私の携帯が鳴ったのは、一緒にお茶してたぱるぴんたちと別れてすぐだった。

「もしもし?」
『やぁ、お久しぶりです、さん。お元気でしたか?』

「……マスター!?」



 58.夏の始まり



 自宅へ向かうバスに乗り込もうとしてた私は慌ててバス停を離れて、ミラー越しに運転手さんに乗らないことを伝えて。
 ぶおぉんとバスが発車したあと、私は携帯を右手に持ち替えた。

『おや、電車の中ですかな?』
「いえ、バスに乗る前だったので大丈夫です。久しぶりですね!」
『ええ本当に。声の様子からすると、さんはお元気そうですね』
「モッチロン! 元気有り余りすぎてどこで発散しようかなー、ってトコロですよ!」

 マスターに見えてるわけでもないのに、ガッツポーズを作る私。
 電話中にこういうことしちゃうときって、私ってホント日本人だなーなんて妙なこと思ったり。
 携帯から聞こえるマスターの声は、前と変わらず温厚なトーン。どうやらマスターも元気みたい。

「ところでどうしたんですか? 電話なんて突然」
『ミルハニーの方に最初お電話したんですが、留守でしたのでね。さんの番号を聞いて電話してしまいました』
「そうですか」

 バスも行っちゃったし、まわりにめぼしいお店があるわけでもなし。
 私はマスターとお話しながら、その場をうろうろと行ったり来たり。

『それでさん、あつかましいとは思うのですが、お願いを聞いてくれませんか』
「お願いですか? なんでもいいですよ! マスターのお願いなら激辛料理だって食べちゃいます!」
『はっはっは。いや、大丈夫。実はさんにお願いしたいのは、珊瑚礁の手伝いなんですよ』

「……え?」

 ぴたり。

 私の足が止まる。

『瑛と何かいろいろあったことは知っています』

 驚きのあまり目も口もまん丸に見開いたまま硬直してしまった私に、通話口からは変わらず穏やかなマスターの声が届く。

『たださんもご存知の通り、夏の間は珊瑚礁は何かと忙しい。いや、もちろんミルハニーも忙しいでしょうが……』
「そういえば海の家がありますもんね」
『ええ。さんさえよければお手伝いをお願いしたいのですが。ノウハウもありますし』
「え、えーと……」

 まさか、マスターからこんな電話がくるとは。

 そう、季節はいつしか夏真っ盛り!
 苦痛の期末テストもあっというまに過ぎ去り(結果もあっというような結果で……とほほ)、結局佐伯くんと学校で話す時間は全っ然作れなくて、深まるのは私と佐伯くんの間の微妙な溝と、志波っちょの眉間のシワばかりなり、っていうか。

 実は本日終業式。だからこそ、勉強漬けの1学期から解放された喜びを分かち合いに、ぱるぴんたちとお茶してきたんだけどさ。
 ……いやいや、勉強漬けだったんだよ? ほんと。うん。遊んでない遊んでない。

 高校生活最後の夏ってことで、遊びまくろうねー! って大いに盛り上がってきたんだもん。
 その資金集めに、前半はバイトかなぁ……なんて思ってたんだけど。

 まさか、古巣からお誘いが来るとは。

 で、でもなぁ……。佐伯くんとは体育祭で和解したあとのあの衝撃事件で。結局今だ気まずいというか普通に接することが出来ないっていうか。
 私も佐伯くんも、どっちもあの告白未遂事件の見解を口にしてないんだよね……。

 うう、マスターはどこまで知ってるんだろう。

さん』

 返事に迷っていた私に、マスターが優しく話しかけてくれる。

『とりあえず今日一日、今日だけでも手伝ってはくれませんか』
「え、今日ですか??」
『今日は海開きでしょう? 海の家のスタッフたちが珊瑚礁に流れてくるんですよ。さんもご存知のように』
「あ」
『実は私も少し腰痛の気配が……あ、いたたた……』
「だ、大丈夫ですか!?」

 どどど、どうしよう! マスターが腰痛でダウンしちゃったら、佐伯くん一人であの大人数さばかなきゃいけないんだ!

 ううっ……。
 でも、躊躇はほんの一瞬だけ。

 し、仕方ないっ。マスターのためっ、珊瑚礁のため!

