「ちょっと、何よこの記事!」

 静まり返った空間を打ち破ったのは、ヒステリックな女子の声。
 振り向けば、見覚えある子が物凄い形相で壁新聞を睨んでいた。
 確か、佐伯くんファンの代表格とも言えるくらいに、佐伯くんのまわりでいつも見る子だ。

 佐伯くんも、一緒にいた。



 64.本当の嘘



「信じらんない! ちょっと新聞部! なに適当なこと書いてんの!?」

 彼女は勢い込んで新聞部の部室のドアを開け放って、すごい剣幕で怒鳴る。その後ろには、同じく佐伯くんファンと見られる女子が何人かくっついて。
 息つくヒマもないくらいにぎゃんぎゃんとわめきたてて、その場にいたみんながドン引きしてた。

 さすがに見かねた佐伯くんが、彼女たちの肩を叩いて仲裁に入る。

「いいよ、そこまで言わなくても。新聞部も文化祭を盛り上げようとして僕をネタにしたんだろうし」
「でも佐伯くん! こんな捏造記事あんまりじゃない! よりにもよってなんであんな子となの!?」

 ぐっさー!!

 ファンのひとりが言った言葉に、思いっきり刺されたカンジ……。
 あ、あんな子、かぁ……。やっぱりそうだよねぇ……。

 反論の余地もない正直な一言に、とほほと俯くしかない私。

 でもようやくファンの子たちの怒声がおさまったかと思えば、今度は新聞部の反論が。

「嘘じゃない! 本人の口から聞いた、スクープ記事だっつーの!」

「えっ!?」

 私は驚いて絶句する。
 同時に、再びみんなの視線が私に向けられた。

 ファンの子も敵対心むき出しの目をしてこっちを見る。
 佐伯くんも、まさか、って顔して私を見た。

「ちょっと。アンタ一体なんのつもり? 図々しいにも程があるんじゃないの!?」

 さっきまで新聞部に噛み付いていた彼女が、一歩一歩私に近づいてくる。

「ちょっと、ちょっと待って! なんで!? 私そんなこと、新聞部の子になんて話してない!」

 向けられた悪意に、怖気づく私。
 わかんない、何がどうなってるの!?

 すると新聞部らしい生徒が一人、部室から出てきた。
 その子は私を指して、自分の正当性を主張する。

「さっき正面玄関で、他校生にそうやって宣言してるの聞いたんだ! 嘘じゃないぞっ」
「!」

 さっきの、ユキに話したこと、聞かれてた!?

 顔色の変わった私を見て、佐伯くんの表情に嫌悪が混じる。
 それを見た私の心臓がどくんと脈打つ。

 違うっ……佐伯くん、私、みんなには黙ってようって約束を破ったわけじゃない!
 だって、あの時はユキにそう告げなきゃいけなかったから、だから!

 でもそんなこと、ここで言えるわけない。
 佐伯くんと本当は付き合ってるんだって事実は、絶対に言っちゃいけないから。

 どうしよう、このままじゃ大騒ぎになっちゃう。
 騒ぎが大きくなって、先生までやってきたら佐伯くんに迷惑がかかっちゃう。

 もしもこのことが、佐伯くんのご両親に知れたら。

 珊瑚礁が、佐伯くんの居場所がなくなってしまう!

「なんとか言ったら!? そんな見え透いた嘘ついて、佐伯くんの迷惑じゃない!」

 私の目の前まで来た彼女は、憎らしげに私を見下ろして責め立てる。

「なぁ、そこまで怒らんでもええやん! そないに強い口調でモノ言われたら、説明もできんやろ?」
「そうよ。さんの言い分も聞くべきだわ」

 私の隠し事を知らないぱるぴんと密っちが私を庇ってくれるけど。

「最悪だよね。さん、って言うの? 佐伯くんも迷惑でしょ、あんなこと勝手に言いふらされてさぁ」

 佐伯くんを取り囲んだファンの一人が、「ねぇ?」と同意を求めるように佐伯くんを見上げた。
 その問いかけに佐伯くんは、右手で髪を掻きあげながら。


「そうだね。これはちょっと勘弁して欲しいかな」


 ……こんな大勢の前だし、佐伯くんがそういう風にしか答えられないって、私は知ってたけど。
 それでも、私が受けたショックは想像よりも遥かに大きかった。

 唯一救いだったのは、ソレを言うときに少しだけ顔をしかめながら視線をそらしてくれたこと。

 私のこと嫌悪したからじゃないよね?
 言いにくかったから、言いたくなかった言葉だったから、なんだよね?

