夢か現か、よくわからない。

 きょろきょろと、私は誰かを探す。

 誰かって、誰だろう?

 だんだん誰を探してるのかもあやふやになってきて、私は大海原を漂うような、ふわふわとした感覚に陥って。

 夢か現か、よくわからない。

 あなたは、どこ?

 誰かもわからないあなたを探して、私は走り出す。
 行けども行けども果てのない空間。

 私、誰を探してるんだろう。
 わからないけど、その人がいないこの瞬間がすっごく寂しいことだけはわかる。
 一緒にいたい。側にいたい。声が聞きたい。

 唐突に胸にこみ上げる懐かしさ。
 切なくて、苦しくて、でも温かくて心地いい感情。

 その人の名前を呼びたくて、私は大きく息を吸う。

 でも、名前が思い出せない。
 顔も思い出せない。

 どうしよう。こんなに会いたいのに、会ってもわからないかもしれない。

 お願い、探しに来て。会いに来て。
 見つけて欲しい。

 私はここにいるの!

 会いたいよ! もう一度、会いたい!

「…………っ」

 その人の名前を呼びたくて口を開くけど、どうしても言葉にならない。

 そのときだ。


 …………!!


 かすかに響く声が聞こえて、私は天を仰ぐ。
 今の声、知ってる。
 私が探してる、あの人の声。

「アザレア、行くの?」

 もうひとつ、響いてくるのは姫子先輩の声。

「あなたは散々苦しんできたはずよ? そして、その中で真の乙女としての品格を身につけた。このまま私のあとを継ぎ、次代の乙女を育成することがあなたの安らぎとなるはずなのに」
「姫子先輩、でも私、あの人に会いたい」

 意地っ張りで見栄っ張りで、なかなか素直になれなくて、でもすごく傷つきやすくて繊細で。
 不器用な生き方を選んで、それでも精一杯もがいてがんばってる人。

 そうだ。忘れて欲しい、って言ったから忘れちゃったんだ、私。
 今思い出したら、あの人は怒るかもしれない。

「あなたが選ぼうとしている道は、けして平坦とは言えなくてよ? それでも行くの?」


 …………!!


 姫子先輩の問いかけと、あの人の声がステレオ放送のように聞こえる。
 それがだんだんと私の体に染み渡っていくようで、変わりに沸いて出てくるのは駆け出したくなるほどの衝動。

「会いたい。きっとこれからもたくさん嫌なことあると思うけど、それでもあの人のいないこの世界にはいたくない!」

 行っても会えないかもしれないし、会ってくれないかもしれない。
 でもこのまま本当に忘れてしまうのは、絶対にいやだ。

 だから。

「そう……」

 聞こえてくる姫子先輩の声は優しかった。

「困難な道にも真っ直ぐに顔を上げて突き進める。だからこその真の乙女。行きなさい、アザレア。私はいつでもあなたの心の中で見守っていてよ?」
「姫子……先輩?」

 途端にぐにゃりと視界が歪む。
 なになに、なにこれ?

 って思った瞬間だった。


 っ!!


 懐かしい声に強く呼ばれて、私の意識は強く引き上げられた。



 74.旅路の果て



「……佐伯くん?」

 私が声をかけた瞬間、佐伯くんはもうまん丸に目を見開いて。
 それから、かくんと膝を折った。……って、わわわ!

「うわ!? ちょ、どうしたの佐伯くん!? っていうか、なんでここに!? はね学の制服まで着て!」

 いきなりその場にへたりこんじゃった佐伯くんに慌てて、私もその場にしゃがみこむ。

 って一体なにごと!?
 あたりを見回せば、見慣れたはね学の屋上。
 あ、向こうにくーちゃんとあかりちゃんがいる。それに、ハリーやぱるぴんや志波っちょや……みんな。

ちゃん、正気に戻ったの!?」
「え? 正気、って」
「ボクのことわかるん? 自分の名前ちゃんとわかっとる?」
「え、えーと……そりゃわかるけど……」

 ていうか、卒業式は?
 それよりもこのシチュエーションは一体なに?

 なんで佐伯くんがここにいるの!?

「佐伯くん、卒業式に来たの?」

 今だへたりこんだままの佐伯くんの顔をのぞきこむようにして尋ねてみる。
 すると佐伯くんは、ゆっくりと顔を上げて。
 今にも泣き出しそうな、弱り果てた表情で私を見つめてきた。

 ズッキューン!!!

 ちょ、その顔ヤバイよ佐伯くん!
 ひっさびさにちゃんの乙女心は999のダメージ!!
 か、か、か、可愛いにも程があるってば!!

