天災というものはいつだって忘れた頃にやってくる。
8月も半ばの熱帯夜。
突然鳴り出した携帯に慌てて出てみれば。
『テメェっ! いつになったらニガコク日程連絡してくるんだっつーの!!』
怒り心頭のハリーさん。
……すっかり忘れてた。
29.夏休み:ニガコクのススメ
というわけで翌日、私はハリーに強制的にショッピングモールに呼び出されてしまいまして。
たどりついた所に集まっていたのは、ハリーと志波っちょのニガコクコンビと、ニガコクマネージャーに就任したと思われるぱるぴんと。
「あれ、あまっちょ?」
「あまっちょって先輩……」
志波っちょの隣にいた小柄な子は、紛れもなく佐伯くんに告ぐ第2のはね学プリンスの天地くん。
あまっちょは可愛い顔をしかめるけど、いつも志波っちょのこと尊敬してます! って雰囲気バリバリ出してるから、呼び名も志波っちょ風にしたのに。
「今日はあまっちょもニガコク参加?」
「あまやんはたまたまショッピングモールに来とったから誘ってみたんや。あくまで! 今日のニガコクはメインやからな!」
「あうあう……勘弁してよもう……」
きらーんと、とびっきりのいい笑顔を浮かべてるぱるぴん。
今日は思いっきり私『で』遊ぶ気満々だよ……。
で、主催者のニガコクコンビはというと。
「お前、あわよくばバックれようとしてただろ。そうは行くかっつーの! 志波が厳選した超激辛激旨タイカレーでニガコクだかんな!」
「……だそうだ」
テーマカラーの赤いタンクトップ姿のハリーは腕組みして仁王立ち。
隣の志波っちょは、あまり気乗りしてなさそうな様子で欠伸した。
「志波っちょ、おネム?」
「夜中に針谷に携帯で叩き起こされたからな。今日の店決めに一晩かかった」
「そんな気合入れなくてもいいのにぃ……」
「どうせ食うなら美味いものが食いたい」
あ、そっか。
結局辛いの苦手なのって私だけで、みんなは普通にグルメツアーなんだ?
「まぁとりあえず全員揃ったな。じゃあ行くぞっ。第一回ニガコク激辛ツアーだ!」
「ちょ、ハリー! 第一回って、これ続き物!?」
ぐっと拳を突き上げて宣言するハリーに突っ込むのは私だけ。
みんなはハリーに続くように「おー!」と拳を突き上げてさっさと出発してしまう。
「夏ったらやっぱ激辛料理だよな! まぁオレはライブ控えてるからあんま辛いモン食えねぇけど」
「タイ料理と言ったらスイーツは胡麻団子やんな! カレー食べるならマンゴーラッシーも飲みたいとこやな? あまやんっ」
「そうですね! ラッシーはインド料理ですけど、日本じゃカレーを置いてあるところなら大体ありますからね!」
いいなぁ、楽しそうな人たちは……。
和気藹々と盛り上がってるハリーとぱるぴんとあまっちょの後ろを、どよんとした雰囲気を背負ってついていく。
「随分テンション低いな」
「低くもなるよ〜。私、本当に辛いの苦手なんだから……」
隣を歩く志波っちょは、不思議そうに私を見下ろしてる。
「食えないわけじゃないんだろ」
「もともとは好きだったんだけどね……前に豚キムチ食べ過ぎて急性胃腸炎になりかけたことあって。私あんまり胃腸強くないから、それ以来トラウマ……」
同情してっ! と、志波っちょを見上げたら。
志波っちょは反対方向を向いてしまっていた。
何かあるのかな? と思ったんだけど。
小刻みに肩が震えてるのを見つけて、爆笑されてるんだって気づいた。
「ひっどーい! 志波っちょひどいよそれーっ!! 人の苦しみ笑うなんてっ!」