「ほら! 聞いた!? 佐伯くんが迷惑がってるじゃない!」

 震えそうになる足を必死に堪えている私に、鬼の首をとったようにあざけりの言葉を浴びせる彼女。
 だけど、そんな彼女の言葉を止めたのは、全く思いもしない方向からだった。

「っざけんなよ! 佐伯お前っ、なんなんだよ、その言い草はよ!?」
「は、ハリー……!?」

 私も佐伯くんもファンの子も、その場にいたみんなが私のいる方向とは反対の、階段の方を振り向いた。
 そこにいたのはまさしく怒髪天を衝くのごときハリーと、同じく怒りの感情を隠そうともしてないくーちゃん。

 二人はずかずかと野次馬の輪に割り入って、佐伯くんの目の前まで詰め寄った。
 そしてハリーが乱暴に佐伯くんの胸倉を掴めば、女子の間から悲鳴が上がる。

「テメェ、こんなときまで自分が大事なのかよ! 今このときにお前がを守ってやらなくてどーすんだっつーの!」
「瑛クン、返答次第によっちゃボクも黙ってへんで。もうええ加減にせんと、ちゃんが可哀想や!」

 っ!

 ハリーとくーちゃん、気づいてる!
 だめ、それ以上言わないで! これ以上騒ぎを大きくしないで!

 佐伯くんを、

 佐伯くんを困らせないで!

「嘘なのっ!!」

 私は大声で叫んだ。さっきのハリーよりも、ずっとずっと大きな声で。
 驚いたみんなが、もう一度私を振り返る。

さん……!?」

 何を言い出すの、って密っちは言うけど。

 駄目なの。
 本当を嘘にしなきゃ。嘘を本当にしなきゃ。

 私は人生で一番の道化じみた笑顔を浮かべた。

「他校生の友達にだったから、見得張っちゃったんだ! 私、はね学で王子様なんて言われてる人と付き合ってるんだよ〜なんて。どうせ他校生だしバレないから大見得切っちゃえって思って」

 あははと、バカみたいに笑いながら私は頭を掻く。
 唖然として私を見つめてるみんなを見回しながら、私は嘘をつき続けた。

「私もずーっと佐伯くんのファンだったけど、お弁当ローテーションに今さら割り込めないし、いっつも佐伯くんと一緒にいる子たちがうらやましくて。だから嘘ついたの! んもぅ、駄目じゃん! 新聞部員なのに嘘かホントかも確かめないで記事にしたら」
「ちょっと、それホントなの?」
「ホントホント! このくらいの嘘くらい多目に見てよ〜」
「っ……図々しい! アンタちょっといろんなとこにいい顔しすぎなの!」

 ホント、その通りだよね。
 顔だけでへらへらした笑顔を繕いながら、私は彼女の言葉を反芻する。

 こんなバカみたいに笑いながら、みんなに嘘ついて。
 隠し事はしてたけど、こんな風に嘘をついてしまうことになってしまったが心苦しかった。
 ぱるぴんも密っちも、ハリーもくーちゃんも。みんな心配してくれてるのに。

 嘘ついてごめんね。
 でも、はね学にいる間はこの嘘が本当じゃないと、佐伯くんが困るから。

「ほらほらハリーも佐伯くんに乱暴しないで。友達なんでしょ? ごめんねぇ、私が見栄っ張りな嘘ついたばっかりに。喧嘩しちゃ駄目だよ?」
「嘘ってお前っ……何言ってんだよ!」

 佐伯くんの元に駆け寄って、未だにタイを離さないハリーの手をほどいて。
 私が今言ったことはホントに本当なんだよ? って笑顔を見せる。
 二人の気持ち、すっごく嬉しかったけど、これ以上佐伯くんを困らせたくないの。

 何度も何度も、私は心の中でごめんねって呟いた。

、さん」

 佐伯くんに、懐かしい呼び方されて振り返る。
 私は笑顔を貼り付けたまま、佐伯くんを見上げた。

 あ、駄目だなぁ佐伯くんてば。いい子の表情が崩れちゃってるよ? 眉根を寄せて、すまなそうな顔してる。
 ……そんな顔しなくていいのに。
 私、覚悟は出来てたんだから。佐伯くんと付き合ってることがもしもバレちゃったら、どんな親しい友人にでも嘘をつかなきゃいけなくなるってことくらい。

 卒業までの辛抱だもん。あとちょっとじゃない。

 本当に平気なんだから。佐伯くんがそんな顔しないで。

「ごめんね佐伯くん! こんな騒ぎになっちゃうなんて思ってなかったからさ。あはは、いくら与り知らぬところだからって、勝手にカレシ呼ばわりされたら気持ち悪いよね。ごめんっ! もう二度とこんな嘘言わないから!」
「ちょっと! これだけ佐伯くんに迷惑かけたくせに馴れ馴れしく話しかけないでよね! 金輪際、佐伯くんに近寄らないで!」

 私が佐伯くんを見上げて謝罪してるところを、乱暴に肩をつかまれて引き離される。

 あのさぁ……。なんで佐伯くんの身の回り人事までアナタたちが決めるの?
 こりゃ佐伯くん、息が詰まるはずだよ……。

 とは思ったものの、今の私にそんなことが言えるわけはなくて。

 結局佐伯くんは何か言いたそうな顔をしたまま、彼女たちに連れられて校舎の奥へと消えていった。
 一部始終を見ていた野次馬たちも、ひそひそと私を見ながら三々五々解散していく。

