「今年の営業はこれにて終了! うーん今日もがんばった!」
「お疲れさま、さん。毎日すまなかったね」
「いえいえ、海の家珊瑚礁は期間限定だから目一杯楽しませてもらいました!」


 27:夏休み:海の家珊瑚礁


 夏休み初日から始まった海の家珊瑚礁の営業も、8月第一週の土曜日の今日で店じまい。
 来週からは本来の珊瑚礁店舗で通常営業だ。
 今年はあかりちゃんがいなくてかなり大変だったけど、水着もおニューを買って気合入れたもんね。
 結果は上々! 売り上げに貢献しました! ……多分。

 今年も佐伯くん提案の水着エプロン着用で、まぁ案の定ちょっかいかけてくるイヤンなお客さんもいたけど。
 そこは私もあしらい上手になったというか、佐伯くんの手助けもありというか。

 夕暮れ時の海岸は親子連れがいなくなって、ほとんどがカップルや若者のグループだけになってた。
 そんな中、私と佐伯くんは最後の店内清掃をすませて、マスターは売り上げ集計中。

、ほら。はちみつアイスミルク」
「ありがとう佐伯くん。へへ、未来のバリスタにコーヒー以外のもの淹れてもらっちゃった」
「まったくだ。お前、体質じゃなくてただの好き嫌いだったらチョップ入れてるところだったぞ」

 苦笑しながら手渡されたアイスミルクを持って、私は手近な椅子に腰掛ける。
 佐伯くんも頭にまいたバンダナをとって対面に座った。

「あー疲れた……」
「お疲れ様、佐伯くん。だから水樹ちゃん呼ぼうって言ったのに」
「ヤダ。つうか水樹呼んでたらむしろもっと混んでたし疲れてた」
「あ、そうかも。水樹ちゃん美少女だもんね〜」
「だよな。お前と違ってお笑い系でもないし」
「ぐさっ」

 大げさに胸を押さえて傷ついたそぶりを見せれば、佐伯くんは楽しそうに笑う。

 そこへマスターが。

さん、瑛。ここはもういいから。少し羽を伸ばしてきたらどうだ?」
「羽伸ばし……ですか?」
「日暮れまでもう時間がないですが、少しくらいなら海に入る時間もあるでしょう。せっかく水着も着てるんだし」

 にこにこしながらこっちを振り向いて。
 佐伯くんはマスターを見てから私を見て、呆れた表情をした。

「……『連れてけ』って顔してるな」
「だってまだ今年は海に入ってないんだもん! 毎日水着で浜に立ってたっていうのに」
「あそっか。はまだ海はいってないのか」

 佐伯くんはお店始まる前とか、毎日のように入ってるのかな。
 んー、と頬杖ついて海を見ていた佐伯くんが、ぱっと表情を輝かせたかと思ったらお店の奥にばたばたと駆け込んでいく。
 どうしたんだろ? と思ってたら、ゴーグルをふたつ持って戻ってきた。

「なぁ、ちょっとここから歩くけど、入り江の岩場まで行かないか? 潜るのにいいところがあるんだ」
「素潜り? わ、初めてかも。行く行く!」
「じいちゃん、いいよな? にあの場所教えても」

 マスターは変わらず電卓を叩きながらにこにこしてて。

「よし、行こう!」
「うん! マスター、ちょっと行ってきます!」

 佐伯くんからゴーグルを受け取って、私たちふたりは海の家を飛び出した。
 空が大分赤くなってきた中、浜辺を急ぎ足で歩く。


 連れられてきたのは、珊瑚礁の裏手側の入り江付近。
 海の青と空の赤が混ざり合って、すごく綺麗なグラデーション。

「小学生の頃はさ、じいさんとここでよく潜ったんだぜ! サザエとかトコブシとか獲れるんだ!」
「わ、トコブシ好き! 今でも獲れるのかな?」
「お前、そこは海のもの勝手に取るなっていう突っ込みいれるとこだろ……」
「え、そうなの?」
「知らないのかよっ。……でもまぁ、オレとじいちゃんも組合の人に見つかって、一緒にめちゃくちゃ怒られた! アハハッ! 」
「なんだぁ! 佐伯くんも昔はやんちゃしてたんだね!」

