「……へぇ、ようやくか」
「うん。さすがに現場目撃したときはびっくりしたけど」
「お前本当にクラッシャーだな」
「す、すぐに立ち去ったもん! 大丈夫だよきっと!」


 43.2年目:バレンタインデー


 本日は木枯らし吹く中、一部で気温上昇しちゃってるバレンタインデー。
 佐伯くん狙いの常連女性客の怒涛の攻勢を乗り切って、珊瑚礁は無事に本日の営業を終わらせることができた。

 いつものようにマスターはシメ作業、佐伯くんは洗い物、私はテーブル拭きの分担をこなして。

「やれやれ。毎年のことながら今日の忙しさときたら……。瑛、悪いが先に上がらせてもらうよ」
「じいちゃん大丈夫か? また腰?」
「いやなに、少し疲れただけだ。さん、すまないね」
「とんでもない! あ、じゃあ帰る前にちょっと待ってください!」

 レジを閉めてコートを羽織るマスターに待ったをかけて、私は更衣室に駆け込んだ。
 白い不織布でラッピングした包みを持って、慌てて駆け戻り、

「はい、マスター。バレンタインチョコです! 愛情たっぷり詰め込みました!」
「やぁありがとうさん。今年もありがたくいただきますよ」

 両手でチョコを差し出せば、マスターは優しい笑顔で受け取ってくれた。
 ああもう、佐伯くんがうらやましい。こんなに優しいおじいちゃんが身近にいるなんて。

さんは本当に気遣い細やかな素敵な人だ。あなたのような人が瑛のお嫁さんになってくれたらと、いつも思いますよ」
「なっ!? 何言ってんだよじいちゃんっ!」
「そうなると私、マスターの孫ってことですよね? うわぁ、マスターの孫になれるなら佐伯くんと結婚してもいいかも!」
「ちょっと待てっ! お前の優先順位はオレよりじいちゃんが上かよ!?」
「こら瑛。男の嫉妬はみっともないぞ」
「ですよねー?」
「……覚えてろっ」

 あはは、拗ねちゃった。
 私とマスターは顔を見合わせて笑う。

「それじゃあさん、また明日」
「はい! お疲れ様でした!」

 にこやかに去っていくマスターを見送って、私はテーブル拭きに戻る。

 ふふーんだ。マスターがついてれば、普段言い負かされっぱなしのちゃんでも佐伯くんに勝てるんだもんねっ。

 あらかたテーブルを吹き終わったあとは椅子を上げて床を掃いて。
 最後にカウンターを拭いて終わり!

「今日も忙しかったねぇ。佐伯くん、学校でもあんなにチョコ貰ってたのに、お客さんからもたくさん貰ったね。食べきれる?」
「食うか? 
「こらっ、乙女の努力と勇気をきちんと味わいなさい!」
「太っちゃうしー」
「……佐伯くんもそういうの気にするの?」
「お前は年中気にしてそうだな」
「うぐっ。こ、これでも出来うる限り我慢はしてるつもりなんですがっ……」

 カウンターに突っ伏せば、佐伯くんはははっと笑った。

、あのさ」
「ん? なに?」

 気を取り直してカウンター拭きを再開。

「勿論、オレにもチョコ用意してるんだろうな?」
「うん、用意してあるよ。でもあれだけ貰ったんじゃ迷惑じゃない?」
「別に……なぁ、まだバスまで時間あるだろ? お前のチョコ一緒に食わないか?」
「あ、うん。いいよ! じゃあ取ってくるね」
「ああ。ホットミルク淹れといてやる」

 佐伯くんの提案に私は頷いた。

 それにしても佐伯くん、今日はなんだか笑顔だなぁ。
 いっつもこういうイベントデーのあとは、疲れきって不機嫌にしてるのに。
 何かいいことあったのかな?

 などと思いをめぐらせながら、私は更衣室の佐伯くん用に用意した青い不織布の包みを持ってフロアに戻る。

「はいっ、佐伯くん。メリーバレンタイン!」
「どっかで聞いたようなギャグ言うな。でも、サンキュ。おっ……手作りだ」
「がんばっちゃいましたよ! 昨日ミルハニーの営業終わったあと、パパにマンツーマンで指導してもらって」
「ふーん、チョコレートブラウニーか」

 佐伯くんもカウンターの外に出てきて、私の隣に座る。
 包みを開けてころんと出てきたチョコレートブラウニーを持ち上げて、しげしげと見つめたあと、ぱくっと口に放り込んだ。
 あ、なんか今の仕草可愛かったかも。

「へぇ、うまいじゃん」
「ホント!?」
「まぁミルハニーのマスターに指導受けたんならこのくらい出来ないとな」
「うっ……ま、まぁね……」
「あ、えーと、その。サンキュな? うまいんだから、そんな落ち込むなって」

