私は商売人の娘。人様に気を遣うことはあっても、気を遣われるなんて言語道断!
 バレンタイン翌週火曜日、私はとにかく笑顔を振りまいてバイトに専念した。


 15.1本の電話


「ありがとうございました。お気をつけてお帰りください」

 最後のお客さんを見送って、佐伯くんが珊瑚礁入り口のプレートをCLOSEDに変える。
 時刻は9時過ぎ。
 今日も自分お疲れ様!

「終わったね! さくっと片しちゃおう!」

 ぐーっと伸びをしてから私はお店の椅子をテーブルの上に上げ始める。
 椅子を全部上げたら床を掃いて、それからテーブルを拭いてカウンターを拭いて。
 その間にマスターが売り上げシメ作業をして、佐伯くんが洗い物をして。

 それで今日の仕事は終わりだ。

さん、今日は随分と元気がよかったですね。なにか、いいことでもありましたか?」
「え? なんにもないですよー。仕事にはいつだって全力投球! なのです!」
「嘘つけ。体育があった日や小テストが帰ってきた日はやる気ないくせに」
「うぐっ、バレてましたか……」

 フン、と鼻で笑う佐伯くんに、カウンターからにこにこしながらこっちを見てるマスター。
 でもよかった。ちゃんと笑顔が作れてて。
 客商売で自分の気持ち表に出してちゃ仕事にならないもんね。
 プロのマスターに、本当はインな今の気持ちがばれてないなら大丈夫だったんだろう。

 ああもう、誰も褒めてくれないから自分で褒めちゃうもんね!
 けなげなっ!

、急がないとバスがなくなるぞ」
「あ、そうだった。さっさと終わらせちゃおう!」

 椅子を上げ終わって、私は掃除用具入れからデッキブラシとちりとりを取り出す。
 お店の端から埃をかき集めて、ゴミ箱にぽいだ。

「うーん、あとちょっとで学年末テストかぁ……やだなぁ……」
「言うな。忘れろ。無心で働け」
「もう、お客さんいないんだからいいじゃない。佐伯くんはいっつもトップ10組なんだし」
「お前な。人が何も努力してないみたいに言うな。こっちは必死なんだ」
「そうだよね。いつも遅くまでバイトしてるのにあれだけの成績キープしてるんだもんね。尊敬します、佐伯サマ!!」
「よし、それじゃあをオレの小間使いに任命してやる。明日から超熟カレーパン献上しろ」
「悪代官っ! あ、そういえば水樹ちゃんがちょい悪先生に越後屋って言われてたっけ。コントコンビ組んでみる?」
「なんでだよ。お前の話、なんでいっつもそうあっちこっちに話題が飛ぶんだ?」
ちゃんは発想力豊かだから〜」
「やらしー」
「ちょ、なんでそうなるのっ!!」

 ははっと佐伯くんが笑う。
 珊瑚礁にいるときの佐伯くんは本当に表情豊かだ。
 学校じゃ、男の子といるときですらすまし顔を崩したりしない。

 完璧だよね。覚悟決めて生きてる、ってカンジ。
 少しは見習わなきゃなぁ……。
 今度ユキに会ったときに、ちゃんと笑えるように覚悟しておかないと。

 床掃除を終えて、ブラシとちりとりをしまう。
 私はカウンターの中に入って、テーブル用のふきんを手に取った。

「佐伯くん、ちょっとふきん濡らしてもいい?」
「だめ」
「な、なんでそういう意地悪するかなぁ……」
「冗談だ。早くしろよ」
「うん」

 グラスを洗っていた佐伯くんが脇にどけてくれて、私は素早くふきんを濡らした。

 そのとき、お店の電話が鳴った。
 マスターはちょうど奥にレシートロールを取りにいってて、フロアは私と佐伯くんだけ。

 一番近くにいた佐伯くんが電話を取った。

「はい、喫茶珊瑚礁です」

 私は蛇口の水を止めて、ふきんを絞る。

「……なんだ、あかりか。どうした? こんな時間に」

 あれ、あかりちゃん?
 ほんとどうしたんだろ。あかりちゃんならもう珊瑚礁が閉店時間だって知ってるはずだし……。
 佐伯くんになにか急ぎの用かな?
 ……あ、それなら携帯に連絡するか。

 私はカウンターを出てテーブルを拭き始めた。
 珊瑚礁の木目のテーブルは雰囲気あるけど汚れたら匂いがつきやすい。
 たかがテーブル拭きでも念入りに拭かなきゃね。
 ごしごし。

 と。

「……え?」

 佐伯くんの、戸惑ったような声に振り返る。

 そこには、珊瑚礁のコードレスホンを耳に当てたまま、どこを見ているのか直立不動のまま固まってる佐伯くんが。
 顔がこわばってる。
 ……どうしたんだろう?

