「おっはよー1−B諸君! ミルハニー特製チョコケーキですぞー!」
「「「うおおおお!!」」」


 14.1年目:バレンタインデー


「派手だね、……」
「一人一人配るよりコッチのほうが早いと思って。女子の分もあるから水樹ちゃんも食べてね」

 水樹ちゃんは呆気に取られながら教壇を見てた。

 現在朝のHR前の教壇には、私がミルハニーから持ってきたチョコケーキを目当てにクラスメイトたちが群がってる。
 昨日パパに指導を受けながら作った、一口サイズの小さなチョコスポンジだ。

「あ、うまい!」
「ほんとだ、甘すぎなくておいしー!」
サンキュー!」

 うん、評判は上々みたい。よかったよかった。

「そういえば水樹ちゃん、朝くーちゃんにチョコ渡してたね?」
「うん。あとハリーにも渡してきたんだ」
「学園アイドルの手作りチョコだもんね〜。もう二人とも幸せものだなぁ」
「そんなことないってば!」
「あとは誰かにあげる予定あるの?」
「んーと、氷上くんとバイト先の先輩と……あ、若王子先生もあげるよ」
「水樹ちゃんの交友関係って、目立つ人ばっかだよね……」
ほどじゃないと思うんだけど……」

 などと二人で仲良く話していたら。

「うわ、なに、朝から甘ったるい」
「大崎さん、これさんが作ってきたチョコケーキだよ」

 めずらしく時間を守って登校してきたリッちゃんが、相変わらずの歯に衣着せぬ物言いで教壇上のダンボールを覗き込んだ。

「なんでチョコケーキ?」
「今日バレンタインだぞ」
「なんでバレンタインでチョコ?」
「は?」

 とんちんかんな質問をして、クラスメイトを困らせてるリッちゃん。
 とそこへやって来たのは。

「日本ではバレンインデーに女性から男性へチョコを贈る習慣があるんですよ」
「ふーん?」

 いつもの白衣姿で、なぜか両手にチョコをたくさん抱えた若王子先生だ。
 よいしょ、とおじさんくさい声を出して教卓のダンボールの横にどさどさとチョコを置く。

「おっ、若ちゃんやるじゃん! もうそんなにチョコ貰ったの?」
「やー、教室に来るまでに捕まりまして。ところでこのダンボールはなんでしょう? ……やや、ちっちゃいチョコがいっぱいだ」
「はーい先生、私の持ってきたチョコでーす」

 私は慌ててダンボールを取りに教卓へ。
 ダンボールからチョコケーキを2つ取り出して1個をリッちゃんに、もう1個を若王子先生に渡してダンボールを持ち上げた。

「ハッピーバレンタイン! からの溢れんばかりの愛をどうぞ!」
「……は?」
「やや、ありがとうさん。先生、とっても嬉しいです」

 怪訝そうに聞き返してくるリッちゃんに、にこにこ笑顔でお礼を言ってくれる若王子先生。
 ほんと対照的なふたりだよね。

 私がダンボールを教室の後に運び終えるのとほぼ同時にチャイムが鳴る。
 みんながたがたと席について、若王子先生も出席簿を開いた。

「おはよう、みなさん。では出欠をとりますね。えーと、海野さん」

 しーん。

「あれ? 海野さん欠席ですか?」

 若王子先生が顔を上げると、クラスのみんなもあかりちゃんの机を見た。
 いっつも時間に余裕を持って登校してるあかりちゃんが、今日はまだ来ていない。

「おかしいな、欠席の連絡は来てないんだけど……誰か聞いてますか?」
「海野さん、昨日は元気だったよね?」
「うん、風邪ひいてるっぽい感じなかったよね」

 ざわざわ。
 ぽやんとしてる割に運動全般万能なあかりちゃんは、今のところ無遅刻無欠席。
 だからみんな口々にざわめきだした。

 と、そこへタイミングよく。

 ガラッ!!

