今日は今年度最後のイベントデー。
 ずばりっ、ホワイトデーです!!


 17.1年目:ホワイトデー


「オハヨウゴザイマス、ちゃんっ。今日は何の日? フッフ〜♪」
「一ヶ月前からカウントダウンしてたホワイトデーです、フッフー! おはよっ、くーちゃん!」

 はね学正面玄関前で、偶然鉢合わせたくーちゃんに元気よくご挨拶。
 朝一くーちゃんに遭遇なんて、今日はきっといい一日だ!
 一緒に学校の中に入って靴を履き替えてからまた合流。
 くーちゃんは鞄から可愛くラッピングされた小箱を取り出した。

ちゃん、バレンタインのお返し。めっちゃおいしいチョコ、ありがとな?」
「ありがとくーちゃん! 開けてもいい?」
「もっちろんや〜ん♪ 開けて開けて?」

 手渡されたプレゼントの包みを解くと、中から出てきたのはウッドビーズやガラスビーズなどで作られたブレスレットだった。

「うわぁ可愛い! すっごく嬉しいよ、くーちゃんっ」
「ほんま? よかった〜。ちゃんには綺麗な空色が似合う思て、いろんなお店でビーズ買い集めて来たんよ」
「ってことはこれ手作り? ううう、私のためにくーちゃんが時間を割いてまで……愛してるっ!」
「ボクもちゃん愛してるっ!」

 むぎゅー! と私とくーちゃんは盛大にハグして。
 と、そこへ。

「う、う、ウェザーフィールドくんっ、くんっ!! き、君たち公衆の面前で、な、なんて破廉恥なっ!!」
「あ、ヒカミッチだ。おっはよー」
「本当や。氷上クン、おはよーさんっ」
「あ、ああおはよう……じゃなくて! ここは学校なんだぞ!」
「いややわ氷上センセ。ハグもチューも挨拶やん」
「欧米かっ! ってね。くーちゃんはそもそも欧米人だけど」

 真っ赤な顔して注意しにきた風紀委員のヒカミッチも、私とくーちゃんのタッグの前にはいつもの突っ込み力も低下しちゃう。
 とはいえ、こんなこと出来るのはノリ的にくーちゃんだけだけど。

「ヒカミッチが玄関前にいるってことは遅刻取締りだよね。あれ? もうそんな時間?」
「いや。今日はホワイトデーだろう? 行き過ぎた行為がないかどうか、風紀委員で監視しているんだ」
「そっかそっか」
くん。先ほどの行為は明らかに行き過ぎだと思うのだが」
「カタイなぁヒカミッチ……」

 ほんと真面目なんだから。

「でもちょうどよかった。僕からも、先月のお礼をさせてもらうよ。チョコありがとう」

 風紀委員の顔から素直な氷上少年の顔にふと戻り、ヒカミッチが何かを取り出して私の手のひらにのせた。
 両手で受け取って、くーちゃんと一緒に覗き込むと。

「……何これ? ガラスの置物?」
「ガラス製の文鎮だ。プリントを解く時なんかに重宝すると思って」
「あ、なるほど! すっごいヒカミッチっぽい!」
「ガラスの中に何か彫ってあるん? これ、星座やね?」
「これ山羊座の星座だ! あは、ヒカミッチ私の誕生日知ってたの?」
「小野田くんから聞いたんだ。よかったら使って欲しい」
「うん、使う使う! ありがとね、ヒカミッチ!」

 手のひらサイズの、半球型のガラスの文鎮。
 ちょっと照れてる様子のヒカミッチに感謝の言葉を告げて、私とくーちゃんは一緒に教室まで向かった。

 後半クラスのくーちゃんと途中で別れて、私は1−Bのクラスに向かう。
 その途中、出くわしたのはハリー。

「あ、おはよハリー」
「オッス。随分機嫌いいじゃん、
「んふ〜、朝からくーちゃんとヒカミッチにいいもの貰っちゃって。ビバ、ホワイトデー! ってカンジだよ」
「そっか。よしっ、じゃあオレ様もいいものくれてやる! ちょっと待ってろ」

 ギターをかついで教室から出てきたハリーだったけど、にやりと笑って一度教室内に戻っていく。
 待つことほんの数秒。
 再び現れたハリーの手には、一枚のCD。

に、っつかミルハニーに、だな」
「ミルハニー宛て?」
「去年はミルハニーの茶やらなんやら、ライブ前は世話んなったし。オジサンとオバサンにもオレからの礼っつーことで」
「ふぅん? で、これ何のCD? ハリーが編集したんだよね?」
「おう!」