 入り江に到着したとたん、佐伯くんてば子供みたいにはしゃいじゃって。
 かーわいーいなーあぁ……。

 佐伯くんはゴーグルをつけて、待ちきれないかのように海に飛び込んでしまう。
 頭まで潜って、すぐに海面に顔を出して。

「ほら、お前も来いよ!」
「う、うん。ねぇそこって……やっぱり足つかないんだよね?」
「当たり前だろ? もしかして、泳げないのか?」
「クロールくらいは普通に出来るけど、足つかないとこで泳いだことないんだもん……」

 プールではざばざば魚のように泳ぐけど、海ではもっぱら浮き輪やボディボードで遊んでることが多いから。
 やっぱりちょっと怖い。

 すると佐伯くん。
 すっと右手を差し出して。

「怖くないって。ほら最初入るときだけ手ぇ貸しやるから。来いよ!」
「……」

 う。

 うわぁぁぁぁ!

 ちょ、なにこれなにこれ、なにこのシチュエーション!
 目の前にはまさに文字通りの水も滴るいい男が、さんに手を差し出してエスコートしてくれてますよ!?
 うわぁ、うわぁぁ……。

 頬を紅潮させて佐伯くんの右手を見つめていたら、案の定怪訝そうな顔されたけど。

「早くしろよ! 夏とはいえ日が沈むの早いんだから」
「うんっ、じゃあ失礼しまっす」

 私は手を伸ばして佐伯くんの右手を掴んで、もう片方の手を岩場について体を支えて、ゆっくりゆっくり海に足をつける。

「わ! 結構冷たいね!」
「もう夕暮れだからな。ほらコッチ!」

 嬉々とした佐伯くんの声につられて、私も岩場から手を離す。
 途端に沈む私の体!

「うわぁ!」
「おい、大丈夫か!?」

 海水を軽く飲み込んでむせこむ。
 私の体は佐伯くんが素早く支えてくれたから、かろうじて溺れるのは免れたけど。

 ううう、しょっぱい。喉痛〜い……。

「っほ……ごほ……あ、ありがとう佐伯くん」
「立ち泳ぎ出来るか? バタ足じゃなくて、平泳ぎみたいな足の動かし方するんだ」
「う、うん……」

 呼吸を整えてから佐伯くんを見上げて。

 ……はね学プリンスの麗しいお顔までわずか10cm。

 ばちっと視線があって、一瞬で佐伯くんの顔が真っ赤になった。
 と思ったらいきなり突き飛ばされた!
 いやいや、私も突き飛ばしたけど!

「うわ!?」
「わぁっ、わ、わ、わ」

 佐伯くんの手を離れた私はざばざばと両手両足を動かして、必死で海の中でもがく!
 もが、もが……お?

っ!?」
「……あ、出来た……」

 なんだ、案外簡単だったんだ、立ち泳ぎって。

「佐伯くん、出来た!」

 笑顔を向けて手を振ってみれば、佐伯くんはぷいっと顔を背けて。

「そ、そっか。じゃあ随時潜るように」
「え、随時って」
「おっ、あれなんだ!?」

 ざばんっ

 なんだか妙に棒読みな台詞を吐いて、佐伯くんは海の中に潜っていった。
 も〜……素潜り初めてって言ったんだから教えてくれてもいいのに。

 でもまぁ仕方ないか。
 私もゴーグルをかけて、大きく息を吸い込んで海の中に潜った。


 そこはまるで竜宮城のようだった。
 ……なーんていうのは勿論大げさなんだけど。
 でも思った以上に、海の中って綺麗!

 そんなに深い場所じゃないみたいで、佐伯くんが言ってた通りサザエやトコブシをときどきみかける。
 海の底から海面を見上げれば、キラキラととても綺麗に輝いていた。

 海の中で佐伯くんと目が合う。
 ゆらゆらと手を振ってみれば、佐伯くんは目を細めて笑顔を見せてくれた。

 ここで私は息が苦しくなって海面へ。

「ぷはっ!」

 大きく息をして、水平線を見つめる。

 海ってこんな気持ちよかったんだ!
 いつも波間にたわむれてるだけだったけど、海に潜るのってすっごく気持ちいい!
 あ〜今日佐伯くんに連れてきてもらって、初めて海の魅力に気づいたカンジ。