さん? どうかしましたか?」
「あ、いえ……いま、あかりちゃんから電話がかかってきたみたいで」

 うっかり私も手を止めてしまって、レシートロールを抱えて戻ってきたマスターに声をかけられた。
 マスターは首を傾げて佐伯くんを見る。

 佐伯くんも、ちらっとマスターを見た。

「そっか……わかった。今、マスターにかわる。じいちゃん、あかりから」
「あかりさんから?」

 佐伯くんはさっきまでとは打って変わったような戸惑った表情でマスターにコードレスホンを渡す。
 電話を受け取ったマスターはそのまま奥のほうへと、あかりちゃんと話しながら消えてしまったんだけど。

「佐伯くん、今の電話あかりちゃんからだったんでしょ? どうしたの?」

 明らかに様子が変だ。
 洗い物を再開しようとせずに、カウンターをまわりこんで椅子に座って頭を抱え込んでしまった佐伯くん。
 ほんとにどうしたんだろう。

「佐伯くん……」

 ふきんを置いて、私は佐伯くんに近寄った。
 すると佐伯くんはカウンターに肘をついて、両手でくしゃりと髪を掴んだまま、視線を落としてぽつりと。

「あかりが、今月一杯でバイト辞めたいって」
「え!?」

 今月一杯って、1週間ちょっとしかないじゃない!
 っていうか、なんでいきなり?

「どうして……理由言ってた?」
「勉強に専念したいんだってよ。予備校に行くとか」
「予備校……」

 あかりちゃんの成績は中の上、くらい。
 2学期の順位は80番くらいだったっけ。
 ランクの高い大学への進学を考えてるなら、確かに予備校を考えるラインではあるかもしれないけど。

「……そうですか。いえ、珊瑚礁なら大丈夫。夢に向かって、勉強がんばってください。あと少しだけですが、残りのバイト日はよろしくお願いします」

 マスターが話しながら戻ってきた。
 佐伯くんがガタンを立ち上がってカウンター内に戻る。
 口を真一文字に結んで、乱暴に蛇口をひねった。

「佐伯くん」
「……何してんだよ。さっさと拭き掃除終わらせろよ」
「う、うん」

 今は何も言わないほうがいいかも。
 もう少し気持ちが収まってからだ、声をかけるのは。

 私も何事もなかったかのようにテーブルを拭きに戻る。

さん」
「あ、はいっ」

 でもすぐにマスターに呼ばれた。
 背筋を伸ばして振り返れば、眉尻を下げてちょっと困ったように微笑んでるマスターが。

「瑛から聞いたかもしれませんが、あかりさんが今月一杯でここのアルバイトを辞めることになりました」
「そうですか……。残念ですね、あかりちゃん目当ての男性客も増えてきてたのに」
「そうですねぇ、看板娘に抜けられるのはこちらとしても痛いものです」

 でも、とマスターは続けた。

「あかりさんには夢が出来たらしい。その夢を実現するために、勉学に励みたいんだそうだ」
「そっか……。じゃあ応援してあげなきゃいけませんね! あ、でもあかりちゃんが抜けた穴はどうするんですか?」
「またアルバイトを募集するしかないでしょうね」
「いらないって」

 私とマスターの会話に、ざばざばと無言で洗い物をしていた佐伯くんが口を挟んできた。
 きゅっ、と蛇口をひねって水を止めて、最後のグラスを食器カゴの中に伏せる。

「オレも仕事慣れたし。あかりがいなくても店まわせるよ」
「そうは言うが瑛、平日はともかく週末、金曜日はどうするんだ。あかりさんがいてもてんてこ舞いだったろう?」
「あ、じゃあ私が金曜日もシフト入りますよ!」