「す、すいません!」

 勢いよく教室の前扉が開いて、息も絶え絶えに飛び込んできたのは当のあかりちゃんだった。
 相当慌てて走ってきたんだろうね。髪は乱れてるし、肩で大きく息をしてる。

「やや、海野さん大丈夫ですか? 一体どうしたの?」
「あ、あの……すいません、寝坊です……」

 ふらふらと教卓前までやってきて、教卓に手をついて深呼吸するあかりちゃん。

 どっと、クラス全員が笑い出した。

「そうだったんですか。事故とかじゃなくてよかった。出欠の最中だからギリギリセーフにしてあげます。さ、早く席についてください」
「あ、ありがとうございますっ……」

 胸を押さえながら、あかりちゃんは自分の席に着く。
 でも本当にめずらしい。
 学校だけじゃなくてバイトだって一度も遅刻したことないあかりちゃんが。

 HRのあと、私と水樹ちゃんは揃ってあかりちゃんのもとへ。

「どうしたのあかり。めずらしいね、遅刻ぎりぎりなんて」
「うん……ちょっとね」
「あ。さては手作り本命チョコ作ってて夜遅くなって、寝過ごしたんでしょ!」
「うう……やっぱりわかっちゃう?」

 恥ずかしい〜と呻きながら、あかりちゃんは机につっぷした。
 あかりちゃんの鞄からのぞく、可愛いラッピングの包み。
 私と水樹ちゃんは顔を見合わせて、にやり。

「誰だっ! 小悪魔デイジーの本命チョコのお相手はっ!」
「あかりに本命がいたなんて知らなかった! ね、誰?」
「ひ、秘密っ! ふたりとも、知らない人だよ!」

 真っ赤な顔を両手で押さえて、あかりちゃんは得意のデイジー上目遣い。
 でも私はピンときた。

 水樹ちゃんも私も知らない(とされる)人で、あかりちゃんが思いを寄せるとしたら。

 ユキ。

 そっか……ふたりはもう双方向で思いあってるんだ……。

「そうなんだ。うまくいくといいね!」

 などと笑顔で言ってのける私は、もしかしたらこの世で一番の道化師かもしれない。

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

「あああもう、落ち込んでたまるかーっ! はいっ、志波っちょにくーちゃん!! ハッピーでメリーなバレンタインに乾杯っ!」
「……なんなんだ、一体」
ちゃん、どないしたん?」
「ううう、つっこまないで……。お弁当もう食べたんでしょ? 食後のデザートにさんの愛のこもったチョコケーキをどうぞっ」
「うわぁ、ちゃんの手作りなん? めっちゃ嬉しー♪ お返し期待しててなー?」
「うんっ。くーちゃんには超期待しちゃうから!」
「サンキュ。一口サイズ、だな」
「足りない分は是非ミルハニーで補給してクダサイ!」
「クッ、お前商売うまいな」

「竜子姐とチョビっちょ〜。めずらしい組み合わせだね。はいこれ、友チョコ!」
「アンタも女子にチョコ配ってんのかい?」
「ありがとうございます、さん。千代美ですけど。それから、本来ならお菓子の持ち込みは禁止なんですからね! 特別なのは今日だけですから!」
「んもう、わかってるってば。チョビっちょだってヒカミッチにチョコ持ってきてるんでしょ〜うりうり〜」
「わ、私は日頃の感謝の気持ちを伝えるためであって、そんなけっしてよこしまな思いなんて!」
「いいじゃないか。女から男に渡すのは筋が通ってるだろ。それより、女が女にチョコ渡すのはどうにかならないのかい」
「……その紙袋、なんか本命ぽいチョコがたくさんだね?」
「毎年のことさ。今年は1年だから貰わないと思ってたのに」
「竜子姐カッコいいもんねぇ。あ、私の友チョコはみんなにばら撒いてるからお返しいらないからね?」
「そういうわけにいかないだろ。アンタには日頃世話んなってるし、ちゃんとお返しするさ」
「か、カッコいいなぁ……」