 その私の真横に、佐伯くんが浮上してくる。

「はぁ、はぁ……どうだ?」
「うん、すっごく気持ちいい! もう最高!」
「だろ!? 、次に潜るときはちゃんと呼吸整えてからにしろよ。立て続けに潜ったら初心者は溺れやすいんだ」
「おっけー! 気をつける」

 私にアドバイスをくれたあと、佐伯くんはニヤリと笑ってまたすぐに潜っていった。
 深呼吸をして私も呼吸を整えて、そのあとを追う。


 どのくらい潜っただろう。
 海の中で佐伯くんと追いかけっこしたり、一緒にサザエ探ししたり。
 でも水が大分冷たくなってきちゃったから、私は一足先に岩場に上がった。

 太陽はもう水平線上。
 そろそろ上がらないと、海の中も暗くなっちゃう。

 そこへ、ようやく佐伯くんが浮上してきた。

「ぷはっ」
「お帰り佐伯くん! 満足した?」
「なんだ、もう上がってたのか」
「そろそろ上がらないと本当に陽が落ちちゃうよ?」
「そっか。んじゃこれ、にお土産! ホラッ」
「え?」

 にやっといたずらっ子の笑顔を浮かべた佐伯くんが、私に向かって何かを投げて渡す。
 私はそれを受け損ねたんだけど、それはべちゃりっと私の左肩にへばりついた。

「って」

 コレ。

「きゃあっ!?」
「アハハっ! タコだよタコ! ほら、夏になったら見せてやるって言ったろ?」
「や、約束守ってくれたのは嬉しいけど、これはないっ!!」

 佐伯くんが投げてよこしたのは、まぎれもないタコ。
 長い足を私の左肩にへばりつかせて、ぬーんと蠢いてる。

「スーパーと水族館以外でタコって初めて見た」
は典型的な都会っ子だよな」
「佐伯くんだって学校じゃ澄ましてるくせに……」
「ほう。そんなにチョップが欲しいか
「わわわ、ストップ!」

 佐伯くんもざばっと海から上がる。
 そして私の肩にへばりついてるタコの頭をつっついた。

「それにしてもお前、タコにへばりつかれて平気なワケ?」
「投げつけられた時はびっくりしたよ! もう。でもこのタコちっちゃいし、愛嬌あるっていうか。手乗りインコならぬ肩乗りタコ?」
「……変なヤツ」

 呆れた声を出しつつも、佐伯くんはタコを取ってくれ、……。

「あだだだだっ!」
「生きてるタコの吸盤ってすごいんだな」
「すごいんだな、って! 佐伯くん知ってたでしょ!?」
「ははっ! お前タコに好かれてるんだよ!」
「好かれるなら人間がいいーっ!!」

 佐伯くんてば大笑い……。
 それでも丁寧に私の肩からタコの足を1本1本はがしてくれて、最後はぽいっと投げ捨てるようにタコを海に返した。
 ら、乱暴だなぁ……。

「ううう、吸盤のあと……」
「名誉の負傷だな、
「これってそれに当てはまるの?」
「よし、そろそろ戻るぞ。じいちゃんが待ってる」
「あっ、ごまかした!」

 佐伯くんは入り江を走って逃げていく。

 もぉぉ、好き放題やってくれちゃって。
 でも、あんなにはしゃいでる佐伯くん初めて見たかも。
 きっと、あれが素の佐伯くんなんだよね……。
 みんなにも見せればいいのに。素でも全然問題ないと思うんだけどなぁ……。

! 早く来いよ!」
「うん、待って!」

 でもまぁ、こんな素直なはねぷリを知ってるのが私だけっていうお得感も捨てがたいんだけど。ね。

 私は佐伯くんのあとを追って走り出した。



 そして戻ってきた海の家珊瑚礁では、マスターが既に閉店作業を全て終わらせてお店の前の椅子に腰掛けていた。

「じいちゃんただいま!」
「マスター、ありがとうございました!」
「お帰りふたりとも。楽しかったですか? さん」
「とっても! いい場所教えてもらいました!」

 私と佐伯くんが元気に声をかけると、マスターもにこにこ笑顔で振り返って。

 でも、急にぎょっとしたように目を見開いた。

さん、その肩の痕は……」
「これですか? もうひどいんですよ! 佐伯くんにつけられたんです!」
「あ、コラっ。じいちゃんに告げ口するな!」

 ぱこっと後ろからチョップされる。
 ふーんだ、マスターは私の味方だもんっ。

 ところが。

 予想外に、マスターの表情がこわばった。
 あ、あれ?
 私と佐伯くんは顔を見合わせる。

「じいちゃん、どうし」
「瑛、お前というやつは……嫁入り前の大事なお嬢さんになんてことをするんだ」
「……は?」
「大体こんな日の明るいうちから、いくら人気のない入り江だからといって」

 ……はい?