「わ、わかりました! 今日だけなら……お手伝いします」
『やぁそれはありがたい! お嬢さんならそう言ってくださると思ってましたよ』
「あは、あはは……それじゃ、家帰ってから珊瑚礁に行きますね」
『お待ちしてますよ』

 ぱちん

 2,3言言葉を交わした後に電話を切って、携帯を鞄にしまって。
 バス停の時刻表を確認したら、次のバスが来るまであと6分。

 このバス停からはばたき駅前までは約15分。そこから家まで徒歩数分。そして珊瑚礁まで約20分。

 着替えもろもろ含めても、心の準備時間は約1時間か……!

「よ、よーっしっ! 女は度胸っ! 行くぞっ! やるぞっ!」

 無意味に拳を振り上げて、私は声を張り上げて。

 いい機会だよね! もやもやしたまま夏休みに突入したって、心の底から楽しめないもん!
 今日こそ佐伯くんときっちり話してやるんだから。聞きたいことだってたくさんあるんだからっ!

 ……あ。それともうひとつ。

「いい機会なんだし……一応持っていこうかな」

 私は自室の机の上に放置したままのものを思い出した。
 うん。あれも、持っていこう。



 そして。

「……よう」
「……うん」

 久しぶりの珊瑚礁。
 久しぶりのコーヒーの匂い。

 そして久しぶりの、素顔の佐伯くん。

 ……き、気まずい。

 すでに珊瑚礁の制服に身を包んだ佐伯くんは、おそるおそるという風に珊瑚礁のドアを開けた私を見て、ほんの少しだけ赤くなりながら、それでもむすっとした顔して横柄な態度で挨拶してきた。
 それに答える私も、超短い返事。

 お互い少しずつ視線をそらしたまま、しばしの沈黙の後、先に口を開いたのは佐伯くんだった。

「じいさんから聞いてる。今日一日、こき使ってやるから覚悟しろよ」
「う、うん。ああっと、でも、ひさしぶりなんだからお手柔らかにっ」
「客の前に立てば研修生だろうとベテランだろうと、プロはプロだ。甘えるなっ」

 かこんっ

 佐伯くんが手にした銀のトレイで私の頭をチョップ!
 あ、でも。なんか今の感覚懐かしい。

「ひどいっ! 物で殴った!」
「さっき手ぇ消毒したばっかだし」
「そのトレイに食品乗せるくせに〜」
「ウルサイ。生意気言うならもう1発くらわすぞっ」
「うわわっ、いらないいらない!」

 私は慌てて頭をおおって飛びのく。
 それを見た佐伯くん、満足そうに、ニヤリ。

 あ。

 でもでもなんか、今ので気まずいカンジが少し流れたかも。
 万能だなぁ、佐伯くんのチョップって。

「さっさと着替えて来いよ。店開けるぞ」
「あ、うん! っと……制服どこ?」

 バイトしてたときのように更衣室に向かおうとして、佐伯くんを振り返る。
 もうやめちゃったんだもん。ロッカーに制服があるわけないし、佐伯くんに新しいの貰わなきゃ。

 と、思ったのに。

 佐伯くんはふいっと視線をそらして、困ったときに見せるいつものクセ。髪を右手で掻きあげた。

「……ロッカー、そのままにしてあるから」
「えっ」
「洗濯もしてある。……さっさと着替えて来いよ」
「う、うん」

 そのままに。
 佐伯くんのその言葉に、一瞬どきんとしちゃったり、不意にあの秘密の場所での出来事を思い出しちゃったり。

 赤くなった顔を隠すように、私は急いで更衣室に向かって。
 佐伯くんの言うとおり、あのときのままのロッカーを見て、たまらなくなって。

「女は度胸ー。ふぁいおー」

 ずるずるとロッカーにもたれて座り込んだあと、私は力なく自分を振り立たせる言葉を言うだけ言って拳を突き上げた。
 今日一日……もつかな、私……。



「と……ところで、マスターは?」
「じいちゃんなら腰痛がまた始まったからって、お前来る少し前に帰ったぞ」
「(マスターッッッ!!!)」

 なんかもう、タイミングがいいのか悪いのか。
 着替え終えた私を待っていたのは、マスターがいないという現実で。

 とりあえず開店までの数十分で、懐かしい作業をこなすことに集中することにした。

 卓上花の水を取り替えて、テーブル備え付けのシュガーポットの残量を確認して。
 レジのレシートロールのチェックと、伝票の確認。
 勢いで辞めちゃってから2ヶ月くらいたってるけど、結構仕事って体が覚えてるものなんだ。
 ミルハニーとは違う手順で、懐かしい作業をこなす。

