走り去るあかりちゃんの背中を、顔をしかめてただ呆然と見送るユキ。
 その隣にははば学の制服を着た、髪の長い可愛い女の子。
 そのコはがっくりと肩を落とすユキに戸惑いながらも、はね学の校門前から二人一緒に去って行った。


 49.ふたりの人魚


 で、それを玄関で偶然目撃してしまった私。

「なんでわざわざ誤解されそうな方法を選ぶかなぁ……」

 私は大きくため息をついて履き替え途中だった靴を脱いだ。

 ゴールデンウィークでの派手な喧嘩(しかも一方的)の誤解を解くべくユキはやってきたんだろうけど、あかりちゃんのあの様子だと誤解を解くどころかきっともっとこじれちゃったんだろうなぁ。
 いつもはなんでも器用なくせに、こんなとこだけ不器用なんだもん、ユキってば。
 ここはひとつ、友達のために余計なお世話でも焼いてあげようかな?

 なんて思ったときだった。

 ばたばたばた!

 廊下の方からすごい足音。
 その足音の主は、なんと佐伯くんだった。

「あれ、どうしたの佐伯くん。そんなに慌てて、ハリーかと思っちゃった」
っ……」

 すっごく急いだ様子で乱暴に靴を履き替えてる佐伯くん。
 声をかけると、キッとこっちを向いて。

「今来てたはば学の制服、アイツだろ」
「え? う、うん。ユキだったよ」
「アイツ、どのツラ下げて……!」
「ちょ、ちょっと佐伯くん!?」

 学校では見せない好戦的な表情で校門の方をにらみつけたかと思えば、物凄い勢いで駆け出して行っちゃった。

 残された私は突然の出来事にぽかん。
 な、な、なにごと?

「佐伯くん! 待ちたまえ!」

 と、今度はヒカミッチだ。
 振り向くと、回転ホウキをにぎりしめて仁王立ちしてるヒカミッチが見えた。

「佐伯くんならたった今帰っちゃったよ?」
「くっ、逃がしたか……。しかし、佐伯くんともあろう人が掃除をサボるとは」
「えっ、佐伯くん掃除サボっちゃったの?」

 びっくりした。
 だってだって、佐伯くんって学校じゃ優等生だもん。普段がどうあれ、学校では品行方正。佐伯くんが当番サボったとこなんか見たこと無い。

 私がきょとんとしてると、ヒカミッチの方も甚だ疑問って顔して、眼鏡をいじりながら首を傾げてた。

「最初はきちんと掃除をしてくれていたんだが……窓の外を見ていたと思ったら、急にホウキを放り出して鞄を掴んで教室を出て行ってしまったんだ。
「えぇっ?」

 それって、ユキとあかりちゃんの修羅場を見てた……ってことだよね?
 じゃあ佐伯くんが掃除をサボってまで走っていったのって。

 私は佐伯くんが消えていった校門の方を、唖然としてみつめるだけだった。



 今日は珊瑚礁のバイト日じゃなかったけど。
 あかりちゃんのこともユキのことも、佐伯くんのことも気になって。私は学校帰りにそのまま珊瑚礁へと向かっていた。

「佐伯くんは校門出て右手に曲がったから、あかりちゃんの方を追いかけてったってことだよね」

 ユキとあかりちゃんが喧嘩したところを見て、あかりちゃんを慰めに行ったのかな。
 でも佐伯くんがそんなふうに誰かに親身になるところなんて、見たことない。
 ……もしかして、佐伯くんにとってあかりちゃんはまだ特別な存在とか?

 ぐるぐると頭の中でいろんなことを考えながら辿り着いた珊瑚礁。

 まだプレートはCLOSEDのままだったけど、私はかまわずドアを開けた。
 ちりんちりんと、涼しげなベルの音が響く。

「お疲れ様でーす……」

 遠慮がちに声をかけながら中を覗く。
 すると。

。どうした? 今日シフト入ってないだろ?」
「え、ちゃん?」

 カウンターにはね学の制服姿のまま入ってた佐伯くんと、カウンターに座っていたあかりちゃんが一緒にこっちを振り向いた。

 って。
 あかりちゃん?

 湯気のたつマグを両手で包むようにして持ってるあかりちゃん。きょとんとして私の方を見てる。

 あぁ、そっか。
 佐伯くん、やっぱりあかりちゃんを慰めに追いかけて行ったんだ。
 そっか……そうなんだ。

、どうしたんだよ?」

 怪訝そうな顔して声をかけてくる佐伯くん。私ははっとしてぱたぱたと手を振った。

「あー、うん。いるかなー、って」
「はぁ?」
「いやほら、私も校門前のアレ見ちゃったからさ」
「ああ。いるかなーって、あかりのことか?」
「う、うん」

 適当なことを言って頷く私。
 途端にあかりちゃんの顔が曇っていく。

「あ、あ、あのね、あかりちゃん。ユキはね……」

 慌てて私はあかりちゃんの隣に駆け寄ってフォローを試みようとした。
 だけど、それを遮ったのは硬い声をした佐伯くんだった。

「アイツ一体何様のつもりなんだよ!? 自分のことしか考えないであかりを傷つけて。散々罵ったあとに別の彼女見せつけに来るって、どんな神経してるんだ!?」

「え?」

 私はびっくりして佐伯くんを見た。
 佐伯くんは眉間に皺寄せて、「なんだよ」って私を見てる。

「佐伯くん、どうして? なんでユキとあかりちゃんが喧嘩……えと、罵ったって、スーチャデートのこと知ってるの?」
「なんでって、あかりから聞いた。オレたちが水族館行った日、をバス停まで見送ったあと、浜であかりと会って」