 にかっと白い歯を見せて笑うハリー。

「ミルハニー向け、店内BGMハリー様編集バージョンだ! ミルハニーってジャズやフュージョンがかかってるだろ? オレ様オススメ曲を編集してやったから感謝しろ!」
「あ、ちょっとそれ嬉しいかも! パパがそろそろ新しい曲仕入れようかって言ってたし」
「だろ!? ちゃんと楽曲説明も入れといたから、気に入ったのあったらアルバム買ってみろよ」
「ありがとうございます、ハリー様!」
「おう、感謝しろ!」

 尊大に胸をそらすハリーに、私はいつもの調子で仰々しく「ははー」と拝むのでした。


 そして1−Bに到達すると。

「あれめずらしい。リッちゃんがもう来てる。おはよっ」
「オハヨ。遅い。待ちくたびれた」

 机に頬杖ついて大きな欠伸をするリッちゃん。
 私は鞄を自分の席に置いてから、リッちゃんの席の前に座る。

「ふあぁ……。これ、バレンタインのお返し」

 なんだかすっごく眠たそうなリッちゃんが、私の目の前に1枚のカードを取り出した。
 月明かりに照らされた海の写真。

「わ、すごく綺麗……そっか、リッちゃん写真撮るの趣味だったっけ」
「趣味ってわけじゃないけど。綺麗なものみたら画に残したくなるっていうか」
「でもこれどこかで見たような……」

 月が真正面に昇っている海の写真。
 この構図、もしかして。

 私はリッちゃんを見た。
 するとリッちゃん、頬杖ついて眠そうな目をしたまま、口元だけに笑みを浮かべて。

「珊瑚礁脇の灯台裏で撮った写真だよ」
「!!??」

 あ、あっぶなー!!
 今、ものすごい声出しそうになった!

 っていうか、え!?
 なんでリッちゃんが珊瑚礁知ってんの!?

「佐伯ん家なんでしょ」
「なななななな」
「珊瑚礁のマスターと知り合いなんだ」
「え? そうなのっ?」
「口止めされてるし、つか言う気なんて元々ないけど。ふぁ……んじゃそういうことで」

 リッちゃんは再び大きな欠伸をして立ち上がる。
 ぽかんとしてた私もその姿を目で追いながら。

「ど、どこ行くの?」
「昼寝。1時間目化学だからフケる」

 振り返りもせずに手を振りながら、リッちゃんは教室を出て行った。

 く、クールだなぁ……相変わらずとらえどころのない……。



 というわけであっと言う間に放課後。
 今日は珊瑚礁バイトはないけど、ミルハニーの手伝いがあるから早く帰らなきゃ。
 ホワイトデーのお返し、なんて言ってやってくるカップル客が多いんだ、今日は。

 失恋娘の心の傷口に塩塗りこまれる思いだけど、そこはお客様は神様ですから。
 涙を飲んで接客するんですよ……ぐすん。

 私は玄関で靴を履き替え、学校中にばら撒いたチョコのお返し=戦利品の詰まった紙袋を握り締めて。

「あっ、見つけました。さん」
「はい? あれ、なんですか若王子先生」

 どたばたと賑やかな足音を立てて走りこんできたのは若王子先生だった。
 はね学教員義理チョコ獲得1位の若王子先生は、日中お返し配りでずっと走り回ってたっけ。
 あらら、見れば髪が乱れたまんまだ。

 ……おや?

「どうしたんですか? ……リッちゃんまで連れて」
「先生、さんにバレンタインのお返し渡しに来ました。大崎さんは化学の授業サボりペナルティでお手伝いです」
「はぁ、そうですか」

 にこにこしてる若王子先生とは対照的に、リッちゃんは眉間に皺寄せて不満全開の表情して大きな紙袋を持ってる。
 若王子先生は、リッちゃんが持ってる紙袋の中から小さな何かをひとつ取り出した。

