「……なにやってんだよ?」
「△★б×*;$□@◎!!!」

 心の準備もままならないうちに佐伯くんと対峙してしまって、私は言葉にならない悲鳴を上げた。



 70.君の街まで



 いやその、なんでいきなりこんな状態に陥ってるかというと、話は昨日の夜にまで遡る。

 時刻はもうすぐ夜の9時になろうという時間。
 受験日がもう再来週にせまったこの時期、私はミルハニーのお手伝いや後片付けを免除されてて、晩御飯を済ませたあとは部屋に戻って黙々と受験勉強に励んでいた。

 2時間近くずーっと問題集とにらめっこしてて、そろそろ集中力も切れかけて。
 気分転換も兼ねてお風呂はいってこよう、と席を立ったときだった。

ちゃ〜ん。お客様よー」
「え? こんな時間に?」

 下から聞こえてきたママの声。
 私はおもいっきり首を傾げながら階段を降りて1階へ。

「だれ?」
「うふふ」

 入れ違いに玄関から中に入ってきたママは、にこにこしたまま答えてくれないし。

 一体誰だろう?
 私は玄関と家の中を仕切るカーテンをめくりあげる。

「あれ、ユキ? それにあかりちゃんと……え? なんでここに志波っちょとハリー?」
「こんばんは、ちゃん」

 にこっと微笑むあかりちゃん。
 いやいやいや、ちょっと待って。

 そこにいたのはどうやら予備校帰りらしいユキとあかりちゃん。うん、この組み合わせはわかる。
 で、その隣には遊びにいった帰りっぽい志波っちょとハリー。この二人もニガコクコンビだから組み合わせに問題なし。

 でも、この二組が一緒にいるのって、なんで?

「え、なにこの組み合わせ。ユキ、二人のこと知ってるの?」
「いや、僕は知らないけど。の友達なんだろ?」
「うん、そうなんだけど……」

 私は志波っちょとハリーと見る。
 にこにこしてるユキとあかりちゃんに大して、志波っちょとハリーはちょこっとだけ不機嫌そうな顔。

 切り出したのはハリーだった。

「ほら。受け取れよ」
「え、なにこれ?」
「3−Bの連中からのカンパ」
「は? カンパ??」

 ハリーは乱暴に私の手に封筒を押し付けた。
 丈夫な紙で作られたその封筒には、航空会社のロゴが印刷されてる。

「今までちゃんと同じクラスになった子たちからの分も入ってるよ」
「は!? ちょ、これ……」

 まさか、と思って慌てて封筒を開ける。
 そこに入っていたのは2枚の航空券。日付は明日。

 行き先は……佐伯くんがいる街。

「ええっ!?」
がぐだぐだしてるっていうから、強硬手段に出た」

 目を点にしてる私に、志波っちょがニヤリと笑いながら言う。
 すると、ユキが一歩前に出て、真剣な顔をして話し出した。

「その航空券はみんなのへの感謝の気持ちだよ。海野やみんなに協力してもらって、一人500円ずつのカンパしてもらったんだ」
「3−B全員と、それから1,2年生の頃にちゃんと同じクラスになった子たちの分も入ってるよ」
「あとはお前に委員やら当番やらいろいろ世話んなったヤツの分もな!」
「えええ!? ちょっと、困るよ! そんな、お金なんて貰えない!」
「貰っとけ」
「も、貰っとけって志波っちょ〜……」

 困り果てて志波っちょを見上げれば、志波っちょも真剣な目をしてた。

「海野が連れてきたコイツの提案に、誰も反対しなかった」
「……ユキが提案?」
「学校でね、ちゃんと瑛くんの嫌な噂広がってるでしょ? でもね、3−Bのみんなも、一度でもちゃんに手助けしてもらった子たちは誰もそんな噂信じてなかったよ」

 にこ、と微笑むあかりちゃんが「ね?」とハリーと志波っちょを振り返ると、二人ともこっくりと頷いた。

「佐伯ひとり逃げやがって、みんなをどうにかして守ってやりてーって思ってたんだぞ」
「ハリー、佐伯くんは逃げたとかそういうんじゃなくて」
と佐伯が隠れて付き合ってたのも、ほとんどのヤツが気づいてたみたいだったしな」