 なるほど……。じゃあ佐伯くんはあかりちゃん側の一部始終は知ってるんだ。

こそなんで知ってるんだよ?」
「え、私は」
「……アイツに聞いたのか」

 うあ、佐伯くんの眉間のシワ、志波っちょより深くなってるよ。

 俯いてるあかりちゃんのマグにあたたかいコーヒーを注ぎながら、佐伯くんは不機嫌そうな声で。

「アイツなんて言ってお前を丸め込んだんだ?」
「ちょ、ちょっと。丸め込んだなんて」
「どうせ一方的にあかりが悪いって言ってたんじゃないのか? はば学の坊ちゃんは弁が立ちそうだもんな! 自分を守るのもうまいだろうよ」
「ユキはそんなコじゃないよ!」

 佐伯くんのあまりな言い草に、思わず私は声を上げてしまった。
 だってだって、いくら誤解だって知らないからって、そこまで言うことないじゃない!?

「誤解だってば! チケットのことはユキも反省してたよ? あかりちゃんの言い分も聞かずに罵ったこと後悔してるって!」
「ふーん、そうやってお前にはいい顔しとくんだな!」
「本当に反省してたんだってば!」
「だったら今日のことはなんなんだよ!? あかりのこと散々振り回した挙句に、別の女連れて来て傷つけるなんて普通するか!?」
「だからそれも誤解だって! ユキはそんなつもりであのコを連れてきたんじゃなくて」


 不意に、佐伯くんの声がものすごく低くなった。
 あまりの凄みに、一瞬震え上がる私。
 顔を見れば、怒りに満ちた冷たい瞳。

「お前、アイツの肩を持つつもりか?」

 返答次第によっては、って続きそうな言葉。
 佐伯くん、怒ってる。
 ううん、怒ってるっていうか……なんか親の仇を見るかのような。
 憎しみ、っていうほうが近いかもしれない。

 なんで? 佐伯くん、どうしてそんなにまで怒ってるの?

「友達のあかりじゃなくて、アイツを庇うのかよ」
「だ、だって、ユキは本当に……」
「そうかよ」

 佐伯くんは私から顔を背けた。
 そして吐き出すように言った言葉。

「サイアク。友情よりも男とりやがった」


 声が、出なかった。


 だって本当だもん。
 ユキはあかりちゃんに謝りたがってたし、誤解を解きたがってた。
 あかりちゃんとユキはお互い想い合ってるんだよ。
 だから私、二人の架け橋になりたくて。

 言葉に、ならなかった。

 人の話を聞かないの、佐伯くんじゃない。
 何度も何度も違うっていうのに、聞く耳持たずの唯我独尊。
 いっつもそうだ。勝手に機嫌悪くなって、勝手に上機嫌になって。

 それなのに、挙句に、私の事、サイアクだって。

 違うのに、違うのに、違うのに。


 軽蔑された。


「待ってよ瑛くん! 私と赤城くんのことで、どうして瑛くんとちゃんが喧嘩するの!?」
「だ、だってさ、コイツ人の気も知らないで……」

「人の気も知らないの、どっちだと」

 慌てたあかりちゃんが私と佐伯くんの間に入ろうとする。
 佐伯くんも、今度は拗ねたような顔をしてあかりちゃんにいい訳じみたこと言うけど。

「どっちだと、思って」

 私は鞄の中を乱暴に探った。
 そして見つけたものを掴んで、ばん! と乱暴にカウンターに叩きつける。

 それは珊瑚礁のロッカーの鍵。それと、シフト表のコピー。

……?」

 焦りの混じった佐伯くんの声。

 でも、もういい。もういいっ。

 もうヤダ!

「佐伯くんなんか、大ッ嫌いっ!!」

 叫んで私は珊瑚礁を飛び出した。
 走って走って、停留場にタイミングよく来たバスに駆け込んだ。
 降り口に一番近い席に座って、私は大きく息をついた。

 しばらくして携帯のバイブが震えだした。
 一瞬目に入った送信者の名前だけ見て、私は携帯の電源を落とす。

 窓に映る自分の赤い目を睨みつけながら、私はバスに揺られて。

 はばたき駅のバスロータリーについて、一番にバスを降りて。
 早く帰って自分の部屋で眠りたい、って思って。私は一歩踏み出した。



 その時声をかけられた。
 ほとほと弱りきった、頼りないこの声は、私の大事な友達の。

「だめだったよ……なんかますます誤解させたみたいだ」

 ユキ。
 バスロータリーの脇で、肩を落としてこっちを見てる。
 きっと私に報告しにきたのか相談しにきたのか、そんなところだと思う。

 全部見てたよユキ。全部知ってる。

「なんか僕、どうしたらいいんだろうな……って、? どうしたんだ?」

 暗い顔してたユキの表情が戸惑いに変わる。
 そして慌てた様子でこっちに駆け寄ってきて、私の両肩を掴んだ。

、何かあったのか? なんで泣いてるんだ?」
「……っく……ふぇ……ユキぃぃ〜」

 私はユキにしがみついて、その場で泣き出してしまった。
 たくさん人が行きかう場所で、ユキもすっごく困ったと思う。
 でも、ごちゃごちゃの感情を抑え切れなくて、私は声を上げて泣いてしまったんだ。

、どうしたんだよ、泣いてちゃわからないだろ?」

 おろおろしてるユキには悪いけど。
 私はそのまましばらく泣き続けた。

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