「よしっ。佐伯くん、開店前のチェック終わったよ」
「サンキュー。じゃああとアレ頼む」
「アレ? ああ、空調温度ならさっき調節したよ」
「そっか。じゃあアレも確認」
「えーっとカウンターの椅子ならバッチリ等間隔にならんでます、隊長!」

 佐伯くんの指示を確認して、びしっと敬礼ポーズ。
 すると、カウンターの中でシルバーを磨いていた佐伯くんが、顔を上げて私をじーっと見つめてきた。

「な、なに?」
「お前さ、よく『アレ』だけでわかるよな」
「あれ、自分で気づいてない? 佐伯くんの言う『アレ』って差してるものによって微妙にニュアンス違うんだよ。前だってアレソレだけで指示してたじゃない」
「そうだったっけ?」
「そうだよ?」

 ちなみに佐伯くんって、『アレ』って無意識に言いながらその物のあるほうに体向けるクセがある。
 だから大体は予想がついちゃうんだよね。

 ところが、佐伯くんは少しだけ訝しげな顔して私を見つめたまま。

「……えぇと、まだなにか」
「いつもならお前、さ。ここで「ちゃんと佐伯くんは以心伝心〜」とかなんとか、アホなこと言い出すだろ」
「ちょっ、アホってひどくないですか!」
「なんで今回は言わないんだよ?」

 おや?

 佐伯くんてば、みるまにむくれ顔。
 久しぶりに見る素の不機嫌顔に、びくびくしながらもなぜか同時にほっとしてる私。

 でもなんで?
 確かに前はそういうこと言ってたけど、言ったが最後、間髪入れずにチョップが飛んできたのに。
 あ、まさかチョップしたいがために言ってるわけじゃないよね?

「……オレと以心伝心するの、そんなに嫌か?」

「!!!」

 ちょっ……!!

 不意打ち! 不意打ちにもほどがあるってば、佐伯くん!
 なにその可愛い拗ね方! うわ、メガヒット!!

 い、いいパンチだったぜ……! なにせしばらく見てなかった佐伯くんの素顔に幼い本音だもん。
 かーわーいーいー!! もう佐伯くんってば超かわいいーっ!!

 私はゆるむ口元を押さえきれず、右手に拳を作って、カウンターの中の佐伯くんに向かってぐりぐりとその拳をつきつけた。

「やだなぁもう、そんなわけないじゃん! 佐伯くんとのコンビネーションはもう以心伝心レベルじゃなくて、むしろ一心同体レベルになりたいくらいなのにっ」
「……お前な。よくそういう台詞が言えるよな? あの時は逃げ出したくせに」

「あ」

 うってかわってジトっとした佐伯くんの呆れ果てた目。
 ちょ、ちょっと調子に乗りすぎた……。
 でもその話題はマズイ。まだ心の準備が万端じゃないっ。

「え、えーとそれは」

 私は両手で何かを持ち上げる仕草をして。

「置いといて」
「置くな!」

 隣に何かを置く仕草をした私に佐伯くんは右手を振り上げて、でもカウンター内じゃ届かないと気づいて早足でカウンターを出てきて。

 ずべしっ!

「アイタっ!」
「置いとけるわけないだろ。、話聞け!」
「ちょ、ちょっと、今は開店準備を急いだほうがよろしいかと〜」
!」

 ぐいっと、右手首を掴まれる。
 久しぶりに触れる佐伯くんのおっきな手。学校で遠くから眺めてたときは綺麗な手だな、としか思えなかったのに、間近で見ると意外にふしくれだった男の子の手……。

 その手から腕を通って、佐伯くんの顔に視線をうつせば、そこにははね学の王子様なんて言われてる余裕ある澄ました笑顔なんかは微塵もなくて。

 焦りと緊張と不安と期待と。普段学校では絶対に見せない佐伯くんの素顔。
 緊迫感のあるその表情だけど、なぜか今の私には懐かしさが一番にこみあげてくる。

「怒ってるのか? その、いきなりキスなんかしたから! 学校でちっとも話しかけてこなくなったし」
「べ、別に怒ってるわけじゃないよ。でも学校でって、佐伯くんいっつもファンの子に囲まれてたじゃない。話しかける隙なんてなかったよ!」
「前は話しかけてきただろ!」
「えっ……そ、そうだったっけ?」

 前も学校ではほとんど話してなかったと思ったんだけど。
 それってもしかして、自分が意識せずに話しかけてたから、覚えてないだけ?
 ……もしかして、寂しさを感じてたのは、話せてたのが話せなくなったから?