「っていうかさぁ……ってなに? 妄想系?」
「ありえなくね? よりにもよって佐伯の彼女宣言って……いくら嘘っつってもさぁ……」

 あはは……すっかり私、八方美人の電波系扱い?
 聞こえないように言ってるつもりなのか、それとも聞こえるように言ってるのか、ひそひそ、ひそひそって、私の耳に陰口が残る。

 そんな人たちにガン飛ばしながらも、最後まで残ってくれたのは3−Bの仲間たち。
 なぜかみんな、すっごく怒った顔してた。

「ど、どうしたの? うわっ、もしかして嘘つきちゃんに愛想つかした!?」
「っざけんな! なんでオレたちにまで嘘つく必要あんだよ!? つーかなんであの時佐伯に白状させなかったんだよ!」

 ハリーの怒りの矛先は、どうやら『嘘にしなきゃいけない本当』に向けられてるみたいだけど。

「もう、なんか勘違いしてない? ホントに私と佐伯くんはただのクラスメイト! それ以上の関係じゃないんだってば」
「そんなわけないでしょ、さん。ねぇ、私たちが守ってあげるわよ! 自分の大好きな人、あんな子たちに獲られてていいの?」

 よくないよ、密っち。いやだよ、私だって。
 でも、我慢しなきゃいけないんだもん。
 その我慢だってあとちょっとのことなんだし、先のことを考えれば今の我慢なんて全然平気。

 私なんかより、佐伯くんのほうが3年間ずっと我慢してきたんだから。

「も〜、みんな恋バナ好きなんだから。私と佐伯くんのコンビがでこぼこでおもしろすぎるからって話膨らませないでよっ。怒っちゃうぞっ! って、私が嘘ついたのが今回の引き金だったっけ。あっはっは」
「あっはっは、じゃねーっつーの! おいはるひっ、佐伯のヤツ連行すっぞ! 腹くくらせてやる!」
「あったり前やん! 自分の彼女笑いものにさせとくなん、どうかしとるわ!」

「やめてよっ!!」

 私の話を無視して佐伯くんを追いかけようとしたハリーとはるひの腕を掴んで引きとめ、私は大声で叫んだ。
 笑顔が崩れて素の表情が出てしまった私を見て、二人は顔を歪める。
 でも、大声に気づいた新聞部員までもが部室から出てきてしまって。

 収拾つけなきゃ。

 私は大きく息を吸ってから、再び笑顔を作って。
 佐伯くんも、いつも学校でこんな気持ちで感情も表情も偽ってたのかな。

「もうこれ以上佐伯くんファンに目ぇつけられたくないよ〜。佐伯くんに近づけなくなっちゃったけど、自分で撒いた種だし、仕方ないよ。ね、佐伯くんは今までもこれからもみんなの王子様!」

 私を心配してくれてる友達に対して、これ以上ないってくらいの裏切りの嘘。
 でも私、どうしても佐伯くんの居場所を守りたい。
 だから、ごめんね。ごめんね。

 と。

 間抜けな笑顔を浮かべていた私の頭を、ばすんと叩いた大きな手。

「あたっ!」

 その勢いに思わずつんのめりながら振り向けば、そこには志波っちょと水樹ちゃん。
 なんだなんだ、二人ももしかして文化祭デートしてたの?
 でもなんか様子がヘン。志波っちょはいつも通りの無表情装ってるけど、水樹ちゃんは口をきゅっと結んで目を赤くしてた。

「あれ、どうしたの、水樹ちゃ」
がそう言ってんだから、もういいだろ」

 私の質問を遮って、志波っちょが口を開いた。
 見上げれば、志波っちょは哀れむかのような視線で私とみんなを見下ろしていた。

「……いいんだろ、
「志波っちょ……」

 もしかして二人もさっきの騒ぎ、見てた?
 その上で、私の嘘を受け入れてくれるの?

 すると、志波っちょの隣にいた水樹ちゃんが、私の手をきゅっと握り締めた。

「苦しくなったら、今度は私がの手助けするからねっ。だから本当に辛くなったときは頼ってね」

 泣きそうな顔した水樹ちゃん。

「アタシも! アタシはサエキックやなくての味方やからな!」
「私もよ、さん。さんがやり通そうとしていること、応援するわ」

 志波っちょの言葉に、みんなが私の嘘を受け入れてくれたのか。
 水樹ちゃんの両手に包まれた私の手を、ぱるぴんも密っちもハリーもくーちゃんも。みんなが手を重ねてくれて。

「やだなぁみんな、深刻な顔して。それじゃあ佐伯くんに嫌われて残念会でも開いて慰めてもらおうかなっ!」

 言った私は、笑顔を作りそこなっていた。

Back