「はい、さん。教頭先生も、これならいいって言ってくれました」
「ありがとうございます。なんですか? これ」
「えっへん。頭脳アメです」
「ずの……はい?」

 聞きなれない単語に思わず聞き返すと、若王子先生はなぜか誇らしげに腰に手を当てていた。
 すると、隣でぶすっとしていたリッちゃんが。

「若先生が作った飴。今日の昼休み、足りなくなったとかで作るの手伝わされた」
「これ若王子先生の手作りなんですか!?」
「そうなんです。あ、でもさんに上げたのはどっちかというと大崎さんの手作りです」

 お返しなのに、それじゃ意味ないですよ、若王子先生……。
 突っ込みは心の中のみにしておいたけど。

「その飴を舐めてから勉強するとよくはかどります。……のはずです。……多分」
「若王子先生、効能確かめてから配布してくださいよ」
「ほら、こういうのって暗示力がものを言うでしょう?」

 うわぁ……化学教師とも思えない発言だぁ……。

「それじゃさん、気をつけて帰ってくださいね」
「は、はぁ。えと、さようなら、若王子先生。じゃあね、リッちゃん」
「ん。……ほら若先生、さっさと配り終わらせて。早く帰りたいんだから」
「やや、大崎さんせっかちですね?」
「ったく、なんでホワイトデーのお返しあげた上にこんな手伝いまでやらされなきゃなんないんだか……」
「大崎さんが授業サボるからです。ブ、ブーです。それにホワイトデーのお返しは、先生がバレンタインにチョコあげたんだからその時点でチャラですよ」
「大人のくせに」
「大人だからこそズルイんです。えっへん」
「威張ることかっ!!」

 ぶちぶちと文句たれてるのか会話してるのかよくわからない話をしながら、若王子先生とリッちゃんは廊下の奥へと去っていく。

 ……っていうか、あれ?
 バレンタインとホワイトデー、あげる立場逆転してないですか、二人とも。

 ほんと、不思議コンビだよね、あの二人……。



 若王子先生とリッちゃんの謎行動に首を傾げながらも、私は急ぎ足で帰宅した。

「ただいまー! あー重かった!」
「おかえりなさい、ちゃん。悪いけど、すぐにお店のほう手伝ってくれる?」
「ん、おっけー。着替えてすぐ行く!」

 自宅側玄関で靴を脱いでいたら、ミルハニー厨房に繋がるドアを開けてママが顔を出した。
 さっき自宅玄関にまわる前に窓からお店ちょこっと覗いたけど、お客さんいっぱいだったもんね。

 私は急いで自分の部屋に駆け上がり、制服を着替えてミルハニー店内へと駆けつけた。

「お待たせ! あ、ただいま、パパっ」
「お帰り。じゃあ早速だけど、これを3番テーブルに」
「はーい」

 振り向きざま、パパからトレイを受け取る。
 トレイの上にはホワイトデー限定のホワイトチョコを使ったチョコケーキが2つ。それからアールグレイティといちご紅茶。
 うう……明らかにカップル向けセレクトだなぁ……くそー。

 私は無理矢理営業スマイルを浮かべて、3番テーブルへとケーキを運ぶ。

「お待たせいたしました! ホワイトデー限定ケー……」

 3番テーブルの、案の定カップルのお客さんの元にケーキを運んだ私。
 だけど、そのカップルの顔見て硬直した。

 だって。

 だってだって!

「……水樹ちゃん?」
「あ、
「に、志波っちょ……!?」
「……なんだ」

 そこにいたのは、紛れもなく水樹ちゃんと志波っちょ。
 紛れもなくはね学アイドルと狂犬。

 紛れもなく、ついこの間密っちとその間柄について盛り上がった二人が!!

「あ、えと、その」

 言葉を失った私は二人の顔を交互に見ながら、必死で頭を動かして。

「お、またせしますた」
「……お前、今の変だろ」
「どうしたの?」

 志波っちょが私の手からトレイを取り上げて、水樹ちゃんは首を傾げて私を見る。
 二人の様子はいたってフツー。
 えええ、なに? もしかしてもうそんな、いまさら見られて慌てるような関係じゃあないってことデスカ?