 えええ、本当に??
 な、なんでだろうなぁ……私も佐伯くんも、あんなにがんばったのに……。

「みんな言ってたよ。ちゃんが私たちのために、自分のこと後回しにしてでも助けてくれたのに、ちゃんが辛い思いしてるときに何もできなかったのが悔しいって」
「そんなの……別に私、見返り欲しくてなにかしてきたわけじゃ」
「お前がそういうヤツだから、手を貸したくなるんだろ」

 ぼふっ、と。志波っちょのおっきな手が乱暴に私の頭に乗っかる。

「お前に作り笑いなんて似合わねぇよ」
「つーか、今志波がやってっこと全部、佐伯の仕事だろ?」
「ハリー……」

 だな、と志波っちょとハリーは顔を見合わせて頷いてる。



 そしてユキが言った。

「僕たち全員、が幸せになることを願ってるんだ。行って来いよ。そして思ってること全部佐伯くんにぶつけてこいよ! が我慢する必要なんてない!」
「ユキ」
「それでももし佐伯くんがを突き放したら……」
「「「全員でフルボッコに行くから」」」
「ちょっ、暴力禁止っ!!」

 なんでそこだけ3人とも目が座っちゃってるかな! 初対面のくせに息ぴったりだし!
 しかも慌ててるの私だけで、あかりちゃんは笑ってるし!

ちゃん、おせっかいだってわかってるけど、行ってあげて? きっと瑛くんも待ってるんじゃないかって思うの」
「あかりちゃん……」

 待ってる、のかな。
 私が見た佐伯くんは、もう二度と会いたくないってカンジだったけど。
 でももし、それが天邪鬼な佐伯くんの精一杯だったとしたら。
 ……ううん、ここで考えててもわからない。

 私は受け取った航空券を封筒の中に戻す。

「……この飛行機の時間だと、明日学校行けないよ?」
っ、決心ついたのか!?」
「気にすんなって! 若王子もカンパの件知ってっし! この時期学校行ったって時間の無駄無駄!」
「だな」

 私の言葉に、ユキとハリーが「よっしゃー!」とガッツポーズ。
 あかりちゃんと志波っちょは顔を見合わせて嬉しそうに微笑んだ。

 ……だめだな、私。友達にこんなに心配かけて。

 でも嬉しい。こんなにも私のことを心配してくれる友達がいて。

「よっしっ! こっちは佐伯をボコり隊結成して待ってるからな! 佐伯ボコられたくなかったらきっちり説得してこいよ!」
「は、ハリー、それはちょっとプレッシャーだからやめて……」
、止めたいなら針谷じゃなく水島と藤堂に言っとけ」
「ちょっ……! それ無理!!」

 みんな、私のことを真剣に考えてくれてる。

 この間マスターが言ったこと、今日みんなに言われたこと。
 しっかり考えなきゃ。



 みんなが帰ったあと、私は自分の部屋で明日の準備をした。
 準備って言っても日帰りなんだし、財布と航空券だけあれば問題ないんだけど。

 机の上には、クリスマスに渡し損ねたプレゼントの包み。
 私はそれをシンプルな青い不織布に入れた。

 それから、指にはめてたあのガラスのリングを外してそれも袋の中に入れる。
 佐伯くんが自分のしていたリングを私に返した真意はわからないけど……私がこのリングにこめた思いは変わらぬ友情。
 明日佐伯くんに会った結果がどうなっても、私が佐伯くんに感じてる友情は変わらないよ、って。