……」
「な、なに?」
「オレがわかるか?」
「う、うん」

 私は赤い顔したままこくこくと頷いて。
 すると佐伯くんは、肺の中の空気全部吐き出しちゃうんじゃないかってくらいの大きなため息をついたかと思えば。

 両腕を伸ばしてきて、私の腕を掴んで、引き寄せて、そのままぎゅーって、ぎゅーって……って。

「うぎゃーっ!!??」

 おおおおおーっ!?

 私の悲鳴と外野のどよめきが見事にハモる!!
 なぜかどんどん屋上に集まってくるはね学生たちの目の前で、佐伯くんてば、おもいっきり私を抱きしめてるよ!? えええ!?

「ちょ、佐伯くん!? 後ろ、後ろっ! みんな見てるよ!? いいの!?」

 痛いくらいに力込められて、嬉しいやら恥ずかしいやらどうしたらいいのかもうわかんなくて、とりあえず訴えるだけ訴えてみるけど、佐伯くんてば完全無視!
 私は助けを求めてみんなに視線を向けるけど、ぱるぴんと密っちは手を取り合って盛り上がってるし、水樹ちゃんとあかりちゃんとくーちゃんと若王子先生は万歳三唱してるし、リッちゃんと志波っちょはおもいきりからかいの目してるし、竜子姐なんかは呆れ果てて首振ってるし、ヒカミッチとチョビっちょなんか私以上に顔赤くして、そもそもこっち見てくれてないし!
 あああああまっちょっ! 応援部のエール始める意味わかんないってば!

「さ、さえ、佐伯くんってば、ほら、ファンの子も見てるよ!? いいの!?」

 佐伯くんがいいのっていうか、私が痛いっていうか。

 ひとりであたふたすることしばし、ようやく佐伯くんが私を解放した頃には、せまい屋上に3年生全員集まってるんじゃないかってくらいの野次馬に取り囲まれてた。
 私は一度息をついてから、佐伯くんを見上げ、


 ズベシッ!!


「アイタッ! ちょ、今度はチョップ!?」

 いきなり脳天直撃セガサターンなチョップを受けて、私は頭を押さえる。
 外野からは再びのどよめき。
 み、みんな見てるのに……さては佐伯くん、遠い街に行っちゃうからって猫かぶりやめたなっ!?

 私はむっとして佐伯くんを見上げて、でもその瞬間、

「この馬鹿!!!」
「わぁっ」

 ものすごい声量で怒鳴られて、おもわず後ろに手をついちゃった。
 目をぱちぱちさせながら佐伯くんを見れば、さっきまでしょぼくれてた顔を怒りに染めて、私を睨みつけていた。

「一体何考えてんだよ!? 真の乙女って、お前がそんな柄か!?」
「え、なんで佐伯くんがそのこと知っ」
「だいたい、何がこの先オレが自分を偽ることないように、だよ! そんなの、お前がいなきゃ無理だってわかってるだろ!?」

 あ。
 それ、私が日記の一番最後に書いたメッセージの。
 佐伯くん、読んでくれたんだ。
 私の最後のお願い、ちゃんと叶えてくれたんだ……。

 ……ん?

 佐伯くんが日記を最後まで読んでくれたことにジーンとしてた私だけど。
 それなら、どうして佐伯くんがここにいるの?
 私、約束守ってちゃんと忘れるって書いたのに。

 どうしてまた私の前に現れて、その上、抱きしめて……。

 …………。

 いやいや。
 いやいやいや。
 そんな、私の夢物語な都合のいい話なわけないない。
 そんなはずないない。

 そんな、はず……は。

 私は、いつしか黙り込んでしまった佐伯くんを見つめた。

 赤い顔。
 何かを耐えるかのように結ばれた口。
 いつもの無造作ヘアに、きっちりと第一ボタンまでしめた制服。
 そして、まっすぐに私を見つめる赤くなった目。

「ごめん」

 佐伯くんの声に、私の心臓がどきんと跳ねる。

「今さらって思うだろうけど、オレ、やっぱりだめなんだ」

 いやがうえにも高まる期待。
 期待、して、いい?

「これからもきっと嫌な思いさせることあるだろうし、怒らせることもあると思う。でも、それでもオレは」

 ぺたんと座り込んだ屋上のコンクリートが、なぜかとても熱くて。

「それでもオレは、お前がいないと困るんだよ。だから」

 突然佐伯くんは立ち上がる。
 一体何をするのかと、目を丸くして見上げていたら。

 佐伯くん、90度に体を折って、右手を真っ直ぐに私に突き出して。



「好きです。オレと、もう一回、つきあってくださいっ」



 歓声と悲鳴が同時に上がった。
 なんかもう、佐伯くんのファンの子はほとんど半狂乱の状態で悲鳴あげてるし、3−Bのクラスメイトは宴会でも始まったかのように盛り上がってるし。