「め、めずらしい組み合わせだね? 志波っちょと水樹ちゃんなんて……」
「ふふ、そうだね。誘われたとき、私もちょっと驚いた」

 くすくすと笑う水樹ちゃん。

「あのね、これ志波くんからのバレンタインのお返しなんだって」
「へ、バレンタインのお返し?」
「うん。ほら、この間私倒れたでしょ。だからちゃんと食べるもの食べてないんじゃないかって、志波くんが」
「へ、へぇ」
「……本音言えば、限定ケーキが食いたかった気持ちのほうが強い」

 ケーキと紅茶をテーブルにおろして、志波っちょは私にトレイを返す。

「さすがに今日、一人で来るのは、な」
「あーそっか。それでお礼も兼ねて水樹ちゃんを誘ったんだ?」
「ああ」

 えええ、本当にそれだけぇ? 志波っちょ、他に含むところがあるんじゃないの〜?
 ……という突っ込みは今は我慢だ。
 今度来たら絶対絶っっ対聞き出してやるっ!

!」
「あ、はぁい!」

 うぅ残念。呼ばれちゃった。

「さすがに今日はお店が忙しいや。じゃあ二人とも、ごゆっくり!」
「あ。ちょっと待て
「ん?」

 急いで戻ろうとしたら、志波っちょに呼び止められる。
 志波っちょは鞄からなにやら黒くてぐでんとしたモノを取り出して。

「お前宛のお返し」
「わ、ありがと。なに?」

 両手で受け取って見てみれば。
 クロウサギのくたくたしたぬいぐるみ。
 あ、でも。

「なんかいい匂いする」
「中にアロマオイルを浸したコットンが入れられるらしい。お前、店の手伝い忙しそうだから」
「うわ、癒し系グッズ? ありがと志波っちょ!」

 むぎゅ、と抱きしめてほお擦りすると、ぬいぐるみから放たれる甘い香りが鼻腔をくすぐる。
 うわ〜、志波っちょからは想像もつかない可愛いお返しだ。

 そこへ、もう一度催促の声が。

「時間切れだ。じゃあね、二人とも!」
「うんっ」
「ああ、ガンバレよ」

 ぱたぱたとカウンターに戻った私は、もう一度水樹ちゃんと志波っちょを振り返る。
 ほのぼのと楽しそうに会話しながらケーキをつついてる二人。
 あの様子だと、どうやらまだ仲のいい異性の友人の域は出てないみたいだけど……。

 あぁ〜いいなぁ、ホワイトデーにイケメンと喫茶店デートなんて!

ちゃん、ねぇねぇ」

 ママが注文された紅茶を注ぎながら、なんだかにこにこして話しかけてきた。

「なに?」
「志波くんとセイちゃんって、もしかしてもしかしてなの?」
「ふふ〜、どうなんだろね。まだそこまでいってないみたいだけど」
「いや〜ん、もしそうなったらすっごい微笑ましいカップルよね?」
「ねー!」
「……ママもも、いいから手伝ってくれ……」

 呆れ果てるパパを横目に、私とママは手を動かしながらも乙女な会話で盛り上がった。
 ああもう本当に。あの二人、この先どうなるのかな!



 時刻は5時を回った頃。
 志波っちょと水樹ちゃんも帰っていって(勿論志波っちょのオゴリ。あー萌えシチュエーション……)、この時間からは会社帰りのサラリーマンやOLで込み合ってくる時間だ。
 ちょっとだけ手が開いてる今のうちに、軽くなんか食べようかな。

 などと思ってたら、からんころんとドアベルが鳴った。

「いらっしゃいませ!」
「オッス、
「あ、ユキ」

 カウンターの椅子からぴょんと飛び降りて、私はミルハニー入り口に駆け寄る。
 もうだいぶ暖かくなってきたから、ユキははば学の制服にマフラーのみ、って出で立ちだ。

「ホワイトデーだろ? お返し持ってきたんだ」
「わぁ、ありがとう! ユキの3倍返し!」
「ったく勝手なこと言うよな、は……」

 苦笑しながらも、ユキは鞄から真っ白な包みを取り出した。

「バレンタインはありがとう。多分、3倍返し」
「へへ、ありがとうユキ。開けてもいい?」

 返事も待たずに包みを開ける。
 中から出てきたのは……

「わぁカッコいい……」

 シルバーの、洗練された万年筆。
 なんだろ、なんとなくはね学じゃなくてはば学、ってカンジ。

「ありがとうユキ。これ、高かったんじゃない?」
が学年末順位落としたって聞いたから。はば学の例の数学の先生が愛用してるって万年筆にしてみたんだ。これで勉強しっかりしろよ?」
「うぐっ……こんな日までお説教するの〜?」

