どきん どきん どきん

 いつのまにか、時計の音よりも大きく聞こえてきた心臓の鼓動。
 痛いくらいの視線で私を見つめてる佐伯くんは、辛抱強く私の言葉を待っていた。



 59.プレゼント



 開店時間が過ぎてる。でも、珊瑚礁が混み始めるのはもう少しあと。お客さんはまだ来ない。
 だから、この空間を打破してくれる誰かを期待しても可能性は低くて。

 なにか言わなきゃ。

 でもなんて言おう。

 私と佐伯くんは友達なんだよ。親友だって思ってる。だから、佐伯くんの気持ちは受け入れられないよ。
 そう言えばいいだけなのに、それが本心のはずなのに、言葉にするのをためらってる私。

 だって、さっき。
 なんで、好きかも、なんて口にしたんだろう?

 そりゃ佐伯くんのことは好きだよ? カッコいいし、わがまま王子だけど不器用に優しいし。一緒に遊んでても、働いてても、楽しくて。
 私が失恋して風邪こじらせて寝込んだときも、お店が忙しいのにお見舞いに来てくれて。
 修学旅行だって、きっと佐伯くんと一緒だったからあんなに楽しかったんだと思う。

 だけど、それって友達だったらフツーのことでしょ?

 だからちゃんと言わなきゃ。
 佐伯くんが気持ちを伝えてくれたんだから、それにきちんと返事しなきゃ。

 私は意を決して口を開く。

 それなのに。

「…………」

 言葉が出てこないの、なんで?
 なんか、泣きたくなってくる。



 俯く私に、佐伯くんのほうが口を開いた。

「オレ、さ」

 見れば佐伯くんは、髪を掻きあげながら困ったような表情をしていた。

「体育祭、お前と2人3脚したかったんだ」
「え」
「クリスと肩組んで走ってるお前なんか、見たくなかった」

 佐伯くんは、一度ぎゅっと口を結んだあと、堰を切ったように話し出す。

「課外授業だって、お前と一緒にまわりたかった。文化祭も、クリスマスパーティも、他のヤツに気を遣ってるあいだ、針谷や志波と楽しそうにしてるを見てて勝手に腹立ててたんだ。お前天然だし。オレのこと全然眼中にないし」
「べ、別に眼中にないなんてこと」

 しどろもどろに否定するけど。

 佐伯くん、そうだったんだ。
 あの時、そんな風に思ってたんだ。なんか感動しちゃう。

「だ……けど……私、佐伯くんのことは好きだけど、それはだって、友達として……」
「アイツは?」

 言葉を搾り出すようにして答える私を遮って。

「アイツのことはなんで好きになったんだよ? 友達だったんだろ? それとも最初っからか?」

 怒ってるのか拗ねてるのか、よくわからない顔して聞いてくる佐伯くん。

「アイツって……ユキ?」

 ユキしかいないよね。佐伯くんが知ってる私の好きだった人なんて。

「ユキは、最初はそりゃ普通に友達だったけど」

 そう、友達だった。
 ていうか、出会いの印象はむしろ悪かったんだよね。ほら、ユキって痛烈な皮肉言ったりするじゃない。
 それもユキ独特の友情表現だって知るまではもー最悪だったもん。
 今と変わらずクラスのお笑いキャラだった私に対しても、初対面でスパーン! と皮肉を言い放ったんだもんね!
 あれは今でもうらんでますよ、赤城さん……。

 だけどユキは頭がいいから私のボケにも絶妙に切り返してくるし、口喧嘩に近い漫才してるうちに仲良くなったんだっけ。
 でも、それでも恋愛じゃなかった。

 それが恋に変わったのは……。

 いつもいつもシニカルな笑顔しか見せてくれなかったユキが、すごく素直な笑顔を見せてくれた、あの時。
 もう、一瞬だった。

「笑顔が」

 言おうとして、佐伯くんを見上げて。

 ユキの笑顔を思い出そうとしたのに、浮かんできたのは佐伯くんの笑顔だった。



 どきん!!



「…………!!」

 なに、今の。
 うわ、なにこれ。今までだって散々ばくばくしてた心臓が、さらに早くなってきた!
 ついでに顔も熱くなってくる。

?」

 なんでなんで? だって、佐伯くん、今笑ったわけじゃないのに!
 今のは、前にも見たことある笑顔がリフレインしただけなのに!
 なんで今さら!?