「お前……食いすぎで腹壊したって……ヤベェ、止まんねぇ」
体をくの字に曲げてお腹を抱えてしまった志波っちょ。
「おい何やってんだ? 店混んじまうから急げっつーの!」
志波っちょには笑われるは、ハリーにはいちいち怒られるは。
おっかしいなぁ……今日の山羊座の運勢は朝の情報番組で1位だったのに……。
私は大きなため息をつくしかないのでした。とほー……。
連れてこられたのはショッピングモールの新しいお店。カレーが評判のタイ料理のお店。
お昼に少し出遅れたこともあって、私たちはお店の外で少しまたされることになった。
「がトロトロしてっからだぞ」
「並ぶの嫌なら他のお店なんていかがでしょうか!」
「駄目だ。今日はタイカレーだ」
「往生際悪いで。グルメスイッチの入った志波やんを動かすんなら、セイ連れてこなアカンて」
「先輩、大丈夫ですよ! 辛いもののあとの甘いものは最高です! このあとは僕のオススメのケーキ食べに行きましょうね」
「あまっちょ優しー! おねーさんメロメロー!」
横並びに籐の椅子に腰掛けて席が空くのを待ってるんだけど。
なんだか、さっきから出てくるお客さんがみーんな額に汗してるのがすっごく気になる。
それから口々に「辛かったぁ!」とか「水何杯飲んだ〜?」とか。
いや〜な会話をしてるのも気になる……。ううう。
そういえば、前にニガコク前哨戦って言って佐伯くんと中華料理屋入ったときもそうだったっけ。
佐伯くん、あの激辛麻婆一口食べて一気に汗だくになってたよね。突っ込んだらお店の換気が悪いんだ、なんて強がり言っちゃって。
……ってことはやっぱり相当辛いんだ。ぎゃふんっ。
「やや、さん一人百面相です」
「百面相にもなりますよー! ああ、なんか胃が痛くなってきたかも……」
「胃が荒れてるときに無理に辛いものを食べるのはブ、ブーですよ?」
「ですよね!? ほらハリーっ、若王子先生もそう言ってる……って」
立ち上がってハリーに訴えようとして。
ゆっくりと反対隣を振り返る。
ちょこんと椅子に座ってた若王子先生は、私と目があってにっこりと微笑んだ。
「うわ、若王子先生!? どこから沸いたんですか!?」
「沸いたってさん……大崎さんみたいな言い方しないでください……」
「あれ、若ちゃん? 何しとるん?」
指先を突付き合わせていじける若王子先生に、みんなも気づく。
い、いつの間に来たんだろ?
っていうか、いつ隣に座ったの?
若王子先生は見慣れたスーツ姿じゃなくて、さくら色のポロシャツ姿。
うわー、カッコいい! イケメン先生は私服姿もカッコいいよ!?
「若ちゃんもしかして、まーた猫の砂買いに来たとかシュールかましとんのとちゃうやろな?」
「えーと」
「またかいっ! ちゃんとデートせなアカン言うたやろ?」
「はぁ、実は今日はデートの予定だったんですけど」
「「「マジで!?」」」
ぱるぴんの突っ込みに、若王子先生はぽりぽりと頭を掻いて答えて。
私たち全員が一斉に反応した!!
そこへ、中から店員さんがやってきて。
「5名でお待ちの西本さま……」
「ちゃう! 1名追加で6名や! できますか?」
「え? あ、はい、偶数席なので1名様までなら」
「決まりだな! 若王子っ、詳しい話聞かせてもらおーか!」
「や、先生お昼ご一緒していいんですか?」
きょとんとしてる店員さんを押しのけて、ハリーとぱるぴんが若王子先生の両腕掴んで店内に連行していってしまう。
ええ〜、でもでも若王子先生のデート相手って誰なんだろ?