「ぱるぴんにヒカミッチ! ってここもめずらしい組み合わせだね。……どしたの険悪な雰囲気で」
「あっ、ちょうどええとこに! この石頭に説明したってや!」
「僕は学生として節度をわきまえるべきだ、と言っているだけだろう!」
「ちょ、ちょっと。どうしたの?」
「さっきアタシが作ってきたチョコケーキ、ハリーに食べてもらったんよ。それで、ハリーにはちょっと洋酒の香りがきつかったみたいで」
「そのあとたまたま僕が針谷くんに用事があって。彼からお酒の匂いがしたものだから問いただしたんだ」
「ははぁ。それでぱるぴんのケーキに行き当たったと」
「お菓子作りに洋酒を使うんは基本中の基本や! それがなんでアカンの!?」
「何事もほどほどにするべきだ、と言っているんだ! そもそも僕たちは未成年だし、お酒の残り香がするほど使用するのはいかがなものかと僕は思う!」
「…………えーと、とりあえず二人のチョコ、ここ置いとくね」
「あ、ありがと
「ありがとうくん」
「じゃ、この辺で」
「またあとでな、! ……せやから、それが頭固いっちゅーねん!」
「お礼はきちんとさせてもらうよ。……いいや、学校という場においては秩序を優先すべきだ!」
「……調停してほしいわけじゃなかったのね……」

「ハリー! やっぱり音楽室にいた! あれ、密っちも一緒?」
「オッス
「あら、さん。どうしたの?」
「二人が一緒なんてめずらしいね? あ、これバレンタインチョコだよ!」
「ありがとう、さん。うふふ、可愛いわね、このチョコケーキ」
「なんだよちっけぇなぁ。手抜きじゃねーだろーな!」
「ミルハニーの厳選材料使った特製ケーキだってば。それより二人とも何してるの?」
「オレはいつものギター練習。水島は部活のなんとかって言ったよな?」
「ええ。卒業式で入退場曲や校歌を演奏するから、部長に言われて楽譜のチェックに来たの」
「そうだったんだ。ふたりとも、がんばってね!」
「おう! こんなちっこくてもお返しは期待しとけよ!」
さん、私もちゃんとお返しするからね」

 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★

 などとダンボールがカラになった頃には放課後だ。

「水樹ちゃん、今帰り? 途中まで一緒に帰らない?」
「いいよ。いいけど、ちょっとだけ寄り道していい?」

 玄関で靴を履き替えていた水樹ちゃんに声をかけて、下校友達ゲット。
 ところが水樹ちゃんは正面玄関を出るなりちょこちょこと中庭の方に歩き出す。
 ついていってもいいみたいだから、私もその後を追ってみる。

 バレンタイン、というだけあって日頃は閑散としてる中庭も、そこかしこに甘い匂いと甘い雰囲気が漂っていた。
 いいなぁ〜、私も甘酸っぱい雰囲気に浸りたいよー!

「あ、志波くんお待たせ!」

 仲睦まじくベンチに腰掛けてる上級生カップルなどを横目にみながら中庭を進んで行くと、水樹ちゃんは手を振って駆け出した。
 その先にいたのはベンチに眠たそうに腰掛けてる志波っちょ。

 ……おや?

「ごめんね、呼び出しちゃって! 学校で志波くん見つけられなかったから」
「だろうな」
「志波っちょ神出鬼没だもんねぇ」
も一緒か」

 眠そうな目で、ベンチに腰掛けたまま水樹ちゃんと私を見上げる志波っちょ。
 その志波っちょに、水樹ちゃんはにこにこしながら鞄から小さな包みを取り出した。
 可愛くラッピングされたソレは、どうみても。

「はい、バレンタインのチョコ! 朝森林公園に持ってくの忘れちゃって」

 にっこり微笑んで手渡す様子は本当に可愛かった。
 いいなぁ美少女は。こういう絵がサマになって……。

 対する志波っちょはちょこっと眉を動かしただけだったけど。

「こんなの靴箱に入れとけばいいだろ。わざわざ呼び出さなくても」
「こら志波っちょ! 美少女のせっかくの心遣いになんてこと!」
「あ……だな。悪ィ。お前が面倒だったんじゃないかと」
「ううん、私はいいの。志波くんのほうこそ、忙しいのに呼び出したりしてごめんね?」
「いや、いい」
「でも水樹ちゃんの呼び出しは正解だよ」