 あとは。

 私は机の上に置いてあった『ソレ』を見つめた。



 で。

 そうと決まれば時間はすさまじい勢いで流れるわけで。
 学校サボって佐伯くんのところ行ってきまーす、なんて言えるわけないから、制服を着ていつもの時間に家を出て。

 ……バスロータリーにぱるぴんとくーちゃんが旗持って応援に来てたのはちょっとまいったけど……先にバスに乗り込んでたユキは知らん顔してるしさ……。

 そして私ははね学に行くためのいつもの電車とは反対方向の電車に乗り込んで。
 空港到着は9時20分。

 そして。

「……ついに来ちゃったよ……」

 ちょうど正午を向かえる時間、私は辿り着いた。
 マスターに貰ったメモに書かれてる住所と同じ枝番が記された、立派な邸宅の前。
 表札には重厚な文字で「佐伯」って。

 佐伯くんの家、超でかい……。

 私は家をナナメに見上げられる位置にあった電柱の影に隠れながら(怪しいことこの上ない……)、屋敷を見上げた。
 うん、屋敷っていうのがぴったりくる。ミルハニーとは大違いっ!

 屋敷は2階建て。ってことは、佐伯くんの部屋は2階……?
 ここから見える2階の窓には、全てレースのカーテンが引かれてて、中の様子は全くわからない。

 佐伯くんは今家の中? それとも外出中?

 とにかく、それを確認するにはインターホンを鳴らさなきゃならないんだけど……。
 上半身は屋敷に向かうのに、足がちっとも動かない!

 っていうか無理! 絶対無理!
 何を言えばいいのか、全然考えも纏まってないっていうのに!

「う……こ、こうなったらこれだけでも……」

 私は鞄の中から昨日用意したあの青い包みを取り出す。
 これを郵便受けに投函して帰るというのはどうでしょう!?
 あ、でも宛名も差出人も書いてなかったら不審物で警察に引き渡されちゃう!?
 い、いやでも、これに佐伯くんの名前書くのもどうかと思うんだよね……。

「……おい」

 でも、これだけはどうしても渡したい。
 あ、佐伯くんが私に会いたくないって言うんだし、最初っから宅配で送ればよかった!?
 でもでも、せっかくみんなが私にカンパまでしてくれたのに……。

「こら」
「う、怒ることないじゃん」
「怒ってない。っていうか、なんでここにいるんだよ? しかも制服で」
「へ?」

 電柱の影で一人百面相をしていた私に、背後からかけられた声。
 私は本当に無防備に、そっちを振り向いて。

「……なにやってんだよ?」
「△★б×*;$□@◎!!!」

 心の準備もままならないうちに佐伯くんと対峙してしまって、私は言葉にならない悲鳴を上げた。

「さ、さ、さ、さ!!」

 佐伯くん!!??

 え、ちょ、だって、なんでここに!?
 いや、私がここにいるよりはいて当たり前なんだろうけどさ!

 不機嫌そうに寄った眉根も、真一文字に結ばれた口も、以前から見慣れた彼のもの。
 一体どんな偶然なんだろう、って思うくらいに、着ている服は最後に合った日と同じ服で。
 小さなコンビニの袋を片手に提げて、私を見下ろしている佐伯くん。

 そりゃものすごく驚いたけど。

 会いたくて会いたくて、その気持ちをずっと押し込めてた人とようやく会えて、胸がいっぱいになっちゃって、言葉につまる。

 だけど佐伯くんは私が感じてるような感動なんて微塵も感じてない様子で、斜に構えた態度で私を一瞥して。

「……で?」

 う。

 ある程度予測はしてたけど、その冷たい態度と視線が突き刺さる。
 ……やっぱり、何も言えないよ……。
 終わったんだ。あの時、私と佐伯くんの関係は。
 もう、本当に佐伯くんは、私と関わりあうのを嫌がってる。

 一度私は俯いてしまったけど、顔を上げたときには完璧な笑顔を浮かべて見せた。

「今日はなんの日? フッフー!」
「は……?」
「やだなぁもう。はね学にいた頃はこの日が来るのを2月頭から嫌がってたくせに〜」
「ああ、今日バレンタインか」

 その通り。毎年毎年、佐伯くんがげんなりしていたバレンタインデー。
 今日という日に航空チケットを用意したのがわざとなのかどうかは知らないけど。

 佐伯くん、気づいてない振りしてるけどさ、コンビニ行って来たんでしょ? あんな派手にコーナー作ってるのに、気づかないわけないじゃない。
 見栄っ張りなとこは相変わらずみたい。
 佐伯くん本人の変わらない部分を垣間見て、少しだけ嬉しくなる。