「気になっちゃうよね、あまっちょ!」
「そうですね。教員人気ナンバーワンの若王子先生がデートしてた、なんて知れたら大騒ぎですよきっと」
「私たちも早く行こう! ほら志波っちょ、早く早く!」
「お前、あわよくばニガコク免除されるかもって思ってるだろ」
「うぐっ……志波っちょは冷静なんだから……」
ニヤリと笑いながら釘をさす志波っちょを促して、私とあまっちょも店内に入る。
私たちに用意されたのは、お店の奥のすだれパーテーションで区切られた一角。ちょっとした個室風の場所だ。
壁際の席は若王子先生を挟むようにしてぱるぴんとハリーが陣取っていて、私たちはその対面に、あまっちょ、私、志波っちょの順に腰かける。
「注文はしといた。夏ばて解消激辛コースだ」
「え!? 選択権ナシ!?」
「ナシ!」
腕組みしてふんぞり返るハリー。
うう、若王子先生に話題を集中させて、なんとか辛いのを避けようと思ってたのにっ。
全員にお冷を配ってから、ぱるぴんが待ちきれないと言った風で若王子先生に話しかける。
「若ちゃんっ、そんで? 今日これからデートなん?」
「いえいえ、本当は朝からの予定だったんですけど。先生、すっぽかされてしまって」
「ええっ!? 若王子先生ほどのイケメンでもデートすっぽかされることなんてあるんですか!?」
超びっくり!
私はぱるぴんとあまっちょと顔を見合わせちゃう。
ええ〜、誰だろ? こんなイケメン捕まえといて、そんな女王様なことしちゃう人って。
でも、若王子先生はケロっとしたもんで。
「なんでも高校野球決勝戦が好カードだとかで。昨日の夜ドタキャンされちゃいました。だから厳密に言うとすっぽかされたわけじゃないです」
「若王子先生よりも野球を選んだってことですよね? そんな女の人もいるんですね」
「いいんです。先生こう見えても猫の扱いには慣れてますから」
「……猫?」
なにがなんだか。首を傾げると、隣の志波っちょが大きくため息をついた。
志波っちょ、若王子先生のこと尊敬してるもんね。他人事と思えないのかも。
するとぱるぴんもおっきなため息をついて、ぽんぽんと若王子先生の肩を叩いた。
「アカン。若ちゃん、デートよりもテレビ観戦を選ばれるなんて情けないで? シュールかましとらんで、少しは男に磨きかけな!」
「はぁ、そうですね」
「はぁ、やあらへんやろ! だいたいデートもせえへんのに、ショッピングモールに何しにきたん?」
「えーと、今日は猫のご機嫌取りアイテムを見に」
「これや。そんなんやと猫と結婚せなあかんくなるで!」
ぱるぴんってば容赦ない……。
あああ、若王子先生しょんぼりしちゃった。
しょ、しょうがないなぁぁぁ。
「あっ、料理来たよ! 若王子先生っ、今日は私のニガコクデーなんです。若王子先生もちゃーんと私がニガコクするとこ見ててくださいねっ」
タイミングよく料理が運ばれてきたから、無理矢理話題を転換してみる。
ぐすん。若王子先生がもう少ししゃきっとした恋愛しててくれれば回避できたかもしれないのに、ニガコク。
大人にまで気を遣っちゃうなんて、ちゃん健気っ。誰も褒めてくれないから自分で褒めちゃうっ。
「ニガコク? ややっ、先生それ知ってます! 針谷くんが会長で志波くんが副会長のヤツですね?」
「自分が名誉顧問のくせして何言ってんだ。とはいえ、これでニガコク正規メンバーが揃ったな! 、今日のニガコクは公式記録として残してやるからがんばれよ!」
ぱっと顔を輝かせる若王子先生と、ぐっと親指をつきつけてくるハリー。
どん、どん、と目の前に並べられる料理の数々は、どれもこれもがスパイシーな匂いと色をしてて、なんとも胃が痛くなりそうなもので。