 うんうん、と頷く私に志波っちょと水樹ちゃんがこっちを見る。

「だって靴箱開けたらチョコレートって。まるで告白してるみたいじゃない?」
「…………」
「ははぁ。さては志波っちょ、それを狙ってたなー?」
「んなわけあるか」
「そうだよ……」
「ふふ。それに靴箱にチョコ入れて、靴の匂いがチョコに移るのもねぇ」
「…………」
「…………悪夢、だな」

 想像してしまったのか、志波っちょも水樹ちゃんも顔をしかめてしまった。
 あれ、ちょっと品がなかったかな?

「さて、志波っちょももう帰れるの? 帰れるなら3人で帰ろうよ!」
「……途中まででもいいか?」
「みんな駅まで一緒だよね。じゃあ行こう!」

 というわけで、私と水樹ちゃんと志波っちょの3人で、一緒に楽しく下校した。

「よかったね、志波っちょ。バレンタインデーに両手に華! 美少女二人を独り占め!」
「水樹はともかく、お前は自分で言っててなんの疑問もないのか?」
「ひっどーい! 志波っちょ、チョコ返せ!」
「もう腹の中で溶けた」
と志波くんってほんと仲良しだよね」
「不本意ながら」
「そういうこという志波っちょには、今度ミルハニーのケーキの中にハバネロの粉末まぜてやるっ」
「おもしれぇ。やってみろ」
「……いいなぁ



 駅で志波っちょと水樹ちゃんの二人と別れた私は、その足で珊瑚礁に向かった。
 誕生日同様、さすがに学校で佐伯くんにチョコ渡すことは出来ないもんね。
 今ならまだ開店前に間に合うはず。
 私は足を速めた。

 で、またしても。
 珊瑚礁近くのT字路で、これまたまたしても大きな紙袋を持った佐伯くんとばったり。

「……またたくさん貰ったね、佐伯くん」
「まぁな。お返し配る身にもなれっていうんだ」
「あれ、そんなこと言われるとチョコ持ってきた立場がないんだけど」
「誰がお前にお返しやるって言った?」
「ひどっ! ……まぁいいけどさぁああ……ぐちぐちぐちぐち」
「口でぐちぐち言うな」

 紙袋をひとつ持ってあげた瞬間にチョップされる。
 にやりと笑う佐伯くん。でもなんだか今日は上機嫌みたい。
 いっつもイベントデーはぐったりしてるのに。

 私と佐伯くんは並んで珊瑚礁までの道のりを歩く。

「なんか機嫌いいね? いいことあったの?」
「あるわけないだろ? 散々だよ。学校中呼び出されてチョコ貰って……あー疲れた」
「その割には表情明るいけど。今日珊瑚礁でもお客さんからチョコ貰う予定なんでしょ?」
「わかってるなら聞くな。考えるだけで疲れる」

 口では憎まれ口叩きながらも、やっぱりその表情はどこか浮かれてるというか。
 珊瑚礁前の長階段をのぼって、佐伯くんが珊瑚礁の鍵を開けて。

 カチャリという音で、ピンとひらめいた。

「佐伯くん、あかりちゃんからチョコ貰った?」

 我ながら意地の悪い笑みを浮かべながら尋ねると、佐伯くんは途端に不機嫌そうな表情になって振り向いた。

「……なんだよ」
「貰ったんでしょ。あ、ご機嫌なところを見ると手作りの! ピンポンですか?」
「若王子先生の真似するな。……アイツは何にも考えてないから、普通に学校で渡してきた。ったく、こっちの気苦労考えろっていうんだ」

 ぶつぶつ文句を言ってる佐伯くんだけど、その頬はほんのりと赤い。
 ううう、私は佐伯くんを応援してますよ! がんばって!!