 そして私はあの青い包みを佐伯くんに差し出した。

「これ渡しに来たの! クリスマスに渡し損ねたプレゼントだよ。佐伯くんにあげるために買ったものだし、最後、だし……。ね、受け取って?」
「あ、うん。……わかった」

 およ。
 拒絶されるかな、と思ったのに。
 意外にも佐伯くんはあっさりと受け取ってくれた。
 渡した包みに視線を落として、でもすぐに私を見て。

「チョコは?」
「ぶっ!」

 え、ちょ、ちょっと待って佐伯くん……アナタの心がわかりません……。
 な、なんだろうなぁ……人が訪ねてきたこと嫌がってるかと思えば、チョコの催促?

「チョコはないよ……。クリスマスプレゼントと違って、もう」

 途切れさせないように、言ったつもり。

「もう、私たち、関係ないんだし」

 だけど、佐伯くんの目を見ることはできなかった。

 ごめんね、ユキ。あかりちゃんも、みんなも。
 せっかく応援してくれたけど、私、やっぱりこれ以上佐伯くんにわがまま言えない。
 言うのが怖い。
 ……嫌われたくない。

 少しだけ、沈黙ができた。
 あ、マズイと思って。顔を上げた瞬間。

 ひどく儚げな表情をした佐伯くんと、目があった。

「お前、さ」
「な、なに?」
「少し、痩せた?」

 う。
 反射的に頬に手を当ててしまう私。ってこんなことしたら肯定してるようなものなのに。

 実はあの日以来、あまり食欲がなくて。
 予期せぬダイエットになってしまったことは事実。

 私のこの反応に、佐伯くんの眉間に再びシワが寄った。

「ちゃんとメシ食ってんのか?」
「え、う、うん。そりゃね! もう毎日モリモリ食べてるよ?」
「……」
「や、本当にだよ? あ、ほら、ぱるぴんがね、調理専門学校行くからその練習っていって学校においしそうなの作ってきてくれたりしてるし!」
「勉強は? 受験勉強、ちゃんと集中できてるか?」
「佐伯くん」

 嬉しいよ。
 佐伯くんは、本当はすごく優しくて気ぃ遣いだもんね。

 心配してくれただけで本当に嬉しい。

 だけどさ。

 私は佐伯くんの言葉を遮って、へらっとした笑顔を浮かべた。

「佐伯くんはもう何も気を遣わなくていいんだよ。もう自由なんだから。私のことなんか気にしないで」
「っ……」
「あーっと、そろそろ行かなきゃ! 飛行機の時間があるから」

 これ以上いたって佐伯くんの迷惑になるだけだし。
 佐伯くんが言葉を飲み込んでしまったのを機に、私は鞄を肩にかけてくるりと踵を返す。

っ!」

 呼び止めてくれたのが、泣きたいくらいに嬉しかったけど。
 それを堪えて、私は思い切り笑顔を浮かべて、振り向いた。
 佐伯くんの顔は見ない。見れない。
 だから、佐伯くんのずっと後方を遠い目で見つめながら。

「私は佐伯くんの親友だから!」

 それくらい勝手に思うこと、許してくれるよね?

「困ったことがあったら、いつでも訪ねてきてね」

 きっと佐伯くんはこの先も、私の一番だから。



 帰ったらどうやってハリーたちを説得しようかな、なんて思いながら、私はどんどん小さくなっていく佐伯くんの住む街を飛行機の中から見つめた。
 泣くのもこれで最後。
 結局何も言うことができなかったけど、言いたいことは全部あの袋の中に詰め込んでおいたから。

 眠ってしまおう。昔っから嫌なことや辛いことがあったときは眠って忘れてたんだから。

 はばたき市についたら、佐伯くんのメモリーを携帯から消さなきゃな、なんて思いながら、私は瞳を閉じた。

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