 私と佐伯くんはぽかんとして、もう一度顔を見合わせる。

 すると。

 佐伯くんの顔が、ぼんっ! という音と共に瞬時にゆでダコ状態になって。

「ばっ……! 何言ってんだよじいちゃんっ! これはキスマークじゃなくてタコの吸盤!!」

 ……へ?

 私は自分の肩口を見下ろして、

 ぼんっ!!

 私も一気に顔が熱くなる。

 キスマークって、キスマークって!!

「ちが、マスター誤解ですっ!!」
「そうだよ!」

 私と佐伯くんが、厳しい顔してるマスターに必死で弁明!
 だってだって、それあまりにすごい誤解でしょ!?

 もう何言ってるかわかんないくらいパニクって。

 でもマスターってば。

 急に俯いたかと思ったら、くつくつと肩を揺らし始めた。
 そうこうしているうちに、お腹を抱えて体をそらして。

「はっはっは! わかっているよ。いや、さん、からかって悪かったね」
「は、はぁ?」
「なっ……じいちゃんっ! 悪趣味だろそれは!」
「何を言っているんだ瑛。女性の体に誤解を招くような痕をつけてしまったことは事実だろう?」
「そ、それは……タコが……だけど」

 か、からかった?
 ……もおお、マスターってば人が悪いっ!!
 はぁぁ、びっくりしたぁ!

 顔を真っ赤にして憤ってる佐伯くんに、まだくつくつと笑ってるマスター。
 いつも澄ましてる佐伯くんだけど、マスターの前ではまだまだひよっこの孫なんだよね。

 ふふ、なんか私もおかしくなってきた。

「笑うな!」
「だ、だってぇ」

 チョップ入れられたって、おかしいものはおかしいんだから仕方ないじゃない!
 佐伯くんは拗ねたように腕を組んで、ぷいっとそっぽを向いてしまったけど。

「瑛、さん、シャワーを浴びてから珊瑚礁に戻っておいで。冷たい海に入って体も冷えただろう。温かいものを用意して待ってますよ」
「はい! ありがとうございますっ」

 一足先に珊瑚礁に戻っていくマスターを見送って、私と佐伯くんは遊泳場に設置された更衣室へと向かう。

「ったく……何考えてんだじいちゃんは」
「1本取られちゃったね? 佐伯くん」
「なんだよ。……」

 むっとして言い返してくる佐伯くんだけど、私を見下ろしてた視線をすぐにそらしてしまう。

「あー……その、ごめん」
「? 何が?」
「ソレ。多分しばらく消えないかも」
「ああこれ。……やっぱり他の人が見たら誤解しちゃうかな?」
「うん。その、オレ、あとのことまで考えてなかったから……」
「大丈夫大丈夫! 肩口についてるだけだもん。キャミは無理だけどTシャツ着る分には問題ないよ」
「そ、そっか」

 ほっとしたように息をつく佐伯くん。

 ……ふぅうん?

「ねぇねぇ、これとキスマークってそんなに似てるの?」
「は!?」
「これがすぐにキスマークに似てるってわかったってことは……さては佐伯くんっ、誰かに」

 ずべしっ!!

「いったーいっ!!」
「んなわけあるかっ! っ、さっさとシャワー浴びて来いっ!!」

 佐伯くんは心底憤慨してしまったようで、肩を怒らせて男子更衣室へと入っていってしまった。

 あたた……ちょっと調子に乗りすぎましたか……。
 ふふ、でも可愛い反応するなぁ、佐伯くんって。
 ピュアピュア〜でかーわいーい!

 でもここでのんびりしてたらまたチョップくらっちゃうだろうし。
 私も更衣室の中にいそいで飛び込んだのでした。

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