勢い任せでいきなりバイトを辞めるなんて無礼千万なことをしてしまった私に、マスターは怒ったりしなかった。
 ただちょっと寂しそうな笑顔で、すまなかったね、なんて。マスターが謝ることなんて何もないのに言われちゃって、また私は泣いてしまった。

 あれ以来佐伯くんとは、ぎくしゃくどころか目が合えばお互いしかめツラという状態が続いている。
 ふんだ。
 佐伯くんなんか、もう知らないんだもんね!!!


 50.3年目:体育祭 2人3脚編


「よーっし! 体育祭オープニング、男子100メートルはきっちりポイントゲットだな!」
「お疲れさん、志波やんとサエキック! さぁさぁ、幸先いいスタートやで〜!」

 3−B体育祭作戦本部指令のハリーとぱるぴんがお手製メガホン振り上げて叫んでる。

 そう、今日は待ちに待った体育祭!
 飛び散る汗! はじける青春! さぁ、みんなであの夕陽に向かって走ろうゼ! っていう感じの体育祭なのです!

 1、2年生の予想では、我が3−Bがブッチギリの優勝候補!
 なんたって運動オールマイティの志波っちょに竜子姐、2年生からの入部なのにすでに陸上部エースにまで成り上がったリッちゃんまでいるんだもん。
 それに、運動ができなくてもヒカミッチがブレーンとして大活躍してくれたお陰で、他クラスのオーダー予想がズバリ的中!

 これはもう、よほどのことがないかぎり優勝は楽勝でしょう! ってくらいにウチのクラスのオーダーは完璧なのだ。

「佐伯くんお帰り! もう、すっごくカッコよかった〜!」
「ホントホント! 余裕の1着だったよね!」
「ありがとう。みんなが応援してくれたからだよ」

 と。

 体育祭第一種目の男子100メートル走から戻ってきた佐伯くんを、あっという間にクラスの女子が取り囲んだ。
 まだ1種目めだし、まだまだ心も体も余裕余裕って顔してるけど。今日は目一杯ハリーとヒカミッチに参加競技組み込まれてたみたいだし。
 あの作り笑いがいつまで持つかなぁ……。

 ……。

 ま、私には関係ないけどっ。

 佐伯くんと一瞬目が合った。
 けど私はすぐにそらして、大袈裟なくらいに大きな声で同じく1位をもぎ取ってきた志波っちょの労いに向かった。

「おめでと志波っちょ! さすがの走りっぷりだったね!」
「ああ、サンキュ」

 クラス席の前で水樹ちゃんからタオルを受け取っていた志波っちょ。その目の前の椅子に逆向きに座り込んで、私は真上を見上げた。

「志波っちょってあとどれくらい出るんだっけ?」
「……覚えてねぇ」
「ってだめじゃん! ちゃんと覚えてないと、集合に遅れたら失格だよ?」
「針谷と西本が仕切ってるから大丈夫だろ。……それに」
「それに?」

 首を傾げて志波っちょを見上げると、志波っちょは隣の水樹ちゃんの頭を優しくぽんと叩いた。

「水樹が全部覚えてる」
「うーわー、らぶらぶだー、らぶらぶだー」
「なんかにからかわれるのも慣れちゃったよ」

 あははと無邪気に笑いながら、水樹ちゃんは志波っちょからタオルを受け取って綺麗にたたむ。
 それから、『ヒカミッチ&チョビっちょ監修・必勝スポーツドリンク』を志波っちょに手渡して。

「勝己くん、次は800だよ。このあとトラックでパン食い競争があるから、その後だからね」
「わかった」
「なんやセイちゃん、志波クン専属マネージャーみたいやね?」

 私が言おうと思ったセリフを言ったのは、私の背中にぴたっとくっついて肩にあごをのせてきたくーちゃんだ。
 ねー、と私はくーちゃんの頭に自分の頭をごっつんこさせる。

「ああいうの、南ちゃんって言うんだよ。志波っちょ野球部だからぴったりだね!」
「なんで南ちゃんって言うん?」
「野球選手の彼女は南ちゃんて、日本古来からの伝統なんだよ」
「お前な。クリスに嘘を教えるな」

 ぺちっ

 志波っちょにおでこを叩かれてちょっといい音がした。
 あははー、となごやかに盛り上がったところで競技集合の放送が鳴り響く。

『1年生から3年生のパン食い競争に出場する生徒は、入場ゲートに集合してください。繰り返します……』

「あ、私行かなくちゃ!」

 ぱっと水樹ちゃんが顔をあげた。
 そういえば水樹ちゃんって、1年のときからパン食い競争エースだったっけ。
 普段運動苦手にしてるわりに、2年連続1位取ってるんだもんね。

 水樹ちゃんは手にした「南ちゃんセット(勝手に命名)」を素早くクラス席奥に片付けにいって、入場ゲートの方へと駆け出していった。

「おっ、セイ、出番だな!」
「水樹さん、見事な食いっぷり期待してます!」
「はいっ。がんばりまーす!」

 気づいたハリーや若王子先生、クラスのみんなが水樹ちゃんに声援を送る。

「水樹ちゃーん、がんばってねー!」

 私も口元に手をあてて水樹ちゃんの後姿に声援を送った。

「水樹はともかく、アンタはどうなんだい」

 その私に声をかけてきたのは竜子姐だ。
 竜子姐の出番は午前の部の後半から。リッちゃんやあかりちゃんと共に、200、400、男女混合リレーあたりにエントリーしてたはず。

 竜子姐はくーちゃんの隣に足を組んで座って背もたれに頬杖ついて、気だるそうなその姿もカッコいい! って姿で私を見て。

「パン食いと男子800と200のあとだろ? 2人3脚」
「うぐっ」
……まさか今年もまだパートナー決めてねぇのか?」

 呆れた顔して私を見下ろす志波っちょ。

「うぅっ、じ、実はまだ決まってマセン……」

 だ、だってさぁ……。

 ホントのところ、このクラス割になったときに今年も佐伯くんと2人3脚できるかなぁ、なんて思ってたんだけどさ。
 あんなことになっちゃったわけで。
 2人3脚のパートナーなんて、頼めるわけないじゃない?