 大げさに落ち込んでみせれば、佐伯くんは慌てたようにフォローの言葉を口にする。
 ふふ、優しいなあ、佐伯くんってば。

 私もブラウニーを1個口に放り込む。
 ほろ苦くも甘い香りが口いっぱいに広がって、バイト後の疲れた体に染み渡るカンジ。
 ああよかった、上手に出来て。

 佐伯くんも気に入ってくれたみたいでもぐもぐと口を動かしながら、つまんだブラウニーを見つめてる。

「なぁ、お前のことだから今日もみんなにチョコ配ったんだろ?」
「うん。いつものみんなにはこんなたくさんじゃなくて、一口サイズのミニチョコね」
「……このブラウニーはオレにだけ?」
「あとマスターね。日頃お世話になってます特別仕様」
「そっか。特別か」

 佐伯くんの口元が緩む。

 それ見て。今日のハプニングを思い出した。
 うわわ、なんか暑くなってきちゃった。

 急に顔を赤くした私を見て、佐伯くんも戸惑ったように、

「な、なんだよ急に。別にオレ、特別って誤解してるわけじゃ」
「あ、そ、そうじゃなくて! あのね、今日学校ですごいもの見ちゃって」
「……は? すごいもの?」
「すごいものっていうか、衝撃的っていうか、その」

 きょとんとする佐伯くん。
 私はホットミルクをがぶ飲みして、はぁと息をついた。

「佐伯くん、誰にも言っちゃだめだよ?」
「あ、ああ。言わない。……で、何を見たんだ?」
「えっとね」

 私は声を落として。
 佐伯くんも息を飲んで身を乗り出してくる。

「……水樹ちゃんと志波っちょが、ちゅーしてた」
「……学校で?」
「学校で! もう本当にびっくりしたんだから! まさにそのタイミングで私その場に登場しちゃってさ!」

 ぱしぱし頬を叩きながら火照った顔して佐伯くんを見れば、佐伯くんは目を丸くしてぽかんと口を開けていた。

「あ、あのね、今日は佐伯くん忙しいだろうから、お昼はきっとあの中庭の茂みでお昼寝してるんじゃないかなーって見に行ったんだ」

 疲れたときこそ甘いもの。
 ついでにチョコも渡しちゃおうかな? なんて思って中庭に出向いた私。
 案の定佐伯くんの隠れ家近辺はいつも通り人がいなくて。

 で、隠れ家の茂みに近づいてみれば人の気配がしたから。

「おとーさん、お疲れさまー!」

 と、場違いな声をかけながら茂みを覗いてみれば。

 水樹ちゃんの細い肩を志波っちょのおっきな手がしっかり掴んでて。
 恥ずかしそうに目を閉じてる水樹ちゃんと、愛しそうに水樹ちゃんを抱きかかえてる志波っちょが。

 キスしてた。

「……

 ぴきんと硬直してしまった私に、ゆっくりと水樹ちゃんから離れた志波っちょが視線を移して。
 思考回復までコンマ2秒。

「し……失礼しましたぁぁぁ!!!」

 私は猛ダッシュでその場を走り去ったのでした。

「いやー、二人がいいカンジだったのは知ってたけど、付き合いだしたとは知らなくて……」
「……へぇ、ようやくか」
「うん。さすがに現場目撃したときはびっくりしたけど」
「お前本当にクラッシャーだな」
「す、すぐに立ち去ったもん! 大丈夫だよきっと!」

 あのときほど、前半クラスでよかったと思ったこともないけど。
 あ、明日以降志波っちょと水樹ちゃんに会ったらなんて言おうかなぁ……。

「……そっか。いいな、志波のヤツ」

 すると、佐伯くんがほんのり頬を染めてぽつりと一言。

 へ?

「あれ、佐伯くんって水樹ちゃんのファンだったっけ?」
「は? なんでそうなるんだよ」
「だって今、いいなって……」
「言ってない」

 ぽす

 顔を赤くしてむっとする佐伯くんにチョップされる。
 えぇぇ、聞き間違いじゃなかったと思うんだけど〜……。

 私はチョップの入った部分を手でさする。

「水樹ちゃんってホント華奢でしょ? で、志波っちょって体おっきぃじゃない。だから最初、キスしてるんじゃなくて食べられてるんじゃないかと思ったよ」
「あ、あのなぁ……いくらなんでも学校でそういうことするわけないだろ……」
「へ? あの、学校じゃなくても食べないよ佐伯くん……。熊じゃないんだから」
「あ、あぁそっか。言葉通りの意味か。……そうだよな」
「?? ……あっ、そっか! うわーっ、佐伯くんやらしー!」
「誰がだっ! ネタ振りしたのだろ!」

 うわわと私はカウンターの席を飛び降りる。
 壁の時計はもう9時近い。

「そろそろバスの時間だね。着替えてくるね!」
「ああ。そのあとチョップな」
「ひどっ!」

 カウンターのカップを片付けながら佐伯くんはにやりと笑顔をこっちに向けた。

 私は更衣室で制服を脱いで、はね学の制服に袖を通す。
 コートを羽織ってマフラーまいて、私はフロアに駆け戻る。
 そこには珊瑚礁の制服の上からジャケットを着込んだ佐伯くんが待っていた。