 前に見たときも胸キュンだったけど、こんな風にはならなかっ……。

 ……なるわけ、なかったんだ。
 私は俯きながら、一度深呼吸する。

 どきどきするわけなかった。
 だって、その時は私、佐伯くんのこと『カッコいいはね学の王子様の笑顔』って思ってたんだもん。
 佐伯くんが素直な気持ちで笑ってたときでさえ、そう思ってたからだ。


 お前さ、それやめろよな
 その、はね学プリンスってヤツ
 オレはオレだ
 はね学の王子とかいうわけわかんない存在じゃない


 そう佐伯くんに言われたのは、もうずっと前のことなのに、それからも私はずっとそう言う風に見てきたんだ。
 だから友達だった。
 それ以上の感情、持つわけなかった。

 でも今なら、きっと佐伯くんの笑顔を見たら、答えが出る気がする。

「な、なぁ……嫌なら嫌って言えよ。オレ、お前を困らせたいわけじゃ」
「違うっ」

 俯いたまま黙り込んでしまった私に困り果てたのか、佐伯くんが何か言いかけたけど。
 私は顔を上げて佐伯くんの制服の袖を掴んだ。

 佐伯くんは驚いたように目を見開いて。
 でも、その顔がだんだん赤くなっていった。

「な、なんだよ、お前、なんでそんなに赤くなって」

 佐伯くんだって、ユデダコみたいな顔してるくせに。

「あのね、佐伯くん。あの」

 今の気持ち、どういう言葉で言ったらいいんだろう。頭の中がごちゃごちゃして言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え。
 もう自分でもひっどい顔してるんだろうなってわかってるんだけど、そんな顔佐伯くんにまじまじと見られてるってわかってるんだけど。

 視線を逸らせない。
 今、ちゃんと言わなきゃ!

「あの、だから」
「落ち着け、。ちゃんと聞いてるから。な?」
「う、うん。あのねっ」

 意を決して!
 私がぐっと握り締めた拳に力を入れれば、佐伯くんが息を飲んだ。

 と。


 ちりんちりん


「ちわー。やってますか?」

「「いぃらっしゃいませーッッッ!!!」」

 珊瑚礁開店30分、ようやくお客様の来店。

 私と佐伯くんはものすごい勢いで離れて、雄叫びのような挨拶で出迎えたのでした!!
 あぁっ! お笑いキャラの定めとはいえ、なんてお約束なっ!!



 久しぶりの珊瑚礁ウエイトレスってこともあるけど、海開き初日である今日は本当にお客さんが多かった。
 最初の一人をかわきりに、ものの10分でもう満席。
 その後もお客さんが回転する、回転する!
 あーよかった。今日思い切って手伝いに来て!
 マスターが腰痛で帰っちゃってたし、佐伯くんひとりじゃ絶対さばききれなかったよ、あれは。

 佐伯くんが調理に専念して、私はひとりでホールを駆けずり回り。
 注文が途切れた隙をついて洗い物をかたづけて。

 ちりんちりん……

「「ありがとうございましたー」」

 最後のお客さんを見送ったあと、私はカウンターの席に崩れるように座り込み、佐伯くんは大きくため息をつきながらシンクに両手をついた。

「つ……疲れたぁぁ……」
「はぁ……。、サンキュー。今日ばかりは手伝いに来たこと感謝してやる……」
「どういたしまして……」

 相変わらずの上から目線だけど、全然気にならない。っていうか、気にするだけの体力がもうない!
 私は額をカウンターにくっつけて、それからごろんと顔を横にたおしてほっぺをつけた。

「マスター帰ってよかったよね? 無理して残ってたらきっと大惨事になってたよ」

 ぐだーっとしながら、ロレツのまわらない口で佐伯くんに話しかける。

 でも返事が返ってこない。

「あれ、佐伯くん?」

 どうしたんだろ? と思って顔を上げてみたら。

「…………」

 佐伯くんはカウンターの中から両肘ついて、私が座ってるフロア側に身を乗り出していた。
 その表情は、なんだか呆れかえってるというか、なんというか。

「どうしたの?」
「どうしたもこうしたもあるかっ」

 そしてちょっと怒った声出してそっぽ向いちゃった。

 ……いや、うん。
 さすがのちゃんでも理由はわかりますよ?

 だけど、だけどさぁぁ。
 あーんなタイミングでお客さん来ちゃって、それから何時間もぐるぐる目まぐるしく働いて。

 いまさらあんな雰囲気に再突入! なんて、できるわけないよー!
 ……ねぇ?

「…………」
「…………」

 沈黙が痛いです。

 私は手を伸ばしてふきんを取って、わざとらしく自分の前を拭いてみたり。
 でも佐伯くんは変わらず不機嫌そう。

 なにか、この状態を打破できるもの……!!