 ぴょん、と手を挙げて立候補。
 マスターも佐伯くんも、私を見た。

「私もだいぶ仕事慣れてきたし。週3でも大丈夫です!」
「しかしさん……」
「平気ですよ! ちょうど欲しいもの増えてきたのに軍資金足りないなーなんて思ってたところだし。それに新しい子を募集しても」

 佐伯くんは、また仮面をかぶらなきゃならなくなる。
 あかりちゃんがいなくなったってだけでも相当傷ついてるはずなのに、そんなストレスの溜まるようなことさせるの、可哀想だ。

「……またはね学の子が応募してきたら大変ですよ! ね? 今度は私ががんばって看板娘になります!」
「やぁこれは頼もしい。だったらお言葉に甘えさせてもらおうかな。いいな、瑛」
「別に……。じいちゃんがマスターなんだからじいちゃんが決めればいいだろ」
「全くお前は、少しは素直に喜べないのか」

 呆れたように息をつくマスターだけど。
 真一文字に結んでた佐伯くんの口が、気づけばとんがってた。

 よかった、悲しみこらえ瑛からいつもの屈折し瑛モードに戻ったみたい。
 ……ってこんな呼び方、佐伯くん本人には内緒だけど。

さん、今日はもう上がってください。そろそろバスの最終が来るでしょう?」
「あ、ほんとだ。私、着替えてきます!」
「瑛、バス停まで」
「ちゃんと送るよ。、急げよ。置いてくぞ」
「……私置いてって佐伯くんになんかメリットある?」
「ウルサイ。チョップくらいたいか」
「すぐ着替えてまいりますっ!!」

 ふきんをマスターに手渡して、私は腕を振り上げてチョップする真似を見せた佐伯くんの横をすり抜けて更衣室へ。

 タイを外してブラウスを脱ぎながら、隣のあかりちゃんのロッカーを見た。

 あかりちゃんの夢、か……。
 佐伯くん、あかりちゃんと接点減っちゃってあっきらかに気落ちしてたよね。
 日々はね学でストレス溜め続ける毎日を、あかりちゃんと一緒にいることで心晴れやかに過ごすことが出来てたんだろうに。
 ……そのあかりちゃんの気持ちも、今はユキに向いてしまってるし。

 な、なんか佐伯くん、私なんかよりずっとずっと悲惨な状況?
 ひええ、私、落ち込んでる場合じゃないぞ!

「お待たせっ! それじゃマスター、お疲れ様でした!」
「はい、お疲れ様でした。さん、気をつけて」

 はね学の制服に着替えて鞄を持って、私はマスターに挨拶をして。
 からんころんとドアベルを鳴らしながら、私と佐伯くんは珊瑚礁を出た。

「うわ寒ッ! もうすぐ桜の季節なのに!」
「もうすぐなのは桜じゃなくてテストだろ」
「さっき言うな忘れろって言ったの、佐伯くんのくせに〜」
「忘れたから言った」
「もー減らず口は健在なんだから……」

 並んで長階段を降りて、バス停まで歩く。

 えーと、なにか明るい話題……佐伯くんが乗ってきそうな、くだらなくて笑えるような、嫌な気分吹き飛ぶような話題は……。
 若王子先生ネタ……は駄目だ。ざっくりあしらわれるだけだ。くーちゃんの……も、駄目だ。あのノリはぱるぴんだってげんなりすることあるし、佐伯くんには荷が重い。
 案外志波っちょネタはどうだろ? あの見た目で超甘党! ミルハニーのケーキは既に全制覇済み! ケーキなら佐伯くんも興味あるだろうし、笑えるかどうかはわからないけど、気持ちをそらすことは出来るかも?