「行くか」
「うん」

 珊瑚礁の明かりを消して、二人で外に出る。

 うわっ。
 2月の海風ってほんと冷たい!
 あたたかな珊瑚礁との寒暖の差に、私はコートの袖をぎゅっと掴んだ。

 そこに。

「あの、佐伯くんっ」
「……え?」

 呼んだのは私じゃない。
 私と佐伯くんは声のしたほうを振り向いた。

 そこには白いロングコートを着込んだ女の人がいた。肩より少し長い髪が風になびいていて、体を縮こまらせてる。
 見覚えがある。
 この人、珊瑚礁の常連さんだ。そういえば、今日は来てなかったな。

「こんばんは。どうしたんですか?」

 佐伯くんはすぐに営業スマイルに切り替えて答える。
 その女の人は、私をちらちらと見ながらも佐伯くんに綺麗にラッピングされた包みを差し出した。

「今日、バレンタインでしょう? チョコ、渡したくて」
「わざわざありがとうございます。すいません、こんな寒い中」

 そつのない返事をして、佐伯くんはその包みを受け取った。
 珊瑚礁の営業中もこんなカンジだったな。うまいこと、お客さんとの距離を保ってるというか。

「珊瑚礁の営業は終了してしまいましたし、彼女を送り届けないといけないので。失礼します」
「あっ、待って!」

 薄い笑顔を絶やさないまま歩き出した佐伯くんを呼び止める彼女。

 え、えーとぉ……これはもしや告白タイムというものでは……。
 だって、ねぇ? チョコ渡すだけなら営業時間中にやってきて渡せばいいだけだもん。
 こんな寒い中、お店が終わるまで待ってるなんて、どう考えても。

 ううっ、私、かなり邪魔かも。

「佐伯くん、私」

 その人はなんとか言葉を搾り出そうとして。

 その時だ。

「わっ」

 佐伯くんがいきなり私の肩を掴んで、自分の方に引き寄せた。
 うわわわわっ!?

「すいません」

 佐伯くんはにっこりと微笑んで、唖然としてる彼女に向けて言い放つ。

「『彼女』を送り届けないといけないんです」
「!」
「……失礼します」

 目を見開いて口元に手をあてたまま立ち尽くす彼女を尻目に、佐伯くんは私の肩を抱いたままずんずんと歩き出した。

「さ、佐伯くん、いいの?」
「いいんだ。変に期待持たせるほうが酷だろ」
「そうだけど……」

 私の肩を掴む佐伯くんの力が強い。

「でもいいの? ほら、彼女にお断りする分には問題ないだろうけど、私が佐伯くんの彼女ってことになっちゃってるよ?」
「いいんだ。……まだ見てるかもしれないから、このままバス停まで行くぞ」
「う、うん」

 うわー……。

 寒い中、佐伯くんの仕事が終わるまで待ってた彼女には悪いけど。
 私、今佐伯くんとぴったんこしちゃってるよ。

 こんなに近づいてると、佐伯くんがいつもの佐伯くんじゃないみたい。
 私の肩を掴んでる手も、触れてる体も、離れて見てるときよりもずっとずっと男の子なんだな〜って思う。
 うーん、ちょっと恥ずかしいかも。

 私と佐伯くんはいつものバス停までたどりつく。
 定刻まではあと2分。
 ……佐伯くんは、あの彼女の姿が見えなくなっても、私の肩を離そうとはしなかった。

 な、なんか無言になっちゃうんですけど。


「ひゃいっ!?」

 うわびっくりした!
 いきなり話しかけられたから、変な声出しちゃったよ!

 目をぱちぱちさせながら佐伯くんを見上げれば、佐伯くんは呆れてるとも照れてるともとれる微妙な表情をして私を見下ろしていた。
 あ、頬が赤い。や、やっぱり佐伯くんも照れ臭いんだね。

「あー……のさ。彼女、ってのはその、勢いだから……」
「わ、わかってるよ。大丈夫。うん」
「そ、そっか」

 というわりに、手が離れる気配はないんだよねぇ……。

 と思ってたらバスが来た。
 ヘッドライトがカーブの向こうから伸びてきて、やがて目の前で止まる。

「あ、じゃ、じゃあ佐伯くん。今日も送ってくれてありがとう! また学校でね」
「ああ。……オレ、今日はいい夢見れそうな気がする……」
「え? なに?」
「なんでも! じゃあな、!」

 ドアが閉まってバスが発車して。
 一番後の席から遠ざかるバス停を振り返れば、佐伯くんが自分の手をじーっと見つめていて。

 あ、ガッツポーズした。

「???」

 えーと。

 と、というわけで……今年のバレンタインデーは終了したのでした……?

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