 カウンターの椅子に紙袋を置いて、佐伯くんはすぐにカウンターに入る。
 私も同じ場所に紙袋を置いて、鞄の中からチョコを取り出した。

「佐伯くん、ハッピーバレンタイン! この袋の上に入れとくね」
「ああ。……へぇ、手作りか?」
「うん、昨日パパに見てもらいながら作ったんだ。佐伯くんには特別に3個!」
「ん、サンキュ。まぁオレの腕には敵わないだろうけどな」
「憎まれ口たたかなきゃ先に進めないかなぁ〜」

 カウンターの器具を点検しながらフフンと鼻で笑う佐伯くん。可愛くないっ。

 っと、それよりも。
 私はもう1個の包みを取り出した。

「佐伯くん、私もう帰らなきゃいけないんだ。これマスターのチョコだから渡しといてくれる?」
「ああ……ってちょっと待て! なんだこの差は!? あきらかにじいちゃんのチョコの方が気合入ってるだろ!」
「だってそれは資本主義の定めというか雇い主にはゴマをすれというか〜。佐伯くんのだって他の子にあげたのよりはいいんだよ?」
「数だけな。じいちゃんのは大きさもラッピングも全然違うだろ!」
「はっはっは、日頃の行いがモノを言うのだよ、佐伯くん」

 腰に手をあてて日頃の仕返しとばかりに笑ってやれば、佐伯くんは頬をひくつかせて。

「ほほう……、いーい度胸だ……。ホワイトデー、覚悟しとけよ……?」
「あ、あれ? 期待しろ、じゃないの?」
「オレの思いの丈を詰め込んだ仕返し、じゃなくてお返ししてやる。首を洗って待ってろ」
「なんかそれ違うってー!」

 あうう、佐伯くんの闘争本能に火をつけてしまったっ!
 くぅ、佐伯くん相手にふざけるにはそれ相応の覚悟が必要だった……ウカツっ!!



 ゴゴゴと黒オーラを放出しだした佐伯くんin珊瑚礁を早々に逃げ出して、私は自宅に戻ってきた。
 2月はミルハニーもチョコケーキを前面に出してキャンペーンしてるから、バレンタインの今日は大忙しだ。
 ユキを待つ傍ら、私はお店の手伝いに精を出した。

「ありがとうございました。またのご来店をお待ちしております」

 最後のお客さんを、パパが丁寧に頭を下げて送り出す。

「やれやれ終わったー!」
「お疲れさん。今日は大分遅くなったからよかったらうちでご飯を食べていくかい?」
「ありがとうございます、マスター! お言葉に甘えますっ!」

 交代でシフトに入ってる学生バイトさんも今日は二人とも借り出されて、通常営業時間を40分オーバーしてお手伝いしてくれた。
 ママが二人を自宅に案内して、パパは厨房に入る。

 私はミルハニーの入り口のガラス扉の前で、外の様子を見てた。

 時刻は8時40分。ユキは来てくれなかった。
 今日は予備校の日じゃないはずなのに。
 どうしたのかな。約束、一方的に破るようなことしない人なのに。

 私はため息をついてお店の椅子を片付け始めた。

、先にご飯食べなさい。掃除はあとでいいから」
「はーい」

 ひょこっと顔を出したパパに言われて、私は返事をした。
 ミルハニーのエプロンを外してカウンターに置く。

 もう一度ため息をついて、私は厨房に入ろうとして。

 コンコンッ コンコンコンッ

 待望の物音に、私は物凄いスピードで振り向いてた。

 ミルハニーのガラス戸の向こうに、申し訳なさそうな顔をしてドアを叩いてる、ユキ!
 私は急いでミルハニーのドアを開けた。

「遅くなってごめん! 携帯の充電切れて、連絡できなかったんだ」
「ううん、来てくれて嬉しいよ! あ、座って座って」
「いいのか? もう店じまいしたんだろ?」
「ちょっとの間くらい平気だよ。ユキだもん!」

 戸口ではぁはぁと白い息を吐いてるユキをお店の中に招き入れて、私は一番近くのテーブルの椅子を降ろした。
 それから厨房に駆け込んで、急いで冷蔵庫からケーキを持ってくる。