「で……でも、本当、怒ってるわけじゃないよ。ただ学校じゃ話しかけにくかっただけで……。珊瑚礁のバイトも辞めちゃったし、素の佐伯くんと話せなくなって、私もどうしようと思ってたし」

 私はごにょごにょと呟くように言い訳を口にして。

 佐伯くんはしばらく黙って私の言葉を聞いていた。
 だけどその眉尻がどんどん下がっていく。

 ああ、そのしょんぼりした、年相応の幼い顔。落ち込んでるって一目でわかる表情なのに、学校で見てる笑顔よりもずっとずっと、……。

 ずっと、ずっと?

「なぁ、

 佐伯くんが口を開いた。

「珊瑚礁に戻ってきてくれないか」
「……」
「お前を怒らせて、お前がいなくなってから、オレひとりで珊瑚礁の手伝いしてたけどさ。別に、お前がいなくてももう回せるんだ。いい加減仕事にだって慣れたし。最近はコーヒーも淹れさせてもらえるし。別にシフトで困ってるわけじゃない」

 いつものように、髪を掻きあげる佐伯くん。

「でも、正直しんどいんだ」

 あかりちゃんと私、ううん、きっと私にだけ見せてくれるその表情は佐伯くんの一番弱い心がうつった顔。

「お前がいないとしんどいんだ。学校じゃ近くにいるのに話せないし、帰ってきても愚痴の言える相手もいない。が珊瑚礁でバイトしてることが、どんだけ助けになってたか思い知ったんだ。オレ」

 佐伯くんはまっすぐに私を見つめてきた。
 道に迷った小さな子供のような、途方にくれた顔。

「オレ……お前がいないと困るよ」
「うん」

 私は無意識に頷いていた。
 ただただ、今日一日で佐伯くんの懐かしいいろんな表情を見ていて、本当に無意識だった。

 無意識は深層心理がなせる業である……とかなんとか。どっかで聞いたような言葉。





「うん……私、佐伯くんのこと、好きかも」





 ……あれ?
 佐伯くん、なんでそんな間の抜けた顔してるの?
 目を点にしちゃって、端正な顔が思いっきりぱかんと開いた口のせいで変な顔。

「佐伯くん?」
「……本当に?」
「本当に、って、なにが?」
「なにがって……お前、今の」
「今の? 私、なんか言った?」

 その私の言葉で、なんかスイッチが入ったらしい佐伯くん。
 いきなり柳眉を吊り上げたかと思えば、両手で私のほっぺをぎゅって掴んでひっぱった!

「ひょっ、ひたたたた!! にゃにするれすかー!」
「思い出せ! つーか思い出さなきゃやめない。お前、天然にもほどがあるだろ!」
「ひたいひたいひたいー!!」

 本気でイタイんですけど、佐伯くん!
 でもマジ怒りモードに入っちゃった佐伯くんは止めてくれそうもなく。

 いま、今って私、なにか言った!?
 佐伯くんが、私がいないと困るんだって言ってくれたあとでしょ?
 言うもなにも、私その間、佐伯くんに見惚れてたんだもん。ずっとずっと見たかった、大好きな佐伯くんの素直な表情に。

 ……。

 あ。

 ぴたりと私は抵抗を止める。
 それに気づいた佐伯くんも、ようやく私の真っ赤になったほっぺを解放してくれた。



 佐伯くんに話しかけられて。
 今度は私の変なスイッチがオンになる!

「いやあの、今のはほらしんゆ」
「親友として、か? 本気で言ってんのか?」
「う、それはその、ちゃんにも考えをまとめる時間が必要で」
「お前今日まで何考えてたんだよ!? 2択の答えくらいまとめる時間は十分だったろ!」
「ええええっと、あ、ほら佐伯くん! 開店5分前! CLOSEDをOPENに」
「逃げんなよ!」

 叫び声にも似た佐伯くんの大声に、一瞬すくみ上がる私。
 でも恐る恐る見上げれば、怒声と反した、不安に包まれた佐伯くんの表情。

「逃げんなよ」
「さ、えき、くん……」

 コツ コツ コツ

 壁の時計の秒針の音だけが、静まり返ったフロアに響く。

 、17歳。

 人生最大の大ピーンチッッ!!



 続くっ!

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