを振り返る。

 ひっ、久々登場!
 瑛くんの背後から立ち上る黒オーラ! マクラノギヌス!!
 キュピーン! と目を光らせた瑛くんは、もうその黒さで表情も読めないし!

 ひ、ヒカミッチの言うとおりっ。
 調子に乗りすぎた! 読み間違えた!

「て、て、て、ててて瑛くんっ、いやほら、そんな心配するようなことしてるわけじゃ」
「心配してない」
「あ、あれ? じゃ、じゃじゃじゃじゃあじゃあ、そんなに拗ねなくてもっ」
「拗ねてない」

 必死で宥めようとする私の言葉をざっくりと切り捨てる瑛くん。

 ユキもあかりちゃんも水樹ちゃんもヒカミッチもチョビっちょもっ!
 私を見捨てて教室の奥の席に逃げ出してるしっ!!
 薄情者ーッッ!!


「なななななんでしょうっ??」

 ずりずりと長いすの上を後退りしていた私の手が、空を切る。
 ひええ、どん詰まり!!

 私はただただ引きつった笑顔を浮かべながら、瑛くんを見上げた、ら。

 まっすぐに振り上げられる、恐怖の大魔王の黄金の右手!


「お前はっ、とにかくいろいろ反省しろッッッ!!!」

「みぎゃーッッ!!」




 季節は流れて春夏秋冬、いつしか瑛くんの右手と私の悲鳴は一流大名物とまで呼ばれるようになって。

 それだってやがては名物漫才から名物カップルと名前を変えて。

 灯台の隣の小さな喫茶店のベルがなるのは、もう少し先のこと。

 まぁ、その頃にはうちのパパと瑛くんの仲もよくなってることを希望したりして。ふふ。

「なににやにやしてんだよ。……最近多いぞ? それ」
「ごめーん。ちょっと将来のこと想像してたら楽しくなっちゃって」

 授業中、小声で突っ込んできた瑛くんに、私はにこっと笑顔を返す。

「瑛くん、勉強がんばろうね? それで絶対、大学卒業したら珊瑚礁再開しようね!」
「な、なんだよ急に。そんなの、当たり前だろ?」
「そうだけどさ。瑛くんと一緒にいるとそういう気持ちが沸いてくるんだもん」
「……恥ずかしいヤツ」

 頬杖つきながら呆れた視線を向けてくる瑛くんだけど、その頬はちょこっとだけ赤い。

「そういうこと決意するなら、ちゃんと授業に集中しろっ」
「アイタッ」

 ぺちっと、手にしたシャープペンで側頭部を叩かれて。

 叩かれたところをさすりながらうらめしーく瑛くんを睨んだら、瑛くんは。

 なんだかすごく楽しそうで幸せそうな顔して笑ってた。
 つられて私も嬉しくなって笑みがこぼれて。


 机の下で手を伸ばしたら、瑛くんもぎゅって握り返してくれた。


 なぁぁぁんて、もう幸せすぎて怖いくらい!
 この手はもう絶対離さない。絶対絶対、離さないもんね!

「……あのさ。授業中に目の前でいちゃいちゃされると、集中できないんだけど」

 でもその決意も、後ろの席のユキの一言が降ってくるまでで。
 慌てて手を離した私と瑛くん。うう、後ろであかりちゃんがくすくす笑ってるよ……。

 恥ずかしいなぁ、って思いながら瑛くんを見たら。

「オレ、やっぱり赤城嫌いだ」

 口をとがらせた瑛くんの言葉に、ついつい噴出して、結局私は再び瑛くんにチョップされてしまうのでした。




 長編連載にここまでお付き合いくださいましてありがとうございました。

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