 ……などと少ないネタの引き出しをひっくり返していたら、佐伯くんから声をかけられた。

「なに?」
「金曜のシフト入るの、テスト明けでいいからな?」
「え、いいよ! 来週から入るよ。テスト前だってお客さん多いんでしょ? 直前週の火・木は休ませてもらうつもりだったけど、金曜は出るよ!」
「いいって。1回や2回、なんとかなる」
「もう遠慮しなくていいってば。あかりちゃん目当てのお客さんが暴れだしたらどうするの? 私がいたら『代わりに私を好きにしてっ』って私のファンにしてやるから」
「無理だろ、絶対」
「ざ、ざっくり言い切られた……」

 うう、落ち込んでたって佐伯くんは容赦ない……。

 羽ヶ崎海岸のバス停にたどりつき、二人並んでバスを待つ。
 定時まではあと3分。

「……あのさ」
「ん?」

 しばらく口を噤んでた佐伯くんが、再びしゃべりだす。
 見ればいつもの片手で髪をくしゃりとかきあげた、おなじみのポーズをとっていた。
 なんていうか、いつもの大人びた表情じゃなくて、年相応の幼い顔して私を見下ろしてる佐伯くん。
 ……なんか可愛いんですけど。

「オレ、お前に気ィ遣わせてばっかだな」
「そうかな? そんなことないけど」

 笑顔で答えつつ、内心では猛反省。
 ……心遣いを気づかれてどうするんだ自分。っ、この未熟者っ。

「佐伯くん、元気出してね? バイト辞めたって、あかりちゃんは今までどおり佐伯くんと接してくれるだろうし」
「そうだろうな。あいつの無神経っぷりにはほんとびっくりするしかないからな」
「またまたぁ。嬉しいくせにっ」
「……あかりの夢に、オレの存在はかすってもいないんだろうな」

 あ。

 佐伯くん、泣いてる。

 涙も出てないし表情も歪んでないけど。
 傷ついてる。
 本当に、あかりちゃんが大好きなんだ。
 それなのに。

 ……何日か前の、私自身を見てるみたい。

「……バス来たな」

 カーブの先からヘッドライトの光が届く。
 佐伯くんがその先を振り向いたとき。

 とっさに私は佐伯くんの左手をとっていた。

 驚いたように振り返る佐伯くんに、私は。
 もう頭で考えるよりも先に行動してた。

「佐伯くん、今度の日曜日ヒマ?」
「え?」

 バスがやってきた。
 ゆっくりとバス停に止まるバスの前で。

「デートしようよ!」
「は!?」

 佐伯くんはその端正な顔を、見たことないくらいに崩して間抜けな声を出した。

 こんな様子の佐伯くん、ほっとけない。
 ちゃんによる佐伯瑛励まし作戦第1弾!!
 いつもと違う場所に連れ出して、佐伯くんに気分転換してもらおう!

「……オレ、テスト勉強したいんだけど」

 ……と思ったら、ぽかんとした表情のまま、さくっと断られてあっさり撃沈。

「つか、早く乗れ。バス発車できないだろ」

 ううう、2秒で負けた……。
 そういえばはばたきネットで今週の私の恋愛欄、とても悪いだったっけ……。

 私は力なく佐伯くんにお別れをして、バスに乗り込んだのでした。
 間抜けにも程がある、自分……。



 と、思ってたら。
 しばらくして、マナーモードの携帯が鳴り出した。
 パパかな? と思って見てみたら、そこには『送信者:佐伯くん』の文字。


『To:
 Sub:どこ行きたいんだよ?
 本文:提案場所によっては行ってやらなくもない』


 あ……相変わらず上からモノを言うというか、屈折甚だしいというか……。
 でも、すごく佐伯くんっぽい。
 私はちょっと噴出しながら、カチカチと返事を打った。


『To:佐伯くん
 Sub:予定としましては
 本文:水族館で癒されてみるというのはいかがでしょう?』


 ぶぶぶぶぶ

 ソッコウで返って来るレス。
 佐伯くん、お店の掃除終わったのかな。


『To:
 Sub:よきにはからえ
 本文:仕方ないから行ってやる。はばたき駅に10時な』


 よしっ、はね学プリンスの日曜の予定ゲット!
 私は小さく拳をにぎってガッツポーズ!
 テスト前の貴重な日曜日を貰ったんだもん、しっかり気分転換させてあげないとね。
 よし、今日はコンビニではばたきウォーカー買って帰ろう!

 私は了解のメールを打って、携帯を鞄にしまった。

 失恋娘が人の世話やいてる場合じゃないけど。
 佐伯くん、早く元気になるといいな。

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