きょ、今日このあと薬局寄って胃薬と整腸剤買って帰ろう……。
「それではこれよりっ、の第一回ニガコク・激辛編を開催すっぞ!」
「っ、がんばって全部食べるんやで!」
「さん、先生もがんばって応援します!」
「このあとはおいしいスイーツが待ってますよ、先輩っ」
「ガンバレ」
みんなの熱い視線と応援を貰いながら。
顔で笑って心で泣いて。
ちゃんは手にしたスプーンをタイカレーに突っ込むのでした。
翌日。
『はい、喫茶珊瑚礁です』
「あ、佐伯くん? です……」
『なんだか。どうした?』
私はベッドの上から携帯で珊瑚礁に電話をかけた。
「ごめん……今日のバイト、休んでいいかな……具合悪くて」
『え? なんだよ、風邪引いたのか?』
「ううん、風邪引いたわけじゃないんだけど」
『……もしかして、またアイツとなにかあったのか?』
通話口から聞こえてくる佐伯くんの声がこわばったのがわかった。
あ、どうしよう。誤解しちゃってるかも。
「そうじゃないの! そうじゃなくて、その」
『……』
「そ、そうじゃなくてね、あの、実は、お腹壊しちゃって……」
『……は? 腹壊した?』
できれば言いたくなかったお休みの理由を口にすると、佐伯くんの声が呆れかえったものに変化する。
『お前な、まさかアイス食いすぎたとか言わないよな?』
「アイスじゃなくて……げ、激辛料理を……」
『はぁ?』
まさに、私が激辛料理を苦手とするようになった時と同じ症状。
昨日の夜寝た後に、急激な吐き気と腹痛が襲ってきて。
慌てたパパに救急病院に担ぎ込まれて、検査結果がごくごく軽い胃炎だったんデス……。
私は時折襲ってくる腹痛の波に耐えながら、佐伯くんに昨日のニガコク話を一通り説明した。
超辛いタイカレーを食べたこと。
口の中が火の海になりつつも、ニガコク記念としてそのあとケーキを食べに行ったこと。
さらにさらにそのあと、みんなで若王子先生にアイスをたかって食べたこと。
あれ? 激辛料理だけが原因じゃないかも、今回のコレ。
「……でね、今日はフロアに立ってられないと思うから、急なお休みで申し訳ないんだけどね」
『………………』
携帯の向こうには、無言の佐伯くん。
こ、怖いんですけど。
『』
「……はい?」
佐伯くんの、低い声。
そして。
『お前はっ、サボテンのっ、チクチクが刺されっっ!!』
「ちょ、何その可愛い反論……じゃなくて! ごめんってば! 怒らないでよ〜!」
『ウルサイ。お前、次の出勤前に砂攻撃だっ』
ぶちっ!! つーっ つーっ つーっ
一方的に乱暴に電話を切られてしまいました……。
うう、佐伯くん怒ってたなぁ。仕事に対してプロ意識強いから、体調不良で迷惑かけるなんて、サイテーだよね、私……。
でも。
ぷぷ。
だめだ、笑っちゃう!
サボテンのチクチクが刺され、だって! 砂攻撃だって!
ああ〜もう、佐伯くんってばあんなにカッコいいのに私の胸キュンポイントくまなく押さえてくれるんだから〜!!
「あ、いたたたた……」
ベッドの上で佐伯くんの言葉に悶えてごろごろ転がってたら、また腹痛の波がやってきた。
私は体を縮こまらせて痛みに耐える。
一人で遊びに行った罰があたったのかなぁ。……次の出勤日には、お詫びのミルハニーケーキでも持って行こう。
そういえば佐伯くんの苦手なものってなんなんだろ。
ハリーとは仲いいみたいだから、今度は佐伯くんのニガコクでみんなで遊ぶのも楽しそうかも!
などなど考えながら。
私は携帯をベッド脇に置いて、布団を肩までかけて目を閉じた。
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