 むぅ、と上目遣いに睨みあげれば、ははっとユキは笑った。
 なんだか随分ご機嫌な気がする。

 ……ということは。

「ユキ、雨宿りの君にお返し渡せたんだ。ピンポンでしょう」
「……はなんでもお見通しだな」

 はにかんだ笑顔を浮かべながら、ユキはこっくりと頷いた。
 そっか。今日もあかりちゃんに会えたのか。
 偶然もここまでくれば、もう運命的だよね。

「また駅前で。彼女なんだか急いでたみたいで、お返し渡してすぐに行っちゃったんだけど」
「ってことは、また連絡先聞いてないの?」
「ああ……」
「もー……」

 大げさに呆れてみせる。
 オーバーアクションにしなかったら、私の感情が表に出ちゃう。

 私はいつもどおり「気のいい友人」を演じてみせた。

「次があるかどうかわかんないってのに。あ、でもはば学の生徒会がはね学に来るって言ったっけ?」
「ああ、それなんだけど。3月はいろいろ年度末で忙しいから4月以降になるんじゃないかって。そのとき、探してみるよ」
「うん、がんばれユキっ」
「ありがとう、。それじゃ、もう行くよ」

 にっと微笑んで鞄を持つユキ。

「あれ、もう行っちゃうの? 何か飲んでいけばいいのに」
「数学の課題が今日もたくさん出てさ……意地の悪い問題出すんだよ、あの先生。帰ってやっつけないと他の予習に手が回らなくなるから」
「そっか、残念。ユキ、また来てね! お返しありがと!」
「ああ、もしっかりな!」

 ミルハニーの入り口前でユキを見送って。
 ユキは手を振りながら駆け足ではばたき駅の方へ去っていった。

 ……はぁ。

「あら、赤城くん帰っちゃったの? ママ、今お茶を用意しようとしたのに」
「うん、帰っちゃった。さー、あとひとがんばりするぞーっ」

 私は落ち込みそうな気分を盛り上げるために、わざと大きな声を出した。……ぐすん。



 そして時刻は8時。今日のミルハニーは定刻終了!

ちゃん、お疲れさま! ママ急いでご飯作るわね」
、パパは仕入れ帳簿の確認しなきゃならないから、店の掃除頼んだよ」
「おっけーい」

 ママが家に入って、パパが厨房奥に入って。
 私はお店の照明を1段階落として、お店前のプレートをCLOSEDに変えた。

 はぁ、今日も一日お疲れ様自分!
 私は掃除用具入れからモップをとりだして、床を磨き始めた。

 仲のいい子たちからの戦利品はほとんどが実用的な物ばかりだったけど、クラス中にばら撒いたチョコのお陰で、特に親しくない子たちからもいろんなお返しが貰えた。
 といってもあげたのが一口サイズのチョコスポンジだから、お返しもほとんどが駄菓子だ。
 へへ、でもこれで当分夜食には困らないかも。

 ホワイトデーのあとって、毎年毎年体重増えるんだよね……。うう、今年は注意しなきゃ!

 さて、次はカウンター内の掃き掃除……


 こんこんっ


 ん?

 私はお店の入り口を振り返る。
 ……誰かいる?

「あの、もう閉店」

 がちゃりとガラスドアを開けたそこには。

「……………………」
「……なんだよ」

 ドアを開けた状態で、硬直。

 だって、そこにいたのは。

「さ、佐伯くん?」
「他の誰に見えるんだ?」

 ざっくりとした白のセーターにオレンジのマフラーを巻いた格好の。
 はね学プリンス。

 ……。

「えええ佐伯くん!? どどどどうしたの!?」
「なんて声出してるんだよ。近所迷惑だろ」
「だだだだって!!」

 驚いて顔に手をあてて、支えるものがなくなったモップの柄が倒れかけて、慌ててもう一度それを掴んで。
 パニックパニック!!

 え、ちょ、なんで佐伯くんがこんな時間にこんなところに!?