 そんな中、私はぽかんと佐伯くんの手を見つめて。

 あの、プライドの高い佐伯くんが、こんな人前で。
 頭下げてるんだよ? 私に向かって。

 はね学の王子様って言われ続けてて、女子の憧れの的で、ホントに雲の上の人って感じだった佐伯くんが。

 乙女憧れのシチュエーション、どんだけー……って。

 ……だめだ。
 こんな風に、佐伯くんに素直な気持ち伝えられたら、私、もう自分の気持ちごまかしきれない。

 私はへたりこんだまま、手を伸ばして、佐伯くんの右手を握る。
 弾かれたように顔を上げた佐伯くんに、私はもう泣き笑い。

「あはは……嬉しくて、腰抜けちゃった……」
……それじゃ」

 こくんと頷けば、佐伯くんは一瞬呼吸を忘れたかのように動きを止めて。

「わぁっ」

 次の瞬間には、ぐいっと私を引き上げて、そのままもう1回熱烈ハグ!
 イヤーッ!! というファンの悲鳴も完全無視して、私を抱き上げ1回転。って、一体その細い体のどこにそんな力が!?

、行こう!」
「え、い、行こうって、どこに!?」
「灯台!」

 久しぶりに見る、いたずらっ子のようにはしゃいだ佐伯くんの笑顔。
 私の手首をしっかりと掴んで、ぐいぐいと引っ張って。

 3−Bのみんなが悲鳴上げてるファンの子を押しやって、屋上の出口への道を作ってくれる。
 私と佐伯くんは、まるで映画のワンシーンのようなみんなの笑顔の前を通り抜けて。

「佐伯っ! 今度のこと泣かしたら、次こそゼッテークビだかんな!! 説教はそれまで預けといてやる!」
「サンキュー、針谷!」
「ハリーだっつーの!」

 口調の割りに満面の笑顔を浮かべたハリーはぐっと親指をたてて、私と佐伯くんを送り出したあと屋上の扉を閉めた。
 扉一枚隔てた校舎はとても静か。

「佐伯くん」

 階段を駆け下りる佐伯くんに声をかける。

 聞きたくて。
 私に向けられる優しい声を、ずっとずっと聞いていたくて。

 すると佐伯くんはぴたりと足を止めて、くるっと振り向いたかと思えばぺしっとチョップ一発。

「そうじゃないだろ?」
「へ?」

 叩かれたオデコをさすりながら見上げると、佐伯くんはニンマリと微笑んでいた。

「もうオレ、『佐伯くん』じゃないだろ?」
「あ」

 そうだった。日記全部見られてるんだったっけ!!
 うわああ恥ずかしい!! もう会えないと思ったから渡したのに、こうなっちゃったら死にそうに恥ずかしいぃぃぃ!!!

 ううう……。

 私は火照った顔を抑えながら佐伯くんを見上げて。

「て、て……」

 口に出すのは初めてなんだもん。
 必死になって言葉にしようとしている私を、佐伯くんも息を飲んで待ってる。

 でも。

 やっぱいきなりは無理!!

「て、て、て、……るてる坊主っ!!」


 ピキッ!!


 一気に佐伯くんのこめかみに、青筋が浮いた。

……」
「いやあの、だって、ね? あは、あはは……」
「あははで済むかよっ!!」
「ぎゃーっ! 暴力反対っ!!」

 そして結局はいつものように。

 そう、いつものように。

 ……これからも、ずっと、いつものように。

 私は佐伯くんの横をすり抜けて逃げ出し、佐伯くんは右手を振り上げながら追いかけてきて。
 こんな日常が、きっとこれから、毎日続くんだ。




 私の制服からひらりとひとひら桜のはなびらが落ちる。
 はね学を巣立って、これからまた新しい生活が始まる。

「これからは、遠距離恋愛だね」

 帰り際、ぽつりと漏らした私。
 その私の手を佐伯くんはぎゅっと力強く握り締めてくれた。

「そんな顔するなよ。すぐ会いに来るから」
「……うん」
「離れてる間に、浮気すんなよ?」
「それ、私の台詞じゃないかなぁ」
「どこがだよ。ミーハー」
「ぐさっ。それを言われると返す言葉が」
「返せよっ」
「あはは」
「あははじゃないっ!」

 なんて。

 口ではいつものように軽口叩いてたけど、なんの心配もしてないんだ、私。

 だって、別れ際にしてくれたキスが、とっても優しくて安心できたから。



 人魚と別れてからというもの、若者は来る日も来る日も海を眺めて過ごしました

 そして、とうとう決心して、月夜に舟を漕ぎ出しました

 若者が帰ることは二度とありませんでした



「若者は、遠い海の果てで、再会を果たしたのだから」

 絵本を閉じたあと呟いた私の言葉に、佐伯くんは静かに微笑んで私の髪を撫でてくれた。

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