「ユキ、ハッピーバレンタイン! 今年のは自信作……」

 遅れてもちゃんと約束を守ってくれたユキ。
 そのことが嬉しくて、私は満面の笑顔でケーキを持ってきたんだけど。

 コートもマフラーも着たまま、椅子に腰掛けてこっちを見てるユキ。
 テーブルには鞄のほかに、見覚えのある包みが置いてあった。

「ありがとう。ちゃんと3倍返しだろ?」
「……あ、うん」

 私はケーキの入ったボックスをユキに手渡した。
 ユキは両手で丁寧に受け取ってくれる。

 ……その包みも、こんなふうに受け取ったの?

「ユキ、その包みチョコでしょ。誰に貰ったの〜? この色男めっ」
「え、あぁ……。実はさ、さっき駅前で偶然海野に、あぁっと……例の彼女に会ったんだ!」
「へぇ」

 目を輝かせて、はにかんだ笑顔を浮かべるユキ。

「ほんとに偶然でさ! 彼女、たまたま学校で配ってたチョコが余ってたとかでくれたんだ。……まぁ、その後僕が余計なこと言ってまた喧嘩になりかけたんだけど」
「もー、だめじゃんユキ! せっかくまた会えたのに! なんて言っちゃったの?」
「本命チョコみたいなの配ってたら、勘違いするヤツ多いんじゃない、って……ちゃんとそのあとフォローしたよ」

 違うよユキ。それ、正真正銘本命チョコだよ?

「それでちょっと立ち話してて。うっかり時間たつの忘れちゃって。ごめん、それで遅れたんだ」

 私の約束よりも、あかりちゃんと話す時間の方が大事だったんだ。
 そうだよね。いつ会えるかわからないんだもんね。

「ちゃんと連絡先聞いた?」
「それが……」
「どうして他は要領いいのに、こういう肝心なトコ詰めが甘いかなぁ!」

 自分でも驚くくらい、私は完璧な友人だったと思う。

「今度会えたら、今度こそちゃんと聞くんだよ! 忘れないように毎日赤ペンで手首にメモ!」
「うん、メモは別としても、今度はちゃんと聞く。実は、はば学の生徒会がはね学の生徒会を訪問する予定があってさ! もしかしたらその時に会えるかもしれないだろ?」
「そうだね! 会えるといいね」
「ああ」

 本当に嬉しそうに笑うユキを見ていて、負け惜しみじゃなくて、本当に。
 嬉しかった。
 辛さはそれ以上だけど。
 大好きな人が幸せそうで、苦しいけど嬉しかった。

「……? どうしたんだ?」
「え? なにが?」
「なんか元気なさそうだけど」
「そんなことないよ! あ、でもさすがに今日はバレンタインで忙しかったから疲れてるかも」
「そっか。ごめん、こんな遅くなって。ケーキありがたくいただくよ」
「うん。じっくりご堪能クダサイ! ……それじゃユキ、また明日ね」
「うん、も今日はゆっくり休めよ!」

 私のケーキを鞄に入れて、あかりちゃんの包みを大事そうに右手で抱えて。
 ユキは手を振りながら帰っていった。
 私も、ユキが見えなくなるまで笑顔を浮かべてた。

 お店の鍵を閉めて、電気を消す。
 厨房から自宅に入れば、居間でパパと大学生バイトの二人が食事中だった。

ちゃん、赤城くん来てたんでしょ。帰っちゃったの?」
「うん、帰っちゃった」
「そう。ちゃんも、早くごはん食べなさいね?」
「うん……ううん、ごめんママ。今日はごはんいらない。なんか疲れちゃったから、寝るね」

 え? と聞き返すママの声を無視して、私は階段を駆け上がった。

 部屋に飛び込んで、電気もつけず、服も着替えずベッドに倒れこむ。

 ママが上に上がってきて部屋のドアをノックしたけど、返事しなかった。
 私はそのまま眠った。


 ばいばい、ユキ。



Back