「え、だってこの時間にここにいるって……珊瑚礁は?」
「今日は早めの店じまい」
「お客さん、少なかったの?」

 ずべしっ

「アイタっ!」
「んなわけあるか。忙しかったんだ今日は。ホワイトデーだったから」
「そうだよね? うちも忙しかったもん。あ、今日臨時バイト入ればよかったね?」
「いいんだ、別に。お前の手なんか借りなくたって回せる」
「あ、可愛くない」
「男は可愛くなくてもいいんだ」
「もー、ああ言えばこう言う……チョップなしっ!!」

 再び振り上げられる佐伯くんの手を両手で阻止して。

 私は改めて佐伯くんを見た。

「ところで、本当にどうしたの? この辺になんか用事?」
「あのな。この辺に用事があったらそっちに直行してる。お前に用事があったからここに来たに決まってるだろ?」
「え、私に?」

 きょとん。
 何の用だろ、佐伯くんが。
 心当たりが……。

 あ。

「もしかして佐伯くん、今日ホワイトデーだから」
「それしかないだろ?」
「わざわざ届けに来てくれたの!? 明日でよかったのに! 珊瑚礁に私行くんだから」
「……はいつも『わざわざ』珊瑚礁まで届けに来るだろ」
「だって私は佐伯くんほど忙しくないし……」

 うわぁ。
 なんか感動しちゃう。

 はね学プリンスと呼ばれてる佐伯くんが!
 私のために、こんな時間にこんなところまで来てくれて!!

 ……っていうのはちょっと自惚れすぎか。

「ごめんね、佐伯くん。疲れてるのに」
「ありがとう、だろ。ほらこれ。チョコ、まぁまぁうまかった」
「まぁまぁデスカ……。ふふ、でもありがとう! なんかおっきぃね、これ。開けていい?」
「あ、あぁ、うん」

 ぽりぽりと頬を掻いてる佐伯くんの目の前で、大きな袋を開ける。
 中に入っていたのは、一抱えほどもある大きさのぬいぐるみ。

 ……なんだろこれ。

「これ、なんのぬいぐるみ?」
「カピバラ」
「か、カピバラ?」
「この間の抜けた顔、お前そっくりだろ? 店まわりしてて、これだっ! って思った」
「あ、ひどいっ!」

 にやりと笑う佐伯くん。

 くそー、こうなったらっ。

 私はカピバラのぬいぐるみを佐伯くんに向けて抱きなおして、そして。

「……ブハッ!!」

 案の定、佐伯くんは噴出して口を片手で覆う。
 へへーんだ。はね学プリンスの爆笑顔ゲット!

「ははっ……やると思ったんだ! 、カピバラの顔真似! ははっ、腹、痛ぇ……」
「へへ、似てた?」
「お前ヤバすぎ。……プッ」

 佐伯くんは体をくの字に曲げてまだ笑ってる。
 なんだか佐伯くんのそんな姿見てたら、私も気持ちが軽くなってきちゃった。

「佐伯くんありがとう。わざわざ届けにきてくれて。嬉しいよ!」
「ま、まぁ、素直でよろしい。うん、おとうさん褒めてあげよう。……あとこれ。今日限定で店で配ってたヤツだけど」
「あ、クッキー! 珊瑚礁のクッキーおいしいんだよね〜。ありがと!」
「ああ。あと、じいちゃんは明日直接お返しするって言ってた。じゃあ、オレもう帰るな」
「うん。……あ、ちょっと待って、佐伯くん!」

 一度体を震わせて、寒そうにポケットに手を突っ込んだ佐伯くんを呼び止めて、私は大急ぎで家の中に飛び込んだ。
 冷蔵庫の横の小さな保温庫。
 パパ、あとでお金払うからね。

 私は中からパパが眠気覚ましに飲んでる缶コーヒーを1本取り出して、急いで戻る。

「はいこれ! 未来のバリスタに渡すものじゃないけど、カイロかわりになるでしょ。寒いから、気をつけてね!」
「サンキュ。気が利くな。偉い偉い」

 嫌な顔するかな? とも思ったけど。
 佐伯くんは笑顔で缶コーヒーを受け取ってくれて、さらになんとなんと!

 わしゃわしゃと、頭を撫でてくれたのだ!!

 う、わ、あ、あ、あ、ちょ、これ、いいの私。
 はね学プリンスに頭撫で撫でって、佐伯ファンにばれたら殺されちゃうんじゃ。

「じゃあな、。また明日」
「う、うん。ばいばい、佐伯くん!」

 笑顔でさわやかに去っていく佐伯くんを見送りながら、私はこの感動の余韻に浸っていた。

 うわぁ、今日の日記は大変なことになりそうだ……。
 私はカピバラのぬいぐるみを抱きしめながら、佐伯くんの姿が見えなくなるまでその後姿を見つめたのでした……。

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