 じゃなくて、頼む気なんかこれっぽっちもないけど!!

 で、どうしようどうしよう、って思ってたらあっという間に体育祭当日なんだもん。
 あー、でもそろそろパートナー探しに出ないとだめだよね?
 ううう、は今年も2人3脚ジャーニーに旅立ちます……。

「ふぅん」

 すると竜子姐は頭の後ろで手を組んで、背もたれにおもいきりよくもたれかかった。

「アタシはてっきり、佐伯と組んで出るんだと思ってたけどねぇ?」
「あ、ボクもそう思っとった。ちゃん、瑛クンに頼めばええやん」
「う、い、いやその、佐伯くんはちょっと」

 視線を泳がせてごにょごにょと口ごもれば、くーちゃんも竜子姐も志波っちょも、怪訝そうに眉を寄せて私を見た。

 佐伯くんと喧嘩したこと言ってないけど、仲のいい人たちにはなんとな〜く不仲が伝わってるんだろうなぁ……。

 などと思いながらどうしよ〜と心の中で逡巡してたら。

「佐伯、お前しばらく競技でないだろ。の2人3脚パートナーやらないか」
「っぅぇえええ!? ちょ、志波っちょ!?」

 いきなり志波っちょが、女子に囲まれた佐伯くんを振り返って、こともあろうに、こともあろうに!

 ファンのコに囲まれて労われていた佐伯くんも、突然の依頼にびっくりしたらしくて、目を丸くして志波っちょを見てる。
 うわ、まわりのクラスメイトもみんなびっくりしてるじゃん!
 ええとでも、クラスメイトはどっちに驚いてるんだろ?
 やっぱり志波っちょが学校行事に積極的発言をしたことかな?

「……僕が?」

 みんながぽかんとしてる中、佐伯くんが口を開いた。
 そして私をちらりと見る。
 うぅ……なんだよぅぅ……。

 ところが。

 ふっと佐伯くんはいつもの王子スマイルを浮かべて。
 にこやかな口調で言い切った。

「悪いけど、午前のラストから競技が立て続きになってるからできるだけ体力残しておきたいんだ。他の人と組んでくれるかな?」

 お前のためになんで労力割かなきゃならないんだよ。

 って、目で言ってた。かっちーん!!

 私にはわかるもんねっ、他の人をうまくごまかせても私にはわかるもんっ!
 佐伯くんの建前に隠された本音! 今まで散々ホントの佐伯くんと付き合ってきたんだもん、今の台詞の真意、もう嫌味なくらいにわかっちゃったもんね!

 むっかぁぁぁ〜!!

「そうだよ志波っちょ〜。佐伯くんに気を遣わせるなんて悪いよ〜!」

 だって、他人に気遣いするのいっちばん苦手だもんね!!

 負けじと私も満面の笑顔で言い返してやれば。

 ぴきっ!

 あ、佐伯くんのこめかみが一瞬ひきつった。

さんの足を引っ張ったら悪いしね」

 お前鈍足だから絶対歩調合わないし!

「ううんそんなこと。佐伯くんのスピードについてけないの、こっちだよ〜」

 絶対他人のペースに合わせようとしないもんね! わがまま王子だから!

 ばちばちばちっ!!

 クラス席の前方と後方。私と佐伯くんの間で見えない火花が飛ぶ。
 きっとこの間、気温マイナス40度。
 だって間にいる若王子先生が、自分の体を抱きしめてぶるっと身震いしたもん。

「あ、あ〜、ほんなら〜」

 笑顔で見つめあい、水面下でにらみ合い、そんな私と佐伯くんを取り巻く空気がいたたまれなくなったのか、くーちゃんがおずおずと手を挙げた。
 ところがその横で、竜子姐と志波っちょが「あっ、バカっ!」とでも言いたそうな顔をする。

 およ?

ちゃん、ほんならボクとペア組まん?」
「えっ、ホント!? くーちゃん、ペア組んでくれるの!?」

「クリス……最悪のタイミングだぞ、それは……」
「ったくあのお天気外人……アンタが口出ししたら一番ヤバイって気づけよ……」

 手で顔を覆ってしまった志波っちょと竜子姐が疑問だったけど、私はぱっと今までとは違う心の底からの笑顔でくーちゃんの手を取った。

「やった! くーちゃんとならきっとうまく走れるよ! ぴったんこ同盟でがんばろーね!」
「う、うん。そうやね、ちゃん。がんばろな?」

 私は背中に突き刺さる視線を完全無視して、くーちゃんの手をぶんぶんと上下に振って。

「それじゃ、私大会本部にエントリーしてくるね! くーちゃんありがとっ! 愛してるっ!」

 一度むぎゅー! とくーちゃんに抱きついた後、私は大会本部へと駆け出した。

 ふふーんだ。ちゃんには佐伯くんと違って友達たくさんいるんだもんっ。
 佐伯くんなんかいなくたって、全然困らないんだから。
 もう、全っ然っ!!!



「え、えぇと瑛クン、あんな? 今日は体育祭やから、チームワークを乱すんはアカンと思って、そんで〜」
「うんその通りだね。でも、なんでそんなこと僕に?」
「うぅぅ、瑛クン怖い〜〜〜」

「こんなときに水島はどこ行ってんだ……」
「ったく、なんでアタシがこんな役回り……」

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