 とぐるぐるぐるぐる頭をフル回転させてたら、思い出した。

 そうだった! これを忘れちゃいられない。

「佐伯くん、ちょっと待っててね」
「は? どこ行くんだよ」
「更衣室。すぐ戻るから!」

 私はぴょこんとカウンターの椅子から飛び降りて、てちてちと更衣室へ。
 ロッカーを開けて、鞄を開けて。
 青い不織布に包まれたソレを取り出し、もうひとつはポケットに突っ込んで、私は佐伯くんのもとへ駆け戻る。

 佐伯くんはカウンターから出てきてて、さっき私が座ってた席の隣に腰掛けてたけど、私が手にしているものを見た途端に目を大きく見開いた。

、それ……」
「あー、うん、あのね。一日遅れちゃったけど。誕生日おめでとう!」

 佐伯くんの目の前までやってきた私は、両手でその包みを差し出した。

 そう、昨日は佐伯くんの誕生日! 今年もちゃーんとちゃんはプレゼントを用意していたんですよ!
 だけどほら、いろんなこと重なっちゃって、結局渡せなかったんだよね。

「学校で渡そうかなとも思ったんだけど、なんか最近の佐伯くん近寄りがたかったし……。いつもどおり珊瑚礁まで行って渡そうかとも思ったけど、あんな辞め方しちゃったバイト先にも行き辛くて」

 ちょっと言い訳がましいけど、あははと誤魔化し笑いしながら佐伯くんに手渡す。
 佐伯くんはぽかんとしながら、受け取った青い包みに視線を落とした。

「そっか……」
「うん。遅れてごめんね」
「気にすんなよ。じゃなくて、その。ありがとな?」

 ちょこっとだけはにかんで、佐伯くんはソレをカウンターに置いた。

「なぁ、開けてもいいだろ?」
「うん。開けて見て見て!」

 私も佐伯くんの隣に座って、リボンを解いていく佐伯くんの手元を見つめる。

 今年、私が佐伯くんのために吟味に吟味を重ねて選び出した珠玉の一品はっ!

「……なんだこれ?」

 出てきたものに、佐伯くんは首をかしげた。

 それは耐熱ガラスで出来たグラス……のようなもの。
 淡い淡いブルーの色がついた切り子ガラス。ランプの筒みたいに少し膨らんでいて、底にはさらに小さなお皿がちょこんと置いてある。

 佐伯くんがまじまじとソレを見詰めてる間に、私は再び椅子から飛び降りてフロアの隅のスイッチのもとへ。
 そのスイッチをパチンと押せば、一瞬で珊瑚礁の照明が落ちて真っ暗闇。

「おいっ!? 何やってんだよ、っ!」
「佐伯くんの誕生日をちゃんイリュージョンで祝っちゃおうスペシャルです」
「はぁ?」

 真っ暗闇、なんて言ったけど。窓からは月明かりが差し込んでいるから何も見えないわけじゃない。
 私は佐伯くんのところに戻り、ポケットからプレゼントの付属品を取り出した。
 それを切り子グラスの中に置いて、カウンターの中に手を伸ばしてマッチを1本取り出して。

「あ、これもしかして」
「わかった?」

 ここまでくれば、さすがにもうわかっちゃうか。

 私はマッチを擦って火をつけて、キャンドルにその火を移した。
 その瞬間、幻想的な灯りがフロアを包み込む。

「……すげえ」

 青い光に照らされた佐伯くんは、目を大きく見開いてフロアを見渡した。

 そう、これは切り子グラスのアロマキャンドルホルダー。嗅覚だけでなく、視覚でもリラクゼーション効果を得られるすぐれものなんです!
 ……って言ってたのは商店街の雑貨屋のおねえさん。

 でも、私もここまで綺麗な光景が見られるとは思ってなかった。
 切り子グラス特有のカッティングで、光がさまざまに屈折して反射して。
 珊瑚礁のフロアは、まるで真夏の海の水面のようにきらきらと輝いていた。

「佐伯くんさ、この2ヶ月3ヶ月学校も珊瑚礁も息抜きできなくて疲れてるんじゃないかなって思って。根本的な解決にはならないけど、こういう癒しグッズで少しでも気分転換になればいいな〜って」

 まぁ、佐伯くんのお疲れの原因の大部分は私にあるんだろうけど……。

「そっか……」

 佐伯くんは、まぶしそうにフロアに満ちる青い光を見つめていたけど。
 しばらくして、ゆっくりとこっちを振り向いた。

 その顔に浮かんでいるのは、心底嬉しそうな、

 私の、大好きな。

「サンキュ、。これ、すっげーいい。大事にする」

「……うん」

 日に焼けた佐伯くんの髪が青い。優しい瞳も青く見える。
 心の底からの笑顔は、今初めて、王子様じゃなくて、佐伯くんのものなんだって認識する。

 無意識は深層心理がなせる業である……とかなんとか。どっかで聞いたような言葉。

 だけど、今度ははっきりと意識して。



「うん……私、佐伯くんのこと、好き」



 かも、という言葉は続かない。

 青いグラスを選んでよかった。
 こんなに火照った顔も、白と青の光のおかげできっと目立たない。

 青い青い海の中。

 佐伯くんが、力一杯私を抱きしめた。

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